私は一度も嘘をついていない
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── 私だけが、本当のことを知っている ──
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誰も、私の苦しみを理解できない。
それが、五十七年間必死に生きてきた、桐島恵の、偽らざる実感だった。
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娘の美咲が連絡をよこさなくなって、もう十二年になる。
十二年。長い、長い年月だ。母親を捨てた娘が十二年間、一度も顔を見せない。愚かな世間の人々はきっとこう思うだろう。「よほど酷いことをされたのだろう」と。
正解である。私がひどいことをされた側なのだ。
美咲は小学三年生のとき、私の母――つまり美咲の祖母の家に預けられた。「預けられた」というのは正確には語弊があるかもしれない。世間的な目から見れば「捨てられた」と映るかもしれないが、それは表面だけを見た浅はかな曲解だ。私には、私なりの事情があった。
当時、私はカズくん――本名、田村一輝、ホストクラブ「ルナ・ノワール」のナンバーワン――に夢中だった。夢中、というのも少し違う。あれは純愛だった。純粋な、魂のぶつかり合いだった。
カズくんは私を「姫」と呼んだ。三十八歳の、子持ちの、パート勤めの私を。
姫、と呼ばれるたびに、私は生まれ直すような気がした。
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誤解してほしくないのだが、私はべつに育児を放棄したわけではない。
美咲には毎月、学校に必要なものを買ってやれるよう、母に多少の仕送りをしていた。多少、というのが正確な額かどうかは記憶が曖昧だが、気持ちはたしかに送っていた。気持ちというのは金額では測れない。
それに、私だって辛かった。カズくんへの貢ぎ物を用意するために、朝から夜まで掛け持ちでパートをして、それでも足りなくてキャッシングをして、取り立ての電話が来るたびに胃が痛んで――それのどこが幸せな生活だというのか。
私は被害者だった。
ホストに騙される女は、みんな被害者だ。カズくんが私に向けていた笑顔が、職業的な作り笑いだったと気づいたのは、担当を外されてからのことだった。新しい姫ができたらしい、と風の噂に聞いた夜、私はトイレで三時間泣いた。
その涙の重みを、誰が理解できるというのか。
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美咲が成人したあと、一度だけ会いに来たことがある。
そのときの娘の顔を、私は今でもよく覚えている。妙に落ち着いた、老けた顔だった。二十歳なのに、目に笑いがなかった。
「お母さん、私のこと、覚えてる?」
馬鹿にしているのかと思った。忘れるわけがない。私のお腹を痛めて産んだ子だ。
「覚えてるに決まってるでしょ。何を言ってるの」
「そう」と美咲は言った。それだけだった。
あの子はもともと、口数の少ない子だった。私に似ず、感情を表に出さない、難しい子だった。育てにくかった。そういう子を持つ親の苦労というのも、なかなか理解されない。
美咲はお茶を一杯飲んで、帰った。置いていったのは、実家から引き取った荷物の整理が終わったという書面と、祖母の位牌の写真だった。
母は、私が気づかないうちに死んでいた。
それを責める気にはなれない。忙しかったのだ、私は。
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今、私は月十三万円の生活保護を受けて、四畳半のアパートで暮らしている。
隣の部屋の住人はいつも夜中に咳をしている。台所の蛇口は少し緩んでいて、夜になるとぽたりぽたりと音がする。テレビは五年前に壊れた。
暇な時間に、私はよく昔のことを考える。
カズくんのことを考える。今ごろどこで何をしているのだろう。あの人も、私のことをたまには思い出すだろうか。「姫」と呼ばれた夜のことを。
きっと思い出している、と私は思う。あれだけ深く交わった魂が、まったく相手のことを忘れるなんてことは、ありえない。
美咲のことも、たまに考える。
元気にしているだろうか。結婚しただろうか。子供はいるだろうか。私には孫がいるかもしれない。一度も会ったことのない孫が。
それは美咲が連絡を寄越さないせいだ。
私は待っている。いつでも、娘が戻ってきたら受け入れる準備がある。母親とはそういうものだ。どんな子でも、どんなことがあっても、受け入れる。それが母というものだ。
私はずっと、そういう母親だった。
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ケースワーカーの田中さんという若い女性が、月に一度訪ねてくる。
先月、田中さんがこんなことを言った。
「桐島さん、娘さんに連絡は取れていますか?」
「あの子が連絡してこないんです」と私は答えた。「私は待ってるんですけどね」
田中さんは少し間を置いて、「そうですか」と言った。その「そうですか」の言い方が、どこか妙だった。何かを飲み込んだような、言いかけてやめたような。
若い人は、複雑な人生経験のある大人の事情を理解できない。仕方のないことだ。
田中さんが帰ったあと、私はまた昔のことを考えた。
私の人生は、不運だったと思う。もし別の環境に生まれていたら。もしカズくんに出会っていなかったら。もし、もし、もし――。
でも、そんなことを言っても仕方ない。
私はただ、愛に生きた女だった。
それだけは、誰にも否定させない。
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**エピローグ**
美咲は今、別の町で夫と二人で暮らしている。
子供は作らなかった。
理由は、誰にも話していない。
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