第六話、太后との対面が決まる
翌朝目が覚めると卓上時計は午前七時をさしていた。いい加減朝日の光ぐらい浴びたいわ、とぶつぶついいながら起きる。トイレに行ってそのあと顔を洗っていたら、レイレイがいつものように朝食をワゴンで運んできてくれた。
レイレイの顔を見るとダミアンに殴られたところが青痣になっている。私は歯ブラシを口につっこみながらおはよう、という。
「痛そうな顔になってるわよ」
「大丈夫です」
レイレイはちょっと恥ずかしそうに答えた。それから壁際にぴったり身体を張り付けて私の方に早口で言った。視線は私からそらしてベッドの方だ。
「二度と太后さまの悪口を言ってはいけませんよ、命の保証ができなくなります」
「やはり太后のことかあ、監視カメラでも日本語わかるんだ……」
いうなりレイレイは自分の口に手をあててしゃべるなという合図をした。壁に不自然に身体を張り付けたまま私に言った。
「日本語はわかりませんよ、でも言ってはいけないことですので私があわてて止めたらめぐみ様を襲っていると勘違いされたのです」
「……じゃあレイレイは」
言いかけるなりレイレイはしゃべるなという動作をする。いくら鈍い私でも気付いた。
今レイレイは命がけで私に注意しているのだ。レイレイは壁からぱっと身を離すとソファのテーブルまでワゴンを引いていった。時間にして一分もないだろう。
テーブル上に朝食を並べる。朝食はイングリッシュブレックファーストなので好きなものを好きなだけという感じだ。薄いトーストもハムも卵もチーズもみんなついている。おいしいのだがここに来てから私の味の好みや何を食べたいかのリサーチが一切ないのだ。
トーストはおいしいし、ハムは本物の生ハムでとにかく大きいサイズを切りましたという感じ。日によってハムをバラの形にしてレタスで葉を形作っていたりしている。卵はスクランブルにしたりスコッチエッグにしたりいろいろだ。チーズもこれまたいろいろ、六種類ぐらいある。食べたこともない青かびチーズまであった。飲み物はお茶だったりオレンジジュースだったりこれもいろいろだ。
レイレイはいつものようにサーブしてくれた。ダミアンに殴られて怒られたのだろうがそれでも私の世話係という仕事は干されなかったのだ。日本語を理解できる人員がそれだけ少ないのだろうか、多分そうではないかと思っている。
食べ終わった頃合いを見計らったようにまたもやダミアンがノックして入室してきた。ちゃんと白衣を着ている。
「Здравствуйте」
その言葉に聞き覚えがあったので私はあいさつを返した。
「ズドラストビッチ」
ダミアンが一瞬言葉につまって私の顔を見た。多分彼は私があいさつの言葉もしらないと思ったに違いない。やがて、ははっと笑い出してもう一度同じ言葉をかけてくれた。
「Здравствуйте」
「ズドラストビッチェ」
発音がすごく悪いらしい、ダミアンは大まじめな顔でもう一度同じ言葉を続けた。
「Здравствуйте」
「ズドゥラストビッチェ」
全然だめっぽい。ダミアンは根気よくもう一度呼びかけてくれた。
「Здравствуйте」
「ズドравствッチェ」
ダミアンは肩をすくめてちょっとよくなったよというそぶりを見せてくれた。まさかダミアンと会話が成立するとは思わなかった。レイレイとばかりであきてはこないが、ちょっとだけでも通じてうれしかった。だがメイデイドゥイフ語を習うほど私はここに親しみを持っていない。それはそうだろう、だって私は軟禁されているのだから。
ダミアンはレイレイに何か言った。レイレイが通訳してくれる。
「食事はおいしかったかと聞いてます」
「いただきました」
「口にあうかと聞いています」
「はい、でもたまには和食がいいな」
ダミアンはレイレイにしゃべっている。二人だけでしゃべってから私に言った。
「あなたの食事は全て太后さまのメニューと同じなのです。和食は今まで召し上がられたことはないのですが、和食は低カロリー高タンパク質の摂取が期待できますので私の方から侍従医として太后さまにすすめてみましょう」
「へえ、私の食事メニューは太后と同じだったのか……」
太后がメニューを全くおなじようにしろと命令したので私の好みなど聞かれなかったのか、軟禁状態だからと思っていたが、違っていたのでびっくりした。だが自由行動を許されていないので食事が優雅であっても囚人みたいな扱いをされているのには間違いない。
ダミアンが何やらきっぱりとした口調で言った。レイレイが通訳する。この様子ではレイレイの上司がダミアンということになる。だからダミアンは容赦なくレイレイの顔を殴れるのだ。そんな感じだった。
「ダミアンの言葉を通訳します。太后さまは本日のランチにめぐみ様を招待されました」
「えっ」
「太后さまは体調を回復されたのでめぐみ様と会うとおっしゃられたのです。つまりお披露目会です。急遽決定してよかったですね、めぐみ様」
「……」
よかったも何も。レイレイの口ぶりに違和感が。怒るぞ、私は。
だがレイレイに怒っても仕方がない。怒るのは帰国してからにしよう。この奇妙な体験を日記にして本にして売り出してやる。私は怒りの感情をぐっと心の奥底におしこめて努めて無表情にレイレイに聞く。
「お披露目会ならばグレイグフ皇太子も来るのか、そのほかのメンバーは誰?」
「はい、ランチの出席者は皇太后さま、めぐみ様、グレイグフ皇太子、ワルノリヴィチ首相、ダミアンです」
「あら、レイレイは?」
「もちろん参加します」
私は指を折って参加人数を数えた。
「じゃあ私を入れて六人ね、日本語ができるのはレイレイだけでしょ、最初から最後まで通訳はちゃんとしてくれるでしょうね」
「それはもちろんです」
とうとう太后に会えるのだ。それと皇太子は当然として首相までセットで。それではメイデイドゥイフの皇太后の主だった人物と一度に会うことになる。会ってどうするのかはわからないが会わないと話がすすまない。私は緊張感が高まってきた。太后やグレイグフ皇太子が諸悪の根源でレイレイはその実行犯に過ぎないことが分かった以上、私は太后に直接日本に帰してくれと頼まないといけない。
「面会場所はここでするのね?」
レイレイは私の顔をのぞきこむように見てにっこり笑った。
「いえ、違います。この部屋では狭すぎる。太后さまの謁見の間があるのでそこでいたします」
「ではこの部屋を出るのね」
「……そうなります」
やっとこの特徴のない部屋から脱出できると思えばうれしかった。それが日本に帰国できることにつながればいいのだけど。




