第三十話、リークした人
◎ 第三十話
八時になって時間通り田中さんと鈴木さんが迎えに来た。だけど私は行くつもりはない。外務省の人と話しても無駄だ。私は私だ。家出したいが家の周りには新聞記者やテレビ局でいっぱい、それに私は日本全国の人に顔を知られてしまっている。ということでどこに行っても家出にはならない。
そういうことで私は自分の部屋に鍵をかけて引きこもることにした。朝ごはんはまだだ。お父さんとは話したくない。皇太子妃は理玖に代わってもらう。それで終わりだ。万事オーケーだ。
だけど引きこもりはたったの五分で終わってしまった。お父さんは私の部屋の合鍵をもっていたのだ。反則だ。怒りたかったけどお父さんの後ろには田中さんと鈴木さんが待っていた。三人とも心配そうな顔をしていた。私は泣きはらした目で三人を見た。三人とも四十歳だ。私は十六歳。どこから見ても四十歳はおじさんだった。皇太子もそうなのだ。歳の差四十ひく十六で二十四歳。そんなおじさんと結婚なんか無理だ。しかも外国人で日本語が通じない。プラス要素として皇太子妃という名誉と多分お金が自由に使える。そういう要素があったとしても私はイヤだった。
こういう時にこそ過呼吸でもおこしていっそそのまま死んでしまったら、もう何もわからないしそっちの方がよいかも、とまで思った。
「めぐみ……、とりえず外務省へ行こう」
田中さんと鈴木さんも心配そうな顔を崩さず言う。
「めぐみさん、坂手大臣がいろいろと話があるといってますので、会っていただけないでしょうか」
私は返事もせずぐずぐずと泣いていたが三人とも根気よく待っていた。
お父さんが私のお気に入りのポシェットと夏用のカーディガンを持ってきた。どうでも連れていく気だ。私はもう観念してそれを受け取った。玄関に行くと田中さんが大きなマスクを持ってきた。鈴木さんがしゃがんで私のくつをそろえてくれた。
「あの~マスクです。つけたいなら……どうぞお使いください……」
玄関の鏡を見ると腫れぼったい目をした私が写っている。普段着のしわのついたTシャツにキュロットスカート。くしの通ってないばさばさの髪に首のたれた自分のみじめな姿を見る。ほんとこんな私をどうして、と思う。私は力なくマスクを受け取ってつけた。まるで犯罪者みたい。カーディガンではなくていっそ冬用のフードがついたコートでも着ようかとも思う。顔を隠すために。
家を出ると待ち構えていた記者たちが私を撮った。家の周りには人垣ができていて、合間合間からカメラが大小突き出ている。その遠くには近所や通りがかりの人だけではなく大勢の人が私を見に来ていた。
「きゃー、本物よ、本物が出てきたわ」
「めぐみさーん、おめでとう」
「おめでとうございまーす、顔見せてくださーい」
「めぐみさーん、かわいー」
おめでとう、おめでとうの合唱が湧いていた。私はまたいじめられている感覚を味わった。こういうのはいじめというのではないの? しかもみんな自覚してない、私が今どんな思いでいるか自覚してない。
田中さんが黒い公用車のドアを開けてくれ、お父さんが私の背を押して車の中に押し込んだ。お父さんが私のとなりに、田中さんが助手席に座りドアを閉めると同時に発進した。カメラが追いかけてくる。人の顔も。
私はそれを目のはしにとらえながらも終始うなだれていた。
本当にどうしたらいいのだろう。
外務省の玄関につき、大きなフロアに通されエレベーターで上階にあがる。ここまでくると記者さんたちは中に入れないらしく急にまわりが静かになった。エレベーターで下りた階数までは私は見ていない。自分の足元だけ見て黙っている。お父さんも田中さんたちとしゃべらなかった。廊下を曲がってつきあたりの会議室に通された。私は悪いことをして逮捕された人みたいにうなだれて歩いた。
「そちらにお座りください」
声がしたので少しだけ目線をあげると坂手大臣と大山次官さんがいた。みんな心配そうな顔をしていた。しばらく間があってそれから坂手大臣の声が聞こえた。
「爆雪さん昨日は遅くまで電話をしてしまったが、わかってくれてよかった。さてめぐみさん、私は坂手大臣だが覚えてくれているかな。会えてうれしいですよ」
ドアをそっと占める音がした。田中さんと鈴木さんが部屋を去ったのだ。部屋には坂手大臣と大山次官、私のお父さんと私だけの四人だった。ちらと見た窓には空しか見えなかった。
「もうマスクをはずしてもいいですよ、それにあなたは犯罪者ではないのですよ、めぐみさん」
私は涙が出た。その理由はわからない。大臣への怒りかお父さんに対する失望か、世間一般の皆さんへか。しくしく泣く私のたてる音だけは室内に響く。時折鼻水をすする音も。平気だ。もうどうでもいいもん……。
「今日、大臣の私が伺ったのはほかでもない、爆雪さん、めぐみさんに謝罪するためです」
お父さんは黙っていた。私は何を言い出すのだろうと顔をあげた。大臣は神妙な顔をしている。
「めぐみさん、先日会ったデース・池津は覚えておいでだろうか、あの女性」
私は黙ってうなづいた。大臣は言った。
「彼女だったのです」
「……?」
「彼女がメイデイドゥイフ側にお嬢さんは結婚を承諾したと言いました。マスコミに漏らしたのも彼女です。本人が告白しました」
「……だってあの人はただの通訳でしょう?」
「彼女は昔若いころにメイデイドゥイフ国の途方もない財宝のうわさ話を聞いて、あんな裕福な国からの申し出を断るにはあまりにももったいないからとお嬢さんの承諾を得ず返答したそうです。一通訳にすぎない彼女がかような事をいって騒ぎをますます大きくしました。今自宅謹慎させています」
「自宅謹慎って停学みたいなものですか?」
「まあそうです。ところでお嬢さんの意志を再確認したいのだが」
私はいつもの調子がやっと戻ってきた。お母さんの遺品がなくなったことといい、お父さんのこと、いろいろなことが積み重なったがやっと口がほぐれてきた。涙もひっこんできて怒りが湧いてきた。その怒りは私のエネルギー源となった。
「私の意志は変わりません。あの池津さんはひどいです。私は最初からあの人が嫌いだったわ、ひどいじゃないの。理玖は仲直りできたからよかったようなものの、一時はどうなるかと険悪になったし、クラスメートも校長も変わってしまったし、どうか私をもとの環境に戻してください」
「そうですか、でもこんなに騒ぎが大きくなってしまって、これならいっそのこと嫁がれてもいいかと思ったのですが、どうですか。もし……もしですよ、父親が私であれば私はめぐみさんを嫁に行かします」
私は坂手大臣がそんなことを言いだしてあっけにとられた。嫁に行かすとか、なんてことだろう。私は大臣に言った。
「あなたは私のお父さんではありません。結婚の承諾は通訳の池津さんのでまかせだとメイデイドゥイフにもマスコミの皆さんにも発表してください」
「お嬢さんが応じていただけたなら、我が国も恥をかかなくてもすむし、むしろ名誉でもあるので政府としてもお嫁入りには協力を惜しみませんが」
無理なものは無理だと言おうとしたらふと理玖の顔が浮かんだ。
「それなら理玖をお嫁さんにしてあげてください、あの子、私の代わりになれたらなりたいって言ってたし」
すると大山さんが咳払いをした。
「えー、こほん。メイデイドゥイフへ返答してしまったからには身代り花嫁を送り出すわけにはいきません。第一皇太子はお嬢さんともう会ってしまっているし、動画で見て最初からお嬢さんを指定してますからなあ」
「でも私はイヤだといったでしょ」
「メイデイドゥイフは喜んでそれでは善は急げとばかり式は一か月後だと指定してきました。あちらの国の王室専用機で迎えに行くと……」
私は大山さんが池津さんと目くばせしあったりしたことを思い出した。そして大臣も私に考え直さないかと言ったことも。お父さんもそれで説得されたのだ。もしかしたら私がメイデイドゥイフに嫁ぐことは最初からの出来レースだったのではないか。
しばらく部屋には会話はなかった。坂手大臣、大山さん、お父さんが私の顔を見ている。私がなんと返事するか待っているのだ。
私は力なく首を振った。怒りながらも力弱く下を向いて小声で言った。
「メイデイドゥイフに行ってどうするの? 無理よ。メイデイドゥイフ語なんか覚えられるわけはないし、いくらお金持ちでも無理よ」
お父さんが言った。
「めぐみ……気楽にしていればいいと思うよ。あちらはぜひと言ってきているのだから」
私はお父さんを見上げた。
「やはり私のお祖母さんはメイデイドゥイフの国の人だったのね? お母さんはそのハーフ。私はメイデイドゥの国の人の血を引くクォーター……そうなんでしょ」
「そう決まったわけでもないけど、それしか考えられないんだ。そうだ、坂手大臣その件についてあちらは何か言ってましたか」
「いや、爆雪さん我々は何も聞いてないのです。だけどいい話だと思うので我々としてはお嫁に行かれるならそれなりのことをします。あなた様の今後の生活やお嬢さんへの協力はもちろん惜しみません。お嬢さんにはお妃教育などもしますよ。日本女性の代表としてあちらのメイデイドゥイフの王室に嫁がれるのですから」
お父さんは私に向かって言った。
「めぐみ、もうお引き受けしなさい。お父さんはさみしくなるが、女性として産まれてどこかの国の皇太子妃になるというのは名誉なことだ。お祖母ちゃんもお母さんも生きていたらきっと喜ぶのではないかな」
私は普段頭の回転が悪い方だと思うが今回は違った。
「お父さん、しっかりしてよ。そんなにいい国だったらお祖母ちゃんはなぜ亡命したのよ? なぜ赤ちゃんのお母さんを捨てたのよ? 亡命した人の孫を探し出してどうのこうのって絶対裏になんかあると思うのになぜわからないの?」
「めぐみ、それを考えるときりがないけど、それでもあちらは我が国の外務省を通して結婚を申し込んだのだ。これは本気なんだよ、もしかしたらお祖母ちゃんはメイデイドゥイフの貴族だったのかもしれないしきっと大事にされると思うよ」
「だからどうしてお祖母ちゃんが亡命したのっていう話よ、そんな国が孫の私を探し出してというのはやっぱりおかしい話だと思う」
私がそれをいうとお父さんは黙り込んだ。大山さんも。
だけど坂手大臣は上機嫌だった。
「いやいや、大したお嬢さんだ。泣き虫でしっかり者。皇太子もまいってしまうわけだ。やっぱり一目ぼれでしょ、これは」
大臣まで無茶言わないでほしい。お祖母ちゃんの亡命が関係あるならたまたまYOU TUBE の動画で私がアップされていて一目ぼれを口実にというわけだ。あっちへ行ったら何をされるのか逆に恐ろしいと思う。
だがもうお父さんは私をメイデイドゥイフへお嫁に出すと決めてしまったようだ。私は大臣、大山さん、お父さんと三人で囲まれて説得される羽目になった。理玖にと言っても聞き入れてくれない。私も疲れてしまった。もうどうでもいい。
お父さんは私がこんなに有名になってしまったら今後普通の生活はのぞめないし、一生あの時の女の子と指差されて結局人生に暗い影を落とすというのだ。ここまで来たならば歴史に名前が残る皇太子妃になるのが一番いいと。坂手大臣や大山さんは難しい経済や政治の力関係を説明した。結局政治家が言いたいのは、結局日本のためにお国のためにメイデイドゥイフへお嫁にいってください、ということだ。
もう疲れた。
使節レイレイに会ってからこっち、疲れることばかりだった。それと記者さんや周りの人の祝福も。もうどうでもよいぐらい疲れてしまった。
それで私は「もう好きにしたら」と言ってしまった。




