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15/30

不穏な再会

 そして三日後。

 憲斗に連れられて向かったのは料亭だった。

 鴨川に張り出した床は、夏の京都の風物詩だ。


 店の者に床に案内されると、四十路過ぎの細身の男性と、五十路過ぎの小太りの男性、派手な着物を着た若い女性が二人を待っていた。

 小太りの男性と若い女性の顔を見て、琴絵は息を呑んだ。それは、カフェーロイアルの常連だった邨瀬(むらせ)と、胡蝶(こちょう)だった。


(どうして邨瀬(むらせ)様と胡蝶さんがここに……)


「桐山君、こっちだ!」


 細身の男性が手を振っている。


宇野(うの)社長」

 憲斗が三人が座る席へ歩み寄る。


「今日はお招きありがとうございます」

「そちらが妻君かい?」

「光香です。……光香? ご挨拶を」


 憲斗に促され、琴絵は我に返った。動揺しながらも、丁寧にお辞儀をする。


「光香でございます」


 ちらりと胡蝶に目を向けたら、信じられないという形相で琴絵を見ていた。


「私は宇野だ。帆波屋とは長い付き合いでね。こちらは邨瀬吉二(むらせきちじ)殿。それから――」


 宇野は邨瀬を紹介した後、胡蝶に視線を向けた。彼は胡蝶のことをよく知らないようだ。

 女給時代に派手に装っていた琴絵と、帆波屋の社長夫人として上品に装っている琴絵が同一人物だと気が付いていないのか、邨瀬は上機嫌で、


「邨瀬です。やあ、桐山副社長の奥方はお美しい方ですな」


 とおべっかを言った。


「こちらは私が日頃お世話になっている古河胡蝶(ふるかわこちょう)嬢です」


 胡蝶は邨瀬に紹介されて気を取り直したのか、憲斗に向かって艶然と笑った。


「古河胡蝶です。どうぞ胡蝶とお呼びください」


 鼻にかかった声でそう言ったが、憲斗は無表情のまま、


「古河嬢。お初にお目にかかります」


 と、軽く答えただけだった。


「ささ、桐山君、早く座って。おーい、酒を持ってこい!」


 宇野が憲斗を促し、自分の隣に座らせる。控えていた仲居を呼ぶと、酒を頼んだ。


「光香、こちらへ」

「は、はい」


 琴絵は憲斗の隣に腰を下ろした。胡蝶からの視線を感じて居心地が悪い。

 表向きは和やかに会食が始まった。

 夏の旬彩で作られた八寸が運ばれてくる。


「邨瀬殿は脚本家であられるんだ」


 宇野が陽気に話す。


「今人気の映画監督・白澤彌太郎(しろさわやたろう)氏とも関わりがあるそうで」

「白澤監督が撮影する映画は必ず当たると言われていますね」


 憲斗はその名前を知っていたのか、感心したように邨瀬に目を向けた。


「ええ、次回撮影が決まっている白澤監督の映画は、私の脚本です」


 邨瀬が自慢げに胸を張る。


「わたくしも出演させていただくことになっているのです」


 胡蝶が口を挟んだ。邨瀬が頷く。


「胡蝶嬢はきっと人気が出ますよ」


 邨瀬に太鼓判を押され、胡蝶が「当然」とばかりに微笑んだ。


(胡蝶さんは念願の女優になられるのね)


 琴絵は、胡蝶が邨瀬に取り入ろうとしていたことを思い出した。彼女の目論見は成功したようだ。


「奥様もお美しいので、女優を目指してみられては?」


 邨瀬に勧められて、琴絵は困った顔で微笑んだ。


「私にはとてもそのようなことは……」

「あら、女優は誰にでもできる仕事ではありませんわよ。器量だけでなく、知性も、人を引きつける魅力もなければなりませんもの」


 胡蝶が口元に手を当てて、琴絵を見下すように笑う。

 彼女は憲斗の眉がぴくりと動いたことに気付いていない。


 鮎の塩焼きが運ばれてきた。

 料理が進むにつれ酒も入り、宇野と邨瀬の機嫌が、さらに良くなっていく。


「実は今日、桐山君を呼んだのは、邨瀬さんから頼み事があったからなんだ」


 宇野の言葉に、憲斗が興味を引かれたような顔をする。


「なんでしょうか?」

「桐山副社長。帆波屋から、白澤監督の映画に出資していただけないだろうか。白澤監督の映画は、ご存じの通り人気です。宣伝ちらしに帆波屋の広告を入れることもできますし、なんなら、新規開店するという帆波屋の西洋料理店を、映画の舞台として登場させるよう、私から監督に交渉することもできます」


 邨瀬の提案を聞いて、憲斗は口元に手を当て考え込んだ。

 確かに邨瀬の言うとおり、白澤の映画に絡めて宣伝ができたら、いい話題作りになるかもしれない。


「どうですか?」


 邨瀬が媚びるように手を揉んでいる。

 仕事絡みの繊細な話題になってきたので、琴絵はそっと腰を上げた。


「光香?」

「大切なお仕事のお話のようですので、私は少し席を外しております」


 顔を上げた憲斗から、「うん、そうしてくれ」という答えが返ってくる。


「失礼いたします」


 琴絵は宇野と邨瀬に丁寧に頭を下げた。

 すると、胡蝶が立ち上がり、


「でしたら、わたくしも席を外しますわ。あちらで女同士、お話をしております」


 と言って、思わせぶりに琴絵を見た。

 琴絵は警戒したが、断るのは不自然だと思い、努めて笑顔で、


「お気遣いありがとうございます」


 と、胡蝶にお礼を言った。


 胡蝶と共に床を出て、店舗の中に入る。

 店の者に席を作ってもらい腰を下ろすと、胡蝶が早速口を開いた。


「奥様は映画の世界など、ご興味もないようですねぇ。皆様が楽しくお話をしていても、上の空でいらしたもの」


 まるで、琴絵が華やかな世界と無縁であることを馬鹿にするように、胡蝶がにやにやと笑う。


「ああでも、別の知識は豊富なのでしょうね」


 胡蝶は琴絵に顔を近づけると、嫌らしい口調で囁いた。


「どのような手を使って、あの男に取り入ったのかしら?」


 琴絵の顎に人差し指をあて、くいと顔を上向かせる。


「ぜひご教示いただきたいですわぁ」


 琴絵は胡蝶の手を握ると、そっと外した。


 二人の間に不穏な空気が漂っている一方、憲斗も不愉快な思いをしていた。


「桐山副社長は最近ご結婚なさったばかりだとか?」


 邨瀬に尋ねられて、憲斗は「四ヶ月目になります」と答えた。


「奥様はお美しい方でいらっしゃいますが、副社長はまだまだお若い。私は女優にも知り合いがおります。もしよろしければご紹介いたしますが――」


(枕営業といったところか)


 憲斗は邨瀬の意図に気が付き、眉を顰めた。


「結構です。私は妻だけいればいい」


 素っ気なく答えた憲斗を見て不機嫌にさせたとわかったのか、邨瀬が「やや、どうぞ、一献」と徳利を差しだす。

 憲斗はそれを手のひらで制し、手酌で酒を注いだ。


「桐山君は、他の女性が目に入らぬほど、奥様を愛しているんだね」


 悪くなった空気を変えようと、宇野が努めて明るい声を出した。


 しばらくして琴絵と胡蝶が戻ってきた。

 暗い顔をしている琴絵に気付き、憲斗は心配そうな表情を浮かべたが、声はかけなかった。


 その後、硬い雰囲気で酒宴は続き、早々にお開きになった。


 

「ふぅ……」

「疲れたのか?」


 料亭からの帰り道、思わず小さく息を吐いた琴絵に、憲斗が問いかけた。

 琴絵は慌てて顔を上げると、


「いえ、大丈夫です」


 と、両手を横に振った。


「無理をするな。俺も疲れた」


 憲斗がやれやれといった様子で溜め息をつく。


「気晴らしに行こう」

「気晴らし……でございますか?」

「ああ、こちらへ」


 憲斗は自然なしぐさで琴絵の手を取った。

 突然、手を握られて、琴絵の心臓がドキンと鳴る。


 そのまま琴絵を連れて路地に入ると、憲斗は一軒の店の前で立ち止まった。

 洋風の建物はそれほど大きくはなく、外壁はタイルで装飾されており、モダンな雰囲気だ。


 憲斗は迷うことなく扉を開けると、中に入った。

 絵画が飾られた西洋風の店内には、蓄音機から優しい音楽が流れている。

 近付いて来た男性給仕が、二人をテーブルに案内した。

 きょろきょろしている琴絵が面白いのか、憲斗はくすりと笑った後、男性給仕に珈琲とアイスクリームを注文した。


「ここは俺の気に入りの喫茶店なんだ」

「喫茶店……」

(カフェーとは全然違うわ……)


 女給はおらず、落ち着いた雰囲気が漂っている。


 しばらくして、珈琲とアイスクリームが運ばれてきた。

 憲斗がアイスクリームを口にしたのを見て、琴絵も匙で掬い口に入れる。冷たく滑らかなクリームが口の中で溶け、気疲れが取れたような気がした。


「おいしいですね」


 琴絵が笑うと、憲斗も微笑み、


「ああ、おいしいな」


 と答えた。

 目が合い、なぜだか二人とも同時に照れて、視線を反らす。


「あの……このような素敵なお店に連れて来てくださいまして、ありがとうございます」


 琴絵が頭を下げると、憲斗は視線を戻し、


「今日はお疲れ様。こちらこそ、ありがとう」


 とお礼を言った。


(旦那様はきっと、疲れている私を気遣って、甘い物を食べに連れて来てくださったのだわ)


 憲斗の心遣いが嬉しく、琴絵の胸が温かくなった。

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