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鳥原紅夜の失われた記憶

 目覚めるとそこは、病室のようだった。


 白いカーテンに遮られ、ベット以外は何も無い空間。まるで隔離されているような気分である。漂う薬品臭も妙に不安を煽ってくるから、自分が異常事態に陥ってるのではないかと怖くなった。


 さて、ならば何故、俺はこんなところに居るのだろう。込み上げるこの不安は本当に妥当なものなのか? 取り越し苦労なら嬉しい限りだ。心当たりを探るため、少し、思い出してみよう。

 



 俺の名前は鳥原紅夜(とりはらこうや)。高校二年生だ。


Q・趣味はなんだったろう。

A・忘れた。 


Q・好きな食べ物と嫌いな食べ物は? 

A・知らね。


Q・好きな人は誰だろう。

A・昔、好き嫌いするなって誰かに言われたから、好き嫌いはしないようになった気がする。いや、よく思い出せないから、鵜呑みにはしないほうがいいな、この情報は。


Q・成績は? 

A・多分だけど中の上ぐらいだと思う。いや、上の上だったかもしれないが、自分が取ったテストの点数が浮かんでこないからはっきりとは言えない。


Q・昨日の晩ご飯は? 

A・覚えてない。というか、昨日なにをしてたかも解らない。


Q・今週、主に何をした。体を壊すようなこと、つまりは入院しなければならないような事はしたか? 

A・今週どころか昨日の事も思い出せないっつってんだろうが。




 …………おい、記憶がねぇぞ。


 冷や汗が垂れてきた。まずいんじゃないかこれ。結構やばいんじゃないか?


 落ち着け。寝起きだから訳がわからなくなっているだけかもしれない。とりあえず冷静になろう。まずは観察からだ。


 ここが病院なら、誰かしらが見舞いに来てくれているかもしれない。その見舞いの品をヒントに思い出す事があるかもしれない。


 俺は辺りを見回した。




 移動式テーブルの上にあるもの――いかがわしいイラスト付きのゲームソフト(本体は無し)。


 棚の上にある物――フライパンとパック入りの生肉(コンロは無し)。


 棚の中にあるもの――『哲郎に告白した卓也。その想いは届くのか!? 禁断のボーイズトライアングル・ラブストーリー』なる売り文句が背表紙に書かれた漫画本。




 ……こいつら、俺の心配してねぇだろ。


 もしかしたら同一人物なのかもしれない。いや、同一人物からの見舞い品だと考えたほうが利口だろう。こんな使用不可の見舞い品を置いていく連中が沢山居るとは思えない。


 頭を抱えた。なまじ常識や基礎知識なんかは覚えているため、それらと比較してしまう。そして比較してみると、この状況がいかに異常かを思い知らされる。


 記憶喪失はまだいい。とりあえずこれから、お医者さんに相談してみればいいのだ。問題は見舞いの品だ。生肉腐るぞ。賞味期限は大丈夫なのか? 見たところ豚肉のようだ。期限が危ないなら細かく切ってチャーハンとかに入れて、腐りかけの臭みとかを誤魔化して使わないといけない。なにせ冷蔵庫にすら入っていない状態なのだ。食べる時は気を遣わなければ。


 ……今、俺が気を遣うべきはそこじゃないだろ。


 とりあえず現状を把握しなければならない。だが、この狭すぎる空間ではそれも出来ない。情報がカオス過ぎる。


 となれば、病院ならばナースコールがあるはずだ。これで看護士さんを呼んで、自分に何があったかを聞いてみよう。


 ナースコールのボタンを求めて、体を起して枕元を見た。


 すると、ナースコールらしきボタンに黒いメモ用紙が提げられており、そこに赤い文字が。


『恋のキューピット召喚装置~今こそ、愛の契約を交わす時』


 やっべぇ、押したくねぇ……。


 なんだこれは、なんなんだこれは。ナースコールに変なリボン着いてるし。可愛いつもりなのか? 黒いメモ用紙に赤い文字、バラを模したのであろう青いリボン、この組み合わせでキューピットを語るのか? どう見ても悪魔だぞこれ。割と本気で、全国のキューピットに謝ってくれないだろうか。


 しかし今はなりふり構っていられない。俺はナースコールのスイッチを押した。


 瞬間、なだらかな音楽が部屋に流れ始めた。


 この曲は、結婚式の定番、ヨハン・バッヘルベルのカノンだ!


 ……待ってくれ、今は、愛の契約を交わしてる場合じゃないんだ……。


 しかしどうすればこの音楽が止まるかも解らず、執拗にスイッチを連打してみるが意味は無く、カノンはサビ部分へと突入する。それと同時に、ガラッ、と、どこか乱暴にカーテンが開け放たれた。


「呼んだか」


 現れたのは、白衣を纏った長身の女性だ。黒い長髪。鋭い目つき。凛とした輪郭と立ち振る舞い。加えタバコが威厳めいたものを醸し出している、そんな女性。推定年齢は二十五から後半のどこかにかけてだろう。


 俺はナーススイッチを片手に、固まった。


 誰だこの人。こう言っちゃなんだが、けっこうおっかない。


「おーうこらぁ、あたしとあんたの関係でそんな顔するこったねぇだろ。……ああいや、そうか、お前、あたしの事覚えてないのか」


 タバコの煙と同時に意味深な言葉を吐き出す女性。彼女はにやりと得意気に笑った。


「あたしの名前は郭畝海里(くるわせかいり)。見ての通り、恋のキューピットだ」


「えー……いや本物のキューピットを見た事は無いですが多分違うんじゃないかと」


 驚きすぎて逆にすらすらとツッコミが出た。恋のキューピットって言うんならせめてタバコはやめてほしい。怖いから。


「まぁ、話は最後まで聞け」


 言いながらベッドの横まで歩み寄る郭畝さん。常備してあるのか、棚の中に隠してあった灰皿に、タバコの先端に溜まった灰を落とした。


「あたしはちょっとした実験をいくつか行なってるのさ。んで、それに必要不可欠だったのが、あんたが今陥ってる状態」


 言われ、首を傾げる。俺が陥ってる状態? まさか、記憶喪失の事か!?


「あの、俺、どうして記憶を無くしてるんですか」


 聞くと、郭畝さんは愉快げに笑う。もしくは、嘲るような表情だったかもしれない。


「……あたしが記憶を奪ったからさ」


 一瞬、その言葉が理解出来なかった。だが、理解出来なかったのは一瞬で、すぐにその言葉の真意に辿り着く。


「一応聞きます。目的は……?」


 そもそも、人から意図的に記憶を奪う事など可能なのだろうか。しかし郭畝さんの服装からして、この人は医者か科学者だ。だとしたら、彼女が言っていた実験という単語。それは、つまり……。


「鳥原紅夜。あんたには脳神経を一時的に麻痺させる事で記憶を無くしてもらった。期限は五日間。五日経ったら、薬を使って強制的に麻痺を解く。後遺症は理論上は無い。麻痺が勝手に解けて、部分的に記憶が戻る事もあるかもしれない。そういうわけで、あんたが記憶をちゃんと取り戻せたら、あたしの実験は成功だ」


「ちょ、ちょっと待って下さい、そんな勝手なっ!」


 人の体でなんて事しやがる! と思い立ち上がろうとしたら、なにやら意味ありげな契約書を差し出された。


 鳥原紅夜の指名記入済み拇印(ぼいん)済みの誓約(せいやく)書だ。


「なにやってんの記憶失くす前の俺!?」


『Q・あなたは記憶を失くしても、郭畝海里には文句を言わない事を誓いますか?

 A・誓います』


 じゃねぇよ! 誓ってんじゃねぇよ! 未来の事もっと考えろよ! なんでこんな誓約書にサインしちゃってんの!?


『郭畝海里は、代償として鳥原紅夜に日当二万円を支払うこと』


「買収されてる!?」


 しかも微妙に安いし! 良い金ではあるけど記憶を失う代償としては微妙じゃないかなぁ!


「これでも破格の条件なんだぞ。動物実験はちゃんとした。人間に使っても問題は無いだろうっつう結果も得られている」


「へ、へぇ……ちなみに、どんな動物実験を?」


「動物実験といやぁ相場が決まってんだろう。人間にやる予定の事とほぼ同じ事を動物にすんだよ。動物の種類は段階的に上がっていく。今回の場合は、虫、(ねずみ)、鳥原だ」


「段階がいくつかぶっ飛んだなぁ! そこは普通、鼠、鳥、犬、それで人間とかになりませんかね!? 鳥のところについでみたいに俺の名前が挟まりましたよね!?」


「馬鹿な事言ってんじゃねぇよ。人間だって動物だぞ」


「馬鹿なこと言ってんのどっちだよ!」


 俺よりも犬のほうが立場が上、みたな扱いやめろよ。悲しくなるだろ。


 しかしそういえば、この誓約書は本物なのだろうか。俺が、というか、普通の人間がこんなものにサインをするとは思えないのだ。なら、この人が俺のサインを偽造した、と考えたほうが自然ではないだろうか。


「…………」


 そう考えたら、そうとしか思えなくなってきた。


「なんだあ、疑ってんのか。なら、指紋認証と筆跡認証、両方やってやろうか? 拇印なら寝てる間に無理矢理押させる事も出来るが、筆跡はそうもいかねぇからな」


 退屈そうに首を鳴らす郭畝さん。どうやら、俺がサインをした、というのは本当のことらしい。


「だとしたら、俺はどうして、こんなものにサインを……?」


「それはなんにせよ五日後には思い出す事だ」


 呟きをきっぱり切り捨てられた。


「世間はゴールデンウィーク。学校を休まないといけなくなるわけじゃねぇし、失くしてるのは思い出だけだから生活に支障はない。ちっとばっか危険なアルバイトだと思えば良いだけだ。お前はお前の目的があってこの契約を交わした。あたしはあたしの都合があって、この実験をしたかった。五日後にお前の記憶が戻ればあたしの目的は達成だ」


「それで、五日後に金をもらえれば、俺の目的は達成……?」


「お前の目的が何かは知らん。少なくとも、あたしの口から言えるほど、確かな情報が無いからな」


 きっぱりと言い捨てられ、


「んで、この二人の都合を利用して、ゲームをしようってやつらが現れた」


 ゲーム? 記憶をなくした人を使って、ゲームを? なんだそいつら、非常識過ぎないか?


「恋人だーれだ、というゲームだ。記憶を失くしてるお前の前に、恋人を名乗る人間が現れる。お前は、過去を思い出す事なく、自分の恋人が誰かを当てなければならない」


「え、なんですか、それ」


 俺は首を傾げた。


「習うより慣れろ。どうせ今日一日は記憶を司どる場所である海馬以外の神経もちっと麻痺してるだろうから、入院してもらう。ついでに、これから見舞いに来る連中を相手してやれ。説明は、今日来る連中全員と、いったん話しをしてからだ」


 そう言って、郭畝さんはカーテンの向こうに消えて行った。


 なんとなく立ち上がって後を追おうとしたが、体が上手く動かなかった。まるで麻痺しているみたいだ……って、そうか、まだ海馬以外も麻痺してるから、今日は入院だったのか。


 となれば今はおとなしくして、せめて動けるようになるまでは状況の把握に徹するべきだろう。


 今から見舞いとして知り合いが来るみたいだし、現状が本当に危機的かどうかを見極めるのは、知り合いに会ってからでも遅くはないはずだ。


 そう結論付けた俺は、大人しくベットの中に潜った。

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