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反撃

 胡蝶一味が逮捕されてから半月後。

 佐代原光香は侯爵の花柳(はなやなぎ)家の夜会に参加していた。


「光香さん、お久しぶりですわね」

紫眞子(しまこ)さん、ごきげんよう」


 着飾った光香は、女学校時代の旧友と出会い、機嫌良く挨拶を交わした。

 紫眞子は親戚筋にあたる男爵の家に嫁いだが、婚家が貧しく、苦労をしているという。今日は、体面のために無理をして夜会に出席したのだろうと察する。


「光香さんは帆波屋の桐山様とご結婚なさったとか」


 紫眞子が羨ましそうに言った。

『天弓亭』は開店当初から評判が良く、上流階級の人々に人気を博している。

 紫眞子の耳にも噂は届いているようだ。


「『天弓亭』の開店記念招待会に招待された親戚が言っておりましたわ。桐山様は奥様をとても大切になさる方だとか」


「さぞ幸せで、裕福な生活をなさっているのでしょうね」という目を向けられて、光香は微笑んだ。


「ええ、夫はわたくしをとても大切にしてくれますわ」


 今はまだ自分のものにはなってはいないが、将来的に憲斗は自分の夫になる。そうすれば光香は帆波屋の副社長夫人……ゆくゆくは憲斗が社長を継いで、光香は社長夫人だ。


(わたくしの身代わりになったという娘がまだそばに居座っているみたいだけど……)


 光香は、他の招待客と話している父と兄に目を向けた。昔から自分を溺愛し、なんでも言うことを聞いてくれた兄は、今回もきっとうまくやってくれるはずだ。


(弟の身柄は佐代原家が握っているのだもの)


 どうしても憲斗のもとから出て行かないというのなら、優を使って脅せばいい。

 機嫌良くおしゃべりをしていた光香と紫眞子だが、紫眞子の「あら?」という声で会話が止まった。


「あちらを見てくださいませ、光香さん。素敵なお方がいらっしゃるわ」


 紫眞子が目線で示した先に、品の良い洋装姿の男性が立っていた。傍らに伴っているのは彼の夫人だ。すらっとした体型にドレスがよく似合っている。


「お美しい方。お似合いのご夫婦ですわね」


「ほぅ」と紫眞子は息を吐いたが、光香は夫婦を――夫人を睨みつけた。


(桐山憲斗! それから、あの女!)


 どうして華族が集まる夜会に一般人が紛れ込んでいるのか。二人は親しそうに花柳侯爵と喋っている。


 花柳侯爵は、『天弓亭』開業の時に、料理人を斡旋してくれた侯爵だ。

 帆波屋が新規店舗の料理人を探していると聞きつけ、「民間で自分の力を試したいと言う我が邸の料理人に、機会を与えてやってくれないか」と、憲斗に話を持ちかけてきた。憲斗はその依頼をありがたく受け入れ、花柳侯爵家の料理人を、『天弓亭』の料理長として雇い入れた。

 その縁で、今回の夜会に招かれていた。


「桐山君、せっかく『天弓亭』の開店記念に呼んでくれたのに、行けなくて申し訳なかったね。最初だけでも、料理長の素性を隠しておきたかったのでね」

「こちらこそ、気が回らずに申し訳ございませんでした。民間で力を試したいというお話でしたのに、侯爵家の元料理人だと知られれば余計な印象を与え、お客様に、純粋に料理の腕だけで食べに来てもらえたのかどうかわからなくなるというお考え、敬服いたしました」


 憲斗の言葉に、侯爵は「そのとおり」と言うように頷く。

 琴絵は侯爵を見つめながら「お優しい方だわ」と思った。


(本当に、退職なさった料理長様を大切に思っていらしたのね)


 花柳侯爵の視線が琴絵へ向く。


「はじめまして。君が噂の桐山君の愛妻だね?」


 琴絵は憲斗に目で問いかけた。憲斗が頷いたので、


「はい、私は――」


 と、返事をしようとした時、


「旦那様、こんなところにいらしたのですか?」


 甲高い声でそう言いながら、歩み寄って来た少女がいた。


「ん? 君は……佐代原のお嬢さんか?」


 花柳侯爵が目を細めて、光香と琴絵の顔を交互に見た。

 二人の顔立ちが似ているので、混乱しているのだろう。


「桐山君の妻は佐代原のお嬢さんだったね。あちらの令嬢が光香嬢かな? 久しぶりに会うので、お顔がわからず失礼した」


 琴絵はどう返していいのかわからず、憲斗を見上げた。

 憲斗は厳しいまなざしで光香を見つめている。


「花柳侯爵、ごきげんよう。夫の桐山がお世話になりまして、ありがとうございます」


 丁寧に頭を下げた光香に、憲斗は無表情に声をかけた。


「俺はいつお前の夫になった? 記憶にないのだが」


 光香は振り向いて笑うと、憲斗に手を差し出した。


「周りが華族ばかりだから、気を使っていらっしゃるの? 旦那様」


 腕に触れようとした光香を、憲斗はすっとよけた。


「どういうことかね?」


 話の見えない花柳侯爵が、首を傾げる。

 憲斗は琴絵の背に手を当てると、


「花柳様。こちらが私の妻、琴絵でございます。父親は伏見で造り酒屋を営んでおりました。琴絵は才気があって気の利く、私を支えてくれる良き妻です」


 と、はっきりした声で紹介した。

 花柳侯爵が琴絵を見つめ、唇を噛んでいる光香を見て、そしてもう一度憲斗に目を向けた。にこにこと笑う。


「そうか。それはよい奥様をお貰いになられましたな」


 琴絵ははじらいながら、花柳侯爵に向かって丁寧に頭を下げた。


「ちょっと、旦那様の妻はわたくし……」


 光香が琴絵に掴みかかろうとした時――


「光香さん!」


 会場に大声が響いた。招待客が一斉にそちらを向く。この場にそぐわない粗末なズボンとシャツを着た青年が、光香の姿を見つけて駆け寄ってきた。


「ああ、会いたかった! お嬢様! 家を出て行かれてから、ずっとお探ししていたのです。俺、もっともっと働いて稼ぎます。あなたに楽をさせて差し上げます。だからどうか、俺のもとに戻ってきてください……!」


 光香のドレスの裾にしがみつき、懇願する青年に、会場内の招待客たちは呆気に取られている。


「な、何をおっしゃるの? わたくし、あなたのことなど知りませんわ!」

「あの夜、俺に、連れて逃げてとおっしゃったのは、お嬢様ではありませんか。だから俺は、あなたを攫って逃げたのに……!」

「嘘を言わないで!」


 華族たちが顔を見合わせ、ひそひそと話をしている。紫眞子が遠目に、はらはらした表情で成り行きを見守っている。

 道継と浩太郎が騒ぎに気が付いたのか、駆け寄ってきて、目を見開いた。


「貴様は運転手の柏田(かしわだ)!」

「どうしてこんなところにいるんだい?」

「お父様、お兄様、助けて……」


 混乱している父子に憲斗は背中を向けた。

 琴絵の腰を抱き、「行こう」と促す。琴絵はこくんと頷いた。


 会場内の視線が佐代原家の家族と元運転手に集まっている間に、二人は花柳侯爵邸を出た。

 邸の外には桐山家の自動車が停まっていて、比文が二人を待っていた。

 憲斗が後部座席の扉を開けると、


「姉さん!」 


 明るい声と共に、優が顔を出した。


「優!」


 琴絵は両手を広げて優を抱きしめた。


「首尾よくいったようだな」

「佐代原邸に赴きまして、優様を引き取って参りました。使用人の皆様たちは、協力的でございましたよ」


 比文がにこりと笑う。

 佐代原家の者たちが夜会に出席している隙を突いて、比文は優を迎えに行っていた。

 比文は憲斗から「使用人たちにお金を握らせてもいい」と命じられていたが、主人たちのやり方に疑問を感じていたのか、はたまた愛らしい優に情を感じていたのか、使用人たちはあっさりと優を引き渡してくれた。


「ついでに、佐代原邸の周りをうろうろしていたあの男を拾いまして」

「会場に乗り込んできたあいつか」

「光香嬢にどうしても会いたいとおっしゃるので、お連れしました」


 比文が人の悪い笑みを浮かべる。憲斗も、


「感動の再会に立ち会えたよ」


 と、唇の端を上げた。


「琴絵、車に乗りなさい」

「はい」


 琴絵は優に奥に行くように促すと、自動車に乗り込んだ。その隣に憲斗が座る。


「さあ、帰ろうか。我が家へ」


 憲斗が指示を出すと、比文がエンジンをかけた。

 車はゆっくりと、桐山別邸に向かって走り出した。


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