第三十七話、お妃教育、後編
◎ 第三十七話
この逆田先生は世界史の第一人者らしいがその先生をもってしてもメイデイドゥイフはわかってないことが多いと言わしめるのだ。私も今から不安がっても仕方がない。
世界史苦手と最初に言っておいたおかげで逆田先生はかんでふくめるように私に教えてくれた。地理も苦手なので大変だったが世界地図を見せながら大体のあらましをおしえてあげると言ってくれた。最初の授業はそれですんでほっとした。あの先生ならこれからもいろいろと教えてくれそうだと思った。
次の授業の日本史の先生はおじいさんだった。いくつだろうと思うぐらいの年寄りだった。日本史研究者の偉い人らしい、丸田丸彦先生。やせて唇がとがっていて目が鋭くてわし鼻で怖い顔をしている。名前を名乗るなりいきなり一番得意な時代を言ってくださいと言われてありません、と答えたらもっと怖い顔になった。
「じゃ興味のある時代はなんですか?」
「それもあんまり……ないです」
「日本に産まれて日本で育っていて日本史が嫌いなのかね?」
「き、嫌いということはないのですが、私は暗記するのが苦手なので……すみません」
「日本史は暗記科目ではありまぬぞ。すみませんと簡単にすませる場合ですか、あなたの立場わかってますか?」
「すみません……」
私はぺこぺこ頭を下げた。あーん、こんな授業イヤだよ。クラスメートと一緒なら先生の話の合間におしゃべりしたり、内緒で手紙をまわしたりできるのに。こんなお妃教育イヤだよ……。
日本史研究の権威、丸田丸彦先生はしょっぱなからして「こんなことも知らないのかね、キミ」の連発だった。そりゃあ私は日本史が苦手だけど。先生はため息を何度もつきながら私に授業ではなく説教をするのだ。
「栄えある我が日本の女性代表として外国のお妃になるという人がこれでは困る。あのですな、日本はとても素晴らしい国なのです。日本史を語らずして世界を語るな。日本史を学んでこそ世界における日本の位置関係がわかる。それを得意な時代も興味ある時代もないとはなんと嘆かわしい。大体あなたを含む今の若い世代は全員そうだ。日本に住んでいながら日本に興味のないヤツが多すぎる。日本史がわかってないヤツが多すぎる。よいかキミ、私のこの嘆きがわかるか、住んでいる国の歴史を理解しておけないと日本はいずれ侵略されて滅びますぞ、わかりますか」
「すみません」
「すみませんではすみません。とにかく期間はあと一カ月もありません。あなたは最低限古代の時代から現在までの流れをしっかり把握しておかねばいけません」
私は日本史の年代や事件を覚えないとメイデイドゥイフへ行けないのかと思うぐらい丸田先生に怒られた。丸田先生は怒りすぎて最後には泣きながら言うのだ。
「おお、めぐみさん。私は悲しいですぞ。日本女性として日本史を知らぬままに外国のお妃としてお嫁入りされるのは何というかその、ひくひく……我が貴き日本の成り立ちを最低限知っておいてくださいイザナギノミコトの話わかりますか? 何? 日本書紀を知らない? おおなんということだ……ひくひく」
「イザナギぐらいは聞いたことはあります。えーと日本最古の物語ですよね、こじきとか」
「わかってない、あなたはまったく、わかってない……ひくひく。イザナギが男の神様っ、イザナミが女の神様っそれで……ひくひく」
丸田先生から見ると私の日本史の知識は限りなくゼロに近かったらしい。最初は怒られてばかりでおもしろくなかったが、とうとう泣かせてしまって申し訳ない思いでいっぱいになった。
先生が落ち着きを取り戻すとあとは授業一直線。本当に最初の最初から丁寧に教えてもらった。でも一回九十分しかないので、国造りの話だけで終わってしまった。それでも日本神話の話はおもしろかった。途中で私も興味が出て熱心に聞いたのでそれで丸田先生の機嫌が少し治って泣きやんだ。
「めぐみさん。今まであなたを教えていた歴史の教師は一体何をしていたんでしょうか。それでもあなたは素直です。今からでも遅くありません。日本史の基礎の基礎、日本神話の話からしましょう。きっと日本という国がいかに素晴らしいかわかっていただけると思いますぞ」
「よろしくお願いします」
この二人の先生を迎えて今私は貴重な出会いと経験をしているのだと思った。普段なら絶対に会うこともないし、興味を持つこともない分野だ。メイデイドゥイフへ行っても恥をかかないようにとの外務省の配慮だが感謝しないといけないだろう。これから一か月は最低限の知識を持っておいて外国へ行ってほしいということだ。実感もないし不本意でもあるが、決まってしまったからには、がんばろうと思った。




