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琴絵と菊

 琴絵と憲斗が微妙な距離感を保ちながら、さらに数日が経った。


「奥様! 奥様~!」


 邸のほうから菊の声が聞こえ、庭を掃いていた琴絵は顔を上げた。


「菊」


 駆け寄ってきた菊は慌てた様子で琴絵の箒を掴んだ。


「奥様、何をなさっておられるのですか!」

「お庭の掃除です」

「そのようなこと、結構です、奥様! 私たちがやりますので」


 菊に箒を取られてしまい、琴絵は困った表情を浮かべた。


「邸の窓を拭こうとしたら、スズさんにも叱られてしまいました」


 先程、邸内でサンルームの窓拭きをしていた時、今の菊と同じようにスズが飛んで来て、琴絵から雑巾を取り上げてしまった。

 部屋の掃除は澄代が、洗濯は多喜が行っている。

 なんとか見つけた仕事が庭の掃除だったので、菊に止められるとできることがなくなってしまう。


「奥様はどうしてそのように家事をなさろうとするのですか……」


 菊は呆れたように額を押さえた。


「この家に置いていただいているのですもの、桐山家の一員として、私も何かお役に立ちたくて……」

「奥様はこのお邸の女主人です! 気を使われなくてもよいのです! どっしりと構えていてください!」


 菊が身を乗り出して琴絵を注意する。

 元々は大きな造り酒屋のお嬢様だったとはいえ、先日まで働きに出ていた琴絵はじっとしていると落ち着かなくて仕方ないのだ。

 それに、この家は広く、四人の女中たちでは日々の掃除の手が回らない。見ていると自分も何か手伝いたくなる。


「東屋に午後のおやつをご用意いたしますから、のんびりなさってください」


 菊に背中を押され、薔薇園の中にある東屋に連れて行かれてしまった。

 桐山別邸の庭には見事な薔薇園がある。定期的に庭師がやってきて、常に美しく整えられていた。


「こちらの薔薇園はとても素敵ですね。少しずつ薔薇が咲き始めていて、満開になるとどのようになるのか楽しみです」


 琴絵がそう言うと、菊は嬉しそうに笑った。


「満開になったら、それはもう美しいんですよ! このお邸の薔薇園は旦那様の自慢なのです」

「旦那様の?」

「旦那様の亡きお母様が愛しておられたお庭ですので」

「まあ……」


 琴絵は初めて聞く話に興味を持った。

 婚儀に出席していた桐山辰喜(たつのぶ)の妻・あやは、憲斗の母にしては若かった。琴絵は「もしかすると」と思っていたが、やはりあやは辰喜の後妻だったようだ。


「旦那様のお母様はいつ頃お亡くなりになったのですか?」

「旦那様が九歳の時だと聞きました。その後、大旦那様は女中だったあや様と再婚をなさったのです」

「えっ? 女中?」


 菊の口から次々と飛び出してくる新事実に驚き、琴絵は目を丸くした。そんな琴絵を見て、菊も目を丸くする。


「もしかして奥様……ご存じなかったのですか?」

「え、ええ……」

「奥様! ここにお座りになってお待ちください! お茶と水菓子を取って参ります!」


 菊は「余計なことを言ってしまった」という表情を浮かべて、慌てて話題を終え、琴絵を東屋の椅子に座らせると、邸へ飛んでいってしまった。


(あや様は、元女中……)


 辰喜との間に何があったのだろう。辰喜に請われて結婚したのだろうか。女中から妻の身分に変わり、あやに戸惑いはなかったのだろうか。

 琴絵は、自分の身とあやの身を重ね、想像を巡らせた。


 しばらくして、菊がお盆を手に戻ってきた。テーブルに紅茶のカップと、苺を並べていく。


「ありがとう、菊」


 苺は大ぶりで美しい。

 お礼を言いながらも、琴絵の内心は遠慮の気持ちでいっぱいになる。


(毎日こうして午後になると水菓子を出してくださるけれど、こんなに贅沢をさせてもらっていいのかしら……。優にも食べさせてあげたいわ。元気で過ごしているといいのだけど……)


 優には道継のことを、亡き父の友人だと説明している。

「道継様の勧めで結婚することになったの。あなたのことは道継様にお任せしてあるから大丈夫よ。いい子にして、勉学に励んでね」と言い聞かせてある。

 道継から届いた手紙には、優は浩太郎に勉学を教わっており、時期を見て中学校に転入させると書いてあった。人懐こい性格なので、佐代原家の使用人たちにも可愛がられているらしい。


(道継様を信じましょう)


「奥様、どうかなさいましたか?」


 ぼんやりしている琴絵に、菊が心配そうに声をかける。琴絵は、


「とても美しい苺だと思って眺めていたのです」


 と誤魔化した。


「今朝、届いたばかりです。どうぞ召し上がってください」


 勧められるまま、楊枝で刺して口に入れる。 


「まあ……甘くて、とてもおいしいです。この苺でヂェリーを作ってみたい……」


 思わずつぶやいたら、菊が呆れた。


「もう! 奥様はお料理をなさらなくていいのですよ!」


 頬を膨らませる菊が可愛らしくて、琴絵は「ふふっ」と笑みを漏らした。


(妹がいたら、このような感じなのかしら)


 琴絵と菊は気付いていなかったが、二階の窓からは、憲斗が二人の様子を眺めていた。

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