第四話、ヨハンからのプレゼント
どのぐらい寝たのか、私が起きると誰かがベッド横にいる。ぎょっとして跳び起きた。大柄の男性で片目で顔が傷だらけ。ヨハンだった。一体どうやって私の部屋まで入り込めたのか。太后が亡くなるとすべての規則が緩んでしまうのだろうか。太后が存命中の時は、ザラストさんでさえも部屋には来なかったのに。
太后がこの国の専制君主として君臨していたのに。この私とて常時太后と一緒にいるのに、ザラストさんやヨハンとあってしゃべることは命がけだった。レイレイの手引きがなかったら、産後の体面が初ということになる。
太后が死んだ今はもうよいのだろうか。私は怒るべきだろうか。とにかくびっくりしているとヨハンがポケットから何やら銀色の包みを出して私に食べろという。
一体に太后が死んだとたん、誰がきてもよいことになっているのか、この部屋は!
憮然としているとヨハンが銀紙の包みを開けた。チョコレートだ。パキンと音をさせて二つに割ると一つは自分でほおばり、もう一つは私の口元にもっていく。私は初対面でこのヨハンにキスをされてレイレイに殴られたことを思い出した。そうだった、彼はいつも強引なのだ。いや、強引なのはレイレイもダミアンも、そしてこのヨハンもだ。
私はむかついて、顔を横にふった。ヨハンは「いいから食べなさい」 という仕草をする。私は口をも一文字にして再度首を振った。ヨハンはがっかりした顔でポケットに手をつっこむ。喜怒哀楽がレイレイよりもわかりやすい。
「メグミ……」
「ヨハン。さっさとここから出なさいよ、失礼でしょ。すぐにダミアンとレイレイが来るわよ。いつでも見張られているのだから」
日本語で言ったが通じない。ヨハンはダミアンとレイレイ、という単語を出されても反応しない。醜い傷をひきつらせながらも笑顔を見せる。その青い目は太后を思い出させる。まさか、ヨハンも血縁者? まさかね。
私は首を振って立ち上がった。ヨハンが出入りできるぐらいならば、私がこの部屋を出たらいい。鏡の間にでも行って、レイレイに命じて鏡を普通の窓にしてメイディドウイフの国でも眺めてみよう。そして今後どうしたらよいか考えよう。
それにちょっと怖くもなる。今までは私はいつでも太后と一緒だったので遠慮もあったのかもしれぬが、ダミアンもレイレイの態度もなれなれしい方に変わったし、こうして今まで立ち入り禁止だったヨハンまでなれなれしくチョコレートを食べろとベッドまで来るなんて思わなかった。とにかくいろいろなことがありすぎるし、レイプもされるかもしれないとまで思う。
私は誰か一人女性の執事でもいれば、と思った。そもそも太后を除いて誰一人メイディドウイフの女性とは会ってない。同性は太后しか知らない。これも一種の人権無視ではないか。
ベッドから降りてカーテンを引くと、あっと思った。部屋が花で埋め尽くされている。バラとダリアの花でここだけ庭園にいるようになっている。振り返るとヨハンはどう? というように自分の親指でもってヨハン自身を指差す。
「ぼくがやったんだい、ほめて?」 ……ですか?
私はむすっとしたが、ヨハンにもこんな実力があるのかと驚く。いや、ヨハンのバックにはザラストさんがいたはず。ならば部屋を花で飾り立てたのはザラストさんかもしれない。
「ザラストさんはどこにいるの?」
ヨハンはザラストの言葉を聞いてさらに笑顔を出してきた。でもそれ以外の言葉は出さなかった。私がヨハンの反応というか返事を待っていても笑顔でいるだけ。
なんと奇妙なことだろう。私は部屋の入り口に近い大きなパソコンの画面の前のソファに行く。そして座った。太后がいつも座っていた場所だ。
「オウ」
いきなりヨハンが奇妙な声をあげた。私が座るとおかしいのか? でも咎めるというより驚いたという感じか。太后が生きているときは、座るとパソコンには自動的にスイッチが入っていた。しかし亡くなった今、私がそのソファに座っても、黒い画面のままだった。もう亡くなっているから仕方がないのか。私が立ち上がろうとすると、ヨハンが「ちょっと待って」 という仕草をした。
そしてこんなに時間がたっているのにレイレイもダミアンも誰も来ないというのは奇妙だ。もしかしたらヨハンはあの二人に何かをしたのだろうか、それともザラストさんが何かを……独裁者である太后の唯一の弟だといっていたらしいから彼が一時的な後継者になったのだろうか。そうしたら今まで太后つきであったレイレイとダミアンが私に近づけないようになったのかもしれない。私は不安になってきた。
ヨハンは執事服を着ていてもどこか着崩れしている。ノックの音がしたので思わず飛び上がってしまった。レイレイだった。いつもの通りに食事を運んできたのだ。見慣れた顔を見て私はまた安心する。
「ああ、レイレイ」
「めぐみ様、ご昼食です」
「ああ、うん……」
「日本食でいいですか? 焼き魚ですが」
「日本食? ああ、例のユタカハラさん? なの」
「まあそうです」
その会話をしている間にヨハンは部屋のすみにいった。レイレイへのあいさつも何もなし。一方レイレイもヨハンには目線も言葉もかけなかった。私はヨハンを目で追ったが、レイレイはヨハンが最初からいないようにふるまった。また不思議なことだ。レイレイとヨハンとは顔見知りのはずなのに。再度振り返るとヨハンはコンピュータの下をいじっていた。レイレイはこれにもとがめない。一体どういうことか。
メニューはごはん、お味噌汁、焼き魚だけだった。その焼き魚も赤と黄色の文様のある魚で日本ではみかけない種類だ。豆腐とかなし。お味噌汁はお湯でといただけだ。これも波羅さんが造ったものだろうか。帝国ホテルではフランス料理をふるまってくれたが、日本食としては少し粗末ではないだろうか。私に台所をまかせてくれたらまだマシな料理が作れるかも。いや、ここは日本ではない。スーパーがないかもしれない。材料が入手できないのかもしれない。日本とは国交がないので、いくら腕がよくても日本食はできないのかも。
私はご飯をほおばりながらレイレイに聞いた。
「ねえ、あの人の葬式はしないのね?」
「太后様はお眠りになっておられるだけです」
「お眠り、か」
レイレイは小さな声でつぶやく。
「六月に国葬です。防腐処置は済んでいますから大丈夫です」
「ぼ、防腐処置っ」
それであの棺か。私はそこまで考えてぞっとした。やはり私は隣同士で太后の死体と寝るのか。六月まで数か月ある。ちょっとこれってあんまりではないか。でも私の感覚も一部麻痺しているのだろう。もう拉致されて半年もたっているのだ。その間に私は六か月で出産した。その出産だって自覚がないのである。ジョークであればどんなにいいか。私は下腹部の痛みをまた感じてため息をついた。食欲も失せた。
ヨハンが「ドウゾ」 といっていきた。レイレイと私が日本語で話しているのがおもしろくないようだった。
みれば太后が使っていたパソコンがたちああっている。ヨハンが設定したか。使えというジェスチャーをする。私はおはしを置いた。
「太后の使っていたものを、私も使っていいのか」
画面を見ると、なんと言語がジャパニーズになっている。私は立ち上がってパソコンのキーボードにさわった。レイレイがヨハンに何かをいっている。文句? だろうか。語気が荒かった。ヨハンも負けずに返している。
するとノックの音もせず、ダミアンもやってきた。ヨハン対レイレイとダミアン組だ。私にパソコンをさわらせていいのかを協議しているのか。どうでもいい。
「めぐみ様」
レイレイが話しかけてきて私は即座に「うるさい」 と叫んだ。画面はグーグル検索になった。メイディドウイフでもグーグルがある。メイディドウイフ語はロシア文字に似ていて私には皆目読めなかったのだが、これは違う。ヨハンが気をきかせて日本語モードにしてくれたのだ。
私は気を落ち着けてゆっくりと自分の名前を画像に入れていく。ローマ字で日本語に変換できるか……M、E、G,U,M,I……いやだ、めぐみに切り替えられない。それでもパソコンに文字うちができるのがうれしい。
私はそのままローマ字を打ち込む。
MEGUMI,BAKUSETU……
日本語になるか……ならない……後ろを振り向くとヨハンが私の顔すぐそばに頬をよせている。通常なら飛び跳ねて嫌がるところだが、不思議と嫌ではなかった。
「ヨハン」
彼は私が何をしたいかがわかっていた。ダミアンが何かをいいかけているがレイレイが押しとどめている。私はそれを横目で見ながらヨハンが何かを操作しているのを息をつめてみた。
出た……パソコンの上部に「爆雪めぐみ」 の文字が。
「オウケイ?」
ヨハンが確認を求めてきたが、私は黙ってマウスをヨハンの手からもぎ取る。ヨハンの手は大きく温かかった。でもそれは後で感じたことだ。
爆雪めぐみ。
日本語での私の名前をしみじみと眺める。良い名前だと思う。私はマウスをさらに強く握った。
これが私の名前……爆雪めぐみ……エゴサ、つまりエゴサーチ開始……
行くぞ、めぐみ。