第二話、いつのまにか母となって・後編
やがてダミアンが日本語で話しかけてきた。レイレイに習っていたのだろうか。ダミアンもまた私が妊娠してから少しずつ態度が変わった人間だが、今や完全に私の部下になったような恭しさだ。
「メグミ、サマ、ドウカ、アンシン、シテ、クダ、サイ」
レイレイと比べて日本語はまだまだだ、しかし短期間でこれはすごいのではないだろうか。私はしばらく無言でいた。バカな頭なりに私も考えたのだ。それからダミアンとレイレイに向かって頷いた。
そしてはっきりとした声で「あかちゃんを見せてくれ」 といった。当然の権利だと思う。
ダミアンは頷いた。私はここで二人の態度がまるっきり変わったことに驚く。ダミアンは、私とレイレイがひそかに婚約したことを知っていればどうなるのだろうか。レイレイに対してはこれっぽちも愛情もないけれど。そんなことを思った。
ダミアンがレイレイに何かを言った。するとレイレイは私に拝礼をもう一度してから部屋を去った。するとレイレイが去るなり、私のベッドの横にダミアンが座った。ダミアンはレイレイよりもさらに大柄でベッドの横がずしっとより深く沈んだ。横たわったままの私の足元がより深く沈む、ダミアンは片手で私の前で己の髪をかき上げた。すると耳の前の大きなイヤリング、たぶんそれは琥珀とダイヤを細密に組み合わせたものだろう。銀枠に囲まれ男性らしい装飾だ。
次にダミアンは白衣のポケットに手をやり、小さな鏡を私に渡す。私はどきどきしてきた。再び顔に何かがあたった。下腹部に意識を集中していたけれど、目覚めて最初に感じた感覚、まさか……。
ダミアンは親しげに私の髪に手をやった。私はダミアンの手をよけ、ミラーをかざす。ダミアンは眉をひそめたが、ベッドからどかない。長い髪、端正な顔立ち、濃い眉毛。そしてダミアンは医師、レイレイの上司で……太后の主治医で……。
まさか……。
私は震える手で己の手で髪をかき上げて、耳を見た。
そこには小さな耳飾りがついていた。耳の前の小さな点を細工してピアスのような飾りがついてきらりと光った。
「ちょっと……これは……なによ……」
私はよく目をこらす。ダミアンが私の顔を注視しているのも構わず私は鏡に目を近づけた。そこで最初にダミアンが己のイヤリングを先に見せた理由がわかった。ダミアンは垂れた感じのイヤリングだが、私のとデザインが似ている。私のはピアス式で一点止めだが、琥珀に銀が囲んでいるようなデザインなのだ。もしかしてこれはダミアンのデザイン? いや、太后の好みだろうか。太后もまた毎日のようにアクセサリーをとっかえひっかえしているのも思い出す。
宝石だけはたくさん持っていた。それで葬式なしで国民には生きていると見せかける? 死んだことも実感はないし、私はメイディドウイフの国民とも接触はないので、それも実感はない。でも死んでからも、徹底的にわがままな婆さんだと思う。
ダミアンは「メグミ?」 と声をかけた。
「メグミ、サマ、ドウ、デスカ?」
あらまあ、たぶんダミアンは毎日、日本語のお勉強をしているのね。でも……てか、バーカ。今更遅いんだよ。私は悪態をつかないで心の中で罵る。妊娠して出産させて医師としての一仕事を終えたあとは、私の歓心を買うの? バーカ、私が欲しいのは宝石でもなんでもなく、帰国。元の人生に帰して。赤ちゃんどうなるの。そういうこと。それがわからないのは本当にバーカ。
ノックの音がして、レイレイが入ってきた。白いレースに囲まれたワゴンをひいている。私は何もかも忘れた。お腹の痛みも忘れて身を起こして立ち上がる。ダミアンが先に立ち上がって手助けをしようとしたが、手で追い払う。レイレイとダミアンを押しのけてワゴンの中のものを見ようとした。
やはり保育器だ。透明なケースの周りにはダリア生花がまたしても飾られ、その上にはメイディドウイフの赤と青の国旗がかぶせられている。レイレイが恭しく国旗をはずすと小さな人型が見えた。ダミアンとレイレイが私の両脇に立った。親子の初の対面だ。
私はダミアンの無礼や、耳の穴の前に強制ピアスをされていることも全部忘れて保育器に向かった。
中には小さな人間が動いている。小さい……小さすぎる……。でも小さな手と足は動いている。胸も小さく上下している。ちゃんと呼吸はしている。
こんな小さな身体に点滴と大きな呼吸器が施され、胸には大きな包帯が巻いてある。そして真っ白な布おむつ。誰がおむつをかえているのか。
レイレイが言った。
「めぐみ様、この方がグレン・メイディドウイフ様です。しかしまだ生まれてはおられず、グレイグフ皇太子妃であるゾフィ様のおなかの中にいることになっています。太后様とは無事ご対面をすまされています。しかし太后様はご覧いただいただけで、お抱きになれず眠られました。それでも無事ご誕生を聞かれて安心されて今もなおこの部屋で見守られています」
私はレイレイの言葉を半場夢うつつで聞きながら保育器に近寄った。
「私の赤ちゃん……グレン……この赤ちゃんの名前がグレン……」
下腹部の鈍い痛みが再開してきた。帝王切開の後だ。自分が生んだ実感はないものの、この小さな赤ちゃんを前にして、小さな感動があった。
「抱っこさせて」
レイレイが首を振った。
「まだ六か月の未熟児で誰も抱っこできません。でもいつかは」
私はいつのまにか泣いていた。この子は私の子供なのだ。
「グレン……この子は、かわいいわね。髪は私と一緒ね。黒色だわ。目の色はまだわからないのね。まだ目が明いてないもの。でも手も足もちゃんと人間の形をしているわ。指もちゃんとあるわ。こんなに小さな指なんて見たことがない。それでも私の赤ちゃんよね」
悲しい思いと怒りの感情を私を支配する。それよりもなお、私が赤ちゃんを産んだという感動がそれを上回るのだ。赤ちゃん、目立たぬ高校生だった私が赤ちゃんを産む……確かに私は子供を産んだのだ。私はグレンに目を注いだまま、つぶやく。
「それなのにこの子はあのゾフィが生んだことにされるのね? この子は私が生んだのに」
建国者のグレン・メイディドウイフの肖像画でも髪は黒だったが、私の息子には違いない。
やがてレイレイが保育器の上にまた国旗をかけて去ろうとするので私はとどめた。
「どこへ連れて行くの? このお部屋で育てましょう」
レイレイは困った顔をした。ダミアンが言った。
「メグミ、サマ。ダメ、デス」
私はダミアンをにらみつける。そしてレイレイに「私のいうことをなんでも聞くといったでしょう?」 という。
「いい? 私はこの国の皇位継承者を出産させられて光栄です、とかは絶対に思ってないからね? そこのところ、間違えないでよ」
私の語気の荒さにダミアンが何かをいいかけた。レイレイも眉をひそめた。二人が私をどう思おうがどうでもよい。また何か薬で眠らされても最悪殺されるようなことがあるかも、ちらとそういう思いがないでもないが、本当にどうでもよくなった。復讐心もあるにはあるが、それもどうでもよい。自暴自棄になっていた。やがてレイレイのレシーバーから声が聞こえた。レイレイははっとした顔をした。
「ザラスト様がめぐみ様のお目覚めを聞いて見舞いに来られます」
私もはっとした。レイレイに改めて険しい視線を向ける。にらみつけながら言った。
「ではこの赤ちゃんをもう少しおいておいてね」
「酸素吸入の時間があるので、あまり置けないのですが、少しぐらいならば」
「なによ、もったいぶっちゃって……生んだのは私よ」
母は強し、私がレイレイを最大限の強い視線でにらみつけると、レイレイはまた深く拝礼した。すでに立場は逆転しているのだ。生んだ実感はなくとも私は子供を確かに生んだ。
私は国旗をはずさせて顔を最大限に近づける。保育器の中の赤ちゃんをとっくりみる。やはり生んだという実感は、ない。しかし赤ちゃんはかわいい。小さな手足だが、しっかりと動かしている。目は閉じているので表情はわからない。自分に似てるかどうかもわからない。それに小さすぎる。無事育つのだろうか。私はまた溜息をつく。
「小さすぎる……かわいそうに」
「めぐみ様。ただいまの身長は三十センチ、体重は七百グラムでございます」
新生児は確か身長五十センチ前後、体重は三キロ前後のはずだ。本当に小さすぎる。無理やり受精して無理やり出産させられたものね。生まれながらにして統治するものね。遺伝子操作の結果、生まれた赤ちゃん。お母さんは借り腹なのよね。でも生んだのは確かに私なのよね。私が母親よね。
私はレイレイの言葉に反応せず、腰をかがめて赤ちゃんの顔をみた。あかちゃんは目をつむったままだ。そして服を着ていず、大きすぎる布おむつだけをしていた。小さなあかちゃん……DNAの最先端医療技術をもってして、生まれてきた赤ちゃん。あなたのお父さんとお母さんの間には愛はない。私も無理やりに受精させられた。こうして生まれてきた赤ちゃんは一体どういう人生を歩むのだろうか。
日本の国家自体をあざむいてまでメイディドウイフの独裁者が望んだものがコレだ。しかしやっぱりかわいい。そしてこの子はグレン・メイディドウイフの生まれ変わりとしてメイディドウイフを統治するのだ。凄いことだ。そのかわり、私はおそらく一生涯日陰の身分になるだろう。
それは嫌だった。できるならばこの子を連れて日本に帰りたい。
赤ちゃんは目をとじたまま、両手を頬にあてている。本当にかわいい。ふと笑みをもらしたような気がした。私はこの子のお母さんだ。気持ちは確かに通じているだろう。メイディドウイフなんかどうでもいい。私は母になったのだ。この子を連れて帰ったらお父さんになんていおう……だって……孫だよ?
お父さんは腰を抜かすかもね。理玖はなんていうだろうか?
でも帰国したら嫁入り支度金として五億円はまだ大部分残っているだろう。バレエ衣装のスタジオでも作ろうかな、それとも高校に入りなおしてもいいかな。まずは赤ちゃんのための保育園探さなきゃね。そんなことを考えた。
私はそうするつもりだった。太后が己の死後も権力を守るためにしでかしたことがコレだ。しかし太后がなくなったのは限られた人数だけしか知らぬ。ならば、だからいまのうちならなんとかなるのではないか、そう思った。
やがて電動車いすのひそやかな回転する音が聞こえてきた。ザラストさんだ。
亡くなった太后の実の弟……らしい……でも私はそれが本当なのか、太后たちが元々何人兄弟だったかも知らない。私は彼らの家族構成ですら知らない。こういう状態で私は彼らの後継者たる子供を産んだのだ。私は拉致被害者だ。生まれてきたこの赤ちゃんも。私はくちびるをかみしめて振り返る。