第十四話、帝国ホテルに移動する、後編
◎ 第十四話
外務省が用意したホテルなんか本当ならめったにいけない高級ホテルだろう。もちろん私は行ったことがないしお父さんもないに違いない。でも私はうれしくなかった。あそこで皇太子に会うらしいからだ。憂鬱だった。昨日の朝に使節の人に皇太子の写真を返却して断ったつもりだ。だけど断ったことになってない。
国交がないのに、どういうわけか皇太子が自らお忍びで日本に来て私に会う? うっそー、だった。うれしいも何も単にうっそーと思うだけ。
光栄? いーえ、迷惑です。
どうして私なの、からかっているの?
わざわざ日本に来なくとも、裕福な国の皇太子さまなら別に庶民の私でなくともいろんな国の王女様と会えるじゃないの、はっきりいってよりどりみどりじゃないの。私たちの対してそんなことをしなくとも、ああ、もしかしたら皇太子ってかなりの変人?
ならば今まで独身だったのも納得だわ、やっぱり変人かもね?
私たちに今度は白い軽自動車が迎えに来た。カムフラージュのつもりか汚れた車だった。そんな車で帝国ホテルに連れていかれそのまままっすぐ最上階のインペリアルスイートルームとやらに入室した。もちろん部屋まで田中さんや鈴木さんがついてきた。
ドアマンが恭しく私達に部屋の説明をしてくれた。私たちが手ぶらでやってきたので、不審がられるかとも思ったが、別に何も言わなかった。親子二人とよくわからない男性が二人、合計四人でスイートルームをとったのだ。普通ならどういうグループですか、という話になるだろうと思うけど、ボーイさんは終始、笑顔でいるだけで何も言わない。最後にボーイさんは「何かご質問はありませんか」と聞いたが私は首をふるだけだった。田中さんと鈴木さんが来客があればまず室内の電話で連絡するようにと言いつけていた。お父さんは何をしているのかと見ると窓の方へ行って「おっこりゃ、いい景色だなあー」と感心している。
ドアマンが去ると田中さんと鈴木さんがドアに鍵をかけた。
「もう少ししたら大山が来ます……」
お父さんが窓から離れて今度はソファに埋もれて半分だけ横になっている。座り心地がいいみたいでぼよんぼよんと軽くはねている。お父さんたらヘンなことをしないでほしいと思った。娘として恥ずかしいではないか。もっと頼りがいのある様子を見せてほしいのにがっくりしてしまう。それでもお父さんは鈴木さんに聞いてくれた。
「えーと例の皇太子さんとやらはいつお見えに?」
「私たちはそこまで話を聞かせてもらってないのです。とにかく爆雪めぐみさんと保護者様には今後失礼のないようにと言われました、何かお気づきの点がありましたらご遠慮なくお申し付けください」
私はそこで気付いたが、帝国ホテルの話が出てから田中さんと鈴木さんの態度が変わったのだ。はじめは私を無視してお父さんとばかり話していた。二人はその時点では事態を重くみてなかったのだ。
頭が単純にできている私の頭でもわかった。二人は今まで目立たたなかった私に遠慮している。ということは相手は本当の本物のメイデイドゥイフの皇太子なのだ。そして本当に遠い日本にまでやってきて私に面会を申し出ているのだ。
お父さんが私を見た。
「私はまだ冗談だろって思っているけど、相手がこっちまでやってくるならまた昨日の朝と同じことを言えばいいのだ。お断りしますってな」
「お父さんちゃんと言える?」
「うん、多分ね、外務省の人もいるし大丈夫だろ」
田中さんが遠慮がちに言った。
「あの、もしかして実際に会って二人が意気投合したら……とてもおめでたいことだと思うのですが最初から断るつもりではなくってどんな人か見極めてからということにされてはいかがでしょうか」
鈴木さんも言った。
「そうですよ、あまりにももったいないですよ。あちらの国の状態は不明ながらも王朝の絶対権力の強さは漏れ聞きます。ということはその王朝というか王室に我が日本で生まれ育った日本人の少女が嫁ぐ……これは女優からモナコ公国の皇太子となったグレースケリーをしのぐシンデレラストーリーではないでしょうか、爆雪さん……」
お父さんはそんな大それたことを言われてものんきに言い返す。
「えーと、うちの娘はグレースケリーじゃありません……まあ、本人同士のことですから、こればっかりはどうなるやらわかりません。とりあえず使節が帰国して本人がすぐに会ってみようとなったのは驚きですが」
私は皇太子がやってくるときいてどきどきしてきた。外国人ではなくてそこらの四十歳のおっさんだったら私は確実に断っているだが相手は外国の権力者の後継者である皇太子、おっさんな年だけど写真では立派な軍服をきて重たそうなサーベルを下げてびかびかの勲章をいくつもぶら下げていた皇太子。
本人同士のことといわれても無理。
会うぐらいならいいだろう、けど私には無理。
会いたくない、そんな面倒そうな外国のおっさん……無理よ無理。
いきなり壁にとりつけられていた電話が鳴った。田中さんがすぐに受話器をあげ、一言わかりましたというと鈴木さんに合図した。同時にドアのチャイムが鳴った。
鈴木さんが大股でドアの方へ行った。田中さんが上司の大山がきますというと鈴木さんが「もう来たよ」と一言。この二人はものすごく息の合うペアだ。鈴木さんはおもむろにドアを開けた。
入ってきた大山さんは大きなマスクをしていた。マスコミ対策なのだろうか?
さきほどの記者会見で見たのと同じスーツを着ている。この部屋に入室するのは慣れているようでホテルのボーイさんもついてこなかった。
大山さんはマスクをはずしてスーツの内ポケットに入れた。大山さんもお父さんと同様長袖のスーツなのだ。男の人ってどうして夏でもスーツなのだろうか。クールビズとかよく言われているのにどうしてなんだろうか。私は事態がよく呑み込めずそんなどうでもよいことを考えていた。
田中さんがお茶を用意している。私もした方がいいのだろうか。そんなこともちょっとだけ考えていたが大人の男の人、しかもお父さんと同じ年の男の人に手伝いましょうかともいいにくいなと、そんなことも考えていた。
要は私はメイデイドゥイフの皇太子も外務省もどんな人でも年上のおじさんたちの考えていることなんかわからないのだ。
お父さんはじめまわりの人にまかせるしかないのだ。私はただいるだけ、ここにいるだけなのだ。
大山さんはやはり暑かったのが上着を脱ぐと、ポケットから扇子を出して仰ぎながら私の前に座った。
「記者会見の席から直行してまいりました。会見途中に皇太子から会いたいと連絡がきたのですからねえ、驚きましたよ。これはマスコミには知られてはなりません。さて、お嬢さん、また会いましたね。大変なことになって一番驚いているのは貴女だと思いますが、大丈夫ですかね」
私は何が大丈夫なのだろうかと思いながらも大丈夫です、と返事した。大山さんはお父さんの方を見ながら身体は私の方に向けて話し続けた。
「いやあ、大人しい良いお嬢さんですね。例の発端とする動画は私も見ましたが、インタヴューにはきはきと答える優勝者のお嬢さんもいいが日本人的な謙遜というか控えめさ、優勝者のお友達に本当に心からおめでとうと恥ずかしがりながら真剣に答えるあの表情、いいですねー、すでにファンがついているのをめぐみさんはご存じですかね?」
「……いいえ」
私は多分お父さんよりもずっと年上のテレビにも出た大山さんという人は苦手だった。多分この人は定年前だろう。話があうわけない。お父さんが大山さんに話しかけた。
「大山さんでしたね、記者会見はお疲れ様でした。私と娘は別館のテレビでNHKで見ました。ところがこの話にはまだ続きがあったようで、皇太子に会うという段取りをぜひお聞かせ願いたいのですが」
大山さんは急に厳しい顔つきになって背筋をしゃんと伸ばした。さっきのでれっとしたしゃべり方とは別人みたいだ。この人は自衛隊でレイレイという使節に会った時も普通のおじさんだった。何の印象も残ってない。今朝見た記者会見では重々しくもったいぶっていかにもお役人という感じ。そしてこの帝国ホテルのスイートルームではまた厳しい顔つきになっている。同じ人なのにそれぞれ別人のような不思議な印象をもった。そうやって見ると大山さんは髪の毛はふさふさだがきっちり真ん中わけで珍しい髪型なのである。体型は普通だが昔映画で見たハンプテイダンプテイを思い出す。
そんな大山さんが厳しい顔つきでしゃべったことはもっと驚くべきことだった。




