第五十四話、深海の底、そして宮殿の地下
◎ 第五十四話
私は顔を伏せてずっと泣いていてばかりいた。泣いてばかりいる私にレイレイは何も言わなかった。ただデスクの上に飲み物と食べ物を置いていく。食べたくないのでそのまま置いていたらレイレイが困ったように言う。
「めぐみ様、ちゃんと食べていただかないと、私は貴女に栄養剤を入れた点滴をしないといけません。とかくめぐみ様を五体満足のままでメイデイドゥイフに来ていただくようにと命令されています」
「……点滴……五体満足」
「そうですよ、どうします。点滴の方がいいですか」
「点滴なんて」
「私は実は看護師の資格も持っていますので安心してください」
「やめてよ。そういうことを言っているのじゃないのよ」
レイレイはそんなことを淡々というのだ。今日も良いお天気ですね、という感じで。
この部屋には窓もなかったがここが潜水艦だというのは信用せざるをえない。この揺れは自動車でも飛行機でもないのだ。
とりあえず海の底を這いずっている潜水艦の中では何もできない。潜水艦をあがり飛行機に乗りメイデイドゥイフに着く前までに必ず逃げ出すチャンスはあるはずだ。そう思っている。仕方なく食べ始めた私を見てレイレイでもほっとしたに違いない。だが食はすすまない。ほとんど残した私にレイレイはこれなら飲めるでしょうとホットミルクティーを持ってきた。のどが乾いていたので私はそれを飲んだ。それきり私はまた眠ってしまった。
あれには……睡眠薬が入っていたのだろう。
寝ている間も身体全体が、いいえ。あたり全体が小刻みに揺れている。その揺らいだ感覚だけはほのかに覚えている。それ以外は覚えていない。
潜水艦を出た時も覚えていないし、飛行機に乗り換えた時も覚えていない。二度目に目覚めたらやっぱりレイレイが私のそばにすわっていて「ああ、めぐみ様、安心してください。無事にメイデイドゥイフに到着していますよ、まずはゆっくりと休んでください」といった。
これまたあっさりと。
私はがばと起き上がる。
あたりが一変していた。
私はベッドの上にいる。大きなキングサイズのベッドだ。レイレイはベッドわきの壁側に立っていた。あたり全体から良いにおいがしている。清涼な透明感のあるソープの香り。私もいつのまにか着替えていて、さらりとした絹の生地、色は薄いイエローの小さな紋様のある裾の長いネグリジェを着ていた。だけど全く覚えていない。
左手の裾からチューブが垂れ下がっているのでぎょっとして引っ張ろうとした。するとレイレイがあわてて「それを引っ張ってはいけません。大丈夫です。もうすぐ点滴が終わりますから」と言った。
て、点滴っ!
あわててチューブの先を辿るとベッドの頭に小さな点滴台があってその上に小さな点滴瓶が釣り下がっていた。一体何の薬を私の身体に入れられているのだろう。私は結局点滴をされているのだ。
「レイレイ、はずして。今すぐはずしてっ」
「めぐみ様。落ち着いて。大丈夫です。それはただの栄養剤です。メイデイドゥイフに到着しているのではずします、大丈夫ですから。じっとできますか、できますね? じゃあはずしますよ?」
私はベッドの上に座ったまま息を切らしている。レイレイは私の顔を見つめたまま私の左手の裾を両手でそっとまくった。すると私の左肘の中に包帯でまかれた針の先があった。私は咳こんでいう。
「レイレイ、早くはずしてよ」
大丈夫といいながらレイレイは手際よく私の腕にある包帯をはずして、針の先を抜いた。抜かれたとたん、私はさっと後ずさりをしてレイレイからできるだけ離れるようにした。大きな枕の下にお尻がきた。レイレイがもっとせまってきたらベッドから降りて逃げないといけない。
しかしレイレイは私の腕からはずした針をそっともってチューブをくるくるとまわしてまとめている。それから点滴瓶をはずしてチューブごと、自分の上着のポケットに入れた。
私は針を抜いてもらった後の腕を見た。小さな穴が空いていてその周りがちょっと紫色になっている。内出血のあとだ。私は色が白いので注射の後はいつもこんな感じになってしまう。私は腕をそっと押えてレイレイの顔を見上げた。
私がレイレイを見るとレイレイはさっと手を止めて私の顔をじっと見た。真面目な顔だった。私はなんといってよいかわからない。私はレイレイによって日本からメイデイドゥイフに連れてこられたのだ。
私はどうなるのだろうか、まずこれを聞かないといけない。
「レイレイ、ここは本当に、メイデイドゥイフなの?」
レイレイは目の光を和らげた。
「めぐみ様、そのとおりですよ、ここはメイデイドゥイフの宮殿の地下です。しばらくの間、ここがめぐみ様の部屋になりますのでどうぞ気を楽にしてください」
「気を楽にって、でも、私は……」
落ち着いて、落ち着くのよ、私。
落ち着いて、落ち着いて……。
私は心の中でその言葉を繰り返している。
めぐみ、危ない……。
お母さんの声が頭の中で響く。
何かが起こっているのだ……。
落ち着かないと、私は落ち着かないと、いけない。
だから、落ち着くのよ、めぐみ!
私は目をつむった。




