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この人を見よ  作者: ふじたごうらこ
第一章 出国まで
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第十六話、不特定多数の人から死ねと言われる

◎ 第十六話



 外務省の田中さんと鈴木さんに親子で連れていかれて、この豪華なスイートルームで私が何をしたかというと、テレビをつけたりつけなかったりしただけ。面談は明日なので、今日一日はフリー。だけど外出するわけにはいかないので、部屋でぼうっとするしかなかったのだ。

 外務省の大山さんが記者会見で取材自粛を要請してくれたせいで、テレビで私の話題が出ることはなかった。よかった。だけど何気なく部屋に備え付けのパソコンで見ると掲示板が私の話題ですごいことになっていた。

 見るのはやめようと思いながら私は見てしまった。


◎ メイデイドゥイフの皇太子ってどんな顔だろう、みんな似ている俳優を予測してみよう!

 → みんな好き勝手なことを言っている。俳優さんとか、モデルさんとか。それはいいけど、どうしてあの娘が気に入ったのかというコメントが必ずついていてそれがブスなのに、普通の平民のくせに、とか書かれていて心が傷つく。しかも私の名前の一部が伏字か、ばかみ、になっている。誰が見ても私だとわかるようなスレになって誰が書きこんでもよいようになっているのだ。

 例えばこんな調子だ。


◎ 爆雪○ぐみのスレ。

◎ 例の平民、愚民の○ぐみはどうやって皇太子に取り入ったか、

◎ ○ぐみではなく、ばかみ、って名前でいいじゃん?

◎ ばかみ? いやあ、あほみの方がとぼけた感じでいいじゃんね?

◎ 例のばかみのどこがいいのか、顔を拡大してよっく見てみよう!

◎ 頭悪そう、クサそう、ぶりっ子、売名行為のばかみ

◎ 例の皇太子はブス好み! ○ぐみの顔は見れば見るほど吐きそう!

◎ 爆雪○ぐみのファンクラブ結成! 現在会員数五万人なり!

◎ ばかみをばかにせず真面目に議論する。ばかみは果たしてセレブになれるのか?

◎ ○ぐみちゃんかわいい、バレエ上手だね! 

 バレエスレには私の話題で持ちきりだった。でも書き込みは悪意のあるものが大半だった。これもこんな調子だ……あのアラベスクポーズすごいよね、やっぱりバレエっていいよね! でももうちょっと足を高くあげられなかったのかな? 不細工のクセして、あんな高そうなレオタード着て、はりきりすぎじゃん。ばかみはやっぱりばかみだ。ばかばか、死んでしまえ! ばかみ、死ね! とか……。



 死ねと他人から言われるのはひどいことだ。私は小学校で男の子たちから言われたことがある。あの頃もそうだったが、私は彼らにも何もしていない。とても心外だった。私のファンクラブ結成といっても私は迷惑だった。バレエレッスンで例の痴漢に撮られた写真がスポーツ新聞のトップを飾ってからテレビの方はともかくパソコンの中は無法地帯なようであのアラベスクのポーズが流出してしまい、私の実名の一部がマルで囲まれて隠しているようだがすぐに私だとわかるようになっていて、それぞれのスレで私のことを知らない人々がそれぞれ勝手なことを言っているのだ。

私はパソコンを閉じて隣にあるふかふかの大きなベッドで横になりたいと思った。だけどパソコンを閉じることができなかった。みんなやめて、と思いながらも見てしまったのだ。

 私は泣いてしまった。無責任に騒いで私をブスだのうまくやっただの……記者会見で大山さんがもう終わった話だといって今後の取材は自粛と何度も言ってくれたのに全く効果がなかったのだ。

 ここのスイートルームは本当にこんなことでもなければ入れただけでもうれしいことだったはず。なのに、私は目がしょぼしょぼするぐらい勝手に私のことを罵倒するスレを見つけて見つめ続ける。私は広いベッドの横で背中をできるだけ小さく丸めてパソコンの画面を泣きながら見つめていた。

 お父さんがベッドルームから出てこない私を心配して「めぐみ、大丈夫か」とノックするまで私は泣いていた。私は小学校でいじめられて学校に行けなくなった時と同じ状態になってしまった。

 ドアを開けて私はお父さんに「家に帰りたい」と訴えたがお父さんはとりあえず「明日の朝、皇太子に会うだけは会ってはっきり断りなさい」というだけだった。お父さんは黙って私の部屋に備え付けられていたパソコンを画面を閉じてコンセントを抜いた。そして「これはぼくの部屋に持っていくからな、いいな?」と聞いたので私はうなずいた。お父さんは私はここで何をしていたかわかっているのだ。私はみじめな気持で窓の外の高層ビル群を眺めた。

 お父さんは疲れた様子だった。このスイートルームは広いので、小部屋がいくつもある。会議室まである。本当にお付きをたくさん連れてくる外国のセレブを泊まらせるための部屋なのだ。分不相応にもほどがある。お父さんは私と別のベッドルームにいたが、田中さんたちと長い間話し合いをしていたようだった。それから田中さんや鈴木さん、大山さんは別の会議室みたいな部屋で待機していた。

 そこへ室内のインターホンが鳴った。

 昼食が来たという連絡だった。映画でしか見たことがないホテルの昼食の配達だった。しかもコックさんが二人もついて食べ物が乗せられたワゴンが三台も来た。私たちも会議室に集まり皆で食事をした。学校で同じ年の人とおしゃべりしながらお昼ご飯を食べるのよりは内容はぐっと豪華だが雰囲気は沈んでいた。大山さんとお父さんは険悪な雰囲気だし、田中さんと鈴木さんは目を泣き腫らした私に気を使いまくっていてかえってしんどくなった。だから食欲なんかなかった。

 テーブルに形よく盛られたフルーツやヨーグルト。パンに各種ジャム、サラダ。ステーキや温野菜、卵も目の前で調理してくれた。コックさんは二人とも年配の人でとてもやさしかった。

 いちいち卵はどうするか、ハムはどんなのがいいか、チーズは食べれるかどうかまで聞いてくれた。

 お父さんは恐縮しつつおいしかったらしく全部食べていた。私も食欲がないわりに食べれたほうだと思う。コックさん達が帰ると私はお父さんが田中さんに言った。

「料理人さんをはべらしての食事は大金持ちしかできないな、支払はちゃんともってくださいよ」

 お父さんたら、念押しを何度もしない方がいいのにと私は思った。お父さんは私に向かって言った。

「めぐみがもし皇太子に嫁げばこういう食事は当たり前になるのじゃないかな、どうかな。もし今日会っていい人だったら結婚する?」

 お父さんたら……私は絶句した。

 大山さんや田中さん、鈴木さんが手をとめてじっと私を見た。お父さんたら本当にみっともないことをいうのはやめてほしい。

 でも私は考え直した。私の名前と顔が流出してしまいパソコンの中であらゆる嘘とあざけりと罵倒の言葉をかかれてしまったら、彼らを見返せるのは私があの国の皇太子妃になることになるのだろうか。

 私が夢見ていた普通の生活は望めないのだろうか、果たして私に普通の誠実で優しい恋人が見つかるのだろうかと。 

 でも怖かった。食事は確実においしいものが食べれるだろうけど、日本に言ったこともない外国の皇太子が来日して私に会うなんて何かの陰謀だとしか思えない。何も食べ物につられて皇太子妃になることはないのだ。

 無理だ、私には荷が重すぎる。絶対無理だ。





 また壁のインターホンが鳴って鈴木さんがドアの方に行った。それから私たちのいるところに女性を一人連れてきた。おかっぱヘアに見覚えがある。自衛隊基地で会った女性だ。歳は多分お父さんと同じぐらいだろう。黒いスーツを着こなして颯爽としていた。髪飾りも何もなく化粧気もなく、黒ぶち眼鏡をかけていて地味な人だが良く見ると美人、きれいめなおばさんという感じだった。不思議な印象を持つ人だなと私は思った。

 その女性はまず大山さんに「このたびは、お世話になります」と頭を下げた。

大山さんはきさくに「やあ」というと女性はさらに深く頭を下げた。大山さんがお父さんに女性を紹介した。

「この人は先日も見かけたと思いますが改めて紹介いたします。外務省専任通訳のデース・池津さんです。女性は女性同士の話もあろうですので、急遽呼び出しました。明日の午前十時からの会見と決定しましたが、着る服装などは彼女とよく相談なさってください。お嬢さんの好みでも何でもこの池津にお申し付けください」

 池津さんはすっと前に進み出てお父さんとわたしの顔を交互に見ながらはきはきと「よろしくお願いします」と言った。大山さんは「この人は東ヨーロッパ圏の六か国語が同時通訳できるのです、日本語の通訳として国際会議には欠かせない人材です」と褒めた。

 池津さんは何も言わずただ伏し目がちにしていた。通訳ってでしゃばってはいけないと聞くので、そういうものだろうと私は思った。大盛女学園にも帰国子女やハーフの子がいてバイリンガル、トライリンガルは珍しくはない。将来は通訳になりたいという子がいるので、彼女みたいになるだろうかと思った。だけどこの池津さんは私のお友達でも何でもない。仕事で私に接してくれるのだ。

 お父さんがこの部屋で面会するのですかと聞いた。どうも私とお父さんが昼食が来るまでベッドルームに休んでいる間に外務省ではいろいろな段取りがすすめられていたようだ。

 大山さんが言った。

「本省チームからの連絡によるとメイデイドゥイフ側から来るのは皇太子本人と使節兼通訳のレイレイ、それと四人の護衛の入国らしいです。入国予定時刻は日本時間で午後九時です。そしてこのホテルまで直行して部屋で休んでいただき明日の午前に面会となります」

 お父さんが驚いたように言った。

「じゃあ、入国許可だしたのですな。あんなに強引な帰国のやり方をするような使節が再来日とは……それに例の使節だけならともかく皇太子本人が来ていてそんな人数で大丈夫なのですか」

 大山さんはお父さんとのケンカは一時中断にしたらしく、打ち明けるように言った。

「極秘での来日ですからね。結構こういうのってよくあるのですよ。マスコミや国民に知らせずに海外のVIPが来日するのはね……皇太子一行は観光もされず表敬訪問もなし。めぐみさんとお話されるとすぐに帰国すると言っています」

 お父さんもさっきのことは忘れたように大山さんに親しげに話しかけた。

「行程と言うか先日のように自衛隊基地を使ってというわけではないのですね」

「みたいですね。初めての出会いがそれだったらもしご成婚となったときかわいそうでしょう。お嬢さんがね」

 大山さんがにこにことしながら微笑んでいる。さっきから大山さんや田中さん鈴木さんとよく目があうのだ、午前までの態度とは大違いだった。もしかして外務省のこのみんなの態度の微妙な変化はもしかして私と皇太子との結婚を半信半疑ながら望んでいるのではないかと思った。

 私はさっきおいしく食べた昼食がずーんと胃の下までおりていくような感覚を味わった。ほんと、大丈夫だろうか、私……。

 私はお父さんとしみじみ、見てしまった私の罵倒スレのことを訴えたかったのだが、外務省の人がずっとついているので話せない。外務省の人に愚痴をいっても、彼らは仕事で来ているのだ。それにすごく話しにくい。私はちらっと池津さんを見た。池津さんと目が合って池津さんがにこっとしてくれた。それで池津さんと二人きりになる機会があれば相談してみようと私は思った。


 大山さんが言った。

「お父さんは面会に同席されますのでちゃんと打ち合わせをしましょう。先日のような写真返却を即時にして使節をすぐに帰国させてはなりません。昨日の記者会見でもうまくぼかして面会の様子は一切知らせないで済ませましたが本来ならばあの会見は失敗で外務省の責任になります。ああいうことにならぬよう今回はきちんと打ち合わせしましょう」 

 打ち合わせは別室の外務省控えの間になるらしい。お父さんはちょっと考えてから「わかりました」という。大山さんとお父さん、田中さん鈴木さんは別の部屋に出ていってしまった。

 ならば私はどうなるのか。この部屋でぼうっとしていればいいのかなと考えていると池津さんが言った。

「お嬢さんの方はこれから洋服屋さんが来ますので面会時の服装を洋装にするか和装にするか決めてください。この池津がすべて手配しますから」

「え、洋装に和装って?」

「洋装はドレス、和装はお振袖、ですね。どちらがお好きですか?」

 ここでやっと私は気付く。もしかして皇太子に会う服のことかな? そんなドレスも着物もないし、家に取りに戻るにもドレスも着物も持ってないしと考えていたらそれを見透かすように池津さんが言った。

「外務省の交際費で持ちますので費用のことは考えずにお好きな服を選んでください」

 私はあいまいにうなづいた。池津さんは黙って私を観察しているようだ。こういう雰囲気も苦手だった。私は自分の置かれた立場がまだよくわかってないのだ。断るつもりなのにだんだん大げさな話になってきてうろたえていた。ぼうっと座っているだけだった。

 やおら池津さんはにこにことして「めぐみさんとお呼びしてもよいかしら? めぐみさんはどんな服がお好みなのかしらね?」とか聞いてくる。けど私は首をかしげるしかなかった。お父さんたち男性は全員打ち合わせかなにかでどこかへ行ってしまった。スイートルームにいるのは私と池津さんだけだ。気づまりだ。

 やがてホテルのボーイさんたちが五人がかりでやってきて、クローゼットを丸ごと運んできた。天井が高い部屋だったので、こんな大きなものでも余裕で入るのだ。中は全部新品の着物やロングドレスだった。池津さんが言った。

「大体、こんな感じかと思って急いで用意させました。もちろん新品です。裾の調整など細かい直しはすぐにできますのでまずはお衣裳を決めてください」

 池津さんがクローゼットの封印を解くと中を全部私に見せてくれた。上の部分はロングドレスで一着ずつ大きなビニールで包まれていた。本当に新品だった。池津さんは続けて言った。

「下の引きだしは和装です。全部お振袖ですよ。一枚ずつ柄を見て好きなものを選んでくださいね」

 まるで結婚式の衣装を決めているみたい! 私はびっくりするばかりで皇太子と会うのにこんなに正式な服装をしないといけないのかと心配になった。第一私は皇太子妃なんて考えられない、普通の人でいい、普通の日本語をしゃべれる人だったらそれでいいのだ。テレビとかに出るのは絶対にごめんだった。嫌だった。

 私は今自分が着ている服でいいです、と言うと池津さんはおおげさに目と口を大きく開けて困った顔をした。

「めぐみさん。あなたは我が日本の国の女性代表として会うのですからそれなりの服装をされた方がいいと思いますけど。使節のレイレイさんと会った時も思いましたが今回も落ち着きのない様子でまた会われては、あちらも困ると思いますよ」 

 レイレイと会った時は落ち着きがないように思われたのか……ちょっとショックで私は池津さんの顔を黙って見ていた。黙っているばかりの私の顔を見て池津さんは言う。

「あの、失礼ですけど……めぐみさん、ものすごい幸運が転がり込んでこようとしている人の顔ではありませんね。あの、もっと幸せそうにされたらどうかしら」 

「……」

 池津さんは悪い人ではないようだが、とても事務的なしゃべり方をするのだ。意地悪ではなく、仕事でしているという感じ。私は池津さんが女性なので相談しようかと思ったのだが、この人には相談できないと思った。

 この人が日本側の通訳としてるいてくるということは私にずっと付き添うということだ。女性なのはいいけど私よりは随分と年上だし、話しかけにくい雰囲気の人だし。

 やはり理玖やクラスメートとしゃべることとは違う。こういう状態に置かれたことはないので私はとても困った。だけど本人を前にして貴女と一緒ではイヤだとは言えない。それにでは通訳で別の人が来るとしたら男の人だったりしたらもっと困るし第一イヤだし。ああ、私は何を考えているのだろうか、通訳がどうのこうのって、結局は私は顔をちらっとしか写真でみてない皇太子に対して何をしゃべれというのか……私は混乱している。


 まずは皇太子の前に出ないといけないから見栄えのする服に着替えを、というわけだ。そしてどれにするかを今決めないといけないようだ。でもこの中の服は全部イヤだ。綺麗すぎるし、好きでもない人の前に綺麗な服を着ても仕方がない。それにそれらは私の服ではない。こんな高そうな服、外務省とやらが支払うことになっても私はうれしくない。困る。着たくない。

 私はがんとして服はいりません。自宅からもってきたこの服でいいのです、とがんばった。そう、この服だっていい服だ。

 Tシャツだけどちょっと変わっていてそでが膨らんでいるし、裾はゆるめのフリルがある。デザインにスワロスキーがついていてそれが王冠の形になっている。上がホワイトで下が薄いブルー。夏らしい配色で悪くないと思う。ひらひらのロングドレスや和服なんか着たくない。

 池津さんは両手を腰にあてて肩をすくめた。

「えっとめぐみさん……私があなたなら振袖を着ますね、日本女性を代表して。何といっても日本の女性を代表して会うようなものですし」

「……」

 私は心の中でえっそうなのですか、と驚いていたけれど本人には言えなかった。池津さんは私の代りですと言わんばかりにタンスの中の服を次々に出していき、引き出しからは長い和紙に包まれた振袖を出していく。広い部屋は綺麗なドレスや着物でいっぱいになった。

 池津さんは私の前に出て桃色の振袖を持ってきた。

「これなんか、貴女は若いし似合うのではないかしらね、どう?」

「いえ……今着ているものでいいです……」

「桃色は嫌なの? これは絞りといってとても手間のかかる染めが入っているのよ、これに金糸がはいった丸帯をしめたらとてもすてきよ、いいと思いますけどね?」

「いえ……」

「じゃドレスがいいのかしら? 清楚な感じがいいと思うので薄い黄色のレースがはいったものなんかどうかしら、ほら、これは?」

「……」

 私が答えないので池津さんはがっかりした様子をみせた。

「まあ、めぐみさんは急な話なので驚くばかりでしょうけど、せっかく遠い国からはるばるとあなたに会いにきてくださるというのに、失礼ですよ」

 私は自分で自分のことを悲しく思った。私は皇太子に見初められたといわれるけど、実感がぜんぜんないのだ。そうか、私は私のままでいると、せっかく日本にまできて私に会いに来てくれた皇太子を悲しませることになるのか、と思った。

 それなら、それでもいい。どちらにせよ。私は断るのだから。会うのは一回限りなのだから。でも、がっかりはさせたくはないな。私は自分に自信がないから私が断るよりも前に断られる可能性が大きい。だけどがっかりはさせたくない……そんな矛盾したことを考えてしまった。

 池津さんは私が何も答えないのでいらいらしている。なので私は余計に萎縮してしまった。とうとう池津さんはため息をつきながら独り言を言った。

「私があなたならはりきっておしゃれしますけどね、ああでもないこうでもないと衣装をばんばん試着するわ。そしてお化粧もヘアスタイルにも凝ってがんばるわ。だって皇太子妃になれるのよ? こんなチャンスってないと思いますけどね……ああ、本当にもったいない。断るつもりならそれはそれで私も通訳としての仕事なのでやりますけど、あまりにももったいないわ」

「……」

 私はうなだれてしまった。でもこの人にはこんなことを言われたくなかったなと思った。池津さんと一緒にいるのが息苦しくなった。こんなに綺麗なお衣裳に囲まれてもうれしくなかった。これが理玖や大豆バレエのみんなと一緒だったら大騒ぎしながら試着しただろうに。早く一人になりたいな、と思いつつ私は黙って椅子に座ってじっとしていた。

 池津さんは困り果ててどこかに電話した。やがてノックの音がしてお父さんが入ってきた。池津さんがどういう言い方をしたのかわからないけれど、お父さんが「もっと綺麗な服を着た方がいいよ」と言うのだ。お父さんまでそんなことを言うのねと思って私はとうとう泣いてしまった。

 小さい頃ならともかくこんなに大きくなってからお父さんの前で泣くのはいじめにあってから以来のことだった。お父さんは池津さんに「ちょっと二人だけにしてください」と頼んで部屋をでてもらった。









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