第十一話、私にどうしろと?
◎ 第67話
こんなひどい目にあわされてしまった女の子って世界中をさがしても私一人ではないだろうか。私はトイレの個室に座ったまま、膝の中に顔をうずめて泣いた。できるものならトイレに流されて海に出て日本に帰りたい。だけどここはメイデイドゥイフなのだ。ここは日本ではない。ドッキリカメラでもなんでもなく、本物の太后であるとしか思えない。
再びトイレのドアが開いた。身構えたら今度はレイレイだった。私はもうドレスの裾をなおして足も見えないようにはしていてもトイレに入ってほしくはなかった。だけどトイレの鍵はダミアンが銃で破壊してしまっている。
「めぐみ様、どうか出てきてください。今後のことで大事な話があります」
「……レイレイ、私は日本に帰りたい」
「めぐみ様は謁見の間でこれから始まる大事な話を聞いていただきます。あなたがここに来させられた理由がわかります」
「それを聞いたら帰らせてくれるの?」
「すべては太后さまがお決めになることです、さあ、どうか」
「……」
私は一生ここの綺麗なトイレで過ごす勇気はない。あきらめのため息をついて私は立ち上がった。レイレイはほっとした顔をしている。私はもう一度ドアを閉めてもらい渡されていた生理用ナプキンをショーツにあてた。暗い気分だった。華やかなドレスも私の気分を浮かしてくれない。どうにでもなれ……もうなげやりな気分だった。
頃合いをみて再びレイレイがドアを開けてくれる。太后はトイレの前に立って私を待っていた。ダミアンが控えている。
私が出てくると太后は辛抱強く待っていたらしいが何やら小声で言った。どうやら「遅いわね」 というような小言のようだった。
私が出てくると太后は小さく肩をすくめ、鏡の部屋の壁面に行く。太后、次に私、レイレイ、ダミアンの順番だ。四方鏡の部屋なので私たちは四人なのに、何十人もの私たちが鏡の部屋に映っていた。
「ああ、ここがメイディドウイフの宮殿? なんという悪趣味な。遊園地の鏡のトリック小屋みたいな、ミラーハウスみたいなものだとは思わなかった。しょぼい、つまんない宮殿ね……」
私は心細いながらも怒っていたので鏡の部屋を罵倒しまくっていた。日本語で。
すぐ後ろにいるレイレイがどんな顔をしているかは私には見えない。だけどレイレイがいちいち通訳するとは思えない。
そこは行き止まりではないかと思いきや、壁面ごと上に引き上げられていく。鏡の壁がするすると上にあがっていくのだ。
あら不思議。もう一つ鏡の部屋が現れたではないか。
その奥には大きなテーブルがあり、正面の壁には赤と青のメイディドゥイフの巨大な国旗が飾られその上にこれまた大きな肖像画が飾られていた。してみればここが本物の謁見室に違いない。肖像画は見覚えがある。この国を独立国にした功績あるグレイ将軍だった。
テーブルまわりに何人かの人が座っていた。私たちが現れるとその人たちはさっと立ち上がった。
数人のうちの一人はあのグレイグフ皇太子だった。彼の顔を見ると私はどきーんとした。彼は私を認めると厳しい顔を少し崩して唇を緩めた。彼も軍服だ。その隣にはグレイグフ皇太子よりもたくさんの勲章をつけたこれも軍服姿のおじいさんがいた。どこかで見たことがあると思ったら外務省の資料の中にあったワルノリビッチ首相だった。
太后はダミアンにエスコートさせて一番奥の椅子に座った。この椅子だけ背丈が高く何というか京都の古寺の仏さまのように大きな後光が指すように背丈の上部分が半円を描いて広げられている。どういう仕掛けかきらきらと輝いている。これがメイディドゥイフの王座なんだ。太后が優雅なしぐさで座ったが、ティアラや耳の前にある飾りが反射して年を取っているはずの太后がひときわ若返り美しくみえた。
太后が王座に座るとゆっくりと私の方を向いた。そして私を手招きして太后の隣に座るように命じた。隣といっても少し離れている。しかし他のグレイグフ皇太子や首相と比べてぐっと近い座席だ。私はテーブル周りにいる数人の視線を受けて緊張していた。
太后はまだ立ったままでいる室内の人間を眺めまわしつつ、ドレスの裾をさばいて広げていた。そして何事かを首相に話しかけ、首相が返事した。太后は首相の返事にさらに短く返事を返す。それきりまた会話がとだえた。グレイグフ皇太子は首相の隣で立ったままだ。しかも直立不動。日本の帝国ホテルで会った時の気さくな態度はどこにもなかった。太后の権力の強さ、筆子さんがいっていたメイディドゥイフの王権の強さを私は実際に見ているのだ。そしてこれは始まりにしかすぎないのだ。
太后のドレスは隣の席には違いないが離れた席にいる私のすぐ斜め前までふんわりと広がりそれから範囲を縮めた。レイレイがどうぞというように再度椅子の上に手をゆっくり振った。太后は私を振り返らずまっすぐ前を向いている。威厳を持って前を向いて座っている。王座の飾りは金メッキではない。本物だ。赤やブルーの国旗カラーで埋め尽くされた王座の宝石も本物だ。ガラス玉ではない。
私は改めてこの身ぎれいにしたお婆さんは普通のお婆さんではないのだと思った。この人が世界中の皆が知らない鎖国で大金持ちで秘密主義の国のメイデイドゥイフの一番偉い人なのだ。普通なら私は一生出会えないセレブの人なのだ。私は太后の横顔をそっと見てから下を向いた。私はどうしてよいかわからない。何をしたらいいかわからない。だけど私を日本に帰してくれと言わなければいけない。どういうタイミングで言うといいのだろう。私の思いは通じるだろうか。
下を向いていたもなお、私は部屋にいる皆の視線が集中しているのを感じる。この圧迫感は半端ない。私は小学校でのいじめを経験していて皆の注目の視線を受けたことはあるけれど、あの時とはまったく別の圧迫感だ。とにかく座ろう、座るぐらいならどうってことはない。
私は観念して座る。背の高い椅子をぐるっとまわって立つとレイレイがよいタイミングで椅子をテーブル前にすすめた。私は座るだけでよいのだ。私のドレスが太后のドレスと重なった。私はあわててドレスを小さくまとめた。太后と反対側にドレスの裾を流すようにしたがその時にテーブル上にあるものを見て硬直した。
テーブルの上には写真が数枚あった。それと小さな産着もあった。お父さんがなくなっているといっていたものだ。いつなくなったかはわからない。位牌の下の引き出しに入れていたものだ。色はあせたいるが元は薄いピンクだったのがわかる。小さな産着、お母さんが着せられたいた産着だ。それがメイデイドゥイフにある。写真もそうだ。それはどれも見覚えのあるものだ。そう、それらは全部私のお母さんのものだった。
一番大きく引き伸ばされた写真は私のお母さんの遺影だ。私の家の居間にある小さなタンスの上にある仏壇に祀っているものだ。こんな、こんなところで……メイデイドゥイフで……わけのわからない拉致をされて軟禁されて……そのあげくトイレであんなことをされて。
私は震える手で一番手前にある写真にさわった。知らずにまた立ち上がっていた。数少ないお母さんの写真。お母さんが笑っている写真、お父さんと質素な結婚式を挙げた時の写真。私を産んで抱っこしたときの写真。アルバムに貼ってあったものが全部そこにある。それも拡大されている。
家の仏壇のところにはお母さんの遺影や引き出しには小さなアルバムがそのままあった。だからこれらはカラーコピーなのだ。それをさらに拡大コピーしたものだ。太后の手先がいつの間にか日本の私の家に侵入して家探ししていたのだ。そしてこれらを日本からメイデイドゥイフの太后の手元まで送られていたのだ。ひそかに。
私の知らないうちに。いったいいつごろから……。
お父さんが早い時期に誰かがうちの家に入っていたのかもしれない違和感があるといったことを思い出した。お父さんの違和感は正しかったのだ。日本の私の家に入り込んで私たちの写真、プライベートな私たちだけの写真。それらを複写し拡大してこの太后に見せるために盗んだのだ。
太后の前にあった産着も最初は遠慮がちにだけどそっと触った途端、下の方に小さなベビー靴下まであるのに気付く。これらはお母さんの遺品だから私のものだと思った。。お母さんがまだ小さな赤ちゃんだったころに身につけていたとされるものだ。ベビー服やおむつカバーが家にあったことはちゃんと確認している。小さな靴下はいつのまにかなくなっていたのだ。私もお父さんもこれには気付かなかった。なんてことだろう。
私は産着もベビー靴下も両手で持ちそれからぎゅっと握った。私は固く目をつぶった。それが何を意味しているのか考えたくない。私は小さな声でつぶやいた。
「……この上にあるものは全て私のものです。この拡大された写真も全部私のものです。私はこれらを持って日本に帰ります……」
私の背後でレイレイがメイデイドゥイフ語で太后に何かをいっている。多分私の通訳をしているのだ。太后が何かをいったがそれはダミアンが答えた。グレイグフ皇太子と首相が何か言葉をかわしているのも目の端にした。レイレイは日本語で私には何も言わない。通訳しない。だから私にはわからない。




