第十七話、太后の日常、後編
太后と奇妙な同居生活を続けて一週間ぐらいたったころだろうか。朝食が終わって少したっていたころか。その日は雨で私は上を見上げて降りかかる雨の音を聞こうとしていた。だが天窓は透明で薄くは見えてもセキュリティがしっかりしているらしく、音が何も聞こえない。飛行機が通ることすらないのだ。メイディドゥイフは鎖国の国なので外国機は通ることはないのだろう。メイディドゥイフ自体の軍隊もあるらしいが、この宮殿ビルの上を通ることもないのだろうか。そうぼんやり考え事をしているといきなり太后が大声で怒鳴り始めた。ぎょっとして振り向くと太后は画面用のリモコンをテーブルにばしばしとぶつけて、画面に映っている軍人に受かって怒っている。
レイレイ、ついでダミアンが部屋にノックなしで入ってきた。二人とも両手で銃を持っていて私は思わず立ち上がった。だが二人は入り口から動かない。太后を警護しているのだ。入り口の外側に大勢の人が集合する気配があった。彼らも太后を警護しているのだ。
太后は画像の相手に一通り怒鳴り終えたかと思うと、レイレイやダミアンに声をかけず、おもむろにもう一つのリモコンをテーブル下の引き出しを開けてマイクのようにして叫んだ。するとこの器具から答えの声? がした。太后はもう怒鳴るのをやめて画像に移る軍人を黙って見つめている。軍人はどこの人か何をしている人かはわからない。どこかの部屋にいるらしいが、それもわからない。太后は軍人の正面のアップからリモコンを操作してその部屋の上から覗き込めるようにした。その軍人はきょろきょろしている。その様子を見て太后は声を出して笑ったのでぞっとした。それから私を振り返って「めぐみ、▽▼◇◇」 と短く言ってあごを画面に向けた。どうやら見なさいと言っているようだ。
なにが始まるのだろうと私は太后の顔と画面を交互に見つめるとやがて画面に映る部屋に誰かがやってきた。その軍人とは違う真っ白な制服を着た五名ほどの人間だ。天井の監視カメラからなので表情がわからない。全員男性のようだが彼らも軍人なのだろう。部屋に到着するなり、五人とも腰にある短銃を引き出して構えると同時に軍人がぱたっと倒れた。死んだようだ。軍人は抵抗する間もなく死んでしまったの。
「えっ、うそ、今のは本当に死んでしまったの?」
発砲する音すら聞こえなかった。
「うそ、今の死んだの、うそ」
私は両手で自分の頬を包んで立ち上がった。太后はリラックスしたようにソファに深く腰掛け直した。レイレイとダミアンを振り返ってみたが二人とも銃を閉っていた。となるともう終わったのか。二人とも素知らぬ顔でいつもの執事服と白衣姿で立っている。
どうなるのかと思っているとノックの音がしてワルノリビッチ首相が入室してきた。そして何か一生懸命弁明をしているようだった。太后は首を振って「▼◇◆■○ッ!」 と叫ぶとそれ以降は首相は深く拝礼して黙って部屋を去った。その行動の意味はわからない。とりあえず今朝はある軍人を処刑したということか。これが太后の日常の一コマなのだろうか。
怒りっぽい独裁者の大金持ちのメイデイドゥイフの太后。私は爆雪めぐみ、拉致されてこの太后と一緒に暮らす羽目になった。その理由は未だ不明。私、どうしてここにいるの?
私はそのことがあって、太后は私をペットか何かと間違えているのではないかと思い始めた。家族でもなければ友人でも何でもない。私の意志に反して部屋に留められ日本に帰してもらえない。私は毎日何回も心の中で聞く。一体この太后にとって私はなんだと思っているのですか?
少なくとも太后は私を人間扱いをしていない。いや、好意を持ってもらっているのはわかるが、その好意もどこか奇妙なのだ。その感覚は今までに覚えがないものだ。
液晶画面にはもう誰も映されてはいない。あの軍人は死んでしまった。五人の白い軍服を着た人間はもう映っていない。あれは太后が使っている処刑人? なのか。
太后はテレビ電話で誰かと話す時は私やレイレイ、ダミアンに向かうときと違いとても冷淡だった。慣れというものは恐ろしい、私はそんな太后に慣れてきた。私は太后を怒らせることはない。悲しませることもない。逆に喜ばせることもないし、笑わせることもない。なのに太后は私と暮らしているのだ。
そんなこんなでさらに十日あまりたったときのことだ。
ダミアンがいつもの診察のあと、私の体温を測定してから太后に何か言った。すると太后は私の方を向いて軽く頷くと、ダミアンの方を向いてこまごまと何か指示をしていた。
{?」 と思っているとダミアンとレイレイが恭しくお辞儀をした。
太后はリラックスウェアというかムームーを脱ぎ捨てるとちゃんとしたドレスに着替えた。初対面の大仰な昔風のではなく、ロングドレスだった。私は着替えを手伝ってやり、背中のチャックを閉めた。どういうわけか初対面からそうなってしまった。だけど私はお世話係でもないのだ。
私はそれから太后が選んだ短いワンピースを着させられた。たまにこれを着ろと命じられることもあるので服ぐらい逆らってもどうにもならないので黙って着ているが。
今日のは薄い緑色のドレスで膝小僧がみえるぐらいの長さだった。飾りは一切ない。パジャマみたいだった。靴もスリッパみたいなものに履き替える。肌足のままで。ティアラはなし。バッグなし。
やがて太后は私を廊下に連れ出した。この部屋を出るのは初めてのことだ。だが日本に帰してもらえる雰囲気ではない。逃げ出そうにも逃げ出せないのだ。二人して長い廊下を出ると例の鏡張りの謁見の間にでた。太后の部屋で軟禁されてから私は初めて部屋から出させてもらえたことになる。
鏡の間で例の大きなテーブルに私と太后が並んで座ると壁が一瞬で透明の窓になった。私は思わず立ち上がる。初めてメイデイドゥイフの領地を見たのだ。
私は窓に駆け寄ってガラスに手をつけた。そして下を見下ろす。大絶景だった。東京のスカイビルなんてものではない。皇太后の宮殿と言われているが単なるビルでビル街の中にあるわけではなく、逆に大きな川と街を見下ろす形で建っているようだ。地平線は海ではない。全体に薄い茶色、ということは海の代わりに砂漠に囲まれているのだ。私は外務省が用意してくれたメイデイドゥイフの紹介というか説明文をちゃんと読んでいなかったことを今にして悔やんだ。これだけだと地形がわからない。さてこの宮殿ビルって一体何階建てなのだろうか、外観はどんな感じなのだろうか。ビルの中、ここが最上階だというのはわかるが、これって一体なんだろうか。
小学生のころに社会見学と称して消防署を見せてもらったことがる。消防署の二階には百十九番を回して救急車や消防車を呼んでいる人と対話している様子を見学させてもらったことがある。見学後、これは内緒で誰でも見れるわけではないんだよ、と言った説明係の人がスイッチを押すと魔法を使ったように透明の窓が鏡になったのだ。ちょうどアレと一緒だ。
眼下には大小のビルが整然と立ち並び、その下がどうやらマーケットになっているらしく、大勢の人々が行きかっている。広場が数か所あったが、一番大きな広場には行きかう人が拝礼している。目をこらして何を拝んでいるのか見下ろすとどうやらメイディドゥイフの国旗と馬に乗った軍人のようだった。どうやらあれもグレン将軍らしいなと検討をつけた。広場にもあちこちにもメイディドゥイフの国旗とグレン将軍の彫像や肖像画が飾られているのだろう。
私たちのずっと下で歩いたり商売をしたり車を出したりしているメイディドゥイフの国民たちはこの宮殿ビルの最上階から太后や日本から来た私が見降ろされていることは知らないに違いない。誰も私たちを見上げなかった。
ふいに私は悟った。外務省の大山さんの声そして坂手大臣の声も。
血で血を争う後継者争いがひどく太后の真実の顔は誰も知らないと。
筆子さんの声も。
メイディドゥイフはどこへ行っても赤と青の国旗とグレン将軍の肖像画があると。
もちろんグレン将軍は建国の父とされているがもう亡くなっている。その娘がスタブロギナ・プラスコヴィヤ太后……私の隣にいるおばあさんがまさに太后なのだ。この太后は亡命した姉のダリアを探していた。なぜ探していたのだろう。
ダリアは死んだ。ダリアが産んだ私の母も死んでいる。そしてその娘、私、爆雪めぐみを強引に呼び寄せた。一体この太后は何を考えているのだろう。
初めてみるメイデイドゥイフについて王座に座ったままの太后からは一言も説明がなかった。私と目が会うと、今日は好きなだけこの国を見ていてもよいわよ、というふうに微笑むだけだ。私は今太后からの直々の許可を得て、つまりおそばにいて国を見るという偉大なる特権を得ているわけだ。全然有難味がないけれど。
最初の興奮が過ぎても、ぼんやりと国を見下ろしているうちにレイレイがまた顔を見せた。レイレイは恭しい様子で太后に何か言っている。太后は私を見て「じゃあ部屋に戻りましょうか」 と声をかけているようだ。窓から一歩離れるともう窓は窓でなくなり、鏡になってしまった。鏡の中にはもう一人の私がいる。その隣にも虚像の太后がいる。私は心細そうに立っている。太后が「めぐみ」 と言った。私は太后の後ろについて歩かねばいけない。私は足を太后に向けた。今ここで私が座りこんだらどうなるのだろう。そんなことを考えながら私は太后のあとについた。廊下を出てまた太后の部屋に戻る。




