第一級禁域魔道書店
「ごめんくださーい」
一見するとただの民家としか思えない扉を開けたニニーは、「うわぁ」感嘆の声を漏らした。
舞う埃の一粒さえ影を残す木漏れ日の差すような空間に、吹き抜けた二階の天井まで伸びた本棚の列、隙間なく整然と並んだ魔導書たち、年老いた紙と擦れたインクと気品のある木材の甘い匂い。それらの光景があまりにも神秘的で、ニニーは扉が閉まってもなお、入り口で立ち止まったままであった。
——本当にあったんだ。
感動も一入といったところで、すでに目的を達成した心地になっていたニニーだったが、首を小さく振ってここに来た用事を思い出す。
——魔導書を買いに来たんだ。
そのすべからくを禁書に指定されて久しい魔導書を買うには、店主に話を通さなければならない。
ニニーはひとまず、本棚にある魔導書のタイトルを流し見しながら、店の奥へと進んで行く。
一列目、二列目、と読んでみたい本の誘惑にそわそわしていると、横合いから飛び出してきた少女とぶつかりそうになった。
「いらっしゃいませ!」
花でも咲いたような笑みで出迎える少女に驚いて、ニニーはよろめき本棚に衝突した。
ゴン、と揺れた本棚から飛び出してきた魔導書がニニーの頭頂部を小突き、「いったぁ」ニニーは頭を抱えてうずくまる。
「だいじょうぶ?」
「だ、大丈夫」
涙目になりながら笑顔を作るニニーは、「店主さんっている?」頭を撫でてくれている少女に訊ねた。
「いるよ」
「あ、じゃあ案内してもらえる?」
「それはむり」
「え」
「だってここにいるもん」
「うそっ」
ニニーは辺りをキョロキョロと窺ったが、本棚と魔導書しか目に付くものはない。「えっと、どこに?」ニニーは改めて少女を見ると、「ここに!」少女は腰に手を当て胸を張った。
「……えーっと?」
「リリーがね、ここのてんしゅなの」
「あー、うん。え?」
「おねーちゃん、なまえは?」
「あっ、ニニーです」
「ニニーちゃん! リリーとニニーって、にてるね」
「そ、そうだね」
ニニーはどうするべきかと悩んでいた。リリーと名乗る少女は店主を自称しているが、そういう遊びなのだろう。よくあるおままごとの延長だ。しかし、彼女にとっては現実であり、今は本当に店主なのだ。それを無理やり訂正して機嫌を損ね、それが原因で魔導書を売ってもらえなくなるなんてことがあるかもしれない。でも、このまま付き合っていても魔導書は手に入らない。ニニーは痛みの引いた頭をまた抱えて唸り声を上げた。
「ニニーちゃんはなにしにきたの」
「……魔導書を買いに」
「だよね! じゃあそれあげる」
「へっ?」
リリーはニニーの頭に落ちてきた魔導書を指差して言った。
素っ頓狂な声を上げて、理解の追いついたニニーは「いや、え」なおも困惑していた。
「いいの?」——いいわけないだろ。
「いいよ」
——いいの!?
「あ、お代は」
「おかねはいらない」
「えぇ?」
「はいどーぞ」
「『エイズスの写本十三番』」
リリーに拾われ手渡された魔導書を受け取ったニニーはタイトルを読み上げた。魔導書の多くは、どのような魔法が入っているかをタイトルで明示しているものだ。しかし、『エイズスの写本十三番』などという魔法をニニーは聞いたことがなかった。
「ねえこれって」
「はいはい。かったならかえったかえった」
誰の真似だろうか、ニニーは疑問共々背中を押されて店から追い出されてしまった。
「いいのかな、ほんとに」
しばらくの間、店の扉の前で放心していたニニーだったが、「まあいっか」ほとんど諦めたように自身へと言い聞かせると、足取り軽く家路についた。
日の沈みだした店内に明かりが灯った。
「おーいリリー」
「はーい!」
店の奥から出てきた男に呼ばれて、元気よく返事をしたリリーは男の下へと駆け出した。
「ちゃんと店番できたか?」
「うん!」
「そうかそうか」
男はリリーを抱きかかえ「よくやった」と頭を撫でた。
こんな少女を店に一人、それも長時間店番をさせておくというのは大問題なのだが、それは客なんてこないと確信してのことであった。
「あのね、リリーね、きょうね」
「はいはいどうした」
——飯の準備でもするか。
話半分に聞き流しながら、男がリリーを下ろして背を向けた時である。
「まどーしょをあげたの」
「……ん?」
「おきゃくさんがきてね、あげたの」
瞠目する男をよそに、リリーは褒めてと言わんばかりに誇らしげな表情をしていた。
「ちなみに、何をあげたんだ?」
「エイズスのやつ!」
男は思わず天を仰ぎ、数秒の間停止した。それは現実から逃避し、戻って来るまでの時間である。
本来、許可のないものに魔導書を売ることは法律で禁止されている。魔導書とは、読むだけで魔法を扱えるようになってしまうものであり、よからぬことに使おうと思えばいくらでも悪事ができてしまう代物なのだ。ゆえに禁書に指定され、厳重な管理が必要であった。それでも大したことのない魔導書ならまだいい。どうとでも対処できるし、読まれてしまっても仕方がないと諦めることもできる。だが、よりにもよって、第一級禁域指定の三大経典の一つ、エイズスの写本が見知らぬ人間の手に渡ったとあれば、どのような手を使ってでも回収しなければならない。
あわよくば、魔導書を読まれる前に。
そして、読まれていた場合は……。
男は現実へ戻って来ると、長く長く息を吐いて、覚悟を決めた。
「リリー。エイズスの写本が今どこにあるか分かるか」
「わかるよ。エイズスの魔力がばくはつしてるもん」
「……早く言えよ!」
男は杖とローブとリリーを抱えて店から飛び出した。




