初作品に込めた呪いと、供養の糸
服飾店アウレア。
極上の絹やカシミヤ、希少な宝石などを創り上げた独自のルートで取り寄せることにより顧客の嗜好に応え、また熟練の職人が一点一点手作業で仕上げるため品質も高い。
よって貴族御用達の服飾店として有名なこの店に、一件の依頼が舞い込んだ。
「ウエディングドレスですか」
デザイン画を手にそう繰り返したのは、タクト。まだ若手の身ではあるが、卓越した技術を持ち、将来を有望視される職人だ。
「ああ、お前の腕前なら任せても良いと判断した。バルドさんも了承済みだ」
デザイナーであるカミロに店主の名を出されて頼まれては、引き受ける以外の選択肢などない。
「分かりました」
頷けば、カミロは「よろしく頼む」と力強く頷いてくれた。
そして。
「依頼主はリヴィア・エストレーラ令嬢だ」
その名を告げられ、絵姿を見せられた瞬間、タクトは身体の芯が急速に冷え切ったのを感じた。デザイン画を取る指先も冷え切り、震えそうになるのを必死に堪える。
「ヴァルデマール公爵に嫁ぐから、と……。ああ、こっちの絵姿な」
そう言って見せられた絵姿には、銀髪に青い瞳の麗しい青年が描かれていた。
「……布地には指定がありますが、宝石類には特に指定がありませんね」
「ああ、デザイン案何度もリテイクした割には、そういうところ杜撰なんだよな」
あれで大丈夫なのかね、とカミロはがしがしと頭を掻いてぼやく。
「では、宝石類はこちらで指定しても大丈夫ですね?」
そう念を押せば、カミロは「そうだな」と頷いて言葉を続けた。
「好きなものを使って構わない。在庫が無ければ取り寄せるから、遠慮なく言ってくれ」
「お相手の方の髪色と目に合わせて、青色と白色のものにした方がいいですね」
それでは、とタクトは2つの宝石の名をあげた。
「それはいいな。充分に映えるだろう」
「それで刺繍は『護符文字』を使用して……」
『護符文字』とは、神の力や魔力を文字として具現化したものだ。主にお守りに使用されるものだが、ハンカチや小物などに加護や無事を祈って刺繍されることもある。
よって、ウエディングドレスに祈りを込めて使用することは、別におかしいことではない。
「『祝福』や『希望』などの文字を刺繍すれば……」
「ああ、文字の選定は任せる」
「で、蝶を飛ばせるのはどうですか?」
「そうだな……だとすると」
ああでもないこうでもないと2人で言い合った結果、刺繍のデザイン案はまとまった。
「あー、けど久々だよ、こんな気乗りしなかったの」
「どうしたんですか?」
「……これから作るってヤツに言う話じゃないんだけどさ」
カミロは顔を曇らせたまま、声をひそめる。
「あの令嬢、学院時代に平民の生徒を苛め殺したって噂があるんだよ」
(まさか殺されているとは思わなかった)
そんなことを思いながら、タクトは淡々と針を動かして刺繍を施していく。
そう、カミロの聞いた『噂』に出て来た平民の生徒とはタクトである。
そしてリヴィアに苛められた、というのは事実だ。
何が彼女の逆鱗に触れたのかは分からない。そもそも貴族と平民はクラスが別れている。だから恐らくは単なる気まぐれ、たまたま目に止まっただけなのだろう、と思う。
取り巻きと共に遠巻きに陰口を叩かれることから始まり、そこからは抵抗しないのを良いことにエスカレートするばかり。教科書やノートは破かれたのを何度貼り直したか分からないし、悪口を書かれた手紙でロッカーは溢れ。けしかけられた集団と共にに暴力を振るわれたこともあった。
何度教師に訴えてもそれらは止むどころか、さらにエスカレートし……耐えきれなくなったタクトは学院を退学する他はなかった。
顔や身体のあちこちに傷や痣を作って戻って来た息子の姿に両親は驚愕し、訳を話せば泣いて憤慨してくれた。だけど、この国有数の伯爵家相手では、泣き寝入りするしか道はなく。
身体と心を癒すため、手慰みに始めた刺繍にハマり……紆余曲折はあったが、こうして貴族御用達として有名な服飾店アウレアに雇われ、今がある。
(噂に尾ひれがついているのか……いや他に被害者が何人もいてその内の一人が本当に、という可能性もあるな)
あの時から数年経っているというのにそんな噂がたてられているということは、性根が変わらないという証拠だろう。
まあ、そんなことはいい。
初めて任されたウエディングドレスだ。
自分は与えられた仕事を忠実に行うだけ。
一針、一針。
ココロヲコメテ。
無心でそれを行うタクトの口元には、自然と笑みが浮かんでいた。
「こちら、ご注文の品でございます」
店主のバルドが恭しく指した先には、純白のウエディングドレスがあった。
胸元に光るのは、青いトパーズ。それは白地によく映えて神秘的な輝きを放っていた。
スカートの部分はチュールやレースを幾重にも重ね、胸から胴にかけては護符文字をアレンジした華やかな刺繍が施されている。さらにその周りをまるで祝福するかのように飛び交う蝶の刺繍が、何とも優雅で美しい。
全体に散りばめれたムーンストーンが、静かな輝きを放ち、ドレスをさらに艶やかに魅せている。
「まあ、なんて素敵なの!」
リヴィアは瞳を輝かせ、うっとりと頬を染めた。
「ああ、見事なドレスだ。君によく似合うだろうね」
「ええ」
婚約者であるエリアス・ヴァルデマールにそう褒められ、リディアは当然よ、とばかりに頷く。
本当に大丈夫かね、と思いながら、バルドは口を開いた。
「では、お買い上げということで。お支払いはこちらになります」
「ああ、ありがとう」
エリアスは礼を言って、呈示された金額を支払った。
「このドレスを作った者にも、礼を言っておいてくれたまえ」
「はい、それは」
「そんなものいいわよ。早く行きましょ、エリアス」
バルドが答えるのを遮り、リディアがぐいぐいと組んだ腕を引っ張る。
「……分かったよ」
エリアスは少しばかり目を伏せてそう答え、「それでは」と軽く頭を下げてリディアと共に店を後にしていく。それを深々と頭を下げて見送った後、バルドは大きな溜息を吐いた。
「ったく、貴族ってのは高慢な方が多いのは分かっていたが……大丈夫なのかねぇ?」
その呟きは誰にも聞かれることはなく。
ウエディングドレスは、きらり、と妖しく煌めいた。
その半年後。
タクトは隣町まで足を延ばしていた。
教会のチャリティバザーで出す品物を作るのに必要な布地を買うためだ。店は関係なく、これはタクトが個人的に行っていること。
少しでも善行を、というのもあるが、やはり作った品物に対する反応を間近で見ることが出来る機会というのは嬉しい訳で。
(なにか掘り出し物が見つかるといいけどな)
目的地である古着屋のドアを開けると、「いらっしゃい!」と威勢の良い声が出迎えてくれた。
「おう、タクト。元気でやってるか?」
「うん、ぼちぼちやってるよ」
そう答えると、そりゃ良かった、と店主であるジャスパーは豪快に笑う。それに微笑んで、タクトは店内を見渡し……噴き出しそうになった。
胸元の青いトパーズ、散りばめられたムーンストーン、施された護符文字と蝶の刺繍……それはまさしく、タクトが作り上げたウエディングドレスで。
「おっ、それが気になるのか?」
目ざとく見つけたジャスパーが声をかけてきて跳び上がりそうになったが、何とか堪える。
「あ、え、ええ、ソウデスネ。ウエディングドレスがあるって珍しいですね」
片言になりつつもそう答えれば、ジャスパーは少々苦々しい顔になった。
「あーまあ、そうだよな。実をいうと、それ」
「曰くつきなんだよ」
ぶっ、とまた噴き出しそうになるが、タクトは拳を握り締めることでまた何とか堪えた。
そんなタクトの様子に気付かず、ジャスパーは言葉を続ける。
「とある貴族の令嬢が持ち主だったんだが、その令嬢、物凄く嫉妬深かったらしい。いや、結婚前はそうでも無かったらしいんだがなあ」
女心は分からんなあ、と困ったように笑うジャスパーにタクトは「ソウデスネ」としか答えられなかった。
「旦那は公爵様だったんだが、公爵様が自分以外の女と話をすることも、視線を向けることも許さなかったんだと。じゃ、どこ見りゃいいんだよって話だよなあ?」
「は、はい」
「夜会でちょっと視線を向けただけでも怒り狂って始末に負えなかったんだと」
「はあ……で、それで離婚、と?」
「あー、まあそれもあるんだが、決定打になったのはな」
「王族に連なる令嬢に大怪我負わせたからなんだと」
「えぇっ!?」
タクトから素っ頓狂な声が零れた。驚くのも無理はない、とばかりにジャスパーは話す。
「その王族の令嬢ってのは、公爵の……従姉妹だったか又従姉妹だったか分からんが、まあ親戚筋だったんだ。で、まあ、親戚なんだから挨拶ぐらいするだろ? で、それであろうことか」
『私の夫に色目を使わないでくださる!? この泥棒猫!!』
「……みたいなこと叫んで、平手打ち食らわせたらしい」
「うわあ……」
タクトはだりだりと冷や汗が背中を伝うのを感じた。余りにも恐ろしすぎて。
「で、よろけた王族令嬢がバルコニーから落ちて……っていう顛末らしい。まあ、又聞きだからどこまで本当かどうか知らないけどな」
「そ、そう、です、か」
声が震えないようにするだけで精一杯だった。
このウエディングドレスが原因だとは思いたくない。
……まあ、ココロを込めていなかったといえば嘘になる。
まず青いトパーズ。空を閉じ込めたようなきらめきを持つ鉱石だが、古代では不幸や嫉妬を呼ぶと言われることもあった。
そしてムーンストーン。神秘的な青白い光を宿すこの鉱石は、嫉妬や不安を象徴すると言われている。
さらに『祝福』『希望』の意味を持たせた護符文字の刺繍は……よーく見てみると線が一本少なかったり、未完成の箇所がある。護符文字は間違えると、力が乱れ、本来の守護が働かなくなり、『真逆の意味』になってしまう場合もあるという。
そして蝶。目立たない箇所に刺繍した一匹は、よく見ると片方の羽が上下逆になっている。本来であれば蝶は『自由に羽ばたくもの』だが、逆さにすることで『飛べない蝶=囚われた自由』つまり『破綻の予兆』を示すという。
(……まあ、これだけやれば不幸になってもおかしくないかもな)
改めて脳内で自身が施した宝石や刺繍を思い返し、タクトは何ともいえない顔をするしかなかった。
(呪いというか……こんなに効果があるものなのか?)
ざまあみろ、という気持ちより、怖い!! と絶叫したい気持ちの方が勝っている。
「そのドレス買ってくれんなら、もっと値引いてもいいぞ。正直厄介払いしたかったんだよな」
はあ、とジャスパーが溜息を吐きながらぼやくが、タクトの心中は複雑で。
(自分の初めて作ったものが曰く付きになった挙句、厄介払いかぁ……)
こうやって返って来てしまうんだな、とずーん、と落ち込んでしまう。
それならばせめて。
「これ、買います」
自分の手で供養するのが一番だろう。
「毎度あり」
笑顔のジャスパーにぎこちなく笑みを浮かべ、絹のハンカチが沢山作れそうだな、と気持ちを切り替える。
もちろん、刺繍をちゃんとし直して。
(終)