第十二話、ザラスト登場、前編
◎ 第六十八話
再度背後が明るくなった。後ろの壁がどうやら壁自体スクリーンになっているらしく光っている。壁にかかっているメイデイドゥイフの赤と青の国旗が浮かび上がっているように見えた。同時に太后と私以外の人が全員挙手をした。座ったままの太后が片手をあげると全員が同時に椅子をひいて座った。私は立ったままだ。私以外の皆が小さく椅子を引く音がしたがそのあとは静寂だった。
レイレイとダミアンが二人で国旗を外した。丁寧に外した後、壁の脇に置いた。国旗の上にあったグレイ将軍の肖像画はそのままだ。
それから壁のスクリーンから日本語が聞こえてきた。懐かしい日本語。バックには理玖が踊っていたエスメラルダの客が流れている。舞台上でタンバリンを持って踊る理玖。だけどそれは私が何度も見たあのYOU TUBE の画像だった。日本語はバレエコンクールで初優勝を飾った理玖がUPしたあのインタビューシーンだ。それが聞こえてくる。
私は呆然とした。お母さんのベビー靴下をしっかり握ったまま立ったまま振り返ってスクリーンを見つめた。獅子町テレビのインタヴュアーがマイクを持って理玖に質問している。何度も繰り返し見たあのシーンだ。
……大豆バレエの友永理玖さんです。このたびはバレエコンクールの優勝おめでとうございます。今どんな気分ですか
……とてもうれしいです
……そうですね、うれしいですよね、将来はやっぱりバレリーナ志望ですか?
……はい、私はプロのバレリーナになりたいと思っています
……お友達も応援にきていますね
そこでインタヴューされる理玖の隣にいる私がクローズアップされる。画像はそこでストップした。画像が止まるともちろん日本語の言葉も聞こえてこない。静寂……誰も発言しない。
確か私はそこでインタヴュアーから急にマイクを持たれてそれから私はしどろもどろながら「理玖に優勝おめでとう」 を言ったのだった。
私は私の静止画像を黙って見上げている。
画像がもっとアップされた。私の横顔のアップ。
もっとアップ、アップされる。
私の横顔、画像は私の耳と目が拡大される。
自分で自分の横顔を見るのはとても奇妙な気分だ。
「どうしたのだろう」 と思う間もなく、拡大は少しずつ続く。私の目が最大限に大きくなり、耳も。やがて画面が収まり切れなくなっても拡大は続く。やがて目尻が拡大とともに横へ横へと押し出され耳の前だけが拡大される。
「あ……」
私は皇太后が私の何をわざわざ拡大してきたのかに気付いた。私の耳の前にある小さな穴だ。横につぶれた小さな穴。
クリームベージュの肌にちょっと爪楊枝で穴を刺しましたという小さな穴。それだ。
でも、なぜ?
太后が何か言い始めた。同時にレイレイがそれを通訳してくれた。この部屋に入って初めて通訳してくれた。レイレイの流暢な日本語が部屋に流れる。
「太后さまのお言葉を通訳させていただきます。……めぐみ、よく来てくれました。あなたがメイデイドゥイフ王朝の血を引く人間であることはこの画像で証明されます。私は偶然バレエの動画を見てあなたを発見しました。そして調査を命じ、DNA遺伝子検査を命じたのです」
私はななめ後ろに立っているレイレイの顔を振り返った。レイレイはまじめな顔だ。
私は視線をずらし、グレイグフ皇太子を見る。彼も私の顔を真剣に見ている。
私は隣にいる太后をゆっくり見下ろす。太后はまっすぐに前を向いている。私を見ていない。
レイレイがたまりかねたように私に言った。
「めぐみ様、座ってください。これから太后が大事な話をします、ですのでどうかその椅子に座ってください」
レイレイは私が座るのを根気よく待っている。仕方ない。私は靴下を握りしめたまま座った。レイレイは私の背後で立ったまま日本語で私に説明をしてくれた。いきなり本題に入った。
「太后の姉にあたる人はメイデイドゥイフを嫌って亡命しました。行方を捜していたのですが見つからなかったのです。まさか日本にいるとは思わず驚きました」
私は答えはわかっていたがどうしても聞かずにいられない。
「レイレイ。じゃあもしかして私のお母さんは……その人その太后とは……」
「はい、そうです」
レイレイの目からは表情を伺えない。太后も私の方を見ず手を組んで視線はテーブルの上にある私の母の写真に置いている。
「めぐみ様のお婆様にあたる人はダリアと呼ばれていました」
「ダリア」
唐突に感じる名前だった。しかも日本語では花の名前だ。ダリア……ダリア。レイレイも尊称なしだ。
ダリア……。
「ダリアはメイデイドゥイフから亡命したのでそれ以外の名前はありません。名誉あるメイデイドゥイフの名前も使えません」
「それは、いいけど、でも……ダリア、ダリア……」
急に太后が振り向いて私をまともに見た。そして「めぐみ、▽◎◎▽、ダリア、ダリア」 とつぶやいた。そしてまたテーブルの前を見つめる。
私は今の言葉が気になったのでレイレイに聞いた。
「太后は今、なんとおっしゃったの? ダリアといったわ、私の名前も言ったわ」
レイレイは首を振った。
「レイレイ? あなたは通訳でしょう」
そういうとレイレイは返事をせず太后に恭しく拝礼しながら何事かを言った。太后は即座に首を振る。するとレイレイは頭をあげて首を小さく振った。
私にはわかった。
太后はレイレイに通訳するな、日本語で言うなと言ったのだ。
おそらくこの中で私がしゃべる日本語を使えるのはレイレイだけだ。なのに彼は通訳しない。
私のおばあさんに当たる人がダリア、ダリア……太后の名前のスタブロギナ・プラスコヴィヤなんとかかんとかという長い長い名前とえらい違いだ。
私はダリアという名前の花を思い出そうとした。どんな花だっただろうか、濃いオレンジだったのではないだろうか。それにしてもダリアとは。元からの愛称なのだろうか、どういうことなのだろうか。そしてこのベビー靴下。テーブルの上に整然と置かれている私の母のポートレート。位牌に使った写真が一番大きく引き伸ばされている。
私はなんのためにこの太后に呼ばれたのだろう。ああ、言葉が通じたら。でも私は大声で聞くことも大声で泣くこともできない。ただただ硬直していた。頼みのレイレイも何も言わない。
この部屋には大の男たちが黙って座っている。グレイグフ皇太子も何も言わない。テーブルの席から黙って太后の様子を見ているだけだ。
私のすぐ隣に座っているこの身ぎれいなおばあさんがメイデイドゥイフの太后なのだ。グレイグフ皇太子でさえも首相でさえも何も言わない。私に話しかけもしない。急にのど元から熱いものがこみあげてきて私は叫んだ。
「もう、いいでしょう、これで気がすんだでしょう、私を、日本に、戻してください」
静寂、
テーブルには皇太后、グレイグフ皇太子、レイレイにダミアンがいるというのに、誰も何も言わない。私は母の遺品であるベビー用靴下や母の写真を両手でわしづかみにした。写真がやぶれてもしわくちゃになってもいい。つかんで再び叫んだ。
「返して、私を、日本に、返して」
涙は出ない。私は日本に帰してやろうと言われるまで何度でも叫ぶつもりだった。ふっと急にコーンスープの匂いがした。ふいを突かれて私は黙る。しかも鏡の部屋に誰かが入ってきた。手押しのワゴンを運ぶために前かがみになりながら入室してきたコックさんたちだ。六人も入ってきた。全員男性できれいなフリルのあるそでのついた給仕服を着ている。そういえばランチを一緒に、と言われていたっけ、それで食事が来たのだ。でも、私は今、日本に帰してもらうべく叫んでいるところだ。
コックたちは今の私の叫びを聞いていたはずだ。だけど何事もなかったように視線をワゴンの上の料理に落とし恭しい態度で太后に拝謁した。それから私たちのテーブルにまずお皿とナイフやスプーンを置き始める。私は彼らが食事を用意しはじめたときにもう一人男性が入ってきたのに気付いた。その人は一人で車いすに座っていた。付き添いはなし。車いすの取っ手の部分に機械のコントローラーのようなものをもっている。電動車椅子というものだろうか。男性は軍服ではないが、地味なスーツを着ていた。歳は私のお父さんよりもずっと年上に見える。五十歳ぐらい? 六十歳? 七十歳? うーん、よくわからない。私は叫ぶことに気がそがれその人がテーブルに近寄ってくるのを黙って見ていた。一緒にテーブルについている皇太子や首相は私の叫びにも動じず黙って給仕されている。
給仕はじめコックたちは私たちの目を見なかった。だけどその車いすのおじさんは最初から私の顔をまっすぐに見た。私の顔、目をまっすぐに見つめながらこっちに近寄ってくる。太后はとがめもせず黙って見ていた。レイレイも、ダミアンも、首相もそしてグレイグフ皇太子も。
静寂。コックたちが立てる給仕の音、スープを捧ぐかすかな音だけが響く。
その男性は私のそばまで来るとはっきりと私の名前を叫んだ。
「め、ぐ、み」




