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この人を見よ  作者: ふじたごうらこ
第一章 出国まで
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第二十一話、断ったはずなのに、前編

◎ 第二十一章


 私は小さなバッグを持って坂手大臣に「あの、じゃあ帰ります」というと大臣は首を振った。

「まだ帰ってはいかん、これからお昼ご飯を一緒に食べよう」

 お父さんがあわてて言った。

「でも、おごってばかりしてもらって申し訳ないです。それ全部税金でしょうし……それに仕事が気になりますので私が早く帰りたいのです」

 大臣は笑顔を崩さなかった。だが目は笑顔ではなかった。真剣な笑顔ってこういうことを言うのだろうか。大臣は言った。

「爆雪さん、勘定のことは気にしなくてよろしい。めぐみさん、あなたは実に骨のある娘さんだ。私はあなたの態度を実に誇らしく思ったよ。あなたのようなお嬢さんだったら我が国も喜んで胸をはって皇太子妃として送り出せるのだがどうかね?」

 私はもしかして皇太子を突き飛ばしたことに対して怒られるかと思ったが逆にほめられたので恥ずかしくなった。でもどうか黙っていてほしい。大臣がそうやって私をほめる理由を皆に言わないでほしい。

「皇太子妃なんかなりたくないのでいいです……」

 マジあのファーストキスはなかったことにしたい。私は大臣やSPの広本さんやでしゃばり通訳の池津さんが黙ってくれたら記憶もなかったことにできる。大臣はまさか言いふらしたりはしないだろう……首相に聞かれたら言いつけるかもしれないけど、私は悪いことはしていない。あっちがあせりすぎたのだ。日本人の女の子は身持ちが硬いのだ。初対面で真剣キスは失礼だ。しかもお父さんと同じ年のおじさんのくせに。とても失礼だ。皇太子だからといって日本人女をなめてくれるな、と思った。だけどさすがに大臣を前にして文句は言えない。私はしおらしく首をふって「帰りたいのです」と訴えた。大臣は笑顔を消して悲しそうに私に言った。

「昼食をとろう、な、お嬢さん。それともこんなおじいさんで悪かったかな? いやかね? おじいさんは悲しいよ、いやあ、年をとるもんじゃないねえ。お昼ご飯はたまには仕事と離れて若いお嬢さんと食べたいねえ、私はこれでも世界中をまわっているがこんなに無下に断られたことは一度もなかった。私はとてもショックだよ」

 お父さんが言った。

「坂手大臣がああいっておられる……断ると失礼だよ。めぐみ、お昼ご飯をいただこうか、朝ごはんをろくにとってないし、この際ごちそうになろうよ」

 お父さんはお腹がすいているのだ、声を聞けばわかる。私はがっくりした。坂手大臣は我が意を得たりとばかりにっこりと笑う。さすが外交のプロだ。

 お父さんは心配そうに言った。

「あの、皇太子の見送りとかはいいのですか?」

 大臣ははっきりと答えた。

「あとは公安と自衛隊の仕事ですから。外交の仕事はこれで一区切りついたのです。彼らの乗ってきた軍用機に関しても機密事項になるので私も詳細は知りません」

「うちの娘が失礼しましたが、あちらもこれでもう引き下がってくれるでしょうか」

「さあ、何とも言えませんね」

 坂手大臣はあいまいな言い方をした。私はその言い方に引っかかる感じがしたが、手回しよくコックさんが入ってきたのでそのままになった。考えてみれば、この二日間私は外で食事をしていない。といっても日本中の人に私の顔と名前を知られているのでうっかり外でメロンパンを買おうとしても「ほら、あの人」とささやかれそうだけど。

 食事はおいしかった。こんな上等な食事は私はもう二度と取ることはないだろう。コース料理で好きなものを取りなさいと言われたので、私はメインを魚のムニエルにした。白身の魚に青いソースがかかっていてとてもおいしかった。お父さんは坂手大臣と同じものをと頼んだら、ステーキのトリュフのせというのが来た。私も食べたことはないけど、お父さんもトリュフは生まれて初めて食べたに違いない、夢中で食べている。大臣は途中でSPらしき人に「事務連絡がきています」と言われて退席した。その時にわしは戻るのが多分遅いので先に最後まで食べていてください、と言われたのでお父さんと席をたってお礼を言っておいた。大臣はおじいさんだったけど、外国語が通訳不要なぐらいぺらぺらだったし、あれだったら外国の人とも対等に渡り合っていけるのだろう。カッコいいおじいさんだった。

 コックさんが控えているのでお父さんと二人きりでもおしゃべりするということはなかったがコックさんが作るお料理を目の前で鑑賞しつつ食事をするというこういう贅沢は二度とないだろうと思っていた。

 お父さんが満足そうに、ナプキンで口を拭いながら「いやあ、おいしかった。本当にごちそうさまだったよ。キミの料理はおいしかったよ。完食だよ」とほめたらコックさんは心底うれしそうな顔をした。

 私はお父さんみたいに早く食べることはできないので、デザートのタルトタタンに添えられていたアイスクリームをゆっくりと味わっていたがふとコックさんと目が合って笑顔をかわした。私が何気なく「二日間ほんとうにおいしかったです、ありがとう」というとコックさんは私が驚くほど喜んでくださった。

「こちらこそありがとうございます。お嬢さん、どうぞまた私の料理を食べにきてくださいね」

 お父さんがまじめな顔をしていった。

「いやあ、こんな高そうな料理は自腹きってまで食べに行けません」

 私はお父さんが正直すぎるのにはらはらしたが、コックさんは笑顔をくずさない。私はそのコックさんに何気なく名前を聞いた。コックさんはそれも喜んで答えてくれた。

「私は波羅ゆたかと申します。爆雪様にはこのたびは私の料理をお召し上がりいただき光栄でございました、重ねてお礼申し上げます」

 最後までていねいでやさしいコックさんだった。私とお父さんはコックさんが出るのを見送り、身支度をしてから部屋を出ようとした。

「チェックアウトするけど、鍵はどこだっけ?」

 お父さんがうろうろしている。私もさがしたけど見つからない。どういうわけか田中さん鈴木さん大山さんもいないのだ。広いスイートルームに私達親子だけになってしまった。

「まあエレベーターで一階に下りてフロントに行けばいいだろう。いろいろありがとうございました、と言付けて去ればいいのじゃないか」

「そうするしかないわね。お役御免で皇太子と面会が終わってしまえばあっさりとしたものね」

「めぐみが皇太子との結婚を断ったからだろ、もし受けてしまったら今頃はこのスイートルームで人がいっぱいで記者会見して、と忙しくなってるだろ」

「私には無理ね、そんなことは」

 親子で笑いながら部屋を出る。お父さんは今になってホテル代、まさか請求されないよなとか心配しているけど、私は平気だった。無銭飲食ではないのだし、ホテルの人も坂手大臣や大山事務次官が出入りしているのを見ているのだし、ホテルのコックさんの作るご飯を食べていたのだしね。心配しすぎだって、とお父さんを励ましたぐらいだった。

 スイートルームを出てホテルの廊下にしては広い絨毯を歩き、専用のエレベータールームで上がってくるのを待っていると、入れ替わりに誰かが上がってきた。


 大山さんだった。それと田中さん鈴木さんもいる。例の池津さんはいない。SPの広本さんもいない、誰もいない。三人だけであがってきたのだ。きっと私たちを家まで送ってくれるのだろう。最後の仕上げとばかりに。

 お父さんが声をかけた。

「外務省の皆様にはいろいろとお世話になりました。ありがとうございます。おかげでめったなことではできない貴重な体験ができました」

 大山さんはお父さんではなく私の顔を見ている。鈴木さんも田中さんも。なんだろうと思っていたら大山さんが「間に合ってよかった。爆雪さんすみませんがもう一度あの部屋に戻ってくれませんか、お話があります。坂手大臣も間もなく上がってきます」と言う。私とお父さんはなんだろうと顔を見合わせてから一緒に引き返した。大山さんが先に立って案内し、田中さん鈴木さんが後をついてくる。

 もう最後だと思って去った部屋に出てから三分で引き返してきたのだ。すっかり見慣れてしまったこの広くて豪勢でスタイリッシュな部屋のソファに腰を下ろす。大山さんは私の前に腰を下ろして前かがみになって両手を膝の前においた。

「爆雪さんに改めてまして大事なお話があります。さきほどメイデイドゥイフの皇太子ご一行が帰国されました」

「はあ……」

 大山さんは私の顔を見つめたまま言った。

「皇太子はお嬢さんをとても気に入ったそうです」

「えっ」 

 私は驚く、すぐに横を見るとお父さんも口を大きく開けて驚いている。私は急いで言った。

「あのう、私は断ったつもりですけど」

 大山さんは私から視線をはずさずに言う。

「ご婚約に関しまして国民並びに友好国などへの公表は来週中にします。そして来月には、かの国に来て式を執り行うとのことです」

「ええっ、うそでしょう?」

「……実は私も聞いて驚きました。見送りに出た大臣や通訳も……レイレイという皇太子付きのSP兼通訳から三回も同じことを言ってもらってやっと理解した次第です……」

 私も信じられないがお父さんはもっと信じていない様子であけすけに聞いた。

「あのう、あの皇太子ってマゾなんですか、もしかしてうちのめぐみが思い切り皇太子を突き飛ばしたことでマゾの血が騒いで逆に萌えあがったとか?」

 大山さんは眉間にぎゅうっとしわをよせた。口も閉じたままへの字に押し上げた。そのせいで大山さんは一気に十歳は老けてみえた。その渋い顔のままでお父さんの質問に答えてくれた。

「えー、外務省事務次官としましてはそこまであの皇太子の性癖を把握しておりません……」

 空気がまた凍った。私とお父さん、大山さん、田中さんに鈴木さんはその場で動くことなくしゃべることなく黙って座り続けていた。














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