第二十二話、断ったはずなのに、後編
◎ 第二十二章
やがて私は立ち上がった。私は断った話を蒸し返されるのは嫌だった。そんな一方的な話も嫌だった。来週公表、来月結婚式って勝手に決めて。最初から事前に決めていたのだろうか、皇太子はそのつもりで私にいきなりキスをしてきたのだろうか。私はあの皇太子に愛されている実感なんか感じない。結婚ってそういうものではないだろう。
立ち上がった私を大山さん、お父さんが見上げた。お父さんがどこへ行くんだ、と間の抜けたことを聞く。
「お父さんったらしっかりしてよ。私達、家に戻るのではなかったの?」
「で、でも……めぐみ、今の大山さんの話を聞いただろ、これは大変なことだよ」
私は首を振った。
「迷惑ですっ、大山さん。この話は私は最初から断るって言ったのだからそれで終わったのよ。それをのこのこと戻ってきて私にそんなことを告げるってどういうことよ」
お父さんがうろたえて言った。
「め、めぐみ……おちついて。この人は外務省の偉い人だよ、大山さんだよ」
「お父さんこそ、落ち着いてしっかりしてよ。私は断ったのよ、帰りましょうよ」
大山さんが立ちあがって私を制した。両手の手のひらを私の前にだして、まあまあと抑えた。
「お嬢さん、お腹立ちととまどいは理解したいと思います。だがこれであなた様を家に普通に返すわけにはいきません」
「えっ、家に帰れないのですか、自分の家なのに? どうして?」
「あなた様にはこの話を受けてほしいのです。これより外務省といたしましてはお嬢さんをヴィ、アイ、ピー扱いとさせていただきます」
「ヴィ、アイ、ピー? なにそれ?」
大山さんは重々しくうなづいた。
「Very Important Person の略です……えー失礼ですが英語わかりますか?」
流ちょうな英語を言われても私にはわからない。リスニングは苦手な科目の一つだ。
「英語は苦手です……」
「説明します。この言葉は非常に重要な人物、つまり俗に言えばヴィップということです」
「ビップ? そういえばそんな名前のチョコレートがあっておいしかったな、えっ、私がVIP?」
「さようでございます」
「私は断ったのよ」
「これほどまで言われて断るのは失礼にあたるかと」
「でも断ったのに、私は断ったのに」
「グレイグフ皇太子はあんなにかわいいとは思わなかったと感動していたそうです」
私はパニックになっていた。そこへ脈絡なく室内の電話が鳴った。田中さんが飛びつくようにして受話器を取った。すぐ電話を切って私たちに向かって振り返る。
「外務大臣がそちらに行って爆雪さんに直に説明しにこられます」
大山さんはほっとしたようだった。大山さんはまた腰を下ろして私に座るように言った。私はかぶりを振って立ったままだ。座るのも嫌だった。家に帰りたかった。
「お嬢さん、座ったらどうでしょう。見送りの席には大臣が出たのです。彼は欧州勤務が長くたいていの言語を通訳なしでしゃべることができます。この話が外務省としてどう受け止めるのかを直に聞かれた方がよいですし、あなたには聞く権利があります」
お父さんが言った。
「めぐみ、座ろう。座ってゆっくりと話を聞かせてもらおう、な」
私はしぶしぶと座った。お父さんの顔には「これはエライことになった」と書いてある。私の顔にも「すごい迷惑」と書いてあるに違いない。
大山さんは「なんでこんな娘が気に入るの? 皇太子妃にするの?」と書いてある。田中さん鈴木さんは顔には何も書いてない。無言で驚いている。一番下っ端の部下としてはまあ妥当だろう。
真打登場といった感じで先ほどの坂手大臣が再び入室してきた。SPも連れてきているようだが、このスイートルームには一人だけで入った。
大臣は飄々とした感じで「や、どもども。また会いましたな」と言った。ついさっきまで一緒にお昼ご飯を食べて途中で退席してそのまま戻ってこなかった。それを思えば大臣は見送りってどこまで行っていたのかわからない。私は大臣ってつまり、政治家ということだし、政治家は嘘が多いっていうし、全部が全部信用してはいけないわ、と思った。
大臣は座っている私を見てまた笑顔になった。私は騙されまいとして真顔で笑顔を返さないようにした。大臣が肩をすくめて私と対面して大山さんの隣に座った。後ろの田中さん鈴木さんは直立不動だ。
「やあ爆雪さん、お昼ご飯はおいしかったかね? これで終わりだと思っていただろうし、私もそう思っていたが、いやはや……」
お父さんと私は固唾をのんで大臣の顔を見つめる。
「爆雪さんにはきちんと話しましょう。これから話すことは大事なことですから」
大臣は私に笑顔を見せたまま話し始めた。
大臣は私たちと一緒の食事の途中で緊急連絡が入り、皇太子から直接話したいということだった。日本への入国は初めてだし非公式とはいえ、多少のもてなし、観光を予定していてあと二泊してもらうつもりで使節のレイレイと短い日程ながら頻繁にメールで打ち合わせをしていたという。
大臣が昼食を置いて会見の部屋に戻ると使節と外務省の接待グループが押し問答しているところだった。皇太子側は日本の接待を受けず帰国するが、今からあの娘を連れて帰ると言ったのだ。前回の自衛隊基地での会見でのレイレイ単独の強引な帰国を皆知っていたので、SPも万一を兼ねて用心していたのだ。
接待グループが困って観光や宿泊はどうするのかと聞くと、レイレイは相談して考えるとは言ったが接待を受けるとは断言していないというものの言い方をする。話を引き延ばそうとするグループにレイレイは首を振り先ほどの娘を連れてくるか、どうしても無理なら大臣を呼べという。大臣が来てから上記の結婚式の話になったそうだ。坂手大臣からも日本のトップの外交官として嫁取り婚ともいえる女性の感情を一切無視した結婚式の段取りは現代日本の習慣ではない、逆に人権無視だと何度も説明したが、レイレイは譲らない。社会主義とはいえ、絶対王政だとは聞いていたのでレイレイの主張はメイデイドゥイフのグレイグフ皇太子の意向を代弁する使節としての義務だと判断できるがいくらなんでも強引すぎる。
私はもう言い飽きていたが、大臣に言った。
「とにかく家に帰してください」
坂手大臣は私を見ていたが「そんな帰りたいですか?」と聞いた。
「私は家に帰りたいです。帰してください」
坂手大臣はしばらく私の顔を見て黙って考えていた。それから顔をあげてきっぱりと言った。
「じゃ帰りなさい。公用車ではまずいが、誰かの車で」
お父さんが「タクシーをひろいますから」と言ったら「じゃそうしなさい」と返事した。
もっと引き止められるかと思ったがそうではなかった。お父さんと私は同時に立ち上がった。坂手大臣は立ち上がらずソファに座ったまま私に手を振った。
「しばらく世間に騒がれるだろうが、耐えるように。私はあなたのお幸せを願っておりますぞ、お嬢さん」
大臣は好い人だった。私はお辞儀をした。大山さんたちにも。
これで終わった。やっと家に帰れるのだ。




