佐代原浩太郎の本音
名のある人々の邸宅が建ち並ぶ閑静な地域に、佐代原家の邸宅はあった
佐代原邸は、母屋は平屋の日本家屋で、別館として小さな洋館がある。
日本庭園の見える母屋の座敷で、佐代原道継は琴絵を待っていた。
「お久しぶりでございます。佐代原様」
女中に案内されて姿を現した琴絵が、道継の前に座り、丁寧に頭を下げる。
道継は、琴絵の落ち着いた様子を見て微笑んだ。
「琴絵さん。元気そうだね。その様子では、桐山家ではうまくやっているようだね。桐山君や家の者たちに疑われていないかい?」
憲斗と桐山別邸の者に「久しぶりに実家に挨拶に行きたい」と伝えると、皆、疑いを持たなかった。
ここまで送ってくれたのも、桐山家の運転手だ。
「はい。今のところは大丈夫かと思います」
琴絵が答えると、道継は満足そうに頷いた。
二人が話をしていると、ぱたぱたと廊下から足音が聞こえ、
「姉さん!」
弾んだ声と共に、優が姿をみせた。
「優!」
弟の顔を見て、琴絵は笑みを浮かべた。広げた両手に、優が飛び込んでくる。
「元気だった?」
「うん! 姉さんは?」
「姉さんも変わりないわ」
琴絵は優から体を離し、顔を覗きこんだ。
しばらく見ない間に、少し背が伸びたように感じる。顔立ちも以前よりしっかりしてきたようだ。
「お勉強はしている?」
「もちろんだよ! 浩太郎様がとても丁寧に教えてくださるんだ!」
「やあ、琴絵さん」
くだんの浩太郎が姿を見せた。
佐代原家の長男で、涼やかな目鼻立ちをした彼は、現在二十七歳。
「浩太郎様。その節は大変お世話になりました」
琴絵が桐山家に嫁いでも恥をかかないよう、所作や礼儀作法を叩き込んでくれた浩太郎に、丁寧にお辞儀をする。
「お世話になっているのはこっちだよ。君が光香の代わりに嫁いでくれて助かった」
「優の面倒まで見てくださり、感謝しております」
顔を上げて微笑むと、浩太郎もにこりと笑う。
その時、佐代原家の女中が遠慮がちに声をかけた。
「旦那様」
「なんだ? 今は来客中だぞ」
「申し訳ございません。古物商の方が来ておられますが、いかがいたしましょうか」
「ああ、そういえば今日だったか。行こう」
道継は立ち上がると、琴絵を見下ろした。
「悪いね。所用で席を外すよ。ゆっくりしていくといい」
「ありがとうございます」
琴絵は畳に両手を付き、丁寧に頭を下げた。
女中がさらに言葉を続ける。
「優様には、語学の先生が来ておられます」
「――だそうだ。優。先生をお待たせしてはいけない。行っておいで」
浩太郎に促され、優は名残惜しそうに琴絵を見たが、琴絵が「お行きなさい」と言うように頷くと、しぶしぶ立ち上がった。
「姉さん、また来てね」
「ええ」
座敷を出て行く優に手を振る。
二人きりになり、琴絵は浩太郎に視線を向けた。
「優は語学の勉強もさせていただいているのですか?」
「ええ。彼の希望で、英語をね。大人になったら外国の人と仕事をしたいのだそうだよ」
「まあ……」
志の高い弟を誇りに思う。弟のために、ここまでしてくれる佐代原家の恩に報いたい。
光香の身代わりをしっかりと努めなければと、改めて考えていると、浩太郎が琴絵の横に腰を下ろした。座敷は広いのに、どうしてこんなに近くに座るのかと不思議に思っていたら、浩太郎が琴絵の顔を覗き込み、しげしげと眺めた。
「君は本当に光香によく似ているね」
「左様でございますか?」
光香の写真を見せてもらったが、彼女は清楚で美しい少女だった。
琴絵は自分の容姿に対してそれほど自信もないので、「佐代原家の皆様がおっしゃるほど、似ているとは思わないのだけど」と首を傾げた。
「ああ。その扁桃のように綺麗な形をした目も、桜桃のような小さな唇もよく似ている」
そう言って、浩太郎が琴絵の頬に触れた。
指が動き、唇をなぞる。
琴絵は驚いて、思わず身をのけぞらせた。
「あ、あの、浩太郎様?」
「ごめんごめん。つい……ね」
浩太郎は軽い口調で謝ると、思わせぶりに微笑んだ。
「致し方なく君に光香の身代わりを頼んだけれど、今になって思う」
「何をですか?」
琴絵の質問には答えず立ち上がり、手を差し出す。
「食事をしていくといい。食堂に用意させている」
琴絵は迷った後、浩太郎の手を取らずに立ち上がった。
「お心遣い、ありがとうございます」
「食堂はあちらだ」
琴絵を案内しながら、浩太郎は考える。
(少し教えただけで、こんなに洗練された令嬢になるのなら、君を桐山に嫁がせるのではなかった)
良家の令嬢たちからどんなに好意を向けられても、婚約者がいても、浩太郎は女性に興味を持てない。
それは、たった一人の妹・光香を慈しんでいたからだ。
光香ほど美しく愛らしい娘はいないと思っていた。
けれど、今、目の前にいる琴絵は光香によく似ている。
しかも妹ではない。
血のつながりのない琴絵との間には、何の障害もないのだ。
(惜しいことをした)
浩太郎は琴絵の横顔を見つめながら、内心で桐山憲斗を恨めしく思った。
*
その日の夜、夫婦の夕食時。琴絵は憲斗から「実家はどうだった?」と尋ねられた。
「お父様もお兄様もお元気でいらっしゃいました」
琴絵は箸を置くと、そつなく答えて微笑んだ。
憲斗は「そうか」と頷き、じっと琴絵の顔を見つめた。
(他にも何かおっしゃりたいことがあるのかしら。もしかして、佐代原家に戻ったことで、私が光香様ではないと怪しまれた……?)
憲斗の視線に不安になっていると、彼は軽く咳払いをし、改まった様子で口を開いた。
「光香」
「は、はいっ」
「明日の昼、一緒に食事に行こう」
「は……はい……?」
何を言われたのかわからず、目を瞬かせた琴絵に、憲斗が続ける。
「俺と出かけるのは嫌か?」
「そのようなことはございません!」
慌てて首を振ったら、憲斗はほっとしたような表情を浮かべた。
「では、明日は十一時に『スエル亭』の前で待ち合わせだ」
(旦那様と外食……!)
「かしこまりました」
予想外の展開になり、琴絵はどきどきしながら頭を下げた。




