第二十四話、親友に嫌われる
◎ 第二十四話
次の日も暑かった。私は寝起きでぼうっとしたまま、学校へ行く準備をする。この怒涛の数日は自分の身の上のことなのに自分でも信じられない。とにかく学校に行って理玖に私の話を聞いてもらおう。お父さんは誰にも言うなとは言ったけど、私と理玖は親友だ。皇太子にキスされた話は理玖にだけは聞いてもらうつもりだ。
私はいつも決まった時間に家の前で自転車を置いて待っている。理玖の住んでいる友永病院が駅から離れているのでまず彼女が自転車をこいで私の家まで行き、それから一緒に最寄りの駅を通過して大盛女学園まで登校するのだ。今七時四十分。理玖はいつも二、三分は約束の時間に遅れるがまあ誤差の範囲内だ。
私が玄関のドアを開けると案の定三人ほどの記者さんたちが近寄ってきた。先日三十人ほどの記者さんたちに囲まれたことを思えば静かだが、それでも苦手なことに変わりはない。私はこの暑いのにマスクをつけて自転車ストッパーをはずして理玖の姿が見えたらすぐに自転車をこげる体勢になっている。
「めぐみさん。おはようございます。これから学校だね?」
「密着取材をしたいけど、ついていってもいいかな? 迷惑はかけないから」
「親子で昨日はどこに行ってたの? 教えてよ」
「昨日はよく眠れたのかな?」
私は無言で会釈する。たぶん困った顔をしていたと思う。マスクをしているにもかかわらず、写真を撮られた。お父さんは私の背後を通って家に鍵をかける。これから車で出勤だ。私は曲がり角で理玖の姿が見えたので手を振った。記者さんたちの視線がそっちを向いている間に自転車のスタンドを倒して乗った。こちらへ向かってくる理玖の顔が何やら真剣だった。
「理玖……」
声をかけた途端に理玖はそっぽを向いて自転車を全速力でこいで私の前を通過した。
「理玖!」
こんなことは初めてだった。理玖とは一度もケンカはしたことはない。
「理玖、待って」
私はマスクをしていたので、くぐもった声を出して自転車をこいで理玖の後を追う。記者さんなんかどうでもよかった。なのに理玖は一度も振り替えずに先へ先へと行く。私も自転車をこぎながら、先へ行く理玖に呼びかける。
「理玖、理玖」
すぐ最寄りの駅前だ。いつも電車待ちあわせの男の子たち、昔のいじめっ子たちがたむろしている苦手な場所だ。理玖はいつもはさけてそこを通らず反対車線を行くのにわざと近寄っていくのだ。どうして? と思いつつ私も理玖のあとをついて自転車を走らせる。
男の子たちは七、八人いたが、理玖の姿を見るなり「わおマドンナだ、来た」と言った。だがすぐ後ろにこの暑いのに大きなマスクをしている私を認めて急に静かになった。道行く人も振り返って私を見る。記者さんたちが自転車もないのに、足で走って私を追いかけている。みんな私が私だということをわかっているのだ。マスクの効果なしだ。
理玖は男の子たちの群れをど真ん中でつっきっていた。仕方なく私もつっきる。いつもはしないことをするのだ。こうすれば私が嫌がると思って? そこまで考えたらどきっとした。
もしかして理玖は私を嫌いになったの?
理玖は一度も振り返ることなく、次の駅前の大盛女学園まで自転車を走らせる。理玖の顔はあのYOU TUBE で有名になったのだ。私が理玖と並んで一緒にインタヴューを受けたことであんなことになって私は皇太子と会って話す羽目になった。この顛末は理玖には聞いてほしい。そして何らかのコメントが欲しかった。無視されることは心外だった。
大盛女学園に近づくにつれて自転車や徒歩で通学する女生徒たちで混雑してきた。理玖は人波をすいすい抜けてガードマンさんたちに会釈をして校内に入った。校内に入ったら自転車から降りて押して歩いていかないといけない。理玖が先頭ですぐ後ろにマスクをした私がおいかける。普段は騒がしい通学路だが私たちが通ると静かになった。ひそひそと耳打ちをしている人たちを目の端にとらえながら私も校内の所定の場所に自転車を止めた。理玖は急ぎ足で靴箱で履き替える。私もその通りにした。でも理玖は絶対に私と目をあわせないようにしているのだ。私はたまりかねて理玖に呼びかけた。
「理玖」
理玖は靴箱の前の階段に足を止めてやっと振り向いて私を見た。階段に片足をかけてあり、すぐに走り去ろうとしているかのようだ。
「しつこいわね、後をついてこないでよ、めぐみ」
「理玖……怒っているのね、どうして?」
「あいかわらず鈍感でドジね、めぐみ。私が何を怒っているかわからないのね?」
「私が何かしたのか教えてちょうだい、謝るから」
理玖が私に向き直った。
何か言おうとしているが、言葉にならない。でも今まで理玖がこんな顔をして私を見たことはなかった。それでも理玖はきれい。きれいなおでこ、大きな瞳。髪は全部後ろに撫でつけている。宝塚の生徒さんみたい! 理玖はやっぱり美人だ。なのになぜ私をそんな目で見つめるのだろう。私は階段を一段あがった。
「理玖」
「近寄らないでよ、めぐみ」
私の足が止まった。理玖の声は冷たかった。夏なのに私の身体が冷えていく。
「めぐみ、私たちはもうお友達でもなんでもないわ。私に声をかけないでちょうだい」
「理玖っ」
姿が消えた。私のとなりや後ろにクラスメートや先輩たちが私を見守っている。いつのまにか階段の上にも下にも人が取り囲んでいた。みんなの目が私を見守っている。理玖はもういなくなった。あんなに大事な親友を失ったのだ。
私はゆっくり座った。地面が揺らいで足が立ってられなくなったのだ。階段の一段目に私は両足をそろえて座り込み、三段目に手をついて泣いた。パシャパシャという音がかすかに聞こえた。彼らは泣いている私の姿を撮ったのだ。誰かの声がした。
「ちょっとおじさん、写真を撮るのやめてあげてよ」
「ほんとだわ、どこの記者よ?」
「どうやってこの学校に入ったのかしら?」
「あっ、逃げていったわ」
誰かが記者を非難してくれているのだ。でももうどうでもよい。私をばかみと書き込んだ人はこの私の姿を見て喜ぶだろう、ああ、喜んでちょうだい。私には友達はいない。誰もいない。私は何もしていないのにこのみじめな姿、みんな私の姿を見て喜ぶが良い。
私は急に息苦しくなった。それからどうなったのか記憶にない。




