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この人を見よ  作者: ふじたごうらこ
第三章・統治者への道
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第九話・囚人ロザチカの解放



 ザラストさんはまず筆子さんに話しかけた。メイディドゥイフ語だ。食事がおいしかったかどうか聞いているようだ。私も一念発起して話すことができたらと思うが、無理やり連れてこられたのでそこまでなじめなくともいいと思うのだ。

 筆子さんもまた、メイディドゥイフ語で出された食事をほめているようだ。私は徹底的な日本語専門使用者だが、そのぐらいなら雰囲気で私もわかる。

 ザラストさんは車いすを作動して筆子さんのすぐ近くまで寄った。筆子さんは立ったままでザラストさんを見下ろす形になったが、腰を落として手を差し出す。カーテシーという上流階級のお辞儀だろう。テレビで見たことがあるが、実際に見たのは初めてだ。優雅だと思った。

 ザラストさんは車いすをさらにすすめ、筆子さんの手を受け止め甲にキスをした。これもヨーロッパの上流階級のあいさつだ。こういうのが当たり前にできる人々を前にして気後れを感じる。いや、今はいい。私は私。でも、こんな私を筆子さんは助けにきてくれた。その前に坂手大臣の尽力がある。もっとさかのぼって理玖が私のメッセージを受け止めてくれたから。私が死んだと思われているのに、ダメもとでこうして来てくれた。レイレイは本当に信用していいのだろう。そして私は日本に帰れるだろうか。あの太后は死んで、私は子供は産んだ。私の役目は終わったはず。堂々と日本に帰りたい。


 アレ、何かが足らないと思っているとレイレイの姿が見えない。いつもいて当たり前なのに、ついさっきまでいたのにどうしたのだろう。ダミアンのイヤリングが妙に揺れている。目をこらすと耳の奥にイヤホンを入れている。前はそんなだったろうか。変な胸騒ぎがしてきた。

 ダミアンが急に顔をあげて、ヨハンに合図した。ヨハンは険悪な顔をしている。ダミアンが嫌いで命令されるのが不快なのか、それとも別の理由か。それでも、すぐに入口に向かいドアを開けた。

 グレイグフ皇太子の入室だ。なんとゾフィ皇太子妃も一緒だ。おなかが膨らんでいる。前よりも大きめのクッションを入れているようだ。以前の失態で殴られて失神していたが、それ以降も妊娠しているふりを続けているのか。となると……今はもう五月のはじめのはず。もうすぐ出産を発表されるはず。メイディドゥイフの国民や諸外国に、どこまで公表するのだろう。胸騒ぎがしてきた。どきどきする。グレンはもうとっくに私のお腹から出て別の部屋にいるはず。どうごまかすのだろう。それも太后の死後もなお秘密主義でなんとかやっていけるのか。なにせ国民すらこの人たちの顔をろくに知らないと言うから。


 ザラストさんは二人からの挨拶を受けるのもそこそこに車いすをドア側に向けた。グレイグフ皇太子夫妻も。やや緊張しているようだ。ということはまだこの部屋に誰かが来る。

 ワルモノヴィチ首相? 違う? 別の誰か? ああ、私は本当にこの国のことがわかってないままだ。

 この部屋にいる全員が日本人の私や筆子さんには目もくれない。筆子さんは怪訝な顔をしている。もちろん事情がまったくわかってない私も。これから何かが起こるのだろう。私がここにいても、いいのか。いや、いてもいい。だって私も関係者だから。筆子さんも。

 やがて、ドアが開いた。


 レイレイが先に入ってきた。見慣れた顔はほっとする。が、レイレイは誰かと一緒だ。誰だろう。私は目をこらす。女性……レイレイに腕を支えられながらつえをついている。クシの目はかろうじて入れてあるがバサバサのロングヘア、そして白と灰色の袋のような妙な服装。私は、あ、と声を出した。太后のパソコン画面の右下にいつも映されていた囚人だ。太后の説明は一切なかったし、私も聞くことはなかった。でも多分あの人。

 この囚人、太后が死んだので、牢獄から出されたのか。筆子さんは奇妙な声をあげた私を、怪訝そうに見るが、説明している時間はない。筆子さんも、すぐ前を見て穏やかな笑顔を見せた。どなた、とも聞かないのはさすがだ。

 最初にザラストさんが「ロザチカ」 と話しかけた。車いすを向ける。呼ばれた女性は杖に両手を重ね、力を入れて背を伸ばした。私の背丈ぐらいだったのが十センチほど伸びた。まわりを見回している。私にも目を止めたが無表情だった。でも目に光があった。口元が真一文字で深いしわがある。だがザラストさんよりは若い。おばあさんというにはかわいそうだが、おばあさん一歩手前のおばさんといった感じだろうか。

 どういう人だろう。でも私は目を凝らして耳の前にも小さな穴が開いているのがわかった。この人もおそらく王家の一人だ。

 レイレイの口元、ダミアンの目元、ヨハンの眉に少しずつ似ている。グレイグフにも。皆、少しずつ似ている。だから限られた権力者一族なのだ。でもこのロザチカと呼ばれた女性は太后から幽閉されていた。

 私が出産し太后が亡くなり、日本から筆子さんがきて……最後にこの人が出てきた。救出したのか、それとも無罪放免になったのかはわからない。誰の命令かもわからない。

 ロザチカさんはザラストさんの顔につばを吐いた。ザラストさんはよけるひまもなかった。黙ってヨハンが差し出したハンカチで顔をふいた。ロザチカは部屋の中を杖をついてゆっくりまわる。皆はその行動を眺める。

 彼女はこの部屋を良く知っていた。ベッドの奥にまっすぐに行く。太后のところだ……レイレイがついて行った。ダミアンもだ。入ったと思うと私たちから見えぬようカーテンが引かれた。だから中の様子はわからない。と、いきなりくぐもった音が聞こえた。

 バズッ……ズドッ、バズッ、

 銃声……? ヨハンがザラストさんをかばうように立った。ザラストさんやグレイグフ皇太子もだ。ゾフィ皇太子妃の顔色が悪い。

 奥にはエンバーミングされた太后の死体がある。もしかしたらロザチカさんは……私はさっとカーテンに近寄った。筆子さんがなにかを小さく叫んだが私はいうことを聞かない。銃はどこから出てきたのか。ロザチカさんはつえしか持っていなかった。ということは、レイレイかダミアンが渡した。

 カーテンを除こうとしたらロザチカさん、いやもうロザチカでいい。彼女が出てきた。片手には小さな銃がある。ろうそくのような足がちらりと見えた。太后のものだ。ばらばらにした? 見る勇気が出ない。そしてロザチカの無表情が怖い。

 ロザチカは杖を放り出し、太后のテーブルとその上のパソコンに寄りかかるように向き合う。レイレイにあごを向けた。レイレイがさっと立ってパソコンのスイッチにさわる。ダミアンは後ろに近寄り、ロザチカを支えている。誰も太后のベッドに銃声を放ったことは問題にしない。大問題だとは思うが違うのか。私は何が起こったのかわからぬまま、ぼうっと立つ。

 ロザチカは短銃を構えた。瞬間、数台あったパソコンは確実に壊れた。一番端のものがはじめて床に落ちた。デスクの上のパソコンは穴だらけになった。火花が飛び散ったがすぐに消えた。全滅だ。

 ロザチカは太后が愛用していた数台のパソコンのディスプレイもソファもテーブルも冷蔵庫もすべて引き金を引いた。銃弾がなくなると、なんとレイレイが新しいものを用意する。ザラストさんもヨハンも黙ってみていた。銃声は表のろう下まで聞こえているはずだが、静かだ。ロザチカの顔は青ざめ、深い口元のしわがよれている。彼女は太后に復讐をしているのだ。

 やがて銃を床に落とすと、銃はくるくると床を回り、私の足元まで来た。ロザチカは、今度はテーブルに寄りかかりながら冷蔵庫に向かった。穴が開いていたが冷蔵庫の取ってから開けて覗き込む。やはり彼女はこの部屋を熟知している。

 もしかして私の前に太后と一緒の部屋で暮らしていたのだろうか……ロザチカは中にあった例の缶ジュースを開けて飲む。美味しそうに飲んだ後はそばのダストシュートに入れた。その動作も手慣れていた。

 彼女はこれだけの国家の重鎮を前に、人前でも平気で飲み食いできる人なのか。彼女は何かで太后の機嫌を損じ、それで囚人になったのか。

 皆は押し黙っている。今度は壁向こうのクローゼットを開けた。太后のムームーみたいなドレスのほかに、その奥には儀式用の服がある。その中でも一番ふわふわしたドレスを引っ張り出した。着ようとしている。そのドレスは監禁後、初めて太后に面会した時に着せられたものだ。間違いない。私は一人で着ることに苦労した。太后にとっても

ロザチカにとっても特殊な思い入れのあるドレスなのだろう。

 しかしロザチカのドレスに対する扱いはやや乱暴だ。ドレスの中のチュールレースが押し出されている。ドレス全体に刺繍されている金糸や銀糸がここまで反射されてまぶしいぐらいだ。

 ロザチカは囚人服を脱いでそれを着ようとした。部屋には男性もいるのに。隠そうともしないで堂々とした態度だ。私はさっと近寄りレイレイと一緒に手伝おうとした。ロザチカは鋭い目で私を見る。

 私はとっさに日本語で「このドレス、私も着たことがあるの」 と言った。レイレイが何かいうと、ロザチカは軽く頷いた。それから部屋の鏡を向いてじっとした。鏡越しに無表情に私を眺めている。私はあいまいな笑いをした。どういう表情をしていいかわからぬが、とりあえず着付けを手伝おう。

 それが正解だったようだ。ロザチカは私が近づいても、拒否はしない。重たいレースのドレスを持ち上げてぎこちない笑いを鏡越しにする。とかく私に悪意がないことをわかってもらいたかった。後から思えばそれも正解だった。

 私はレイレイとダミアンと三人がかりで着つける。ロザチカはじっとしながらも、鏡越しに順番に室内の人々を観察している。言葉は出さずに。

 それにしても、やせすぎて痛々しい身体だ。傷はない。レイレイの手がちょっとだけ触れた。私はその熱さにびっくりする。でもレイレイの眼差しが優しい。ダミアンもだ。

 やがてレイレイが付属の布張りの箱を持ち、ダミアンがイヤリングやティアラをつけるのを手伝う。まるでこれから戴冠式を挙行するかのように着飾っていく。なんということだろう。グレイグフ皇太子とゾフィ、筆子さんはまだ押し黙っている。ザラストさんとヨハンも。

 ああ、これから何がはじまるのだろう。


 ロザチカは今度はバーが取り付けられた鏡で己の姿を見る。ドレスの裾をつまんで哀し気に首を振った。年をとりすぎて似合っていない。でもこのドレスには何らかの価値があるのだろう。

 ロザチカもこの部屋に来たと思ったら最初に太后の遺体を撃ち、次にパソコンを壊し次にドレスを着た。その行動に迷いはない。

 ロザチカは厳しい目線で己の姿を眺めていた。杖は放り出している。杖なしで歩けるのかと思ったら両手でバーを握って、引っ張っている。レイレイにこれは何かと聞いているようだ。

 レイレイが説明している。その時に二人とも私の方を振り返った。そう、そのバーと鏡は私のために取り付けられたものだ。バレエストレッチをするために。レイレイの話し言葉の中で「めぐみ」 という名前が入った。ロザチカが「め、ぐ、み」 と繰り返した。

 ロザチカが鏡の方に向き、両手でバーを握ったまま「めぐみ」 と叫ぶ。私は思わず「「ハイ」 と返事した。それから再度近寄る。鏡の中の私に向かって「めぐみ」 とまた呼びかけた。私はロザチカにもっと近寄り、隣に並び、鏡越しに両手でバーを持って「はい」 と返す。自然と足がバレエで言う二番になった。足のつま先が両方とも外側に向いているポーズだ。これはバレエでしかないポーズだ。ロザチカの厳しい目線がやや和らいだ。

 私はそのまま、つまりネグリジェのままで姿勢をただし、空気を鼻から吸って口から出す。それからゆっくりと小さくプリエをした。ドゥミプリエだ。それを二回繰り返しその後、グランプリエをする。下に上半身を沈めたまま、私は鏡越しにローザチカを見上げ微笑む。私には彼女しか見えていない。まるで太后と二人きりの生活に戻った不思議な感覚だ。

「めぐみ」 

 ロザチカも息を整え、小さくプリエをした。膝の方でバキンという大きな音がした。とたんに彼女は顔をしかめる。痛いのか、心配する間もなく、もう一度ドゥミプリエをすると、こんどは同じくグランプリをした。上半身を沈めたままの姿勢で私と並んだ。鏡越しで微笑んだ。やった、笑ってくれた。

「むにゃんごむにゃんごむうにゃやにゃ……」

 ああ。ダメ、私にはメイディドゥイフ語はわからぬ。レイレイが何か言っている。私は立ち上がる。同時にローザチカも立ち上がった。車いすを操作してザラストさんが近寄ってきた。

「ロザチカ、あんとかなんとか」

 やがて二人は激しく応酬した。ロザチカがザラストさんを責めている。同時にヨハンがレイレイとダミアンに向かい合う。レイレイはナイフを出していた。筆子さんとグレイグフ皇太子、ゾフィ皇太子妃は動かない。私は叫ぶ。

「レイレイ、どういうことなの」

「SAIGEN]

 な、なによ、SAIGENって、ちゃんと日本語で答えなさいよ……と言った時にサイゲン イコール 「再現」 だと気づく。これは何かの再現なのか。銃で死体を撃ってお姫様ドレスを着て、いやいや……まさか。太后の顔を思い出した。再現……これもか。まさかね。

 



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