第二十五話、理玖とやっと会話する
◎ 第二十五話
目覚めるとベッドの中だった。保健の先生が私を心配そうに見ていた。なんとそばに理玖がいた。理玖の目の周りが赤くなっていた。
「理玖」
「めぐみ、大丈夫? あなたは過呼吸を起こしたのよ」
「過呼吸……そうなんだ」
実は過呼吸は初めてではない。小学校のいじめで不登校になった時、教室に入ろうとしただけで呼吸が苦しくなって倒れてしまったことがある。だから今回で二度目だった。理玖はその話を知っているので自分のせいだと思ったのだ。やっぱり私たちは友達だ。心配してくれていたのだ。それにしてもレイレイや皇太子と会った時は過呼吸なんか起こさなかったのに、いじめって怖い。一番の親友の理玖に意地悪されて人生終わったとまで思ったもん。でもよかった。
「理玖、心配かけてごめんなさい」
「めぐみはやっぱりおバカさんね。でも私もバカなのよ。あなたは何もしていないのに……私が意地悪だったわね、ごめんなさい」
理玖が泣きながら笑った。私もだ。保健の先生が笑顔でカーテンをひいた。カーテンの後ろから声が聞こえた。
「友永さんは、もういいでしょう、お教室に戻りなさい。授業中だということを忘れないように」
「ありがとうございます、先生」
私たちは同時にカーテンの向こうに消えた先生に礼を言って顔を見つめあった。仲直りできてよかった。
「めぐみ、私正直言うと複雑な気分なの、でもやっぱり私が悪いのよ、謝るわ。あんな画像をアップしてごめんなさい、そして妬んで意地悪をしてごめんなさい。あれから私の家にも取材がたくさんきて……大変だったし、みんなめぐみの話を聞きたがるし、羨ましいだろうっていうし。私があのバレエコンクールに優勝したことがきっかけなのに、誰もバレエのことを聞いてくれないのよ。それがすごく悔しかったのよ、ごめんなさいね」
理玖らしいセリフだった。だけど率直に言ってくれるのも理玖らしい。私は笑顔で首を振る。もう呼吸も苦しくない、もう大丈夫だ。
「いいの。まだ周りがうるさいかもしれないけど、もう全部終わった話だし」
「じゃあ、あの外務省の会見通り話はあったけど断っちゃったんだ」
「うん、メイデイドゥイフの使節にも本人にも会ってちゃんと断ったわ」
「えっ、使節、本人って? どういうこと……まさか」
「理玖にだけ打ち明けておくわね……実は……」
口止めをされていたが、理玖にだけは伝えておきたかった。最後に皇太子に会って彼にファーストキスを奪われたことはとてもショックだったことも。私にとって異常な体験だからだ。ファーストキスには夢を持っていたのに夢を破られてしまったのだ。理玖はもう戻らないといけないし、誰が聞いているかわからないので耳打ちをして超手短に話した。
「実は昨日皇太子と会ったの。キスまでされてつきとばしちゃった。それからお父さんと帝国ホテルから帰ってきたの」
理玖があんなに目を真ん丸にできるとは知らなかった。それとこんな低い声を出せることにも。
「めぐみそれって……マジ?」
私も声を抑えて返す。
「うんみんなにはナイショね」
「ナイショはわかったけど、どうして断ったのよ……もったいない」
「えっもったいないって……私には無理」
「もったいない。絶対もったいない」
「理玖ったら、まあ貴女なら皇太子妃やれるだろうけど」
「その身代りにだってなるわ、めぐみが断ったなら私を指名してほしいな」
理玖がそんな言い方をするとは思わず意外だった。
「でもファーストキス強引よ」
「多少の変態でも皇太子なら許せる、本当にもったいないことしたわねえ、めぐみ」
理玖はくすくす笑いながら、もったいないを連呼する。
「ああ、もったいない、皇太子妃って皇后つまり女王になれるのよ、みんなが憧れるドラマチックな人生なのにもったいない……」
私も笑い出してしまった。私はそれでばかみ、死ねと言われたのだ。理玖からまでも妬まれたのだ。仕方のないことなのだろう。
「ふふっ、私は普通の人でいいの」
「あいっかわらず、めぐみらしいというかなんというか。でもそんなあなたが好きよ。これからも仲良くしてね」
「うん、よかった」
私たちは手を握り合った。よかった、仲直りできてよかった。
そこへばたばたと足音がしてカーテンをいきなり開けられた。驚いて理玖が立ち上がると開けた人は大盛校長だった。校長は息を切らしている。この人はもう七十歳はいってるだろうというお婆ちゃんだが、いつも白い襟のたったブラウスと黒いロングスカート姿でいる。トレードマークの長い真珠のネックレスが威厳を出している。私は中等部からこの大盛女学園の持ち上がりだがこうして間近に校長先生を見るのは初めてだった。
「はあはあ、今校長室からあなたの教室までいって不在だとわかって、ここまで走ってきたのよ。年寄りには階段の上り下りはきついわ……はあはあ。爆雪さん、気分は大丈夫なの? もういいの」
「校長先生、すみません大丈夫です」
「そこにいるのは友永さんね、はあはあ、今は授業中のはずですよ?」
保健の先生が顔を出した。
「それは私が特別に許可したのです。倒れた爆雪さんを肩で抱いて一人で連れてきたのですから、大泣きしながら、めぐみを殺してしまったかもしれないとパニックになって。だから彼女にも休むように言いつけました」
理玖は大盛校長に「すみません、朝の騒ぎは私がめぐみに意地悪をしたせいなんです。めぐみいえ、爆雪さんは治ったし仲直りできましたのでもう教室に戻ります」と言った。
そうしている間に大盛校長の息が整ったらしい。
「そうですか、あなたたちは本当に仲がいいですね。では罰はなしということにしましょう。私はこれから爆雪さんと大事な話があるので早く授業にお戻りなさい」
「ありがとうございます」
理玖は私に小さく手を振って保健室を出ていった。
「待ってあのう、私も教室に戻ります」
私がベッドから降りようとすると校長はやさしく止めた。
「いいえ、爆雪さんは私の部屋に。今からちょっと聞きたいことがあります。今日の授業は放棄しなさい。必要があれば後から補修授業を受けることができます」
補修授業なんてヤダ。と思ったのでいそいで首をふるが大盛校長は私にやさしく微笑む。保健の先生が怪訝な顔をしたが校長に「席をはずしてちょうだい」と言われて素直に従った。つまり保健室に私と校長の二人きりになってしまった。
一体何の話だろう、校長先生は芝居がかった動作で私のベッドまわりをぐるりと回って窓のカーテンをさらにしっかりと閉じた。




