表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この人を見よ  作者: ふじたごうらこ
第三章・統治者への道
106/116

第六話、筆子さん再び


 また数日頭がぼんやりして寝たり起きたりの日々だった。いい加減、日本に帰りたいと思いつつ私は生きている。でも精神的に死んでいる状態だと思う。

 はっきりと目覚めたのは、今朝だ。

 ベッドわきに誰かいる。レイレイでもダミアンでもヨハンでもない。まず足元のローヒールを見て女性だと思った。青色をした牛革のバンプス。細い足首、そろえられた膝。すぐに西洋人ではないとわかった。骨格が日本人だ。私の身体は硬直したまま、視線だけがゆっくり上を行く。

 左右の手の甲を交差させてひざのうえに置かれている。しみもしわもないきれいな手。真珠の指輪が右手の中指にある。きれいにそろったボタン。首には真珠のネックレス、大きな粒だ。次に形の整ったあご、そして口元。開いてきれいな歯並びが見えた。

「爆雪めぐみさん、大変ごぶさたしております。わたくし、春美野筆子でございます」

 その声。どこかで聞いた。しかも、日本語だ……え、日本語。うそっ!

 私はがばと起き上がった。とたんにめまいがして、ベッドの上でふらつく。ふわとラベンダーの香りが淡くした。

「大丈夫ですか、めぐみさん」

 柔らかい身体、柔らかい言葉、ここにきて初めて話す女性、しかも日本語、しかも会ったことのある人、ああ、ああ……私は顔を見上げた。信じられない。間違いなく春美野筆子さんだ!

 お妃教育で出会った女性。高貴なお育ちにもかかわらず、降嫁されて海外に住まわれていた人。メイディドゥイフ語が話せるということで、お妃教育にも立ち合い、本来の結婚式ではつきそってくれるはずだった。

 しかし、例の計算されつくした陰謀で私は死んだことになった。結婚の予定も何もかもつぶれた。私がまだ生きているはずだと主張するのは父親と元自衛隊員の棚下さんだけだ。

 私は筆子さんの祖父の袋小路先生の温厚な顔を思い出した。私が苦手だった古文の教授だった。が、とてもいい人だった。筆子さんを紹介してくださった。あの時はお父さんも一緒だった。先生は亡くなられたが、出来の悪い最後の弟子……私のことをとても心配してくれた。

 坂手大臣の立場、レイレイの立場、通訳の池津さんの立場……それぞれの利害があってばらばらの状態で私に向かってきた。どうしようもなく、私はうろたえるだけだった。

 理玖もあの時はまだ日本にいて皇太子妃を交替しようかという話までした……でもこの結果がこれだ。

 あれからどのぐらいの月日がたったのか。私は夢ではないかと筆子さんをじっと見る。手をがしっかりとつかんで離れないようにした。筆子さんは優しい笑顔で私をのぞきこむように見る。

「気がついたみたいでよかった。あの、私のことを覚えてくださっているかしら」

 私は叫んだ。筆子さんの肩をつかみ思い切りゆする。日本語できちんと会話できるということはなんという快感か。

「もちろんです。もちろん、覚えています。春美野筆子さんでしょっ、やっと来てくれたのね。このメイディドゥイフに! 私がまだ生きていることにやっとやっとやっと気づいてくれたのね」

 私はわあわあ泣き出した。声をあげて思い切り泣いた。筆子さんの背中に手をまわして泣きじゃくる。私にされた惨い仕打ちは絶対に後悔させてやるのだから。

 筆子さんは私の肩に手をまわし撫でてくれた。そして耳元で囁く。

「お話はこれからいくらでもできるからどうか落ち着いてくださいね」

 筆子さんは私の頭を優しくなでると、振り返った。いつの間にかレイレイとダミアンがこちらを見ている。筆子さんがメイディドゥイフ語で何か話すと肩をすくめて出て行った。広い部屋は二人きりになった。私はまだ体の震えが止まらない。一体何が起きたのかまだ理解できない。

 でも筆子さんが来てくれた。日本から来てくれた。そして日本語で話ができるようになった。何かが起きたのだ。何が起きようとも平気。もう帰国もできないかと思っていたのにこれで帰れる。

 もう筆子さんから絶対に離れるまい。決して。

「うっ、ぇ~ん……」

 筆子さんはベッドに座り、いつまでも私をあやしてくれた。そしてこの部屋に来た経緯を話してくれた。


」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」


 私が生きてメイディドゥイフにいるのではないかという推測をたてたのは理玖だという。例のグレイグフ皇太子の結婚式の式典で理玖はバレエを踊った。私もマジックミラー製の貴賓室の中でまだ生きていた太后と一緒に鑑賞した。例の古い小さな国旗は部屋の中央の壁に掲示されていたが、理玖が私のサインに気づいたのだ。しかも踊りながら。

 私が式典直前に太后がお手洗いにいる間に大急ぎで刺繍したサインだ。めぐみのうち、「メグ」 としか刺繍できなかったアレ。理玖は気のせいかもしれぬと思いつつも同じく出席者であった坂手大臣に伝えたという。大臣ももちろん半信半疑だ。しかし死体が見つからなかったことと爆発物に不審な点がいくつもあり、もしやと疑念を持ったという。筆子さんはこういう。

「通常ならば見間違いだろうというでしょうね。でも、坂手大臣は違います。あの人は元々政治家ではなく貿易商です。しかも他国の政治動乱に巻き込まれて投獄の経験もあるし波乱万丈の人生を送られています。だから理玖さんのいうことも真面目に聞いたのでしょう」

「……」

「それで話をいきなり変えますけど、聞いてくださるとうれしいわ。めぐみさん、私ね、夫を亡くしたの」

「あっ、筆子さん……ご主人の春美野さんのことですね、お気の毒に……それなのに、すみません、大変な時に」

 私がそういうと筆子さんは、くすくすと笑う。どうしてだろう。

「めぐみさん。あなたはいい人ね。あなたのそういうところが殺されずにすんだのでしょうね」

「どういうことですか」

「……めぐみさんが死んだことになったので、グレイグフ皇太子は親戚だというゾフィー姫と結婚されました。でも結婚式でも太后は顔を出さない。坂手大臣やあなたの友人の理玖さんを呼んだのは日本という国に対するパフォーマンスでしょう。メイディドゥイフも結婚式の様子こそ全世界に画像一枚だけの報道を許可しましたが、また鎖国に戻りました。

 ゾフィー皇太子妃の妊娠発表もニュースでは伝わらない……そこで坂手大臣は私に頼んできたのです。メイディドゥイフは鎖国とはいえ、輸出入はある程度の自由がきく江戸時代の長崎港のような場所が数か所ありますのでね、私なら大丈夫だろうと」

「依頼があったとき、夫は体調を崩していました。メイディドゥイフの港で倒れてそのまま亡くなりました。この国は鎖国であり、私たちは外国人ですので煩雑な手続きなどは必要でした。私はレイレイさんに連絡を取り、一段落ついたので宮殿に呼んでいただいたのです」

「よく連絡が取れたのですね。それではレイレイが……」

 筆子さんは目を閉じた。

「ええ、でもあなたが無事だとは、しかも健康体でいるとは思いませんでした。というより私もあなたが死んだと思っていましたから」

「私が生きていることはレイレイから聞いたのね」

 筆子さんはその質問に目を開け、きらっと光らせた。笑顔はそのままなので凄味が出た。

「いいえ。私が聞きだしたのです」

「あ、あの……」

「これは日本並びに日本人に対する冒とくです。もちろんめぐみさんに対する人権も無視したというものです。万死に値します。メイディドゥイフ政府はいつ日本と戦争になっても仕方がないことをしました」

「あの……そ、それではあの、私が……子供を産んだのも」

 筆子さんは真顔になった。

「もう出産されたのね? で、どなたの子なの? やはりグレイグフ皇太子の子なの」

「違います。スタブロギナ・プラスコヴィヤ太后の子です」

「……どういうことかしら。あなたが太后、つまり女性の子を産んだの?」

「正確に言うととメイディドゥイフ王国の創始者グレン将軍、つまり太后のお父様の子を産まされました。私の子宮に太后の卵子、受精卵を植えられたのです」

「……グレン将軍、とっくの昔に亡くなられた人ね。この国の創始者。でも、まだ意味がわかりませんわ」

「私にもわかりません。高度な遺伝子操作らしいです。メイディドゥイフの最先端医療技術は世界一らしいですね。スタブロギナ・プラスコヴィヤ太后は妊娠ができる血縁者をさがして、私の母の居場所をつきとめたのです。理玖が流したバレエコンクールの表彰式で、脇役に過ぎなかった私の画像のワンシーンで」

「……」

 私の目から驚くほど熱い涙が湧き出た。

「死後もなお、独裁政治を続けるようとするあの太后に……私は、大切な日常と人生を奪われました。到底許せないことです」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ