第十七話、お母さんの過去
◎ 第十七話
池津さんが部屋から出ていくとお父さんは一番近くに会った緑色のドレスをつまんだ。それと池津さんがすすめた桃色の振袖も。お父さんは両手にそれを抱いて私に見せた。
「綺麗な服じゃないか、でも着たくないのだな」
「うん……着たくない……家に帰ってゆっくり寝たい」
「それを言われたら私だってそうだよ、仕事も山積みだし、どうなるのかな、仕事……」
「理玖はこの騒ぎどう思っているのかな」
「うん、このことだが理玖ちゃんは本当にコンクールに優勝してうれしくて何気なくアップしたのだろうけど、このこととは今の話は大きくずれていってるからな。理玖ちゃんを責めても仕方ないだろう」
「私は理玖ちゃんを責めてはいないわよ。一番悪いのは例の皇太子なんだから。みんなを振り回して何がおもしろいのだろ、皇太子こそバカじゃない? 世間の皆さんもパソコンの中で私のことをばかみ、というなら皇太子に向かってバカ皇太子って言ってほしいわ」
「そのことなんだけどな、さっき大山さんとの話でお母さんの話がでたんだ」
「えっ、お母さん? 私のお母さん? どうして」
「大山さんが私の妻、つまりめぐみのお母さんの出自をできるだけ詳しく教えてほしいというのでね、困ったよ」
「お母さんの出自って捨て子だったというし、誰にもわからないのじゃないの? あっもしかしてロシアあたりの亡命者とか言ってたけど、その話?」
「そう、亡命……けどロシアとは限らないだろ」
「でも私のこと顔はお父さんに似てしまったしクオーターだと知っている人って誰もいないのよ? 指摘されたこともないのにどうして?」
「大山さんはな、憶測であってもできるだけのことは知っておきたい様子だった」
「憶測って?」
「私にもわからない……でもどう考えてもあの動画一つでこんな大げさな話になるのは不思議だろ? あちらの国は礼儀上とはいえ外務省を通して話が来ているのだよ、伊達や酔狂でここまではしないだろ。だがお母さんの出自がからんでいるなら話は別になる、ということらしい」
「誰にもわからないお母さんの出自……それは」
「大山さんが言うんだ、あちらは社会主義国家はうわべ上のもので専制主義で血族同士血で血を争う国家らしいんだ。鎖国状態なのは本当で国民は王政で我が国王のおかげで税金なしで安楽に暮らすことができると洗脳されている。内情はものすごい圧政らしいんだ。少しでも王政に逆らうようなフシがあったら証拠なしでも処刑されるというよ。外交問題はほぼ王朝が指名した大統領がやっているし、グレイグフ皇太子すら年齢も容貌も今まで不明だったぐらいだからね。秘密主義もいいところで、今回の縁談というかこの話も本当の黒幕がいるのではないかという話だ」
「やだ、怖くなっちゃうじゃないの。そんな国とお母さん、正確にはおばあちゃんがもしかしてメイデイドゥイフに関わりがあったとでも考えているの」
「……みたいだな、信じられないことだが。少なくとも大山さんはそういう仮説をたてていて、今お母さんとお母さんを産んだおばあちゃんの段取りというか過去を突貫工事で調査していると言っていた」
「……まあ。それじゃあ私は余計に皇太子と会わない方がいいのでは」
「いや、話がここまで来ているのだ。会った方がいいとお父さんは思うな。だから泣いてないでちゃんとした服を着なさい」
「私はこの服でいいの」
「その服でもかわいいけどな、いいのか」
「うん」
お父さんはやっと笑ったので私も笑った。
「そういう気が弱そうでいて、内実は強情なところはお母さんに似ているよ、めぐみ」
「そう? ねえ、お母さんとのなれそめわたしちゃんと聞いたことがなかったわね、聞いてもいい?」
お父さんは話してくれた。
お母さんの出自はわからないけど、お父さんと出会ってからの話は話せるのだ。すなわち私が生まれて自動車事故にあいそうになった私をかばって死ぬまでの話は。
……お母さんの名前は鈴子という。旧姓は未来。つまり未来鈴子。若かったお父さんと初めて会ったのはお母さんが孤児院というか児童保護施設を出て働き始めたころだという。その時のお母さんは十八才。お父さんも十八歳で大学生だった。大学近くの喫茶店だったという。そこで同期の学生にものすごい美人のウェイトレスさんが働いているということでわざわざ見に行ったそうだ。お母さんは髪は黒く、目の色も黒い。だけど白欧系ハーフと言うのは一目でわかる。妖精みたいだとお母さんを見たお父さんは一目ぼれ。
当時のお父さんは今のカッパハゲでもないし、太ってもいない。だけどライバルはすごく多かった。だけどお父さんはがんばって大学の講義が終わると毎日一番安いアメリカンコーヒーを飲みにいっていたそうだ。だけどお母さんは誰にもなびかない。普通にウェイトレスの仕事をして黙々と働いていたという。
「そのままで四年たってな、ぼくも就職が決まってあと少しで卒業だ。お母さんとはコーヒーをください、というだけの関わりだった。お母さんもいらっしゃいませとありがとうございました、しか言ってくれなかった」
「だめじゃん、そんなのでどうやってお母さんと結婚できたの?」
「わからん……が、最後の最後。ぼくは名残惜しくて鈴子さんに手紙を書いた。最初で最後の手紙……出会って四年間君の笑顔のおかげで毎日コーヒーがおいしく飲めたことに対して礼状を書いた。ライバルが多すぎるんでぼくは醜男だから最初からあきらめてますと。できるならお嫁さんにしたかったけどあきらめる、いい人を見つけてどうか幸せになってください、本当にありがとうと。手紙にはそれしか書かなかったけど、なんと返事がきてね」
「へえ……」
「爆雪太郎様へ。私の方からぜひお願いします。私をあなたのお嫁さんにしてくださいって」
「えっ、じゃあろくにお話もせずデートもせずで結婚したの? お父さんとお母さんってば冒険しすぎじゃないの」
「うん、ははは……大山さんにもぼくらのなれそめを聞かれて正直に話したら……えらい冷やかされたよ。でもほんと、結婚してから改めて恋愛が始まった感じで幸せだったよ……そしてめぐみが生まれてあの事故があるまで……」
お父さんは顔を赤らめて目を伏せた。私はそんなお父さんを見るのは初めてだった。
「いいなあ、そんな純愛、私もしてみたいなあ」
「それで、ぼくはお母さんと結婚してはじめて施設育ちであったこと、やはりハーフであることを知ったのさ。出自はお母さんもわからない、ということは当然ぼくにもわからない。外務省との話もここまでしか話せなかった。メイデイドゥイフとのかかわりは今の時点では何もわからないよ、誰にもね」
「おじいさんかおばあさんがメイデイドゥイフの王族か反体制の何かで亡命したとかではないのね?」
「外務省もそこを言われたが、わからないよ全く。亡命がからむと何かのドラマっぽくなるけど、そんな話とはぼくらは本当に無縁だった。大体お母さんはハーフの美人、美しすぎるということでやや人間不信もあったし男性恐怖症気味だったし、そんな亡命や政治がらみの話は皆無だったよ」
「そうよねー、そしてそんな美人なお母さんから生まれた私はお父さんそっくりで色白のところしか受け継がなかったのだし、あの例の動画で私を見て一目ぼれから皇太子が短い時間で昔亡命したおばあさんの娘を探していました! 娘は死んだのでその娘、つまり孫の私を見つけたので結婚を申し込むよ、というのはやっぱり勘ぐりすぎだわ。偶然見つけたにしてもなぜ私なの? ネットでも言ってるじゃないの、インタヴューされている優勝した女の子の方が美人なのにって、なぜ皇太子は友永理玖を選ばなかったのかということよ? ほんとなぜ私なんだろ?」
「お父さんにもわからんよ、だけどうちのめぐみはやっぱり理玖ちゃんよりもずっと美人だと思うしとてもかわいいよ。皇太子の目の方が確かじゃないかな」
「お父さん。それ、親の欲目だから。私はネットで見たわ。世間の皆様は正直で意地悪よ、美人を無視してブスの方を選んだ皇太子はアホって書かれていたよ? そりゃ外務省だって疑問だわ、誰だって不思議だし当の私も不思議で仕方ないもん」
「……ううーん」
お父さんはうめいた。
コンコン、ノックの音がした。
田中さんの声が夕食ですと告げた。田中さんについで鈴木さんもやってきた。池津さんまで。散らばった洋服を手早く片づける。
窓を見るともう夕焼雲が出ている。もうこんな時間になってしまったのだ。結局今日は私は何もしていない。時間だけが早くたってしまった。
メインのコックさんはお昼に来られたと同じだった。たぶんこの部屋専属の担当コックさんなのだろう。メンバーは私とお父さん、大山さんに田中さんと鈴木さん。それと池津さんだった。総勢六名でコックさんは三名も来たけれど、スイートルームの広間は余裕でいけた。
食事はフランス料理のフルコースでフォアグラはじめ今まで食べたこともない料理があった。メニューは選べたので魚料理を希望した。お昼ご飯の時にきたやさしいシェフさんがまた来てうれしかった。焼き加減とか細かく私の希望を聞いてくれて私はまるで王女様になったみたいな錯覚をおこしてしまう。つけあわせのフランスパンがとても香ばしくておいしくておかわりしてしまったぐらいだ。だけど、ここのお料理だってタダではないだろう。外務省ってお金持ちなんだろうか。私たちのためにそんなお金を使うなあんて。いいや。このホテル代や料理代だってあとでメイデイドゥイフに請求するのだろうか。わからないなりに大山さんや田中さんたちがおいしそうにお料理を頬張っていて役得だなあって私は思った。
外務省のメンバーは池津さんも含めて海外生活に慣れているようでスマートなしぐさだった。お父さんがいや、何もかもうまいですなあってほめていてそこら庶民のおじさんぽくて恥ずかしいぐらいだった。この私だってブルーチーズが出されて食べられませんってコックさんに言うと池津さんがくすっと笑ったのを目のはしにした。だけど食べられないものは食べられない。コックさんはにっこり笑ってお皿をひきとってかわりにカマンベールチーズの薄いヤツとはちみつをくれた。それはおいしかったけど私は池津さんが苦手だと思った。
食事中、大山さんがそのお洋服もかわいいが、やはり和装、振袖の方がもっとかわいらしく見えますよとか言ってきたけど私は断った。池津さんと大山さんがほらね、と合図しあったようで余計に不快になった。ほんと苦手だ。この人が通訳するなんて。
それでも明日の午前でもう話は全部終わる。私は皇太子妃になるガラではない。この外務省のひとたちだって普通なら公務員のエリートさんだ。獅子町役場の窓口のおじさんをしているお父さんとはまた格が違う。明日でもう縁が切れるのだ。
ネット上での悪口が途絶えるまで今はじっと我慢しないといけないが、パソコンを見ないようにすればいいだけのこと。今晩はこのホテルに泊まらないといけないだろうが、皇太子と会って断るのが終わればあとは普通に学校に行って刺繍して週末は大豆バレエでバレエを踊る。いつもの日々に戻れる。そうなるのだ。




