重大任務!?
帆波屋の新規店舗の開店準備は着々と進んでいた。
「『天弓亭』……でございますか?」
憲斗と朝食を共にしていた琴絵は、新しくできる西洋料理店の名前を聞き、目を瞬かせた。
「ああ。天弓というのは虹の別名だ」
「虹……素敵ですね。帆波屋が、お客様に幸せを運ぶ架け橋になれたらよいですね」
琴絵の言い回しに感心したのか、憲斗が嬉しそうに「そうだな」と微笑む。
「『天弓亭』の開店は九月に決まった。開店日に先だって、政界や経済界の著名人にお声をかけ、招待会を開こうと思っている。招待状は百人ほどにお送りする予定だが、夫人を伴う方もいらっしゃるだろうから、実際はそれ以上の人数になるだろうな」
「まあ、大がかりですね」
「光香には女性たちの接待を頼みたい」
憲斗に真面目な表情で頼まれ、琴絵は気を引き締めながら「かしこまりました」と答えた。
「出席者が決まれば一覧にして渡そう」
「はい。ちなみに招待会の日には、何かお料理を出されるのですか?」
琴絵の質問に憲斗は「そのつもりだ」と頷いた。
「開店前から『天弓亭』の評判が上がるよう、宣伝も兼ねているからな」
そう言って、にやりと笑う。
「当日の料理は、今、料理人と検討中だ」
「腕の良い方を雇われたとおっしゃっておられましたね」
「侯爵家に勤めていたという経歴の持ち主だ。ただ一つ問題があってな……」
表情を曇らせた憲斗に琴絵は首を傾げる。
「デザートを考案するのが苦手らしい。侯爵家には菓子を作る専門の料理人がいたそうで、彼はデザート作りには、ほとんど関わらなかったと聞いている」
「分業なさっておられたのですね」
憲斗は難しい顔をして考え込んでいる。
招待客には夫人たちも多く訪れる予定だという。彼女たちを満足させるためには、甘い物は欠かせないだろう。
琴絵が心配な気持ちで憲斗を見つめていると、夫がこちらを向いた。
「光香」
「はい」
「デザート考案だが、お前の知恵を借りられないか?」
憲斗に頼まれて、琴絵は目を瞬かせた。
「私の知恵……ですか?」
「ああ、女性の好みは女性のほうがよくわかるだろう。夫人たちがどのようなものを好むのか、考えてみてくれないか?」
憲斗から期待を寄せられて、琴絵は瞳を輝かせた。
「私でよろしければ、ぜひ……!」
*
憲斗が出勤した後、琴絵はサンルームに腰を落ちつけると、『西洋料理調理法大全』を開いた。
「デザートといってもいろいろあるわ。冷たいもの、熱いもの、焼き菓子や、果物を使ったもの……」
ぱらぱらと頁をめくっていると、菊がやって来た。
「奥様。今日もお勉強をなさっておられるのですか?」
「ええ。旦那様のお手伝いをすることになったのです」
菊に事情を話すと、菊は驚いて「まあ!」と両手を組み合わせた。
「すごいです! 奥様! 私、実は職業婦人に憧れていたんです。最近は働く女性も増えておりますでしょう? 男性の後ろを歩くのではなく、自立している女性は、格好いいなって思っていたんです。だから私もそういう女性になりたくて、タイピストを夢見ていたこともありました。でも、専門の勉強が必要だって知って諦めたんです。うちにはそんなお金がなかったから……」
菊は寂しそうにそう言った。
「だから、旦那様のお仕事のお手伝いをなさっている奥様は、とてもかっこいいです! 憧れます!」
前のめりに力説され、琴絵の胸の中が熱くなる。
ふと、カフェー女給時代のことを思い出した。
同僚の女性たちには様々な家庭事情により致し方なく働いている者も多かったが、中には「自立したい」「お金を貯めて事業を起こしたい」と考えているたくましい女給もいた。
(私も旦那様の力になれるかしら?)
父の仕事を助けるのが夢だった。
環境が変わり、それを諦め、弟が大成するようにと願っていたが、自分もまだ夢を見てもいいだろうか。
「私、頑張ります」
こぶしを握って菊に笑いかけると、菊も琴絵の真似をして両手を握り、
「奥様! 菊は応援しております!」
と、力一杯励ましてくれた。
「ところで、菊はどのようなお菓子にときめきますか?」
「ときめきですか?」
菊は唇に指を当てて「うーん」と考え込んだ。
「やはり、おいしいものでしょうか……」
確かに、味がおいしいのが一番だ。
けれど、それは当然のこと。
「何か他にも、女性の心を掴むような……」
考えながらふと庭に顔を向けと、小鳥が数羽地面をつついているのが見えた。
「あら、どこから飛んで来たのかしら」
「このお庭は草木が多いので、ああしてよく小鳥が来るのです」
「そうなのですね。可愛らしいわ」
菊の言葉に相づちを打ちながら、ふと、以前憲斗の部屋で見た絵を思い出した。
草花に小鳥……。
「そうだわ!」
琴絵ははっと気が付いた。
(できるかどうかわからないけれど……料理人と相談してみましょう)
「菊さん、これからお買い物に付き合ってくださらない?」
「何かお買いになりたい物があるのですか?」
きょとんとした菊に、琴絵は頷いた。
「ええ。画材屋に行きたいのです」




