第二十三話、やっと帰宅する
◎ 第二十三章
私はお父さんをうながし、外務省の皆さんに頭を下げて「お世話になりました」と言った。確かにお世話になった、メイデイドゥイフが外務省に連絡を取った時点で外務省が私のことを調べもせず握りつぶすこともできたはずだ。私はそれでもよかったのだ。知らなかったらの話だけど。
皇太子に私が直に断ったにもかかわらず、まだしつこいことをいう。私には政治や経済のことはよくわからない。でも私があの皇太子と結婚することでいろいろなことが変わってくるのだろう。日本の国にとって良いことづくめなのかもしれない。
私は本当に普通の家の子でセレブになるガラではない。どこかの国の偉い人と結婚するのは気苦労ばかりあるだろう。言葉の問題も習慣も全部苦労するのは目に見える。外務省の人たちだって私はVIPという英語すらわからなかったのを知っているではないか。
お金持ちとか地位などはどうでもよい。私はお母さんとは似ているのだ。最低限生活に不自由のないお金があって地味だけど楽しく暮らせたらそれでよい。私と結婚してくれる相手が私を大事にしてくれるならそれでよいと思う。セレブだと注目されてお付きのひとがいて、時には護衛までつく。そんな面倒な生活は耐えられない。
お父さんはぺこぺこしていたが、スイートルームを出てエレベーターで一階まで下りる。やっと二人きりになって、お父さんはふううううっと大きなため息をついた。
「お父さんたらやだ、じじくさい。もっと格好よくなってよ。背筋のばしてよ」
「めぐみ、お父さんはもう限界。早く家に帰ってシャワーを浴び、アイスを舐めながらクーラーを最強にしてパンツ一丁になって大の字になって寝たい」
「……とりあえず家に帰ろう。しばらく家の周りはうるさいだろうけど、ここにいるより、まし」
「その通りだ。ぼくら親子は気楽なのが一番だよ。まあいい経験したと思おうな」
「うん」
私たちは徒歩でホテルを出ていった。ホテルのロータリーのはタクシーやハイヤーがお行儀よく並んでいてドアマンが指示待ち顔で立っていたが、私たちはタクシー代を節約したのだ。近くのコンビニで大きめのマスクを買って二人でつける。これで人相はわからない。地下鉄を乗り継いで帰宅する。夏なので暑いがちょっとの我慢だ。スーパーがあったので鳥のから揚げゆず塩味と豆腐サラダのお惣菜を買っておく。それと二リットル入りのウーロン茶も。駅から家までは歩いて五分くらいだ。
家の前に来ると数人の男女がたむろしている。メモと大きなカメラを持っている。まだ私の家まわりをうろうろしているのだ。そのうちの女性がマスクをしている私たちを見つけて走り寄ってきた。続いて数人の男性も、カメラのシャッターをチェックしながら走ってくる。
「あの、爆雪めぐみさんとお父さんの太郎さんですね。今までどちらに行かれていたのですか」
お父さんが手でさえぎった。
「昨日の朝の外務大臣の記者会見を見てないのですか。皆さんには取材自粛をお願いしたはずです」
「そんなことを言わないでくださいよ、それであれからあちらの国から連絡はないのですか」
「私たちは家に帰りたいので通してもらえますか?」
「今までどちらにいたのか教えてください」
「通してください」
「そんなことを言わずに取材させてください」
女性記者とお父さんが押し問答している間に私はばしゃばしゃと写真を撮られた。マスクをしてスーパーの袋からは鳥のから揚げパックが透けて見える。こんな姿なのに遠慮なしだ。家まであと少し。お父さんと私は家に向かって走った。記者は私にはさわらず私を囲むようにして写真を撮る。
「めぐみさん、マスクはずして、一枚だけでいいから写真撮らせて」
私は首を振り、急いで家の鍵を出して開けた。開けると同時にお父さんが飛び込む。ドアを閉めようとしたら一番大柄の男性記者さんが手をぐっと出してドアを閉じさせまいとする。お父さんが「不法侵入で警察を呼ぶぞ」と大声を出すと手は離れた。
「なんだよ、親子してお高くとまりやがって」
だれかの怒鳴り声がドア越しに聞こえた。
お父さんはドアを閉めチェーンをし、それから台所から使ってない折り畳み机と小さな椅子をもってきてドアに積み上げた。
「こうしておけば無理やり入ってくれないだろ」
「うん、でもそうすると私も出入りができないけど……」
「確かに……でも明日の朝まではこうしておこうよ」
「わかったわ」
インターホンや電話の電源は切っていたので家の中は静かだった。私は安心して袋からウーロン茶を出してコップについだ。お父さんの分も。二人してのどが渇いていたので濃いお茶はおいしかった。
「やれやれだったな、この様子では皇太子本人に会ったことは知られてない。よかったな」
「昨日は大山さんの記者会見。それから一転して皇太子と面会……誰も信じないわよ、こんな話。私だって信じられない」
「まあいい方向に考えよう。帝国ホテルのおいしい料理はよかった。それとぼくのような下っ端公務員では外務大臣なんかとそうそう会えないからな、よい経験をしたと思いたい」
「そうね……私も」
私はふとレイレイの端正な姿を思いだした。皇太子ではなく使節のレイレイだ。あの人、いくつぐらいなんだろう? 皇太子よりは年下だよね? 外国人の年齢ってわからない。若くてハタチ、年取って三十ぐらいかな? 日本語しゃべれていたし皇太子は面倒そうだけどあのレイレイならいいかも。そこまで考えて私は顔を赤くした。
「めぐみ、めぐみ」
お父さんに話しかけられても私はぼうっとしていたらしい。我に返るとお父さんが心配そうに私を見ている。
「明日から私は普通に仕事に出るぞ。取材だと記者がやってくるかもしれないが、私の仕事の妨害がない限りは写真を撮られるぐらいは黙ってるつもりだ。問題はめぐみだ。学校があるだろう、明日の登校では多分記者がついてくるだろう。何か別の大事件が起こってこっちの関心が薄れるまでは我慢しないと。それとネットは絶対に見るな。見てよいことなんか多分書いてない、気がめいるだけだから見るな。わかったな」
私は見知らぬ人からばかみ、死ねと書かれていたことを思い出した。私は何もしていないのに、不特定多数の人から死ねと言われたのだ。理不尽だ。でもこの怒りはどこへもぶつけられないのがもっと理不尽だ。だから見ない方がいい、それが一番だというのはわかる。
「わかったわ、ネットは見ないわ」
お父さんはうなづいた。
「今日はもう休もう。明日は明日の風が吹く。とりあえず我が家に戻れてよかった。世間には騒がれたがもう大丈夫だろう」
「そうね」
でもやっぱり大丈夫ではなかったんだな、これが。
理玖との友情が壊れてしまっていたのだ。




