第三十九話、お妃教育を断る
◎ 第三十九話
午後の授業が最低だった。私はまた怒られたのだ、いや怒られるというよりもあきれられたのだ。午後の最初は礼儀作法だった。礼儀作法の家元の進学新之助先生。この先生は男性は六十台後半ぐらいか、和服礼装で来られた。一方私は普段着のTシャツに半ズボンだ。礼儀作法というので筆記用具を持たないで手ぶらで部屋に入った。どうやら先生はそれが気に入らなかったらしい。私を上から下までじろっと見てから一分ほど無言、それからおもむろにこう言った。
「メイデイドゥイフの皇太子妃になられるのであれば、最低限の礼儀はわきまえましょう。まず部屋の入り方とあいさつから伝授します」
私は最初のふすまの開け方からして「なってない」と言われた。
「爆雪さん、いかに庶民のお育ちとはいえ、日本人女性の代表として出国されるのですから最低限の礼儀はちゃんと覚えていただかないと」
庶民のお育ち……まあそうだけど、その言い方感じ悪い。それに私は日本人女性の代表でもなんでもない。進学新之助先生は背筋をしゃんと伸ばして私に対峙して座っている。その口調は丁寧で態度も問題なく丁寧だ。だがとても感じが悪かった。
私は先生の前で正座し何度もお辞儀させられた。
「違います、ちゃんと畳についた両手が三角形になるようにするのですよ、違います。そうじゃありません」
私は九十分の授業でお辞儀の仕方とふすまの開け閉めのやり方で終わってしまった。終わった後、先生が部屋を出てしまうとせいせいしたぐらい、嫌味満載だった。
先生の言うとおりにしないと「日本に出たら恥ずかしい」というのだ。メイデイドゥイフに行ってもこういう畳の部屋があるとは限らないではないか。メイデイドゥイフに行ってもふすまがあるとは限らないではないか。すごく腹がたった。どこかの家元らしいがあんなのと毎日九十分間会うのかと思うとイヤになってくる。
次の着物気付もイヤだった。お妃教育で初めて会う女性の先生だったが、年齢は六十五歳だと言った。この人も嫌味満載だった。女性である分、嫌味が辛辣だった。特に私がまだ十六歳で先生の孫と同じ年だったので余計に気に入らなかったらしい。
「ま、浴衣の着付けですらもご存じない。まあまあ、うちは娘も孫も着物が得意ですよ。自分でさっさと着付けてどこにでも行きますよ。メイデイドゥイフへ皇太子妃として嫁ぐお嬢様ですので、最低限日本独特の置物の着付ぐらいはできないとあちらで恥をかきますことよ。ああ、うちの孫も実はあなたと同じ十六歳。うちの孫の方が皇太子妃にふさわしいと思うのだけど、仕方ないわねえ、ふゥ」
私は着物を一着も持たずにメイデイドゥイフへ行こうとかたく決心した。
この衿田先生の目は厳しくて長じゅばんの着付から習ったが、えり抜きがどうのこうのってすごく言うのだ。それも孫の自慢付きで。こういう人から着付をならいたくない。習ったで習ったら批評もまた意地悪なのだ。
「あら、そういう襟の抜き方はヘンですよ。そのひもの結び方も違う。さっき私の言ったこと違うことをしておられるわ、これではあなたを送り出した日本が恥をかくわ。どうしましょ。いえ、教えた私が何を教えていたんだと批判を受けますわ、これでも着物着付け一筋五十年、困りますことよ」
黙って耐えたが最後に「やっぱりお母さんが早くなくしている女の子は教えにくいしとてもやりづらいわ」と言った。
週刊誌には私の過去もおもしろおかしく書かれているのだが、母親を早くなくして父一人ということもわかっているのだ。でもこんな言い方はありえない。なので私は「もうあなたには教えてもらいたくありません」と返事した。
そう答えた途端、衿田先生ははっとした顔をした。
「いえ、あなたを教えることができるのは名誉なんですよ、せっかくご指名をいただいたのに、それはやめてくださいね、着付けをやめたらあなたも余計なハジをかくだけですよ」
猫なで声だったので余計にむかついた。私は最初は泣きそうになっても、泣きそうラインを越えたら強く言える。最近自分の性格を分析できるようになった。
私は袴田先生に「私は先生を指名したことはありません。私は着付けをやめてもハジはかきません」とタンカをきって部屋を飛び出して自室に戻った。
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礼儀作法にこの着物着付けの先生がとてもイヤだったので私はとうとう授業を放棄して部屋に籠ってしまった。あの二人はイヤだ。もうお妃教育なんかイヤだ。
自分がバカなのはよくわかる。自分が日本の国自体をよく知らないバカなのも今日初めてわかった。今までわからなかったけど、それでも幸せだった。だけど先生からあんな言われ方をされてまで授業を受けたくない。
和室とはいえ、部屋には鍵がかけられる。袴田先生がついてきて部屋の外から文句を言っていた。広本さんが室内電話をかけてきて「どうしましたか」と言ったので「あの人がイヤなので追い出して」と言った。それぐらい腹がたったのだ。
すると広本さんは「わかりました」とだけ言った。それきり袴田先生の声がしなくなった。これには驚いた。五分ほどたって外務省の田中さんから私の部屋に直通で電話がかかってきた。これも着物着付けの授業はなしになりましたということだった。何でもすぐに決まっていくのだ。私の意志も通じてくる。ちょっぴり自信がついてきたので、私は田中さんにもうお妃教育は受けたくないのとはっきり言った。
「バカだと思われてもいいの、私は日本女性の代表者として行くのじゃないの、だから最低限の知識をという親切はいらないの。このままでいい。私はバカなままで行くから。それで結婚はやめだと言われたらそれはそれでいいの。日本に帰国して目立たないように暮らすし、だからほっといてください。お妃教育はもう嫌です」
田中さんは受話器の向こうで黙っていたがきっと困った顔をされていただろうと思う。だけどこういった。
「めぐみさん。この後、本日のお妃教育の最後には古文の袋小路秀麿先生が来られる予定です。めぐみさん、この人の授業はしっかり受けられたほうがよいと思います」
「古文は私は歴史よりも嫌いです。昔の日本語、今は誰も使ってないし覚えてもない日本の古い言葉を覚えてまでメイデイドゥイフへ行きたくありません」
「いや、受けた方がいいですね」
田中さんはきっぱりと言った。
「袋小路先生は今年九十五歳です。古文書の権威でもありますが公家のご出身です。そして娘さんはさる宮家に嫁がれています。その娘の娘さん、つまりお孫さんですね。筆子さまです。めぐみさん、筆子さまをご存じですか」
「……いいえ」
「嫁がれてから名前は春美野筆子さんになっています。降家されて春美野家に嫁がれたのです。歳は私と同じ年で四十歳ですが美しい人ですよ」
「春美野筆子さん……そういえば聞いたことあるようなないような名前です」
「この人はご主人の春美野泰造さんの仕事の関係でずっと海外に在住されています。ご主人の仕事は貿易です。……メイデイドゥイフとも資源輸出の件で関与されているので、この人と会ったほうがめぐみさんにとって必ずプラスになります。ですから袋小路先生と会って授業を受けてください」




