第三十二話、婚礼支度金として三十億円もらう
◎ 第三十二話
翌日も私はそのまま宇留鷲旅館にいた。とりあえず今後の日程など決まるまでここにいた方がよいということだった。お父さんは仕事が気になるので早く決めてほしいなどと言っていた。宿泊費用はどうなるのかと心配だったがメイデイドゥイフ側が支払うらしい。これも大山さんからの電話でお父さんが費用が心配だといったらそう言ったそうだ。何から何までメイデイドゥイフ側が決めているらしいのだ。私は私の結婚の話がメイデイドゥイフが決めてその通りにしたらいいのだろうか、このままでもいいのだろうかと迷っていた。今なら引き返せるのではないかとも。
朝ごはんを食べてぼうっとしていたら坂手大臣と大山次官が面会です、と言ってきた。大臣はここのホテルの常連のようで融故女将と談笑しながら部屋に入ってきた。SPの広本さんもついてきていた。本当にこんなことでもなかったら、会うことのない人たちだ。坂手大臣が声をかけてくれた。
「やあ、お嬢さん。ここの旅館は気に入ったかな、昨日はよく眠れたかな」
「……」
私は無言でこっくりとうなづいただけだった。お父さんはまたぺこぺこしている。大臣は手をふって座布団の上に座った。
「メイデイドゥイフ側が早速日取り等予定表をよこしてきました。日本語で翻訳済みですのでこちらを見てください」
お父さんが手にとった。
「……式まで一か月しかないですな、なぜそんなに急ぐのだろうか……」
大山さんがコホンと咳をした。
「えー、お嬢さんの日本出発が八月十五日、式が翌日の十六日、日本ではお盆ですな」
お父さんが私の代りだとばかりに質問してくれている。
「大山さん、今日は七月十五日ですよ、そんなに早く出国して結婚式を……父親としてはつらいですな」
「えー、善は急げといいますからな、でマスコミ公表は騒ぎになるのできりよく八月一日でいいかと思いますがどうですか」
「マスコミ公表するんですかね、やはり」
「これだけ注目されていて黙ったままメイデイドゥイフへ嫁入りというのはちょっとありえないことですよ。それでなくとも今回の騒ぎで諸外国からの問い合わせがたくさん来ています。いうなればメイデイドゥは鎖国状態ですが日本にだけ門戸を開くのではないかと思われています。これは我が国にとってもプラスなのでこのたびのご婚約は国家的並びに国際的な視点からして誠に喜ばしいのです」
……どこかが何かがおかしい……でもどこがヘンなのか私にはわからない、だから言葉で指摘することもできない。でも大臣や大山さんは私の結婚を日本の国にとって喜ばしいと繰り返しいうのだ。政略結婚とニュアンスは違うが似たようなものかしら。私は私のことを話されているにもかかわらず、他人ごとにしか思えなかった。
「父親としてご心配でしょうが、安心してください。こちらもご成婚にあたって協力を惜しみません。それとメイデイドゥイフ側から早速日本銀行の政府専用の口座に三十億円の振り込みが確認されたのです。爆雪めぐみさま専用ご婚礼支度金の注釈つきで」
お父さんが大きな声を出しかけて大山さんはしいっと言った。口に出してはならぬことなのだ。だがお父さんは驚いていた。私はもうどうでもいいと思いつつも黙って聞いていた。
「ご婚礼支度金に三十億円? うちのめぐみに?」
「はい、爆雪さん間違いなく三十億円です。ですからお金の心配は不要なのです。ここの支払いも全部賄えますからそしてここに……」
大山さんは広本さんに合図すると広本さんは風呂敷に包んだ箱を開けた。
「口座から出してきました。とりあえず三十億円のうちの五千万円がここにあります。これは爆雪さんのお父さんに預けておきます。いろいろな式典に払い出しをする場合があるので残りは外務省預かりとさせていただきますが、お要りようがあればいつでも理由いかん問わず払い出しができますから安心してください」
「……」
お父さんは五千万円を触ろうともせず、ぼうっとした顔で見つめている。私だって五千万円もかたまりごと見るのは初めてだが改めてメイデイドゥイフってなんてお金持ちの国なのだと思った。でも私には関係ない他人事のように感じる。一万円札が五千枚……五束あるので一千万円ずつ束になっているのだ。束のつなぎ目に日本銀行と読める赤い輪っかで囲まれた文字が浮かんでいる。本当ならば宝くじでも当たった気分になるのかもしれないが、私は逆にこうしてマスコミに追っけられてしまったからには普通の女の子のようにお金を持って服を買ったりおいしいものを食べたりするのはできないのかも、と思った。
私はあのグレイグフ皇太子の顔を思い出した。ちょっといかめしそうな感じだった。キスしたことは厚かましかったけど、突き飛ばしても怒られなかった。私には親切であろうという感じだった。同時に通訳のレイレイの顔も。レイレイも私に親切だった。
私はあの国へ行くのか、何も知らないままに行かせられるのか、そう、私は行かせられるのだ。何もわからない状態で行く。
学校へ行って食堂でご飯を食べたりみんなで歌を歌ったりバレエを踊ったりチャットをしたり時には映画を観に行ったり。アイスクリームはどんな味にしようかと悩むこともできなくなるのだ。そんな普通の生活はもうできなくなるのだ。
あと一カ月で私は日本を出ないといけない。顔も知らないお祖母ちゃんがおそらくメイデイドゥイフ人だといわれても私にはわからないことだらけだ。それに亡命してまで国を出たお祖母ちゃんの孫の私がメイデイドゥイフへ行くのだ。それも皇太子妃として。
そんなことが我が身に起きるとは思わなかった。大変なことだった。でも他人事だ。私はその時は私らしい感情がマヒしていたのだと思う。
お父さんがめぐみ、しっかりと話を聞いているか、大丈夫かと言った。気づくと私の目の前に一枚の紙が差し出されていた。私はぼうっとしたまま一枚の紙を見た。そこにはお妃教育予定一覧と書いてあった。
「お、お妃教育……」
私は、このお妃教育という言葉でしゃんとした。
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
爆雪めぐみさまへのお妃教育予定表 (案)
担当者 世界史 ドンブリッジ大学客員教授 逆田逆彦
日本史 亜東京大学名誉教授 丸田丸彦
礼儀作法 日本礼儀作法進学流家元 進学新之助
着物気付 和装大学着物気付創始者 衿田ゑり子
古文 日本馬文学研究大学 名誉教授 袋小路秀麿
メイデイドゥイフ語 デース・池津
一番下の行に大きな活字でこういう文章が書いてあった。
※ 以下科目が増える可能性があります。
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
お妃教育という言葉でも絶句したのに、どういうことだろう。日本史に世界史……学校で習うほか勉強しないといけないなんて。海外へ行く人のための勉強なのだろうか。何よりも外務省と言うお役人がこんなことをするとは思わなかった。
しかもどの科目も私の苦手なものばかり。音楽やダンスの時間なんか一つもない。歴史も古文も礼儀作法も着物気付も退屈なだけだ。
特に注目したのは一番最後のメイデイドゥイフ語担当がデース・池津の名前になっていることだった。あっちの国で暮らすようになったらメイデイドゥイフ語は覚えないといけない。それはわかるが、先生がデース・池津。よりによってこいつの名前が出てくるとは……私はぼうっとしていた頭がフル回転したのを自覚した。私ははっきりと嫌悪感をこめて発言した。
「ここにあの池津さんの名前がありますが……」
お父さんも眉をひそめて「この人は自宅謹慎させていたのではないのですか」と聞いた。
大山さんはああそれね、とうなずいた。
「えー、お気持ちはわかります。メイデイドゥイフと我が国は国交がないので話せる人自体が少ないのです。日もあまりないので選択の余地なく選抜しました」
私は大山さんをにらみつけた。そもそも池津さんとは話もろくにしていない。それなのに私の人生の進路を勝手に道をつけた人だ。謝罪すらもらってない。あの池津さんっていう人、私に悪いことをしたと思ってない。逆にいいことをしたとでも思っているのだろう。
私は池津さんが勧めた私の好みでないドレスや着物の柄を思い出した。池津さんの押しつけがましいアドバイスも。もったいないですよ、というセリフも。私が池津さんの顔を思い出して吐き気が出た。気があう、あわない以前の問題だ。池津さんが貴重なメイデイドゥイフ語をしゃべる人であってもこの人からメイデイドゥイフ語は教えてもらいたくない。絶対にイヤだ。だから私は大山さんに言った。
「この人だけはイヤです。もう二度と会いたくありませんっ」
坂手大臣はほうという顔をして私を見た。部屋の隅の広本さんが驚いた顔をして私を見ている。私はやっと私らしくなった。
「あの、ひどいじゃないですか。あの人通訳といっても私に無理な事ばかり言って。あの皇太子の面会の時だって全く役に立っていなかったのにひどいじゃないですか、私を通さず勝手に政府を名乗って勝手に結婚しますメイデイドゥイフに行きますと言った人ですよ。私はあの人を到底許すことはできません。あんな人から私はメイデイドゥイフ語を習いたくありません。お断りします、リストからはずしてください」




