第三十六話、お妃教育、中編
◎ 第三十六話
私の言葉に逆田先生は眉を高くあげた。その表情は私が小さい頃持っていたびっくり人形のピエロそっくりだった。
「お嬢さんは歴史が苦手ですか、残念ですな。せめて好きな国や好きな時代でも教えてくださらんか。そこから入っていきましょう。歴史ほど楽しい学問はありませんから、きっとお好きになられますよ」
「そういうのもあんまり……あ、そうだ。メイデイドゥイフについて何か知っておられたら教えてください」
逆田先生は本のかたまりから薄い本を一冊抜きだして私の前に置いた。東欧略史概論とある。
「メイデイドゥイフについては知られていることはあまりないのです。でも場所と簡単な歴史はわかりますのでそこから教えてさしあげましょう。ご質問があればいつでも言ってください」
「わかりました」
「あちらは鎖国状態で私もわからぬことが多いのですがしっかり聞いてください」
「……はい」
どうやら逆田先生は歴史などの苦手科目は居眠りばかりしていたのを見破ったらしい。侮りがたい先生だ。だけど先生の目はやさしかったので私も気楽になり、先生が差し出してくださった薄い本を開いた。
「まずは最初の見開きのところをご覧ください。これは欧州の地図です。こっちの大きいところはロシアです。これはわかりますね、そして左側の方、この小さな国がメイデイドゥイフです」
この地図はロシアの広大な土地が半分以上を占めていた。その下部にぶら下がるようになっているところがメイデイドゥイフだった。しかもすごく小さい。そこへ私が行くのだ。
「メイデイドゥイフには豊富な資源があるので輸出で金銭が常時入り、逆に輸入はほとんどありません。とても豊かな国ですがご存じのように外交上鎖国状態なのでよくわかっていないことが多いのです。また共和国を名乗っておきながら王朝名を入れている不思議な国でもあります」
逆田先生は紳士だった。私にやさしかった。私がショックを受けないように気を使って話しているのがわかった。
「わかっていることは、代々の王朝継承者がメイデイドゥイフの中枢にかかわり指導しているということです。しかもかなりその権力は強い。人民はこの王朝の指導に心酔している状態です。しかしながら奇妙なことに、現在の権力者は表に出ず、首相のワルノリヴィチ氏が真なる支配者の代弁者として政治の表舞台にたっている状態です」
これは大事な授業だ。私は真剣に聞き入った。先生は今から最低限頭に叩き込んでおかないといけない情報を教えてくれようとしているのだ。
「このたび、グレイグフ皇太子という存在もめぐみさんへの求婚で初めて判明しました。そのぐらいプライベートなことは一切表にでない国なのです。なおグレイグフ皇太子の年は判明したものの、容貌はまだ不明な状況です。これも不可解なことです」
お父さんがレイレイに写真を返したちゃったからね、余計なことをしてしまったのかな、と思った。でも知らないもんね、そんなこと。
先生の講義は続く。
「人民は王朝の人間を神聖視しているようです。未確認情報ですが各種公的な場所、たとえば役所や学校などではかならず彼らの写真と国旗が対になって飾られている。これを粗末にすると罰せられるそうです」
となるとその中に私も入る? 皇太子妃になったら神聖視されるの? ……うそだろ、そんなこと。
「それでも国自体が豊かなので貧富の差もありません。税金もないし病院にかかるお金も無料。ですのでそうやって暮らせるのも王朝のおかげといって皆感謝して暮らしているようです。ある意味、我が日本を含むもろもろの国の指導者が望む桃源郷ですね、このメイデイドゥイフは」
「税金とかない国ってすごくないですか?」
「そうですね、しかも鎖国ときている。資源購入している国とも交流はあるのかといえば、ごくわずかだそうです。ロシアとはある程度交流があるようですが、それも未確認です。国際交流という概念すらないのではないかと思うぐらい非常に珍しい国です。しかも大金持ちときている。そりゃあ皆さん驚かれると思いますよ、そんな国からお妃にと望まれるのですから」
「……逆田先生、でも私には実感がわかないのです。驚くことばかりですし」
「よく聞いてください。あなたは今が大変ではなくて、入国されてからが大変なのです。しかも準備期間は一か月もないです。ですからメイデイドゥイフに関する知識をできるだけ仕入れた方がいいのです。特に歴史と言語ですね。そしてメイデイドゥイフの国民はあなたを日本から来た女性と認識しますので日本人女性の代表として誇りを持って臨んでほしい、そう思います」




