記憶を失くせば嬉しい事情
「……憔悴しきってるわね」
公園まで迎えに来てくれた日向は、呆れたように呟く。ロングティーシャツに大きめのスウェットパンツを履いてるだけのラフな格好が逆に健康的に見えて、なんとなく眩しく感じて目を逸らす。
「悪いな、世話かけて」
バツが悪くなって素直に謝ると、ため息の音とこちらへ近付く足音が聞こえてくる。
「記憶喪失の人間が他人の世話になるのは当然よ。記憶が無い五日間は世話したげるから、素直に甘えときなさい」
そして取られる俺の腕。無理矢理持ち上げられるようにして立ち上がると、そのまま背中を押される。俺の扱いが乱暴過ぎる……。
「すまん」
迷惑かけまくってる感が俺を押しつぶそうとする。記憶を失くす前の俺よ、記憶喪失になるってことはこういう事なんだぞ。介護されるってことだぞ。それがかける他人への迷惑とかちゃんと考えたのか、馬鹿。
「いいわよ。本当はあんたを一人にするつもりじゃなかったし」
簡単そうに言って、日向は俺の前に出て先行して歩く。
公園から出て少し歩く。距離感が掴めず、適当な距離を開けて後ろに続いていたが、日向は一度もこちらを振り返らない。歩くペースとかでは気を遣われていないらしい、というのは、どこか俺を安心させた。
「にしても、考えてみるとすごいよな、郭畝さんの開発って」
開発してるものはとんでもないものではあったが、技術的にすごい、というのははっきり解る。
だが、振り向いた日向は眉を顰めていた。
「その台詞、記憶が無いからこそ言える事だから気をつけなさいね。あの人、ああ見えてネガティブ人間だから」
「そうなのか?」
そうは見えなかったが。
日向は「そうなの」と答えて、前へ向き直り、続けた。
「私の姉、陽子姉と研究室で同じだったって言ったじゃない? ぶっちゃけ私の姉は天才でね、この前もアメリカで誘拐されたの。今はもう救出されて犯人も捕まったけど、誘拐の動機は陽子姉への嫉妬。前々から『研究から手を引け』って脅迫は受けてたらしいわ。嫉妬で誘拐される程の才能。美貌、人望、全てを兼ね備えたと言っても過言じゃないほどどれもがずば抜けてるの」
感嘆の息が漏れる。
その話にすごいなと思ったわけではない。姉妹をこうも賞賛出来る日向の素直さに、少しだが感動したのだ。
「それはすごいな」
人並みの事しか言えないが、何も言わないよりはマシだと思った。そんな感じで紡いだだけの、つまらない返答。つまらないついでに街の景色を眺める。
「紅夜も、陽子姉の影響をもろに受けてるわよ」
「どういう事だ?」
景色は工場地帯に入っていく。
「まずね、紅夜は小学校中学年の時に私の家の隣に引っ越して来たの。で、紅夜の家のお義母さんは仕事一筋で家に殆ど居ないから、陽子姉がちょくちょく紅夜と虹色ちゃんの面倒を見てたの。それが始まり」
淡白に、そして大雑把に説明される俺の過去。成る程、母が仕事人間で、分け合って父親が居ないから、虹色と俺は二人暮し、という事になってるのか。
「紅夜はませてたから、陽子姉の世話になってばかりじゃ申し訳ないからって早くもひとり立ちしようと、陽子姉に色々教わったの。家事とか勉強とか。科学者の卵から勉強を教わってたから、紅夜は理数の勉強は学年上位だったわ。国語は中の上。外国語は下」
なんだそのギャップ……均等に勉強しろよ、過去の俺……。
しかし成る程、それで理数が得意だった俺は、つまり。
「つまり、陽子さんの後を追って、俺も科学者を目指してた、とかか?」
「……いえ、紅夜は科学者志望じゃないわ。紅夜はサラリーマン志望よ」
「サラリーマン志望者がマッドサイエンティストの元でバイトしてるのか……」
なんたるカオス。普通の職を目指すなら普通のバイトしようぜ、俺。
「ちなみに言っておくけど、私は紅夜の全部を知ってるわけじゃないわ。紅夜に関する事は紅夜から聞いた事でしか無いし、それが本当かどうかなんて確認してない。だから私は、私視点でしか紅夜の過去を教えてあげられない。そこらへんは気をつけてね」
「いや、充分だ。他の皆は基本的に、俺の記憶が無いのを良いことに好き勝手過去を捏造しようとしてるらしいからな……」
「はぁ? なにそれ」
踏み切りを境にして、工場地帯を抜ける。よく解らん大通りに出たところで日向は振り向いた。
「神野さんとか星羅とか虹色とか、皆して好き放題だ。いや、気分的には身構えられるよりはずっとラクでいいんだけどな、日向みたいにナチュラルな態度で普通の事を教えてくれるとすんげー助かる」
そこまで言うと、立ち止まった日向は顎に手を当ててはたと考える。
「一応説明すると、華月先輩と星羅ちゃんは同じ部活よ。形にしかなってないけど、手芸部。華月先輩が部長。紅夜が副部長。私はソフトボール部と掛け持ちの仮部員。星羅ちゃんが平部員」
「なるほど部活関連か。で、虹色は?」
「虹色ちゃんは中学生よ?」
そうでした。ここまで来たら皆いっしょ、とはいかないか、流石に。
「虹色ちゃんは虚言癖があるから嘘を吐くのは当たり前でしょ?」
あいつのキャラは公認なんですね。
「星羅ちゃんは精神的に危ない人種だから、多分犯罪すれすれの事までしてくるかもしれないわ」
もうされました。ストーカーとか。
「でも、華月先輩までその二人みたいに嘘ばっか吹き込むのは意外ね……あの人は部内だと一番まともな人だし」
初日は俺をゲイにしようとしてましたけどね。……で、俺はそのBL好きよりもまともじゃない人にカウントされてるのか?
再び歩き出した日向の後ろに着いていく。さっきまでより距離が縮まったせいか、日向の呟きがはっきりと聞こえた。
「……こりゃ敵が多いかもしれないわね……」
「……敵?」
なんだか物騒なワードだな。
「……うん、まぁ、こっちの話よ」
その物騒なワードについての説明は、流石にしてくれなかった。
そうなのだ。彼女らは俺の記憶喪失を使ってゲームをしているのだから、日向とて全部の情報を教えてくれるわけではない。郭畝さんの台詞をそのまま使わせて貰うなら、日向にも日向なりの事情があるのだろう。
なら、秘匿も仕方のない事だ。
そういえば。
「星羅が、皆して俺の記憶喪失を喜んでる、って言ってたな」
皆にも、そういう事情があるのだろう。
じゃあ、俺が記憶を失くすと嬉しい事情って、なんだ?
「私は別に喜んでるわけじゃないけど……五日間程度なら、記憶を失くしてもいいんじゃない? とは思ってるわ。特に紅夜は」
俺にも俺なりの事情があるのだ。
なら、だとしたら……。
「なるほど、なのか……?」
納得は、しかねる。けれど納得した風を装う。
いったい、記憶を失くしたいほどの事情とは、なんなのだろうか。




