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最後の決め手は婚約破棄でした

作者: ふたーなる
掲載日:2026/10/17

「エルネスタ・ヴァルケイン! お前との婚約を破棄する!」


 舞踏会場に、王太子ヴァルディオ・レグナートの声が響いた。

 楽団の演奏が止まった。

 踊っていた人々が足を止め、談笑していた貴族たちが一斉にこちらを向く。

 私は、彼の隣に立つ少女を見た。


 ミレシア・ノルヴェン。ヴァルディオが最近、ことあるごとに気にかけている伯爵令嬢だった。


「な、何をおっしゃっているのですか、殿下」


「とぼけるな。お前はいつも私に口うるさく指図し、ミレシアにも冷たく当たっていたそうだな」


「指図ではありません。先日の隣国との会談については、殿下ご自身が――」


「言い訳は聞きたくない!」


 ヴァルディオが私の言葉を遮った。


「私はこれまで、お前の横暴に耐えてきた。だが、もう限界だ。私は真実の愛を選ぶ!」


 真実の愛。

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが崩れた。

 私は彼を愛していた。

 王太子妃になるためだけではない。彼が立派な王になれるように、隣で支えたいと思っていた。


 彼が苦手な数字を代わりに整理した。彼が忘れた会議の資料を用意した。隣国との交渉で失言をしかけたときには、話題を変えて場を取り繕った。

 それらを、私は苦労だと思ったことがなかった。

 彼がいつか、自分の足で立てるようになると信じていたからだ。


「……殿下は、本当にそうお考えなのですね」


「ああ。私は自分の意志で決断した。誰にも止められはしない!」


 ヴァルディオは満足そうに胸を張った。

 その顔を見て、私はようやく気づいた。

 彼は、私が何をしてきたのか知らないのだ。

 知ろうともしなかったのだ。

 私が差し出した書類に目を通さず、私が整えた予定を自分で考えたものだと思い込み、私が収めた失敗を自分の手腕だと信じていた。


 それでも私は、彼を信じていた。

 いつか気づいてくれると。


「……承知いたしました」


「うむ。ようやく理解したか!」


 ヴァルディオは、勝ち誇ったように笑った。

 私は頭を下げた。

 涙がこぼれそうだった。ここで泣けば、彼はきっと、自分が私を打ち負かしたのだと思うだろう。


 そんなことだけは、嫌だった。


「これまで、ありがとうございました」


 私は顔を上げた。

 彼の顔を、最後にしっかりと見た。


「殿下のこれからが、よいものでありますように」


 それだけを告げ、私は踵を返した。

 背後から、ヴァルディオの弾んだ声が聞こえた。


「見たか! これで王国も新しい時代を迎えられる!」


 拍手は起こらなかった。

 誰も、何も言わなかった。

 それでも彼は、満足しているようだった。

 会場を出ると、夜風が頬を撫でた。

 涙は、もう止まらなかった。


 私は泣いた。

 好きだった人を失ったから。

 信じていた未来が消えたから。

 そして、そんな人を長い間、信じ続けてしまった自分が悲しかったから。


 けれど。

 泣きながら歩くうちに、ふと気づいた。

 明日から、あの人の予定を確認しなくていい。

 あの人のために書類を整えなくていい。

 あの人が忘れた約束を、代わりに謝らなくていい。

 そう考えた途端、ほんの少しだけ、胸が軽くなった。


 私は涙を拭った。

 まだ悲しい。すぐに忘れられるわけではない。

 それでも、明日は来る。

 ならば明日は、私自身のために使おう。

 そう決めて、私は夜道を歩き出した。




(王太子目線)

「ミレシア、どうした? 浮かない顔をしているな」


「……殿下」


 翌日の王宮。

 ヴァルディオは、呼び出したミレシアが椅子に座るなり、にこやかに声をかけた。


「遠慮することはない。エルネスタとの婚約は破棄した。これからは、君が私の隣に立つのだ」


「そのことなのですが……」


「心配はいらない。君が王太子妃になれば、欲しいものは何でも手に入る。宝石でも、ドレスでも、領地でもな」


「いえ、そういうことではなくて」


「わかっている。君は慎ましい女性だからな。贅沢には興味がないのだろう。素晴らしい!」


 ミレシアは口を閉じた。

 どうやら、この人は自分が何を言われているのか、あまり理解していないらしい。


「殿下。昨日の舞踏会のことですが、少し考え直していただきたいのです」


「何をだ?」


「婚約破棄のことです」


「ははは。君は冗談がうまいな。あれはもう決定したことだ」


「そうではありません。あのような場所で、あのようなやり方で婚約を破棄する方とは、結婚できません」


 ヴァルディオの笑顔が止まった。


「……何?」


「だって、あんな人前で普通、婚約破棄なんてしないでしょう?」


「しかし、エルネスタには問題があったのだ!」


「それなら、証拠をそろえて、両家で話し合えばよかったのではありませんか?」


「そんな面倒なことをする必要があるか?」


「必要があるから、皆さんそうしているのだと思いますけれど」


 ミレシアは、できるだけ穏やかに言った。


「それに、エルネスタ様が殿下のお仕事を手伝っていたことは、私も存じています。先日、殿下が私にくださった詩も、以前エルネスタ様が用意されていた文書と同じ筆跡の方が、添削されていましたよね?」


「……あれは、私が考えた詩だ」


「添削された方のお名前が、余白に残っていました」


「些細なことだろう!」


「そうでしょうか」


 ミレシアは立ち上がった。


「申し訳ありません。私は殿下との婚約をお受けできません」


「待て! 君は私を愛しているのではないのか?」


「好意を持っていたことは否定しません。でも、殿下と結婚することは別です」


「なぜだ! 私は君のために婚約まで破棄したのだぞ!」


「……私のために?」


 ミレシアの声が、ほんの少し低くなった。


「私は、殿下に婚約破棄をお願いした覚えはありません」


「しかし、君はエルネスタに苦しめられていたではないか!」


「いつ、どこで、どのように?」


「それは……」


「私が困っているとき、エルネスタ様はいつも相談に乗ってくださいました。殿下の予定を教えてくださったこともあります。私が失礼なことをしてしまったときには、相手に謝る機会まで作ってくださいました」


「それは、君を監視するためだったのかもしれない!」


「……殿下」


 ミレシアは、深く息を吐いた。


「私をかばうために、エルネスタ様を悪者にするのはおやめください」


「私は君を守ろうとしたのだ!」


「では、今後はご自分のことをご自分で守ってくださいませ」


 ミレシアは一礼した。


「失礼いたします」


「ま、待て! 話はまだ終わっていない!」


「私の話は終わりました」


 扉が閉まった。

 ヴァルディオは椅子に座り直し、腕を組んだ。


「……ふむ」


 しばらく考え込んだ後、彼は顔を上げた。


「なるほど。私の決断があまりにも大胆だったため、彼女は気後れしてしまったのだな」


 彼は満足げに頷いた。


「仕方がない。真実の愛とは、時に試練を伴うものだ」


 その日のうちに、ヴァルディオはミレシアに手紙を書いた。

 返事は来なかった。

 翌日も書いた。

 やはり返事は来なかった。

 三日目には、返事を催促する手紙を書いた。

 返事の代わりに、ミレシアの父親から正式な面会拒否の通知が届いた。

 ヴァルディオは、それを見て首を傾げた。


「……ずいぶんと恥ずかしがり屋なのだな」


 彼はまだ、自分が拒絶されたのだとは思っていなかった。




△△△

「ロザリンデ嬢。君に頼みたいことがある」


「お断りいたします」


「……まだ何も言っていないぞ?」


「殿下が私に頼みたいことなど、だいたい想像がつきますので」


 ロザリンデ・エルヴァントは、王宮の応接室で優雅に紅茶を飲んでいた。


「君は頭の回転が速いな。さすがだ」


「ありがとうございます。では、失礼いたします」


「待て待て待て!」


 ヴァルディオは慌てて立ち上がった。


「私と結婚してほしいのだ!」


「お断りいたします」


「早いな!」


「お返事をお待たせする理由がございませんので」


「君は王太子妃になれるのだぞ?」


「存じております」


「国の中心に立ち、政治にも関われる。君の実家にとっても大きな利益になるは

ずだ!」


「つまり、殿下は私の家の力を利用したいと?」


「利用とは人聞きが悪い。互いに利益があると言っているのだ」


「では、殿下にとって私自身は、さほど重要ではないのですね」


「いや、もちろん君の美しさや知性も評価している!」


「知性を評価してくださるのなら、私の判断も尊重していただけますか?」


「それとこれとは話が別だ!」


「別なのですか」


 ロザリンデは、静かにカップを置いた。


「殿下。私は家の利益を考えなければならない立場にあります。だからこそ、申

し上げます」


「うむ。聞こう」


「今の殿下と婚姻関係を結ぶことは、我が家にとって損失です」


「なっ……!」


「エルネスタ様との婚約を破棄されたことで、ヴァルケイン公爵家との関係は悪化しました。殿下がご自身の補佐を担っていた方を、十分な協議もなく切り捨てたからです」


「私は王太子だぞ。誰と婚約しようと自由ではないか!」


「婚約相手を選ぶ自由と、王太子としての責任は別の話です」


「君までそのようなことを!」


「さらに、殿下は先日の会議で、エルネスタ様がまとめられた税制改革案を、ご

自身の発案として報告されたそうですね」


「私が採用した案なのだから、私の案と言って何が悪い!」


「作成者の名前を隠す必要はございません」


「細かいことを!」


「その細かいことを積み重ねて、国は成り立っているのです」


 ロザリンデは微笑んだ。


「殿下は、ご自身を支えていた人間がいなくなった後も、以前と同じように物事が進むとお考えなのですね」


「当然だ! 私は王太子だぞ!」


「ええ。だからこそ、皆が殿下の言葉に従っているのです。殿下ご自身の実力を評価しているとは限りません」


 ヴァルディオは、口を開いた。

 しかし、反論が出てこなかった。


「私から申し上げられることは以上です。婚約のお話は、どうか二度とお持ちになりませんよう」


「君は後悔するぞ!」


「それは、殿下が私と結婚できなかったことを後悔されるという意味でしょう

か?」


「そうだ!」


「……そのような未来が来ないことを願っております」


 ロザリンデは席を立った。

 彼女が去った後、ヴァルディオはしばらく黙っていた。

 やがて、拳を握る。


「……そうか。彼女は、私の力を恐れているのだな」


 彼は立ち上がった。


「私が王になれば、皆もわかるはずだ!」


 その日、彼は王宮の執務室で、エルネスタが残した書類の山を見た。


「何だ、これは。誰がこんなに書類をため込んだのだ!」


 側近が、慎重に口を開いた。


「殿下。そちらは、今週中に処理が必要な案件でございます」


「ならば、すぐに処理しろ!」


「すでに担当者へ確認しております。ただ、いくつかは殿下ご自身のご判断が必要でして……」


「私の判断だと?」


「はい。先月の会議で、殿下が決定された事項です」


「……覚えていないぞ」


「議事録がございます」


「ならば、それを読めばよいだろう!」


「議事録は、こちらに」


 側近が差し出した書類は、三十枚あった。

 ヴァルディオは一枚目をめくり、二枚目をめくり、三枚目で眉をひそめた。


「……文字が多いな」


 側近は何も言わなかった。


「エルネスタは、これを全部読んでいたのか?」


「はい。毎回、関連資料も確認されておりました」


「……暇だったのだな」


 側近は、深く頭を下げた。

 それ以上、何を言っても無駄だと悟ったからだった。






△△△

「セレフィナ嬢。君なら、私の考えを理解してくれるだろう」


「どの考えでしょうか?」


「私は、古い慣習に縛られない王を目指している!」


「素晴らしいことですわね」


「そうだろう? だからこそ、私はエルネスタとの婚約を破棄した。自分の人生

を自分で選ぶためにな!」


「……それは、王太子として必要な決断だったのでしょうか?」


「もちろんだ!」


「そうですか」


 セレフィナ・ミルヴァートは、微笑みを崩さなかった。


「それで、私に何をお求めなのですか?」


「君と結婚したい!」


「お断りいたします」


「なぜだ!」


「殿下が、私と結婚したい理由をお聞きしても?」


「君は美しいし、聡明だ。王太子妃にふさわしい」


「私でなければならない理由は?」


「……君は美しく、聡明だからだ」


「それは、先ほど伺いました」


 ヴァルディオは腕を組んだ。


「君は、なかなか手強いな。だが、私はそういう女性を好む!」


「では、私は殿下の好みに合わないと思います」


「どうしてだ?」


「殿下は、私の話を聞いていらっしゃいませんから」


「聞いているではないか!」


「私が質問したことに、一度も答えてくださっていません」


「それは……」


 セレフィナは静かに続けた。


「殿下は、エルネスタ様との婚約を破棄されました。ミレシア様には断られ、ロ

ザリンデ様にも断られた。そして今、私に結婚を申し込んでいらっしゃる」


「それがどうした!」


「殿下は、相手が誰であっても、ご自身を受け入れてくれることだけを求めていらっしゃるのではありませんか?」


「私は王太子だぞ!」


「ええ。ですから、なおさら困るのです」


 セレフィナは立ち上がった。


「殿下が私の意見を聞かず、私の意思を尊重せず、それでも私に従うことを求め

るのなら、私は結婚できません」


「君は、私の妻になることで得られるものを理解していない!」


「理解しております。だからこそ、お断りしているのです」


「……君も、私を見限るというのか」


「見限るという表現は適切ではありませんわ。私は最初から、殿下のものではあ

りませんので」


 セレフィナは一礼した。


「失礼いたします」


 扉が閉じる。

 ヴァルディオは、しばらくその場に立ち尽くしていた。

 そして、やがて顔を上げた。


「……なるほど」


 彼は何かを理解したように頷いた。


「皆、私の器の大きさに気後れしているのだな」


 その結論に至るまで、彼は一度も自分を疑わなかった。

 翌日、ヴァルディオは王宮の広間で、側近たちに宣言した。


「私は、王太子妃にふさわしい女性を選ぶため、しばらく婚姻を見送ることにした!」


 側近たちは、誰も拍手をしなかった。


「……何だ、その顔は?」


「いえ。ご英断かと存じます」


「そうだろう!」


 ヴァルディオは満足そうに頷いた。


「わかる者にはわかるのだ!」


 側近は、静かに目を伏せた。

 彼らはすでに、別のことを考えていた。

 このままでは、国が持たない。





△△△

「ヴァルディオ。座りなさい」


「父上、何か御用ですか?」


「ある。非常に重大な用件だ」


 国王は、机の上に書類を並べた。


「まず、隣国との交易交渉についてだ。予定されていた協定の締結が延期された」


「なぜです?」


「交渉資料の作成者が退任し、代わりに内容を把握している者がいなかったからだ」


「それは担当者の怠慢でしょう!」


「担当者は、エルネスタが婚約破棄と同時に王宮での補佐を辞したことを受け、必要な引き継ぎを求めていたそうだ」


「……あれは、私の婚約者だったのですから、当然でしょう?」


「当然?」


 国王の声が低くなった。


「お前は、彼女が王太子の補佐として何をしていたのか、理解しているのか?」


「私の仕事を手伝っていました」


「どのように?」


「……さまざまなことを」


「具体的に答えなさい」


「書類を整理したり、会議の準備をしたり……」


「それだけか?」


「ほかにもあったと思いますが」


 国王は目を閉じた。


「では、財務報告の不備については?」


「担当者に確認すればよいでしょう」


「担当者は、お前が承認した予算案について説明を求めている」


「私が承認したのなら、問題ないはずです!」


「内容を把握していないのに、何をもって問題ないと言うのだ」


「私は王太子です!」


「それは答えになっていない!」


 部屋に声が響いた。

 ヴァルディオは驚いたように口を閉じた。


「お前は、エルネスタが作成した報告書を自分の功績として発表したそうだな」


「彼女は私の補佐でした。私の指示に従って作成したものです」


「作成したのは彼女だ。関係者の証言も、記録も残っている」


「細かいことを問題にする必要はありません!」


「細かいこと?」


 国王は、書類を一枚持ち上げた。


「お前が成果を横取りしたと、複数の貴族から正式な抗議が届いている。婚約破

棄についても、ヴァルケイン公爵家だけでなく、他の家から説明を求められた」


「私の結婚は、私が決めることです!」


「結婚だけの話ではない!」


 国王は机を叩いた。


「お前は、王太子としての責任を理解していない。自分を支える者を軽んじ、忠

告する者を遠ざけ、都合が悪くなると他人の責任にする!」


「私は、国を新しい時代へ導こうとしているのです!」


「ならば、まず目の前の仕事を理解しなさい!」


「……父上は、私を信じてくださらないのですか?」


「信頼とは、地位に付属する飾りではない。行動によって得るものだ」


 ヴァルディオは、しばらく黙っていた。

 やがて、顔を上げた。


「わかりました。つまり、私はまだ若いということですね」


「……何?」


「若い王太子が改革を進めようとすれば、周囲は反発するものです。父上も、かつてはそうだったのでしょう?」


「私は今、お前の行動について話している」


「ご心配なく。私は必ず、皆に認められる王になります!」


 国王は、長い沈黙の後、側近に告げた。


「王太子の職務を一部停止し、監査を開始せよ。これまでの決裁記録をすべて確

認する」


「承知いたしました」


「父上! それでは私の立場が!」


「立場を守りたいのなら、責任を果たせ」


 ヴァルディオは、不満そうに口を尖らせた。


「……ずいぶんと厳しいことをおっしゃる」


 国王は答えなかった。

 もう、言葉で教えられる段階は過ぎていた。







△△△

「ヴァルディオ・レグナート王太子。お前の王位継承権を停止する」


 王宮の評議室で、国王は宣告した。


「……は?」


「王太子としての職務を継続する能力がないと判断された。財務報告の不備、外交交渉の停滞、功績の不適切な公表、そして婚約破棄に際しての振る舞い。いずれも、王族として看過できない」


「お待ちください! 婚約破棄は、私の自由でしょう!」


「婚約を破棄したことだけが問題なのではない。相手を公衆の面前で侮辱し、事実を確認せずに断罪し、その後も自分の行動を正当化し続けたことが問題なのだ」


「しかし、私はエルネスタに問題があると考えたのです!」


「その根拠は?」


「……私が、そう感じたからです」


 評議室に沈黙が落ちた。


「それが、お前の答えか」


 国王は、疲れたように息を吐いた。


「さらに、お前がエルネスタの功績として報告すべき成果を、自分のものとして

扱っていたことも確認された。彼女が去った後、これまで誰が王太子の職務を支えていたのか、ようやく明らかになった」


「彼女は私の婚約者だったのですから、私を支えるのは当然です!」


「その当然を、お前は理解していなかった」


「では、どうすればよかったというのですか!」


「彼女の仕事を認め、感謝し、必要ならば話し合うことだ」


「……そんなことで、国が変わるのですか?」


 国王は、答えなかった。

 代わりに、評議員の一人が口を開いた。


「殿下。私どもが求めているのは、特別なことではございません。ご自身の判断

に責任を持ち、他者の働きを正しく評価していただきたい。それだけです」


「それだけなら、できている!」


「では、なぜ今回の事態が起きたのでしょうか」


「それは……周囲が、私に協力しなかったからです!」


 誰もが、静かに目を伏せた。

 この場にいる人間は、すでに何度も彼に機会を与えていた。

 説明もした。忠告もした。失敗を取り戻す時間も与えた。

 そのたびに彼は、自分が正しいと主張した。


「王太子の地位は、一時的に弟へ移す。お前には、これまでの決裁について説

明責任を果たしてもらう」


「父上! お考え直しください!」


「決定した」


「私は、こんな扱いを受ける人間ではありません!」


 国王は立ち上がった。


「それを決めるのは、お前ではない」


 扉が開かれた。

 待機していた衛兵が、ヴァルディオを退室させるために進み出る。


「離せ! 私は王太子だぞ!」


 その声を聞きながら、評議員たちは誰も動かなかった。

 彼の地位が失われたのは、たった一度の婚約破棄のためではない。

 婚約破棄は、最後の決め手だった。

 それまで彼を支えていた人々が、支えることをやめた。

 ただ、それだけのことだった。





(エルネスタ目線)

「エルネスタ様。王太子殿下が継承権を停止されたそうです」


「そうですか」


 私は、書類から顔を上げた。

 領地の古い校舎を改修するための見積書だった。


「驚かれませんか?」


「驚きましたよ」


「……そうですか」


「ただ、私が何かをする必要はないと思います」


 私は書類を閉じた。


「私がいなくなった後のことは、私の責任ではありませんから」


 侍女は、少しだけ表情を和らげた。


「こちらの学校ですが、来月から新しい教室を使えるそうです」


「本当ですか?」


「はい。子供たちも、楽しみにしているそうですよ」


「それはよかった」


 私は窓の外を見た。

 庭では、子供たちが走り回っていた。

 以前の私は、王宮で誰かのために働くことばかり考えていた。

 自分が何をしたいのかなど、考える余裕もなかった。

 今は違う。


 明日、どの本を買おうか。

 次の授業では何を教えようか。

 子供たちがもっと学びやすくなるには、何が必要だろうか。

 考えたいことが、いくらでもあった。


「エルネスタ様」


「はい?」


「……お幸せそうですね」


 私は少し考えてから、笑った。


「ええ。今は、とても」


 その頃、王宮では。


「なぜだ……なぜ、誰も私の価値を理解しないのだ!」


 ヴァルディオは、山積みになった説明書類を前に叫んでいた。


「殿下。こちらの書類にも、ご署名をお願いいたします」


「後にしろ!」


「期限が本日まででございます」


「ならば、お前が何とかしろ!」


「私には決裁権がございません」


「融通が利かないな!」


 ヴァルディオは椅子に背中を預けた。


「……エルネスタがいれば、こんなことにはならなかったのに」


 その言葉を聞いた側近は、静かに答えた。


「エルネスタ様は、もうこちらにはいらっしゃいません」


「わかっている!」


「では、ご自身でなさってください」


 側近は一礼し、部屋を出ていった。


「……まったく、どいつもこいつも!」


 ヴァルディオは不満を口にしながら、書類を一枚手に取った。

 そして、最初の一行を読んだところで、眉をひそめた。


「……文字が多すぎる!」


 彼は知らなかった。

 かつてエルネスタが、こうした書類を毎日読み、必要な情報を整理し、彼が判断できる形に整えていたことを。

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― 新着の感想 ―
とんでもないバカを見たw
「ヴァルディオ・レグナート王太子殿下。あなたの王位継承権を停止する」 「王太子の地位は、一時的に弟君へ移す。お前には、(略)」 『あなた』『弟君』と、国王が言う台詞にしては?ですね。 『お前』とか『…
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