表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

12/30

佐代原浩太郎の本音

 名のある人々の邸宅が建ち並ぶ閑静な地域に、佐代原家の邸宅はあった

 佐代原邸は、母屋は平屋の日本家屋で、別館として小さな洋館がある。

 日本庭園の見える母屋の座敷で、佐代原道継(さよはらみちつぐ)は琴絵を待っていた。


「お久しぶりでございます。佐代原様」


 女中に案内されて姿を現した琴絵が、道継の前に座り、丁寧に頭を下げる。

 道継は、琴絵の落ち着いた様子を見て微笑んだ。


「琴絵さん。元気そうだね。その様子では、桐山家ではうまくやっているようだね。桐山君や家の者たちに疑われていないかい?」


 憲斗と桐山別邸の者に「久しぶりに実家に挨拶に行きたい」と伝えると、皆、疑いを持たなかった。

 ここまで送ってくれたのも、桐山家の運転手だ。


「はい。今のところは大丈夫かと思います」


 琴絵が答えると、道継は満足そうに頷いた。

 二人が話をしていると、ぱたぱたと廊下から足音が聞こえ、


「姉さん!」


 弾んだ声と共に、(まさる)が姿をみせた。


「優!」


 弟の顔を見て、琴絵は笑みを浮かべた。広げた両手に、優が飛び込んでくる。


「元気だった?」

「うん! 姉さんは?」

「姉さんも変わりないわ」


 琴絵は優から体を離し、顔を覗きこんだ。

 しばらく見ない間に、少し背が伸びたように感じる。顔立ちも以前よりしっかりしてきたようだ。


「お勉強はしている?」

「もちろんだよ! 浩太郎(こうたろう)様がとても丁寧に教えてくださるんだ!」

「やあ、琴絵さん」


 くだんの浩太郎が姿を見せた。

 佐代原家の長男で、涼やかな目鼻立ちをした彼は、現在二十七歳。


「浩太郎様。その節は大変お世話になりました」


 琴絵が桐山家に嫁いでも恥をかかないよう、所作や礼儀作法を叩き込んでくれた浩太郎に、丁寧にお辞儀をする。


「お世話になっているのはこっちだよ。君が光香の代わりに嫁いでくれて助かった」

「優の面倒まで見てくださり、感謝しております」


 顔を上げて微笑むと、浩太郎もにこりと笑う。

 その時、佐代原家の女中が遠慮がちに声をかけた。


「旦那様」

「なんだ? 今は来客中だぞ」

「申し訳ございません。古物商の方が来ておられますが、いかがいたしましょうか」

「ああ、そういえば今日だったか。行こう」


 道継は立ち上がると、琴絵を見下ろした。


「悪いね。所用で席を外すよ。ゆっくりしていくといい」

「ありがとうございます」


 琴絵は畳に両手を付き、丁寧に頭を下げた。

 女中がさらに言葉を続ける。


「優様には、語学の先生が来ておられます」

「――だそうだ。優。先生をお待たせしてはいけない。行っておいで」


 浩太郎に促され、優は名残惜しそうに琴絵を見たが、琴絵が「お行きなさい」と言うように頷くと、しぶしぶ立ち上がった。


「姉さん、また来てね」

「ええ」


 座敷を出て行く優に手を振る。

 二人きりになり、琴絵は浩太郎に視線を向けた。


「優は語学の勉強もさせていただいているのですか?」

「ええ。彼の希望で、英語をね。大人になったら外国の人と仕事をしたいのだそうだよ」

「まあ……」


 志の高い弟を誇りに思う。弟のために、ここまでしてくれる佐代原家の恩に報いたい。

 光香の身代わりをしっかりと努めなければと、改めて考えていると、浩太郎が琴絵の横に腰を下ろした。座敷は広いのに、どうしてこんなに近くに座るのかと不思議に思っていたら、浩太郎が琴絵の顔を覗き込み、しげしげと眺めた。


「君は本当に光香によく似ているね」

「左様でございますか?」


 光香の写真を見せてもらったが、彼女は清楚で美しい少女だった。

 琴絵は自分の容姿に対してそれほど自信もないので、「佐代原家の皆様がおっしゃるほど、似ているとは思わないのだけど」と首を傾げた。


「ああ。その扁桃のように綺麗な形をした目も、桜桃のような小さな唇もよく似ている」


 そう言って、浩太郎が琴絵の頬に触れた。

 指が動き、唇をなぞる。

 琴絵は驚いて、思わず身をのけぞらせた。


「あ、あの、浩太郎様?」

「ごめんごめん。つい……ね」


 浩太郎は軽い口調で謝ると、思わせぶりに微笑んだ。


「致し方なく君に光香の身代わりを頼んだけれど、今になって思う」

「何をですか?」


 琴絵の質問には答えず立ち上がり、手を差し出す。


「食事をしていくといい。食堂に用意させている」


 琴絵は迷った後、浩太郎の手を取らずに立ち上がった。


「お心遣い、ありがとうございます」

「食堂はあちらだ」


 琴絵を案内しながら、浩太郎は考える。


(少し教えただけで、こんなに洗練された令嬢になるのなら、君を桐山に嫁がせるのではなかった)


 良家の令嬢たちからどんなに好意を向けられても、婚約者がいても、浩太郎は女性に興味を持てない。

 それは、たった一人の妹・光香を慈しんでいたからだ。

 光香ほど美しく愛らしい娘はいないと思っていた。

 けれど、今、目の前にいる琴絵は光香によく似ている。

 しかも妹ではない。

 血のつながりのない琴絵との間には、何の障害もないのだ。


(惜しいことをした)


 浩太郎は琴絵の横顔を見つめながら、内心で桐山憲斗を恨めしく思った。



 その日の夜、夫婦の夕食時。琴絵は憲斗から「実家はどうだった?」と尋ねられた。


「お父様もお兄様もお元気でいらっしゃいました」


 琴絵は箸を置くと、そつなく答えて微笑んだ。

 憲斗は「そうか」と頷き、じっと琴絵の顔を見つめた。


(他にも何かおっしゃりたいことがあるのかしら。もしかして、佐代原家に戻ったことで、私が光香様ではないと怪しまれた……?)


 憲斗の視線に不安になっていると、彼は軽く咳払いをし、改まった様子で口を開いた。


「光香」

「は、はいっ」

「明日の昼、一緒に食事に行こう」

「は……はい……?」


 何を言われたのかわからず、目を瞬かせた琴絵に、憲斗が続ける。


「俺と出かけるのは嫌か?」

「そのようなことはございません!」


 慌てて首を振ったら、憲斗はほっとしたような表情を浮かべた。


「では、明日は十一時に『スエル亭』の前で待ち合わせだ」


(旦那様と外食……!)

「かしこまりました」


 予想外の展開になり、琴絵はどきどきしながら頭を下げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ