よき羊飼い(モンゴルによるホラズム・シャー遠征)
男は“よき羊飼い”というあだ名を持っていた。羊飼いと省略されることも多い。今では本名よりあだ名で呼ばれることが多い。ここでも男をホニチンと呼ぶ。
「ホニチン。牡ヤギを三〇頭ばかり預かってほしいそうだ」
「はぁ」
ホニチンは面倒なことになったと思いながらも使番の後ろを馬で追いかける。
「この近くの城邑か」
「ああ。イスラムの町だ。たしかニシャプルだったか」
ここはホラズム・シャーというクニだ。
ホニチンのケレイト族を含む大モンゴル同盟とホラズム・シャーは通商関係にあったが諍いが起き、懲罰をつけるため戦となった。
モンゴルは連戦して連勝したが相手の大親分が逃げまくって手打ち式ができずに年を越すこととなった。おかげでホニチンの仕事は増える一方だ。
「こいつらだ」
「わかった」
城邑の外にうずくまる影があった。徴発された少年たち。彼らがホニチンが面倒をみる“牡ヤギ”である。
「立つ! 歩く! 北!」
ホニチンは単語をぶつけるようにいった。拙い発音だったが何人かは理解したようで立ち上がり、歩き出す。数人が動くと他の子も倣う。
ホニチンは隊列の前後を馬で往復し“牡ヤギ”たちを観察した。足を引きずっている少年がいて、ホニチンは彼にびっことあだ名をつけた。
わざと遠回りし、時間をかけて観察しながら宿営地に移動する。
ホニチンは二十六人の“牡ヤギ”全員にあだ名をつけた。がんこ、大柄、かぎ鼻、愚図、臆病、ちびなどである。
宿営地で十三人ずつ二つの組にわけた。背丈で決めたので、年齢分けに近い。
年少組と年長組。それぞれに組頭を決め鍋と桶をわたし食事や飲み水の配分を任せた。
数日が過ぎた。
宿営地は日々、少しずつ移動している。
家畜を伴うからだ。草のあるところへ行けば家畜は自分でむしって食う。ホニチンが管理する“牡ヤギ”はそうはいかない。彼らが食べるものはホニチンが手配する。
「飯。増やす。必要。あります」
ホニチンに訴えたのはびっこだ。びっこは年少組の組頭だ。声がかすれ目がギラついている。びっこは飯を公平に分けていた。つまり年少組は全員が等しく腹を空かせている。
これが年長組だと違う。
年長組の組頭は大柄だ。彼は自分と取り巻きに食事を多く割り当てている。ほとんど食事を分けてもらえない数人はいつも青い顔をしてふらついていた。
──予定とおり。
“牡ヤギ”の飯の量が少ないのは、わざとだ。
理由はいくつかある。ひとつは“牡ヤギ”をおとなしくさせるためだ。
「腹が減る。動けない。モンゴル困る。可能性。あります」
びっこが言葉を重ねる。ホニチンは黙っている。
固い顔で去るびっこの背をみてホニチンは満足感を抱く。
──うん。こいつは頭がいい。年少組の群れを任せて正解だった。
宿営地が移動する距離は一日あたり平均して約三km。腹を空かせてふらふらの“牡ヤギ”でも移動できる距離だ。
これは四方に散らせた斥候が戻るのを待っているからだ。
斥候が戻って新たな移動先が決まれば行軍距離は一気に増える。そうなった時は飯を増やす。今は消費量を減らし余裕を作っている。そういう理由もある。
他の理由もある。
「朝起きたとき二人いなかった。夜に排泄にいって戻ってこなかった」
翌朝。年長組の大柄が脱走の報告をした。
ホニチンは手にした牧杖で大柄のみぞおちを突いた。
うずくまりえづく大柄の顎を牧杖で持ち上げ命じる。
「探せ」
よろばい去る大柄の背をみてホニチンは満足感を抱く。
──うん。こいつは馬鹿だ。年長組の群れを任せて正解だった。
本格的な移動の前に年長組の何人かは間引く予定だった。しかしホニチンが自分で選んで間引いては残った“牡ヤギ”の不満と怒りはホニチンに向く。それはよくない。
──“牡ヤギ”の恨みは食事を公平に分配しなかった大柄に向かった。空腹に耐えきれず逃走したのは……愚図とせむしか。よし。
皆の見てる前で大柄に罰を与えた効果は覿面だった。恥をかかされた大柄は他の“牡ヤギ”たちを怒鳴り逃げた愚図とせむしを追いかけた。
すぐに見つかった。空腹で体力のないふたりが夜の間に遠くまで逃げられるはずもない。くぼみに隠れてじっとしていた。
大柄が大威張りで報告にきた後で、ホニチンは弓と矢を携え馬にのってふたりのもとへ向かった。
「逃げろ」
青ざめ縮こまるふたりに、ホニチンはいった。
両手の指を広げてみせる。
「一〇〇数える。お前たちが逃げきれれば脱走を許す。ひとつ、ふたつ、みっつ……」
指を折って数える。
愚図とせむしは互いの顔をみ、それから弾かれるように立ち上がり、駆け出した。
ホニチンは一〇〇まで数えてから、弓を構える。
モンゴルの弓は射程が短い。本来なら馬で追いかけて近づき馳弓で仕留めるところだが、それは避ける。
他の“牡ヤギ”に恐怖を植え付けるためだ。
斜め上に構える。引き絞る。放つ。
矢は弓なりの軌道を描いて落下。吸い込まれるようにしてせむしの背に当たった。倒れるせむしにぶつかって、愚図も転んだ。
周囲から驚きの声があがる。遠目だと一矢でふたりを仕留めたようにみえたからだ。
──瑞兆だ。
望外の結果にホニチンは満足感を抱く。この遠征を終え高原に戻ったら神の子に生贄を捧げ感謝を伝えようと心に決める。
転んだだけの愚図は生きていたが逃げる気力を失っていた。ホニチンは呆然と虚空をみあげる少年を短刀で殺したあと、大柄に穴を掘らせふたりの死体を埋めた。
翌日。新たな目的地が決まった。今の宿営地から五〇kmの距離にある城邑だ。
“牡ヤギ”に配給する食事の量が倍に増えた。年長組は皆が素直に喜んだが、年少組のびっこはかえって表情を硬くした。
「飯。増えました。感謝します」
一日の移動が終わったあとびっこは年少組の状態を報告する中で探りを入れてきた。言葉もかなりこなれてきている。
「このさきに危険はありますか」
「戦いがある」
ホニチンが素直に答えるとびっこは驚く。
「戦い」
「お前らは盾をもつ。あの荷車に積んである」
「盾」
「お前らは盾をもって前進する。矢が飛んでくる。危険だ」
「……」
それから三日。
進むたびに人と家畜の密度が増してきた。
それまで宿営地は広く分散していた。長く一箇所に集中しては牧草を食い尽くしてしまう。今は城攻めが決まったので集まってきている。
四日目の昼過ぎ。城邑が見える位置に到着したときは、周囲を数千の兵がたむろしていた。負傷した兵の姿もみえた。
隙間に宿営地を作って日没後。びっこがきた。
「ぼくは弟を助けたい。お願いします」
びっこの弟は年少組でも最年少のちびだ。
「“牡ヤギ”は盾をもつ。全員だ。例外はない」
「了解してます。弟をあなたのそばにいさせたい」
──そうきたか。
“牡ヤギ”は雑用に駆り出される。水を汲んだり。糞便穴を掘ったり。そこで他の“牡ヤギ”と情報交換をする。
戦場で自分たちがどんなことをやらされるか。より安全な場所はどこか。
「いいだろう。お前もちびと同じ場所だ」
「ありがとう! ……ござい、ます?」
びっこの顔に喜色が浮かぶが、すぐに消えた。
自分が他の宿営地の“牡ヤギ”から聞いた情報が間違ってる可能性に気づいたのだ。
──やはりこいつは頭がいい。
翌早朝。太陽が登る前の薄暗いなかを年長組十一人、年少組十三人は荷馬車で盾を受け取り、城邑へと前身する。
年長組が前方。後方に牧杖をもつホニチンを囲むようにして年少組が十三人。さらに少し離れて三人の弓騎兵。ホニチンはこの三騎については督戦隊だと脅してある。“牡ヤギ”が逃げようとすれば容赦なく背中から射てくると。
目指す城邑は干乾し煉瓦の壁で囲われていた。ホニチン隊の担当は北面だ。近づくと城壁の見張り台から鐘を打ち鳴らす音が響いた。
鐘の音は敵味方双方に動きを促す。
北面をのぞむ位置にある天幕からモンゴル兵が顔をだした。そばに篝火台がある。眠そうな顔でモンゴル兵はまず鐘の鳴った城の方を見、それから振り返って“牡ヤギ”たちを見る。
「おう、ホニチンじゃないか。頑張れよ」
「ああ」
「壁の方に白い石が見えるだろう。昨日は、あのへんまで矢が飛んでた」
「城壁からあそこまで届くのか」
「腕のいい射手がいる。気をつけろよ」
「わかった」
白い石のところまできた。
“牡ヤギ”たちの前進が遅くなる。年長組など、ほとんど止まっている。
「進め。止まるな」
ホニチンが牧杖を振って命じた。先端の風切り具が唸りをあげる。
渋々といった感じで年長組が歩みを再開する。しかし数歩進んでは止まり、怒鳴られてまた動きだすといった感じで速度は遅々たるものだ。
しだいに年長組と年少組の距離が縮まり、とうとう団子のようになった。
──そろそろか。
ホニチンは牧杖を大きく振り回してから姿勢を低くした。
風切り音。ドカンと音をたて矢が盾に命中した。ホニチンの前で盾をもっていたちびがひっくり返った。周囲の“牡ヤギ”の口から悲鳴があがる。
「よくやったぞちび! 約束どおり矢が一本で骨つき肉がひとつだ!」
ホニチンはちびを大声で誉めた。ちびの顔が輝く。盾を渡すときホニチンは全員に彼らの役目と褒美について説明をしてある。士気が上がるほどではないが、逃げ散りたい足を踏みとどまらせる効果はある。
矢は間をあけて散発的に飛来した。ホニチンは盾に隠れたまま城壁の様子をうかがう。
弓を射ているのはひとり。腕はいい。さらに高所にいて射にも慣れている。けれど盾が割れるほどの強弓ではない。
──今はまだ威嚇だな。耐えきれなくなった“牡ヤギ”が盾を捨てて逃げ出すのを待ち、無防備な背中を他の射手とあわせて一斉に追い射つ。
一方的に射られるのは精神にこたえるものだ。まして徴発されたばかりの少年兵。士気が高かろうはずもない。
「耐えろ耐えろ! 我慢するほど今夜のメシは豪華になるぞ! かぎ鼻! おまえは骨つき肉が三本だ! そんなに食べられるのか!」
「五本まではペロリでさあ!」
ホニチンが輪の中心にいて激励する“牡ヤギ”の群れは、なんとか持ちこたえていた。にじり寄るようにして城壁に近づいてゆく。
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城邑都市ダルヴァーン。人口は二〇〇〇だが今は疎開した周辺の住民を収容して三〇〇〇ほど。
北面の守備隊長は部下に新たな矢筒を用意させながらモンゴル軍の動きを観察する。
──矢筒ふたつが空になったか。よく粘る。昨日までのモンゴル兵とは動きが違うな。
ダルヴァーン守備隊にとっては予想外の展開。だが、近づいたということは狙いやすくなったということでもある。輪の中心で牧杖を振り回す男を仕留めれば、残った徴発兵は逃げ出すに違いない。
──このままではらちがあかぬ。狙撃するか。
そう考えた守備隊長は城壁に並べた置き盾を取り除かせた。呼吸を整え精神を集中する。立ち上がって身をさらし弓の狙いをつけた。全力で引き絞り渾身の一射を放つ。
命中。盾が割れ、矢に貫かれたかぎ鼻の徴発兵が倒れた。悲鳴があがり盾の囲みが乱れ輪が緩む。隙間が大きくなった。牧杖を持った男の顔がのぞく。
──好機!
守備隊長は素早く矢をつがえ弓を引き絞る。先に射た矢の軌跡が視界と重なる。想定よりわずかに浮き上がっていた。太陽がのぼって気温が上がり地表近くの空気が薄くなっていた。微調整する。今度は当てる。
満腔の自信をもって放った一射はだがしかし。男児の背に突き刺さる。
──まだだ!
さらなる射を放とうとした守備隊長の腕を矢がかすめ、血がしぶく。
無我の境地が破れる。同時に自分を呼ぶ部下の叫び声が聞こえてきた。「隊長! モンゴル騎兵です! 伏せて!」
──モンゴル騎兵? どこに?
集中がほどけ視界が広がる。モンゴル騎兵がいた。三騎。さっきまで徴発兵の後ろにいたはず。いつの間にこれほど城壁に近づいていたのか。だが、これだけ近いなら弓騎兵による迎撃も容易だ。
守備隊長は身を屈め部下に鐘を鳴らさせた。
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びっこはニーシャプールの陶工の次男だ。
父は腕のよい職人で仕事はひっきりなしだった。だが頑固者で付き合いは狭かった。
それがよくなかったのだろう。
モンゴルに降伏したあと、都市が提出した職能者名簿に父と兄の名があった。モンゴルは自分たちに逆らわないかぎり住民の自主性を重んじる。この場合の自主性とはモンゴルに差し出す職人を誰にするか自分たちで選ばせるという意味だ。腕はよいが同業者や有力者との付き合いと縁遠かった父は真っ先にモンゴルに連れ去られることとなった。
父と兄がいなくなって一ヶ月後、今度は男児を出せと命令があった。兵の徴発だ。母と残された家族の面倒をみる約束で父の工房を手に入れた職人は、約束を反故にして自分と弟をモンゴルに差し出した。
「私とて断腸の思いなんだ」
約束が違うと訴える母を職人は説得した。
「だけどね。モンゴルに逆らったらすべてが焼き払われてしまう。工房も町も何もかも。そしてみな奴隷として連れ去られる。トゥースの町なんか、完全な廃墟となって誰も生き残ってないそうだ。わかってくれ。故郷を守るためなんだ」
こうしてびっこと弟は、他の少年たちとともに家畜のように“牡ヤギ”としてモンゴルに引き渡された。悲しくはあったが、母と故郷のニーシャプールを守るためだ。そう自分に言い聞かせた。
すべてが嘘であったと知ったのは、他の“牡ヤギ”と水汲みをした時だ。
「ニーシャプールだって? 君は運がよかったんだな。あそこは皆殺しになったと聞いたよ。モンゴルの大将軍の親族を弓で射殺した罰として」
初耳だった。そもそもニーシャプールは戦わず降伏を選んだのだ。モンゴルは家畜と食料を根こそぎ略奪したし、財も多く奪われたが殺されたのはわずかな数だ。
そんな嘘を誰がいっているのか聞いてみた。
「ぼくの町の先生さ。遠くの町と手紙でやり取りをして知ったって」
手紙には生き残りの証言として『彼らは来た。彼らは壊した。彼らは焼いた。彼らは殺した。彼らは奪った。彼らは去った』と書かれていたという。
──そういうからくりか。
目がくらむほどの怒りに、びっこはふらついて水をこぼした。
父と兄をモンゴルに差し出したのと同じ連中だ。町の有力者。彼らは侵略者であるモンゴルにすべての悪行を押し付け、抵抗すれば酷い目にあうと脅して自分と弟も町から追い出した。
──生きてやる。
びっこはまだ子どもだ。できることは少ない。
だから、侵略者に媚びへつらってでも弟といっしょに生き抜く。
だから、こんなところで死んでなぞいられない。
だというのに、なぜこの侵略者は撤退しようとしないのか。
徴発兵は盾をもっているだけ。ホニチンは弓と矢筒を装備してはいるが手にしているのは牧杖だけ。そうでなくとも地べたを進む彼らに対し都市守備隊は城壁の上にいるし、置き盾で身を隠してさえいる。これでは射撃戦にすらならない。
──この都市に、そんな大勢の守備兵がいるわけでもないのに。なぜ?
他の“牡ヤギ”たちからも話を聞いている。モンゴル軍は都市を囲んだあと、ここ数日は盾もちの徴発兵を城壁近くに送り込んでは撃退されるだけで、まともに戦っていないと。
それなら、せめて弟だけでもホニチンの近くに置いて安全な後方にいさせようと考えたら、なんとホニチンは自分も徴発兵に混じって前進している。
ついには近づきすぎたせいで、盾をもってしても矢を防げなくなる。
──こいつ、もしかして狂人ではないか。
びっこはホニチンの正気を疑ったが、ここまで来てはホニチンを守るしか生き延びる道は──あるかもしれないが、骨付き肉を食べる道はない。
人は腹が減ると飯のことしか考えられなくなるというのは本当だ。ホニチンを守る盾の囲いが崩れたとき、びっこは思わず飛び込んでいた。ただ肉のために。
「よし。生きてるな」
いつの間にか地面に倒れていたびっこを、ホニチンが引き起こした。
背中が焼けるようだ。割れた盾が転がっている。
「盾を背負って飛び込んだのはよい手だったな」
城壁の上から鐘の音が聞こえてきた。びっこにとっては耳に馴染みのある音。ダルヴァーン都市守備隊に出撃を命じる勇壮な音。
守備隊の数がどれほどかは知らないが、督戦隊の三騎しかいないこちらより少ないということは考えにくい。不利をさとってモンゴル兵が逃げて徴発兵だけとなれば皆殺し間違いなしである。
「よしよし。ここからが本番だ」
嬉しそうなホニチンをみて、びっこは思った
やはりこいつは狂人だ。
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日没から少し遅れて月が顔をだす。
肉の脂が焼ける匂いが食欲を誘う。
「大丈夫、兄さん? 一本くらい食べられそう?」
「腹は減ってるんだけどな……すごく減ってるんだけどな……」
骨付き肉が山盛りになった皿を持つ弟が心配そうにびっこに声をかける。
背に矢傷を負ったびっこは、治療を受けたあとずっとうつ伏せにされている。食事は粥や馬乳酒を一口二口。その程度しか体が受け付けない。
「おまえは気にせず腹いっぱいに食べろ」
「うん」
びっこには不安があった。矢を受けてからずっと、左腕がピクリとも動かない。いつ治るのか。それとも治らないのか。
家畜の水飲み樋に盾を並べた上にうつ伏せになったびっこの背中に声がかかる。
「医者から聞いたぞ。腕が動かないと」
ホニチンの声だ。
「盾を持つのは難しいな」
「……はい」
ホニチンの顔は視界の外。びっこに見えるのは足だけだ。
年長組の愚図とせむしの最後を思い出しゾッ、とする。
自分たちが侵略者にとっての“牡ヤギ”、つまり家畜であることをあれで思い知らされた。
「ま、いいか」
ホニチンが地面に座った。手に酒杯。中には赤い液体。ワインだ。
「この城邑はもうすぐ降伏する。お前らのおかげだ」
ホニチンは酔っていた。口が軽い。モンゴル語まじりの軽口なのでところどころ意味がわからなかったが、ホニチンにとって昼間の戦いは会心の戦いであったようだ。
“牡ヤギ”たちにとっては酷い戦いだった。年長組からは三人の死者が、年少組でも一人が死んでいる。そして半数が負傷した。びっこもその一人だ。
それだけひどい損害を受けて最後まで敗走しなかったのは、都市守備隊の弓騎兵に囲まれてしまったせいだ。逃げようにも逃げ場がなかっただけである。
盾の裏に隠れて縮こまっていたせいで、外で何が起きているかは見えなかった。
それでも音だけは聞こえた。しばらくすると城壁に上がってきた住民たちの歓声も聞こえてきた。包囲下にある住民にとっては徴発兵の自分たちも侵略者だ。それが弓騎兵に囲まれ手も足もでない。さぞかし溜飲の下がる見ものだったろう。
新たな鐘の音が聞こえた。警戒と危険を示す甲高い連打音。弓騎兵からの射撃が止まった。盾の隙間から外をのぞく。そこにいたのは一〇〇〇騎ものモンゴル騎兵だった。
「弥栄!」
モンゴル騎兵が叫び、突撃する。馬蹄の轟で地面が揺れた。本当に揺れるのだ。
「弥栄!」
「弥栄!」
圧巻だった。
いたぶるように“牡ヤギ”の周囲を駆け回っていたダルヴァーンの弓騎兵はあっという間に城内に消えた。
消えたのは城壁の上にいた住民たちもだ。
「弥栄!」
城壁の外を駆け抜けモンゴル騎兵は撤退した。
物理的な戦果はなかった。あったのは心理的な衝撃だけ。
それでもホニチンは満足していた。
「今日で連中の心は挫いた」
最初から一〇〇〇のモンゴル騎兵が城壁の外を駆けるだけでは効果が薄いのだとホニチンは説明した。
それではモンゴル軍は嵐や地震など自然災害と同じになる。隠れてやり過ごせばモンゴル軍は消え日常が戻ってくる。住民はそれまで我慢していればいい。
「間違いじゃない。俺らは移動する民。このあたりの牧草がなくなれば移動する」
引きこもって耐えられては包囲は長引く。半年近く粘った城邑もあるという。
そこでモンゴルは戦い方を変えた。徴発兵を囮に使うのだ。
「ここ数日は徴発兵がやられ放題だったから、城邑の連中はモンゴルを侮ってた。大事な弓騎兵を城外へ出撃させるほどにな」
侮っていた相手が実はとんでもなく強かった。落差が衝撃となり、耐えよう、忍ぼうという心を打ち砕く。
ホニチンが嬉しそうだった理由を知ってびっこは得心がいく。
だが、得心はしたが安心はできない。
「ここが降伏したら、ぼくらはどうなるんです?」
びっこが小声で聞くと、ホニチンは短刀を取り出した。
息が止まる。
ホニチンはちびがもつ皿から骨付き肉を一本つまみ、短刀で薄く肉を切り取って口に運んだ。クチャクチャと肉を噛みワインで流し込む。
「決まってる。退役だ。お前だけじゃない。生き残った徴発兵は全員」
「故郷に帰れるんですか!」
「そこまでは知らん。この町で解放したあとは好きにしろ」
昂揚した気持ちが一気に萎む。
見ず知らずの、それも自分たちも攻め落とす手伝いをした都市で軍役から解放されたらどうなるか。想像するだに怖かった。
「とはいえ浮浪児が増えるだけではモンゴルのためにならん」
モンゴルの目的は征服ではなく懲罰だ。
降伏した都市の統治をてがける気はまったくない。ではどうやって利益を得るのか。
それは軍事力の独占である。正確には機動力のある軍事力をモンゴルだけが握ることだ。
これからは騎乗する兵力はモンゴルが独占し、交易路の治安もモンゴルが担当する。だから交易の利益もモンゴルのものだ。
都市は自治に任せるが牧草地はモンゴルが管理する。
「降伏した城邑にはモンゴルの代官所を置く。お前らが望むなら、そこで働けるよう口をきいてやろう」
「本当ですか! でも、弟は読み書きや計算ができなくて……」
「代官所には伝令や荷運びなど仕事はいくらでもある……まて、ということはびっこは読み書きや計算ができるのか?」
「はい。兄は父の手伝いで陶器を作る作業を、ぼくは母の手伝いで帳簿をつけてました」
「それはよいことを聞いた。おい、後で紙を用意してやるからお前の父について教えろ。居場所を調べて手紙が送れるようにしてやる」
「ありがとうございます!」
びっこは素直に礼をいった。同時に薄気味悪さを覚える。
ホニチンがこれまで“牡ヤギ”たちにみせていた顔と、今の顔が別人といえるほど違うことに。
「あの──」
「不思議か? 俺が親切に世話することが」
「……はい」
「それはな──俺が“よき羊飼い”だからだ」
びっこがキョトン、とした顔になる。ほどよく酔いの回った頭にはその表情がひどく面白く、ホニチンは笑い転げた。




