桐山家の人々
庭の薔薇が満開を迎える頃、桐山別邸に神戸の本宅から手紙が届いた。
執事に差し出された封筒を開け、便せんに目を通した憲斗は、うんざりしたように溜め息をついて、手紙を机の上に放った。
「あの人たちが来るのか……」
父と母が、光香に会いに訪ねてくるという内容だった。「婚儀ではゆっくり話せなかったから」ということらしい。
「無視をするわけにもいかない……」
光香は桐山家の嫁になった。両親に会わせないわけにはいかない。
そもそも、佐代原家との縁談を纏めたのは父だ。
憲斗の婚約者候補は光香以外にも数人いたが、特に佐代原家が、娘を帆波屋の御曹司に嫁入りさせようと躍起だった。候補の中で最も家柄が良かったこともあり、父は縁談を承知したらしい。
佐代原家は華族とはいえ、今は財産も少なく、困窮しているという。
長男の浩太郎が、金持ちの実業家の令嬢に取り入り、家庭教師をして収入を得ていると聞いたが、桐原家からの援助は喉から手が出るほど欲しかったに違いない。
憲斗と光香の結婚は、政略結婚以外の何物でもなかった。
*
「えっ、来週、大旦那様……お義父様と、お義母様がいらっしゃるのですか?」
薔薇園で花を摘んでいた琴絵は、菊からその報告を聞き、目を瞬かせた。
「はい。おそらく、奥様のお顔を見にお越しになるのだと思います」
「婚儀の日はあまりお話ができなかったけれど、お義父様とお義母様はどのような方なのでしょうか」
「大旦那様は厳しく気難しい方ですが、あや様はとてもお優しい方です。旦那様の腹違いの弟君にあたられる崇様もお越しになるそうですよ。崇様はまだ十歳で、無邪気で可愛らしい方です」
「旦那様には弟君がいらっしゃったのですね」
腹違いということは、辰喜とあやの間にできた子どもなのだろう。
「ただ少し……本邸のご家族様と旦那様は、上手くいっておられないようで……」
菊が不安そうに付け足す。
「どういうことですか?」
「大旦那様は跡継ぎとして旦那様を厳しく教育なさってこられたのだと聞きました。あや様と旦那様は血が繋がっておられませんし、崇様も後妻のあや様のお子様なので、複雑なお気持ちがあられるのかと……」
そう言った後、菊は喋り過ぎたと思ったのか、慌てたように、
「すみません! こんなお話を奥様にお聞かせして!」
と、謝った。
「いいえ。教えてくださってありがとうございました。菊」
琴絵は憲斗と実家の事情を聞き、考え込んだ。
家族の関係がうまくいっていないというのなら、今度の訪問は憲斗としては内心複雑かもしれない。
憲斗は相変わらず仕事で忙しく、肉体的にも精神的にも疲れているようにみえる。
これ以上負担がかかると、本当に体調をくずしてしまいそうだ。
(私に、何かできることはあるかしら……)
できるならば、家族和やかに過ごしてほしい。
「菊、教えてほしいことがあります」
琴絵は真剣な表情で菊に問いかけた。
*
それから数日後、桐山辰喜とあや夫妻、その息子の崇が、桐山別邸にやってきた。
別邸で働く使用人一同が玄関外に並び、琴絵と憲斗は邸宅の中で待ち構え、桐山家当主と妻、次男を出迎えた。
「父上、お久しぶりでございます」
「うむ」
息子の顔を見て、辰喜は鷹揚に頷いた。
品のいい着物を着たあやが崇と手を繋ぎ、控えめに辰喜の後ろに立っている。辰喜はゆうに五十歳を超えていたが、あやはまだ三十代だ。
辰喜が琴絵に鋭いまなざしを向けた。
桐山家の嫁として相応しいか測られているように感じ、琴絵は緊張した。
辰喜はそのまま何も言わず、執事に鞄を手渡した。辰喜も、憲斗に負けず劣らず仕事の鬼だと聞いている。確認しなければならない書類や、憲斗と打ち合わせが必要な案件などを持参したのだろう。
一方、あやは憲斗と琴絵の顔を交互に見た後、淡く微笑み、お辞儀をした。
崇が母の手を離し、憲斗のもとへ駆け寄ってくる。
「お兄様、こんにちは! お義姉様、はじめまして!」
子どもらしい高い声で挨拶をされる。
弟の優と姿が重なり、琴絵は微笑ましい気持ちになった。
「はじめまして、崇様」
にこやかに挨拶をする琴絵の横で、憲斗は無言のまま崇を見下ろしている。
「お兄様にお話したいことがたくさんあるのです! この間、お父様が港へ連れて行ってくださったんですよ。大きな船を見ました!」
「そうか」
素っ気なく返事をした後、憲斗は父に目を向けた。
「お茶を用意させています。応接間へどうぞ」
「うむ」
会話少なく邸の中へ入っていく父子を、琴絵は複雑な思いで見つめる。憲斗に無視をされた崇が悲しそうな顔をしていて、胸が痛んだ。
ふと視線を感じて振り返ると、あやが琴絵を見ていた。困ったような、申し訳なさそうな顔で微笑んでいる。琴絵に気を使っているのだろう。
「お義母様もどうぞ応接間へ」
琴絵が声をかけると、あやは頷いた。崇の手を握り、案内をする琴絵に付いてくる。
(婚儀の時にも思ったけれど、美しい方だわ)
瓜実顔で少し垂れた目もとが優しい雰囲気だ。
色の白い肌が、彼女の線の細さを際立たせていた。
応接間へ行くと、憲斗と辰喜は真面目な表情で仕事の話をしていた。
「新規店の準備は進んでいるか?」
「今、腕のよい料理人を捜しているところです。その後は給仕人を募集し、教育に入ろうと考えています」
琴絵とあやと崇は、父子の向かい側のソファーに座った。
琴絵が応接間に控える菊と女中たちに目配せすると、菓子とお茶が運ばれてきた。
緊張しているのか、硬い表情で用意をする女中たちを見守る。
崇が真っ先に焼き菓子に手を伸ばした。フォークを突き刺し、一口食べて、目を輝かせた。
「すごくおいしい!」
満面の笑みを浮かべた崇を見て、琴絵はホッとした。
あやも興味を惹かれたのか、黄金色の焼き菓子を一口大に切り、上品に食べる。
「まあ……。しっとりとした感触と甘さがとてもおいしいです。これはどちらのお菓子なのですか?」
「お店のものではございません。このバターケーキは手作りです」
「手作り? すごいですね。どの女中さんがお作りになられたのですか? それとも、料理人さんかしら」
女中の顔を見回したあやに、琴絵は迷ったが、遠慮がちに答えた。
「私が作りました」
「えっ」
あやが目を丸くする。
「あや様と崇様は甘い物がお好きだと聞きましたので……」
「私たちのために?」
琴絵はこくんと頷いた。あやの笑みが深くなる。
「あなたはお料理をなさるのね。お心遣い嬉しいわ。ありがとうございます、琴絵さん」
目を細めたあやを見て、琴絵はほっとした。菊から聞いていたとおり、あやは優しい性分のようだ。
女性たちの会話が聞こえていたのか、憲斗がちらりとこちらを見た。
けれど、何も言わずに辰喜と話を続けている。
二人の仕事の話を邪魔してはいけないと思ったのか、あやはそれ以降、時折やんちゃをしそうになる崇を注意する以外は口を開かず、琴絵も黙ったまま、桐原家の家族たちを見守った。




