第四十九話、袋小路先生の急逝
◎ 第四十九話
その夜遅くお父さんが私の部屋を訪れ苦々しそうな表情でパソコンを持ってきた。
「めぐみには見せまいとは思っていたが見せておくよ」
「なに、どうせ私の悪口でしょ、死ねとかブスとか書かれているんでしょ」
「レイレイさんの顔がスクープされてるよ」
「見せて」
デジタル新聞のトップにレイレイの顔のアップがあった。だが視線はあっていない。隠し撮りの写真だとわかる。
「明後日爆雪めぐみさんが出国される、お迎えのメイデイドゥイフ人のレイレイさんの素顔を激写!」 とあった。お父さんはレイレイの顔をマウスでかちかちとクリックしてまわって独り言を言った。
「あの顔だ。レイレイさんは映画スターばりの美形だからな……どのデジタル新聞もレイレイの顔がスクープされている」
「ほ、ほんとだ。どこでとったのだろう、でもこの写真さっきの服装と同じよ?」
よく見るとレイレイのアップの顔の他に全身写真もある。その背景を見るとさっきまでいた宇留鷲旅館の庭園、離れの前なのだ。
「ちょっとこれどうみても、さっき撮ったばかりじゃない? もしかしかしたらこれもデース・池津さんの仕業かもよ?」
「あーあ……あの女性だね?」
「一番最初にレイレイと自衛隊基地で会った時もあの人がいたの、あの人が私達のことをスクープしたのよ、情報が早すぎて外務省も困っていたけど全部あの人がかかわっていたのよ」
「最初から最後まで困った人だな」
「しかもよ、あの人、私専属の通訳にレイレイが承知したのよ、あんなに強引なアプローチってないわ。私には通訳はレイレイと筆子さんだけだけど、池津さんはいらないわよ。困るわ、なのにレイレイはにこにこと笑うだけなのよ」
お父さんはうーんというばかりだ。そして立ち上がった。
「お父さん、どこへ行くの? 池津さんのところに苦情にいくの、それとも外務省?」
「いやもう誰がスクープしたかしてなかったとかそういう段階ではないだろう。めぐみ、あさってが出国になっている。結局この二週間準備も何もなしだ。お父さんは、これからレイレイさんのところにいってくるよ。幸い宇留鷲旅館の離れなんだからすぐ会えるさ」
「私も行く」
「いや、めぐみはここにいなさい。お父さんはここに帰ってくるから。レイレイの顔がマスコミに知られてしまったんだ、そしてこれからどうなるか皆目つかないが、お前が出国するときにもっと大騒ぎになるのは目に見えている」
お父さんはさっさと出ていってしまった。レイレイの容貌がマスコミに流れた時点で私がスクープされたのと同じような大騒ぎになった。お父さんが残していったパソコンをリアルタイムで見ているとレイレイの美しさに誰かがファンクラブ一号を名乗ってネット上で袋叩きにされたり、こんなカッコイー使節レイレイに傅かれるばかみが羨ましいなどの合唱がおこり、グレイグフ皇太子の容貌を予想するスレがいくつもできている。日本中の国民が私の出国を楽しみにしているような、つまり私がお祭りの中心にいるような不思議な感覚だ。私はメイデイドゥイフにお嫁に行くのだが実感がまるでわかない。あちらの国に行くことですべてがはじまるのだ。だから思いもつかない。
お父さんは三十分ほどしてから部屋に戻ってきた。レイレイが流ちょうな日本語を話すので特に苦労はなかったがお父さんはいやに上機嫌だった。
「お父さん、レイレイとどんな話をしたの?」
「いやあ驚いたよ、レイレイはもうめぐみのことを女王様みたいに思っている」
「私を女王様と? どうして」
「メイデイドゥイフの国民が王家のものを全員神のように崇めているとあったが実際そのとおりだ。レイレイは、めぐみを迎えに行くという役目をこの上なく名誉におもっているんだ。そしてな、めぐみを怒らせたデース・池津にはそれなりのことをするからなにとぞめぐみのご機嫌が直るようにご配慮くださいとかいうんだよ」
「えーと……どうしてそういう話になるのだろう。迎えの飛行機がきて私が乗ってあっちで滞在して皇太子と会ってそれでもよかったら結婚式になるのでしょ? そのあいだお父さんと筆子さんは私と一緒にいてくれるのでしょ」
「そうだ、それは確認しておいたよ。何も心配することはないだろう」
二人で話していると坂手大臣と大山事務次官、それに田中さんと鈴木さんが来た。皆大きなバッグや荷物を持ってきている。特に田中さん鈴木さんは二人係で重たそうなバッグを運んできた。私にあてがわれた部屋が狭くなるぐらいになった。
坂手大臣は言った。
「これは各国の身分ある方々や首脳から贈られてきた結婚祝いだよ、それと田中と鈴木が持っているものは使節レイレイが運んできたものでこれはメイデイドゥイフのグレイグフ皇太子からの贈り物だそうだ」
お父さんが聞いた。
「中身はなんでしょう」
「メイデイドゥイフ門外不出の花草木の種、あちらで行われている最先端の遺伝子治療の詳細クレジット論文、それとメイデイドゥイフの鉱山でしか取れない希少金属の塊、最後に貴金属品。それ以外は目録になっている。お嬢さんに直接渡されるものはすべてメイデイドゥイフに到着してから皇太子と太后から直接渡されるそうです」
「何かのタネと論文と金属の塊、そういうのが贈り物になるのですか」
「そうです、私ども外務省はこれでメイデイドゥイフの本気度とお嬢さんをいかに大切にしてくれえるかと理解できました。よかったです、真実ですよ。お嬢さんはあちらの国でも大切にされますよ、出国はあさってですが明日は首相はじめ大臣、各国の大使も挨拶したいと来られます。今晩はゆっくりお休みください」
「……」
坂手大臣も大山さんも田中さん鈴木さん、そしてお父さんですらも上機嫌だった。私はだんだん気が重くなってきた。三人は仕事があるといってすぐに辞し私達親子二人になった。鈴木さんが私たちへの贈り物一覧の目録をつくってくれていたが見ればテレビや雑誌でしか知らない偉い人とか偉い団体の名前ばかりだった。個人名を見ると超有名人ばかり。どこかの大学の教授とか政治家とか作家とかタレントの名前もあった。私は目録を見て愕然としていた。しかも目録は長い。四百団体はあっただろうか。個人名を入れると千人はいる。結婚祝いに数百万円を出した企業もある。それも大きいところばかり。国会議員も爆雪めぐみさんを送る会を作って献金までしてくれている。
みんな私がメイデイドゥイフ国の皇太子妃になるのをお祝いしてくれているのだ。目録にざっと目をとおしていると私が好きだったNAITOの名前もあってびっくしりした。NAITOが私に結婚祝いをくれるなんて、うそみたい。お祝い内容を確かめるとNAITOはサイン入りの写真集をくれていた。普段ならうれしかったかもしれないが、今はゆっくり写真集をめくっているどころではない。あさってには出発するのだ。
私の周辺には時間がゆったりと流れているようだったが世間ではそうではないのだ。その晩私は眠れなかった。
レイレイは何をしているのかこっちにはこなかった。打ち合わせと称して外務省へ行っているようですとは広木さんが教えてくれた。お父さんも外務省へ行っている。みんな私の知らないところでいろいろと打ち合わせをしているのだ。
広木さんは言った。
「またデース・池田さんが来ていますけど会われますか」
その名前を聞くなり私は首を振る。
「嫌です。帰ってもらってください」
「めぐみ様の専属通訳だとあちらは言ってますが本当によろしいですか」
「私はあの人を通訳だと認めてません、レイレイと筆子さんが私の専属通訳だと思ってます、いいから帰ってもらってください」
「わかりました」
「広木さん、それと」
「はい」
「春美野筆子さんを呼んでほしいの、明日も私の付き添いになるけどいろいろと聞いておきたいこともあるの」
「春美野さんは、その、私が言うことではないかもしれませんが」
広木さんは言いよどむ。
「どうしたの」
「……さきほどラジオのニュースを聞いていたら、袋小路先生の訃報が……」
「訃報って」
「つまり亡くなられたということです」
「えっ、袋小路先生が死んだ、うそ、お元気だったのに信じられない」
「さようでございます。それでですが、春美野筆子さんは先生のお孫さんに当たりますので、葬式もあるし忌引きでめぐみさんとのメイデイドゥイフ行をご遠慮されるかもしれません」
「ええっ」
広本さんは目を閉じた。
「……袋小路先生は九十五歳でした、良い先生でしたよ。僕のようなものにも気さくに声をかけてくださって。お嬢さんが袋小路先生にとって最後の生徒になりましたね」
私は袋小路先生が亡くなられたことにショックを受けた。先生の温厚なしわしわのお顔が目に浮かぶ。
そういえば部屋の出入りのために立ち上がった時によろけたりしていた。九十五歳というからそんなものだと思っていた。もっと気遣ってあげるべきだった。
あわててお父さんの部屋までいってパソコンでニュースを見たら袋小路先生の訃報が大きく出ていた。脳梗塞で急逝とある。筆子さんの写真も出ている。袋小路先生は古文の研究で有名な先生だったが、筆子さんのおじいさんということでも超有名なのだ。ニュースによると今日が葬式になる。それでみんな静かなのだ。お父さんも案外私に黙って葬式に行っているのかもしれない。私も本当なら行くべきだろう。大騒ぎになるかもしれないから、断られるかもしれないけど。
みんな肝心なことは私に知らせないのだ。袋小路先生の講義を思い出しながら私はご冥福を祈った。今日が葬式でも多分明日のメイデイドゥイフ行きは中止にならないだろう、逆に筆子さんは祖父の葬式の翌日ということで同行を遠慮するのではないか。私は筆子さんをあてにしていたのでとてもがっかりした。頼りになるのはお父さんとレイレイだけだ。
お父さんのパソコンを頬杖をつきながら見ているといろいろなことがわかってきた。
袋小路先生の訃報に伴い生前の先生の履歴にメイデイドゥイフ皇太子妃になる爆雪めぐみさんのお妃教育係として古文担当をされたとある。先生の履歴の最後に私の名前が出るとは思わなかった。しかし本来ならば私は古文分野では普段会えないような雲の上の人から教えてもらったことになる。先生は繰り返し日本語はとても美しいのだよと教えてくださった。
いろはにほへとちりぬるを……
先生から教えてもらったいろは歌を口ずさむ。
お父さんの部屋で私はそのままニュースを閲覧していると奇妙なことに気付いた。




