第一話、いつのまにか母となって・前編
気が付くと私はベッドの上だった。身体全体に大きな違和感があった。おなかに手をやろうとした。それだけで下腹部に鈍い痛みを感じる。私はシーツの下になったまま、そっと両手でおなかに触った。おなかの中は空っぽだった。すぐにわかった。
「赤ちゃんがいない……?」
私は混乱したが声は出さなかった。横になったまま、視線を動かす。天蓋付きのベッドでレースのカーテンの色は変わっていた。しかし天蓋のデザインは同じだ。ということはベッドの移動はしていない。カーテンを指でそっと開いて上を見上げる。天窓はある、これもデザインに変化なし。部屋の移動もしていない。しかし何かが変わっている。
私はそっと起き上がった。下腹部に痛みが走ったが、起き上がることはできる。何か頬にあたるが気にしないようにした。私は下腹部をかばうようにして、ベッドから降りようとした。
すると横から「めぐみ様、おはようございます」 という声がした。レイレイだった。執事服を着ている。次いでダミアンもカーテンのすそから入ってきた。白衣を着ている。耳の前には小さな飾りがある。耳の上にはレシーバーのようなものがついている。
ダミアンが先に私のベッドわきにきた。そして腰をかがめた。
「オハ、ヨ、ゴザイ、マス」
え? ダミアンが日本語でおはようって言った?
私が怪訝な顔をしてダミアンの顔をじっと見たらダミアンは下を向いた。あれ? 様子がおかしい。どういうことだろう。私はダミアンのすぐ後ろにいるレイレイに話しかける。
「……赤ちゃんは?」
レイレイはうやうやしく拝礼した。
「ねえ、生まれたの? 私が寝ている間に……確か六か月だったよね?」
レイレイは笑顔を出した。
「はい……生まれています」
「どっちだったの……男の子、女の子……」
レイレイは深々とお辞儀をしたまま答える。
「……男の子でございます……」
私は胸にざわめくものを感じた。嬉しい……? 驚き……? いや、そのどちらでもない。何か大変なことになったという感情……言葉が詰まった。レイレイはお辞儀をしたままだ。レイレイもダミアンも出産を喜ぶということではなく、恭しく報告するという感じ……これが私の出産。
私は子供を産んだ。
私が子供を産んだ。
でも誰も知らない。
私が死んだことになっているから。
お父さんも知らない。
この国の国民も誰も知らないのに私はこの国の後継者を産んだ……
未来が読めない……
これからどうなるの、という思いが二倍になった。不安感が増している。私はどうなる。そして私の子どもはどうなる……子ども、強制的な妊娠の後の出産であって、私は子供を心配している!
うっ……
涙が出た。私が泣いている……私の出産はうれしいものではない。出産は通常は十か月の間、お腹の中に子供はいるはず。それなのにわずか六か月で出産させられたのだ。しかも眠っている間に。お産はイタイとはいうものの、それすら私には無関係な話だった。結婚もしていないのに、私は赤ちゃんを産んだ。こういう人生になるとは考えもしなかった。でも、赤ちゃんはどんな様子か。心配だ。これが母親になったということか。
私は言葉の詰まりを我慢してレイレイに聞く。
「……男の子、なのね……」
「が……未熟児なので保育器に入れています。太后は無事グレン様をご覧になられました」
太后と聞くなり、冷たい何か別の感情が湧き出た。
「無事グレン様をご覧になられました? 違うでしょ? 死んだ直後に、でしょ? 死んだあとに、でしょ? それがあなたたちの太后に対する崇拝の表現でしょ、私の意志や臨月まで待たずに無理やり出産させて」
レイレイは深くお辞儀をしたままだ。私の顔が見ることができないのか。緊急出産を告げられた時はすでに太后は亡くなっていた。それなのに、遺言かなにかで出産させられたのだ。あの人は死んでからもなお、私をひどい目にあわせるのだ。権力ってそういうことで力を使うのか。死後なお、私を翻弄するのか。一体私の人生をなんだと思っているのか。
死んでから赤ちゃんを見せられて満足できるものか。なんという強引で卑劣な命令だろうか。それをこの人たちは疑いもせずにいう通りのことをしてのける。彼らには人権という意識が欠落しているに違いない。
建国の父、グレン様とやら。その生まれ変わりを期待して私を拉致して出産させる。それが彼らの忠誠なのだ。それが太后の権力なのだ。なんてばかばかしい。きっと死後のこともあれこれ命令したに違いない。
……そして……グレン様……私の産んだ子供はグレン様。
私はレイレイにたずねた。
「いつまで太后が生きていることにするの?」
レイレイはより深くお辞儀をした。返答なし。
「もう一度聞くわ。あの人はいつまで生きていることにするの?」
「……」
「答えなさい」
レイレイはやっと口を開いた。ダミアンの様子を伺ったりはない。しかしうつむき加減でしぶしぶという形だ。
「太后様は、グレン様を無事ご覧になったあとは、ずっと眠れられています」
「それは死んだということにせず、眠れられている、ことにするの?」
「……」
「言いなさいよ」
レイレイは苦しそうだった。私はレイレイの顔が見れる。この表情は見たことがない。私はもう一度レイレイに声をかけた。
「何かいうべき話があるはずよ。話しなさい」
レイレイの声が絞られた。
「……めぐみ様。国民はまだこの事実を知りません。太后様がずっとお眠りであること、次期皇位継承者ご誕生があること……これらの発表はご遺言どおりグレン・メイディドウイフの建国日に周知される予定でございます」
遺言といったな。改めてそう聞いて、私の胸にもせまるものがあった。あの太后は本当に亡くなった。最後まで私の人生を翻弄したあの人。権力に固執した派手なおばあちゃん。最後の最後で望み通り、私に赤ちゃんを無理やり産ませてその赤ちゃんを見て満足して死んだ。死亡直後に。ここも笑うところ。あの人は、やっと死んだ。しかし私は日本に帰国できない。
私には赤ちゃんができた。眠っている間に拉致、眠っている間に妊娠、そしてまた眠っている間にグレン様という男の子を出産した。世界中の皆がこの事実を知らない。私はため息を押し出しながらレイレイに質問を続ける。
「発表……確か六月だったわね。私はその日のために計算ずくで日本から拉致されていたものね」
「……はい。仰せの通りです」
「私の存在は今も……そしてこれからも内緒なのでしょう?」
レイレイは少しだけ顔をあげた。そして笑顔を見せた。元のレイレイに戻った。この人の笑顔は変わらない。どうしてそんな笑顔を出せるのだろうか。太后も死んだというのに、どうしていつでもこんなにきれいな笑顔を出せるのだろうか。私は無表情だったと思う。無感動のまま上を見上げて質問を続ける。
「太后の葬式は坂手大臣も呼ぶの?」
「いえ、ご逝去はされていません。眠られているだけです」
「しつこいわね」
「めぐみ様、太后様は眠っておられるだけです。発表はグレン様のご誕生と一緒にします。グレイグフ皇太子が摂政となりグレン様、いえグレン様改め、グレン・メイディドウイフ様が統治されます。すべては太后様の思し召しです」
私は頭が悪いので混乱する。
「ちょっと待って。太后は亡くなっているけど、生きていることにする。そして死んだことを発表するのと同時にグレン・メイディドウイフ、これ、赤ちゃんの名前よね? 誕生と皇位継承を発表する。そして今までのグレイグフが皇太子だったけれど摂政となる。となるとゾフィと皇太子が生んだ設定は変わらないのね?」
「さようでございます。めぐみ様の仰せのとおりでございます」
「だってゾフィさんが最初から妊娠済みって世界中に告知したうえで結婚式をあげたじゃないの。この設定も太后が決めたものね。死んでからもいうとおりにするあなたたちってバカね」
レイレイが眉をあげた。ダミアンがレイレイに話しかけている。メイディドウイフ語で二人は長い会話をしていた。私は二人から目を放し両手でへこんだお腹をさする。まだ鈍い痛みを感じる。
赤ちゃんの顔はどんなのだろうか。名前はもう決められている。グレン・メイディドウイフ……太后が尊敬してやまない建国の父をそのまま名付けたのだ。人工的に妊娠させられ、眠っている間に受精そして出産した私。何もかも夢をみているようだ。