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この人を見よ  作者: ふじたごうらこ
第一章 出国まで
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第四十四話、春美野筆子さん登場

◎ 第四十四話


 事態は私以外の場所でめまぐるしく動いているようだ。渦中にいる私は逆に静かに暮らしている。三十億円を受け取り、そのうち五千万円はお父さんが持っている。五千万円といえば宝くじの当選金額に匹敵する。だから私は大金持ちになっているはずだがその実感がない。

 マスコミが私の居場所を感づいている気配はない。今日も静かだ。私は宇留鷲旅館にいる。この旅館の経営している融故女将は賢い人だ。一時はお父さんよりずっと年上の娘を近寄らせて私のお父さんを誘惑? しようとしたと思って気を悪くしたが、それ以降はあれは見かけなくなった。そして決して出しゃばらず、目があうと笑顔でにっこり笑うだけだ。女将から何か言い出すことは全くなくなった。食事には配膳するだけで私達親子二人だけにしてくれる。

 お父さんは私がメイデイドゥイフにいって結婚式に出て私が無事暮らしていけそうになるまでは、そばについていると言ってくれている。それまでは仕事を休んでいるみたい。そしてひまさえあれば、坂手大臣が持ってきてくれたメイデイドゥイフ語のプリントを一生懸命暗記している。少なくとも私よりも熱心だ。

 私が会う人はお父さんと旅館の人、SPの広本さん・それとお妃教育の先生たちだけだ。このパターンにメイデイドゥイフの使節レイレイがやってくるという。事態は進んでいるのだ。


 今日の午後も、お妃教育の古文の時間に袋小路先生がやってきたが、同行者がいた。この人は女性で袋小路先生の孫だという。初対面の日にこの人の話は聞いている。また外務省の人からも最低限この人とは会っておくべきだと力説されている。そう春美野筆子さんだ。

 その日、私がお妃教育の部屋に入るといつもの袋小路先生が本を広げて待っておられる。その隣にスーツを着た上品そうな女性が座っていた。袋小路先生はその人を孫だと紹介した。先生は上機嫌だった。

「やあお嬢さん。今日は私の孫を連れてきましたぞ。筆子や、このお嬢さんが爆雪めぐみさんだよ」

 女性は笑顔であいさつされた。

「爆雪めぐみさん、はじめまして。わたくしは春美野筆子と申します」

「は、はい」

 春美野筆子さんは元皇族だという人だ。言われてみたらテレビで見たことのあった。さすがに服の趣味も上品で、上流階級の女性という感じでゆったりとした動作にゆったりとした笑顔を私に向け、きちんと頭を下げてあいさつされた。私は本当に庶民なのにていねいに接されて慌ててしまった。春美野さんが頭を下げられた時に緩やかな内巻カールの合間から首元の真珠のネックレスが揺れた。鈍いクリーム色が美しい。スーツの色は薄いオレンジで半そでスーツだった。上着と同色のプリーツスカートの裾が対面して座るときにふわっと揺れてきれいだなと思った。春美野さんの指にも真珠があった。これならあの融故女将の娘という厚かましい女よりもずっといい、そんな失礼で余計なことを思った。

 私は自分の服が無地のTシャツとホットパンツだけなのであせってしまった。個性がないように思えて仕方がなかった。つまり気後れしたのだ。ほんとどうして私なんだろう。

 私は筆子さんと眼をあわしてしまって、なんといってよいかわからずエヘヘ、と照れ笑いをしてしまった。筆子さんも笑顔を返してくれた。よかった。元皇族でもこの人もまた袋小路先生と同じく威張らない人だ。

「めぐみさん、と呼ばせていただいてもよろしいでしょうか」

「は、はい、呼び捨てでもいいです、理玖からは呼び捨てだし、めぐみでいいです。筆子さま」

「わたくしには、さま、はいらないです。さん付けでお願いします」

「じゃあ、筆子さん」

「はい」

 私はその会話で緊張が解けた。筆子さんは笑顔の美しい人だ。何をしゃべったらいいのかと緊張していると筆子さんから話題を提供してくださった。

「お妃教育は大変でしょう。祖父からは何を習ってらっしゃるのでしょうか」

「古文です、だけど袋小路先生の授業は楽しいです。私は初めて古文を楽しいと思いました。源氏物語や和歌、短歌などを習っています」

「古文は確かに楽しい学問ですね、ちなみにめぐみさんはお好きな短歌はどういうものですか?」

 私は袋小路先生から教えてもらった短歌を暗誦した。これはすんなりと覚えられたのだ。


いろはにほへと 

ちりぬるを

わかよたれそ 

つねならむ

うゐのおくやま 

けふこえて

あさきゆめみし 

ゑひもせす、


つまり、


色はにほへど 

散りぬるを

我が世たれぞ 

常ならむ

有為の奥山  

今日越えて

浅き夢見じ  

酔ひもせず 


 筆子さんの笑顔が広がった。

「ああ、いろは歌ですね、私も知っていますよ。私も大好きです、いい歌だと思いますよ」

 基礎の基礎やってるのだけど、袋小路先生も筆子さんもやさしいなと思った。

「うん、それと源氏物語。末摘花までやったかな。昔の言葉は難しいし、和歌もあるしでなかなか前にすすめないです。でも意味がわかるとおもしろいと思います」

 筆子さんがほほ笑んだままだ。笑顔はいい。最初のとっかかりがなくても笑顔があると、ぎごちない会話から始まっても話がスムーズに続く潤滑油になってくる。

「そうですね、源氏物語はいいですね、私も小さい頃、おじい様が専門なのでよく教えてもらいましたよ、楽しいわよね」

 私たちがこう話していると袋小路先生が本当にうれしそうに笑ってくださった。

「めぐみさんも筆子もよい生徒さんですよ、私は幸せです」

「おじい様、長生きしてくださいね、筆子はまたおじい様の講義を聞きたいです」

「そうかそうか」

 私はふと思いついて筆子さんに聞いた。

「あのっ、筆子さんが源氏物語で一番好きな和歌ってなんですか」

「あら、そうね。わたくしは六条の歌が好きかしらね」

「六条、えーとどんなのだったかなあ」

 筆子さんは笑顔のまま伏し目にして言った。

「申し上げましょうか……なげきわび空に乱るるわがたま を結びとどめよしたがひのつま……」

 瞬間、袋小路先生の顔がくもって筆子さんを気づかわしげに見た。私は和歌の意味は当然わからない。

「六条ってそこはまだ教えてもらってないの」

「ほほ……正確にはあおいに出てきますけどね、実は六条という怨霊の歌なのよね」

「えっ怨霊の歌」

「ほほほ、めぐみさんったら。びっくりさせてしまいましたわね、ごめんなさいね」

 袋小路先生が口をはさんだ。

「いやいや、筆子。このあたりで話はやめよう。それにその歌は婚礼間近な娘さんにいうことではなかろう」

「まあ、わたくしとしたことが、怨霊の歌を教えても困りますね。めぐみさん、ごめんなさいね……」

 ここまで話せると私は完全に緊張が解けて普通に話せるようになった。それを見たのか筆子さんはメイデイドゥイフについての話をされた。









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