第十九話、面会前のモヤモヤ
◎ 第十九章
やがて時間が来た。あと十五分ほどだという時に背広をぴしっと着こなした年配の男性とその警護というかSPさんが四人ほど入って来た。そのうちの一人は自衛隊基地であった広本さんという人だった。言葉のアクセントが変わっていてこの人だけ印象に残っているのだ。公安だといっていたがそれとSPの仕事が重なるのがどうかまではわからない。広本さんは私を見てにこっとしてくれた。
大山さんがその年配の人のことを「こちらは外務大臣の坂手です」と紹介してくれたのでお父さんがあわてて直立不動で立ち上がってあいさつした。
「坂手大臣、テッテレビのニュースで顔をみたことがありますっ」
お父さんが舌をかみながら大臣に何度も頭を下げた。
「このたびはうちの娘のことでお手をわずわらせてすみません」
お父さんったらそれは私のせいではないって。でもお父さんに今文句をいうわけにはいかないので私はあいまいにほほえむ。
言われてみれば新聞でも見たことあるような顔だったが、初対面には変わりない。私も両手をそろえて大臣にあいさつした。坂手大臣は私を笑顔で見ていた。そして親しげに話しかけた。
「はじめまして、外務大臣の坂手です。爆雪めぐみさんですね。このたびはいろいろと大変でしょうが、メイデイドゥイフの皇太子はお嬢さんと会うのを大変楽しみにしておられます。お嬢さんは今一つ乗り気でないご様子ですが、これを幸運なことと考えてお会いになられたらよいかと思います。我々はこの出会いのお手伝いをさせていただきますのでなんでもお申し付けください」
大臣といっても腰の低いおじいちゃんだった。背もわりと低めで私と同じ背丈だった。そして私の顔をのぞきこむようにしてしゃべる。だけどその態度も普通の人なら無作法だと怒るようなしぐさだがこの人だとなんとなく許せてしまうぐらいスマートな動作だった。相手が大臣でしかもおじいちゃんだからだろうか? 私にはわからないが、にこにことして言うので私も「よろしくお願いします」と返事した。お父さんはクーラーがきいているのにカッパハゲに汗を光らせて「どうぞどうぞよろしくよろしく」と言っている。私は心の中でちょっとお父さん、相手が大臣だからって緊張しすぎだよって思った。
坂手大臣は私達に「座ってもいいですか」と聞き、それからソファに座った。
「いやあ、年取ってくると腰にきてねえ、大臣がこんなことではいけませんな。ささ、私一人で座っていたら格好がつかないのでお嬢さんもどうか座ってください、お願いしますよ」とかいって笑っている。 大臣といったら偉い人なのに気さくでこっちが緊張しないように気をつかっているのだ。広本さんも笑顔で私を見ている。坂手大臣は広本さんを背中をひねって見上げ「ああ、お嬢さんは一度広本と会ってますな。今日で二回目だな」と言った。それで広本さんも口がほぐれて「めぐみさん、今日はがんばって」と声をかけた。広本さんの訛りのある言葉に私は即発されたのか思っていたことを言ってしまう。
「何をがんばるの? 私はいつもの私で普通の高校生なの。皇太子には断るだけよ」
案の定その場の空気が凍ってしまった。坂手大臣は笑顔を崩さず大山さんは咳払いをして小さい声で「えー」と言った。池津さんは渋い顔をする。広本さんは伸びていた背中をよりびしっと伸ばした。私はこの広いスイートルームでこれだけの人の表情と感情がわかってしまった。これって自分で発見した新しい自分の特技なのだろうか? めったにしない体験で新しい自分がわかることってあるのだな。と思った。
坂手大臣は私に笑顔のままで言った。
「確かに全てはお嬢さんのご意志です。私達には何の強制権もありません。お父さんにだってないですよ。世間ではこの縁談を断るならもったいないとかいうでしょうが、お嬢さんの人生はお嬢さんの人生だってことです。もちろんこの縁談を受けるなら我が国はいいことばかりおきます。それを考えてもし」
大臣は言葉をわざと区切った。
「……もしこの縁談を受けてお嬢さんが……あなたがメイデイドゥイフの皇太子妃になることを受諾されるならば、我々は我が国のお嬢さんをお嫁に出すと心得て我が国の誇りにかけて外務大臣としてもこの労を惜しみませんよ」
お父さんがハンカチを広げて控えめにカッパハゲの汗を拭いた。そしてどもりながら言った。
「ああ、あの、うちのめぐみにそこまで……ま、まことに、お、おそれ多いことで、ご、ございましゅ……」
私もまさか外務大臣から皇太子妃になるならば労を惜しまないというもったいない言葉が出るとは思わなかった。坂手大臣はいえいえ、というように首を振った。笑顔を崩さず私に言った。
「誰にでも人には言えない苦労はあります。お嬢さんはまだお若いですが、皇太子妃になったとしても幸せが約束されるとは限りません。よく考えてください。メイデイドゥイフの皇太子とはさきほどまで帝国ホテルの別館で非公式ながら私は会いました。とても誠実なお人柄でした。この人なら大丈夫でしょう。みんなは動画一つで、と信じられないでしょうが確かにあの方はお嬢さんを愛しておられますよ。恋愛それも一目ぼれは確かに存在します。しかもとてもいい人です。会ってみてからお申し込みの認否を考えてみられたらいかがでしょうか」
坂手大臣はすでに皇太子と会って話をしているのだ。
お父さんが大臣に恐る恐る聞いた。
「そ、そんなに……そんなにあの皇太子っていい人なのですか」
坂手大臣は笑顔を崩さないであっさりと断言した。
「はい、私もこの年でいろいろな人を見てきていますからね。いい人でしたよ。お嬢さんが了承してくださったら、すぐにでも結婚式をあげたい、そう言っておいででしたよ」
お父さんは目を丸くした。私もだ。お父さんはあわてて言った。
「おつきあいを経てからではなく、いきなり……け、結婚式ですか。あ、あの~うちのめぐみはまだ十六才ですけど」
大臣はこともなげに言った。
「私の妻だって私と結婚したときは十六才でした。もう亡くなりましたがね。それとメイデイドゥイフは社会主義国家と名乗ってはいても貴族制度が形骸化されてもなおまだ現として残っていて、つきあい云々をすっとばして結婚するのは珍しくないようです。別にそれでもいいじゃないですか、誠実だと思いますよ」
お父さんは言った。
「しっしかしですね。皇太子というならば国王というか皇帝だっているんでしょ、貴族制度が残っているならなおのこと、外国の日本という国の女の子と結婚したいっていいだしてそんなに簡単にできるものですかね? 皇太子としての地位があるなら尚更です。どうしてそんないい人が四十歳になるまで独身だったのでしょうかね?」
「それも私からも非公式の談話という形で伺いました。皇帝はもう亡くなっていて、事実上は首相が議会を作って摂政という形で参加しているそうです。皇太子の血縁は父方の祖母、お婆さんというか太后にあたる人がいます。この人はロシアの元皇室に連なる出身らしいですがよくよく伺ってみれば首相以上の権力を保持していたらしく、今まで自由に動けなかったと苦笑して言われました。皇太子は内密にするようにと念を押されたので極秘情報扱いでお願いしますが、この太后は末期の悪性腫瘍に罹患されて余命いくばくもない状態だそうです。孫のグレイグフ皇太子に対して結婚相手を早く探してほしいと命令を受けたとか……そういうことでした。この話はメイデイドゥイフにおける皇室内での話で諸外国も知らない話でしょう。もちろん我が国においても初耳です。現時点では太后の存在やその大きさに関する情報がないので、鋭意調査していく所存です」
お父さんは呆然としていた。なんにしても私たちのような庶民にはスケールが大きすぎる話なのだ。大山さん、田中さん鈴木さんも固唾をのんで坂手大臣の話を聞いていた。お父さんはただもうびっくりしている。びっくりしつつ大臣に質問を繰り返した。
「皇太子のお婆さんに当たる太后という人がいてロシアの元皇室の血縁者……そんな高貴な人がうちのめぐみを……庶民のめぐみを気に入るはずがないでしょうが、常識というものがあるでしょうに、その皇太子は本気の本気なのでしょうか? 昨日私は別室で大山次官からは私の妻の出自をいろいろと聞かれましたが、ま、まさか関係ないでしょうな。ロシアの亡命者かもしれないとは冗談めかしての妻の言葉ですが、妻は何も知りませんでしたし、当然この私もそうです」
大臣は大山次官を見た。大山さんは咳払いをして言った。
「えー……それは確かに一応という形で聞きましたが爆雪さんとのつながりは多分ないとは思われます。手がかりもないに等しい……ですがこれも念のため再調査をする所存でございます」
大臣は私に向き直って丁寧に言った。
「お嬢さんに申し上げます。外務省としてはこの縁談、お付き合いがどうのこうのって実際は見合いではなくすでに結婚を承知するかしないかの段階であることを確認しました。現代っ子のお嬢さんならば不本意に感じられますが昔の日本もこうだったし、かのメイデイドゥイフにもそういう習慣があるようなのでそれを飲み込んだうえで決めてください。我々には決定権はありません……ですがこの縁談をご承知いただけたら我が国日本は今までなかったメイデイドゥイフの国交が開始され、外交面で新たなる展開が予想されます。これには悪い面よりもむしろ良い面が多いのです。メイデイドゥイフは資源が豊富で自給自足が可能な国でとても裕福なのです。鎖国制度をとってはおりますものの、国内は平和で国民は穏やかな気性です。そういう国の皇太子がお嬢さんとの結婚が成立すれば日本との国交を開始するとはっきり言ったのです。しかも極秘とはいえ表敬訪問をした私に向かって言いました。確かなことです」
「えっ」
これは意外だった。大山さんも田中さんも鈴木さんも驚いている。もちろんお父さんもだ。
「そ、そんなにまで、うちのめ、めぐみを……」
坂手大臣は私から目線をはずさない。私は呆然として大臣を見ているしかない。おつきあいというかデートとか食事をすっとばして結婚をするかしないかって……うわ……信じられない。それにしても、なんて性急な!
呆然としていると大臣が腕時計を見て「じゃそろそろ用意するか、お嬢さんお手洗いをすませるなら今行っておいで。皇太子との面談の途中でトイレに行きたくなるのも困るでしょ、ね?」と言った。普通なら失礼だがこの大臣はさくっと言うのだ。それで私は素直に「ハイ」と言って席をたった。
お手洗いは私の寝ていた小部屋にあるのでそこまで行った。すると池津さんがついてきた。追い返そうとしたら池津さんが小声で「お願いです、私にもトイレをお貸しください」というので断れなくて部屋に入れた。
トイレには先に立たせてもらったが、池津さんにどうぞ、といっても案の定彼女はトイレに行かなかった。しかも池津さんは私のベッドの前でがんばって待っていた。
「あの、お嬢さん、やはりその服ではメイデイドゥイフの皇太子さまには失礼ですから着替えたらどうでしょうか。皇太子さまに少しでも美しいと思ってもらえたらお嬢さんだってうれしいでしょうが?」
しつこいなートイレに行くんじゃないのか? 私は黙って首をふったが彼女は必死で説教するのだ。
「お嬢さんは今我が国にとってもメイデイドゥイフにとっても歴史的な瞬間にまさにいるのです。そのお洋服ではあまりにもラフすぎます。外務省として正装の服の他各種のアクセサリー、ダイヤやサファイヤ、真珠すべてお好みのものがあるように手配しているのですから一つでもつけてください。今からでも遅くないです。すぐに着替えてお化粧して……」
私は黙ってベッドに座りベッドの横に据え付けられた鏡で髪をといて形を整えた。髪は少しのびてちょっと不ぞろいだがあまり気にならない。水色のカチューシャの位置を治して前髪を全部あげてちょっとだけ前髪がでるようにした。こうすると自分のおでこがふわっとして見えて多少はかわいく……見えると思うのだ。私は綺麗なドレスや宝石こそ持ってないけどそれなりに気に入りの服を着てきているし皇太子に対しても失礼にはあたらないと思っている。
だけど池津さんは納得していない。池津さんは私からくしを取り上げた。
「……何をするんですか」
池津さんははっとしたが、私のくしを両手で握りしめて「通訳としてお願いします。お嬢さん、着替えてください。外務省の人からも言われているのです」とまた頼む。堂々巡りだった。
私は池津さんに小さな声で「あの、くしを返してもらえますか……それ気に入っているのですけど」と言った。そこへノックの音がした。私たちははっとした。池津さんは大げさなため息をついて言った。
「時間が来たようです……行きましょうか」
「はい」
私は皇太子にあっていうことは決めていた。お礼の言葉とともに、私は皇太子妃にはなれないってこと。それだけだ。握手ぐらいなら大丈夫だ。それと使節のレイレイさんにもあいさつを。それでバイバイ。外務省の偉い人にもバイバイ。そしてこの仕事熱心でしつこい池津さんもバイバイ。二度と会うことのない人たち。
今晩家に帰ったら私は自分の狭い部屋に戻って何も考えずにやりかけのクロスステッチ刺繍を仕上げてしまいましょう。このスイートルームでは豪華すぎて落ち着いて刺繍ができやしない。そして自分の部屋でぐっすり寝るの。それから学校へ行くわ。
それだけ。面倒な身分なんかいらないわ。ほんとに。




