婚約破棄されたので、お父様と一緒に推し活します
# 婚約破棄されたので、お父様と一緒に推し活します
王都の大夜会で、盛大に婚約を破棄された。
その足で、私――ロザリア・ヴァルハイト公爵令嬢は、深夜の公爵邸を訪れた。向かった先は、当主である父の執務室だ。
重厚なオーク材の扉を開けると、書類の山の向こうから父が顔を上げた。眼鏡の奥で、切れ長の瞳が静かに光る。
「おかえり、ロザリア。……その様子では、例の縁談は無事に決裂したようだな」
冷酷無比と恐れられるアレクシス・ヴァルハイト公爵。
彼は、私の実の父である。
「決裂どころじゃないわよ、拓也さん」
私はドレスの裾をつまみ、ソファに身を投げ出した。
「ここではその名で呼ぶなと言っているだろう、美咲。一応、公爵の威厳というものがある」
そう。私たち親子には、誰にも明かせない秘密があった。
二人とも前世の記憶を持っている。
そして前世では、同じ二次元アイドルコンテンツに人生を捧げた、筋金入りの同担オタク仲間だったのだ。
私は社会人、彼は職場の気難しい先輩。コミケ前には互いの原稿を手伝い、推しのライブツアーには地方まで遠征した。深夜バスで腰を痛めた日も、限定グッズのために始発で並んだ日も、二人で乗り越えてきた。
そんな私たちが、なぜか異世界で父と娘に転生した。
「で? 王子は何と言ったんだ」
父――前世のハンドルネームは「たくやP」――は、ペンを置いて眉間を揉んだ。
「お決まりの台詞よ。『私は平民出身の男爵令嬢マリアと真実の愛に目覚めた。冷酷なお前との婚約を破棄する』って。貴族が勢ぞろいした会場で、指までさされたわ」
「うわあ……。文章で読むのと、生で聞くのとではダメージが違うな」
「そのうえマリア嬢は『ロザリア様に階段から突き落とされそうになりましたぁ』って泣き真似。私はその時間、図書室で魔法陣の論文を読んでいたのに」
「知っている。『推しの概念カクテルを作る魔法陣ができた』と、通信魔導具で報告してきた時間だろう」
「そう、それよ」
運ばれてきた紅茶をひと口飲み、私は息をついた。
「それで、どうするの? 王家は謝罪する気もないみたい。国王陛下は王子に甘いし」
「決まっている」
父は眼鏡を外した。
その顔に浮かんだ冷たい笑みに、使用人たちがいたら身をすくめただろう。
でも、私にはわかる。前世で推しの限定ガチャが天井まで出なかったとき、彼が「排出率の表示に問題がないか、運営のログを調べる」と表計算ソフトを開いたときと同じ顔だ。
「うちの娘を大勢の前で侮辱したんだ。無傷で済むと思うなよ」
「頼もしいわ、お父様。どんな手を使うの?」
「嫌がらせではない。契約に基づいて、王家に責任を取らせる」
父は机の上に書類を広げた。
「まず、王都と我が領を結ぶ転移魔導鉄道だ。設備の安全点検を理由に、明朝から王族専用区間の運行を停止する。一般旅客の路線は、代替便を用意したうえで通常運行を続ける」
「住民への影響を抑えるのね。さすがお父様」
「王立騎士団の装備についても、契約に基づく定期点検を行う。代替装備が届くまで、納入済みの品を順次引き揚げる」
「有給休暇ではないの?」
「それは工房の職人たちが、休暇を申請したがっているだけだ。彼らの権利は尊重する」
「急に現実的!」
父は涼しい顔で次の書類を示した。
「来週の王立劇場の公演については、王家が貴賓席を外交目的で独占する契約になっている。あの席を、出演者に相談もなく政治利用しようとしたらしいな」
「隣国の王族を招いて、王家の威光を見せつけるんですって」
「ならば、主催者側に公演の契約を見直させる。出演者の安全と意思を確認するまで、王家の貴賓席は取り消しだ」
父は、口元だけで笑った。
「全額出資したのは私だ。推しの舞台を、政治の飾りに使わせるつもりはない」
「オタクの怒りって、どうしてこう具体的なのかしら」
私は呆れたふりをしたが、胸のつかえが少し軽くなっていた。
父は優秀なプロジェクトマネージャーだった。根回しも、交渉も、契約の確認も、何をするにも抜かりがない。そのうえ、推しを侮辱されたときの行動はとにかく早い。
「……そこまでして、大丈夫?」
少し迷ってから尋ねると、父は書類から目を上げた。私の隣に来て、ぎこちない手つきで頭を撫でる。
「美咲。いや、ロザリア」
「なあに?」
「前世でお前が過労で倒れたとき、俺は締切に追われていて、そばにいられなかった。気がついたときには、お前はもういなかった。俺も、その後すぐに死んだ」
「二人とも、不摂生だったものね」
「今世では、俺はお前の父親だ。理不尽に傷つけられた娘を守らずに、何が父親だ」
父の瞳には、前世から変わらない仲間としての親しさと、今世で育まれた父親としての愛情があった。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
「ありがとう、お父様」
「当然のことだ」
「でも、マリア嬢はどうするの? 自分が悪役令嬢を断罪したヒロインだと信じているみたいだけど」
「ああ。男爵家は、うちの商会から借りた資金で投機をしている。返済期限は明日だ」
「えげつない!」
「契約どおりの請求をするだけだ」
父は平然と言った。
◇◇◇
翌朝、王都は騒然となった。
王族専用の転移魔導鉄道は点検のため運休となり、隣国の賓客を迎えに行く予定だった一行は、急きょ別の手段を探すことになった。
王立騎士団には、契約に基づいた装備の点検通知が届いた。代替品が届くまで、いくつかの部隊は予定していた行事への参加を見送ることになった。
そして王立劇場では、出演者と協議が終わるまで、王家が独占していた貴賓席の使用が取り消された。
追い打ちをかけるように、公爵家から王家へ正式な文書が届く。
婚約破棄に伴う違約金の請求。
さらに、王宮結界の維持について、契約内容を再確認するまで追加の無償支援を停止するという通知だった。
公爵家が一方的に国を困らせたわけではない。これまで王家が特別扱いを受けていた契約を、定められた手続きに戻しただけだ。
だが、王家にとっては十分すぎる打撃だった。
事態を知った国王は、エドワード王子を執務室に呼びつけたという。
「貴様が何をしたのかわかっているのか! お前が侮辱したのは、ただの令嬢ではない。王国を支えるヴァルハイト公爵家だ!」
数日後。
エドワード王子とマリア嬢が、公爵邸の門前に現れた。
王子は青ざめ、マリア嬢は質素な服を着ている。男爵家の資産は差し押さえられ、返済の見通しも立っていないらしい。
「ロザリア、すまなかった! 僕が悪かった。どうか公爵に取りなしてくれ!」
門の内側から見下ろしても、以前の傲慢さはもうなかった。
私はバルコニーで紅茶を飲みながら、隣に立つ父を見上げた。
「どうする? 許してあげる?」
「許すかどうかは、王家と法が決めることだ。こちらは請求したものを受け取り、契約の範囲で対応する」
「さすがお父様。冷静ね」
「ただし、推しを侮辱した者を我が家の催しに招くことはない」
「それは前世のルールじゃない?」
「今世でも適用する」
父は満足げにうなずいた。
エドワード王子は、後日、王位継承権を失った。マリア嬢と男爵家についても、資産の調査と返済の手続きが進められた。二人がどうなるかは、これから王家と裁判所が決めることだ。
少なくとも、私が元の婚約者を助けるために王都へ戻ることはない。
◇◇◇
それからしばらくして、父は一枚の羊皮紙を私に差し出した。
「隣国の帝国から、親善大使として皇太子が来るそうだ」
「縁談の話?」
「今のところは違うらしい」
「よかった。面倒な話はしばらくお休みしたいわ」
「黒髪の短髪で、無口な美形だそうだ」
私は紅茶のカップを置いた。
「……え?」
「趣味は魔導模型の収集。休日は工房にこもっているらしい」
「ちょっと待って。その特徴って、前世で私たちが神引きした限定カードの……」
「ああ。推しのビジュアルそのものだ」
父は、今夜いちばん悪い顔で笑った。
「来週、帝国で大規模な即売会がある。親善訪問に合わせて、見学の機会を作れるかもしれない」
「それって、遠征のお誘い?」
「父娘で行く。もちろん公式訪問の範囲内でな」
「行きましょう、お父様! ドレスと魔導具の準備をしなくちゃ!」
「まずは先方への礼状だ。推しに会う前に、外交上の段取りを整えるぞ」
「わかってるわ。遠征準備は計画的に、ね!」
婚約破棄の夜から始まった、私の新しい人生。
失った婚約者のことは、もう気にならない。
前世からの推し仲間で、今世では頼れる父親のおかげで、これからの毎日はきっと忙しくて、楽しい。
父と娘の推し活遠征は、まだ始まったばかりだ。




