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見せたいのさ、あのブルー

_人人人人人人_

> 登場人物 <

 ̄Y^Y^Y^Y^Y ̄


■ スイさん


槇川とマッチングアプリで出会った女性。恋愛禁止のアイドルグループの一員。


■ 槇川


スイさんとマッチングアプリで出会った男性。バンドマン(ベーシスト)。


■ 伊藤


槇川の友人。アイドル好きなヘビーメタルギタリスト。

 人恋しくてマッチングアプリなるものを始めた。

 趣味や話題ごとに人を探せる機能があって、最初の話題に困らないから便利だ。僕は「音楽」をテーマにした部屋に入り、何名かの女性とメッセージを交換した。

 バンドマンはモテると思われがちだが、実際は敬遠されることも多い。モテるバンドマンとモテないバンドマンがいるのだ。僕はわざわざアプリを使わなければならないほどだから、モテない側に入る。両者は何が違うのだろう……。

「社会性だと思います」

 スイさんがメッセージをくれた。

「僕は社会性が無いってことかな」

 と返事をすると、慌てたように首を振る絵文字が送られてきた。

「槇川さんがどうこうってわけじゃなくて! イメージとして。

 バンドマンの人って、遊んでいるイメージが有ったりするじゃないですか。そうかと思えば、音楽にすべてを懸けている人もいたり。

 女性はほどほどというか、バランスよく楽しんでいる人を好むと思います」

 なるほど。僕は周囲のバンドマンを思い浮かべた。僕の周囲には、どちらかといえば『音楽にすべてを懸けている人』が多い。異性関係が派手な人も何人かいる。一方、大学時代の友人とそのまま結婚したりする堅実なコースを選んだ鈴木は、バンドにすべてを懸けているタイプではない。

「今さらほどほどには戻れないなあ……」

 僕はつぶやくようにメッセージを書いた。何を隠そう、僕もまた『音楽にすべてを懸けている』側の人間だ。担当はベースだが、家でベースを弾くのが楽しいわけでは無い。家での練習の結果、ライブハウスを揺るがすほどの低音が出る。それが良いのだ。それを知ってしまったのだ。

「分かります」

 スイさんはうなずく絵文字を送ってきた。

「スイさんは音楽に詳しいんだね。それも、バンドをする側の事情にまで」

「はは、まあ……」

 スイさんは微妙に話をそらしたので、僕は深く追求しないことにした。

 その判断は正しかったらしく、何度目かのやり取りの後、僕らは直に会うことになった。


*


 週末、曇り空のショッピングモールで声をかけられたとき、面食らった。

 マッチングアプリで写真を『盛る』つまり良いように加工するのは、ある程度仕方の無いことだと思う。僕だって格好つけた写真を載せている。スイさんは猫カフェで撮った茶色のセミロングの女性の写真を載せていた。実際に現れた彼女は、茶髪でもセミロングでもなかった。そして、アプリのプロフィール写真よりもずっと可愛かった。

「スイです……」

 彼女は少し緊張した様子で、僕に声をかけてきた。黒い髪の、ベリーショートに近いほどの短い髪。その下からは大きな瞳が覗いていた。

「槇川ですが……、あの」

「すみません! 友達の写真を借りちゃってました!」

 彼女は大きな動作で頭を下げた。周囲の目線がこちらに集まるのを感じる。

「どこか入ろうか」

 どちらにしても喫茶店に入る予定だった。僕らはすぐ近くにあるカフェに入り、抹茶パフェを頼んだ。

「なんで別人のフリを?」

 本来のほうが可愛いのに、あえて別人の写真を使う理由が分からなかった。

「実は、私、身バレするとまずい仕事をしていまして……」

「お硬い仕事?」

「いえ、ゆるいはゆるいんですけど、貞操観念だけやけに硬いというか……、直裁に言うと、私アイドルなんです」

「ああ……」

 なるほど、アイドルもできそうな容姿をしている。それでいて大っぴらに恋愛をすることができない仕事なわけか。バンドマンの生態に詳しいのも、知り合いにいるからかもしれない。

「ごめん、不勉強で。君のことを知らない」

「いえいえ、地下アイドルのデビューしたての存在なんで。知ってたらむしろ驚きますよ」

 彼女はスマホでプロフィールを見せてくれた。翠と書いてスイと読むらしい。パレットをテーマにしたアイドルグループの一員で、インディゴブルー担当らしい。ミントブルー担当もいるらしい。

「地下アイドルって厳しい世界らしいね」

「今のところそこまで厳しくはないですけど、忙しいんです。振りつけを覚えなきゃいけないし、歌の練習もしなきゃいけないし、人と会わないといけない」

 僕はバンドだから、基本的にステージでは演奏をしている。しかしスイさんの場合は歌うだけでなく、踊らないといけない。単純比較はできないが、大変そうな仕事だ。

「まだ収入がさほどでもないから、バイトもしているんです。体が2つ3つ欲しいですよ」

「僕もバイトしているよ。バンドの収入って安定しないから、深夜のコンビニで」

「お互い大変ですよね」

 僕らは顔を見合わせて笑った。別人が出てきた時は驚いたが、話自体は合うようだ。

「でもまあ、好きでやっていることだから……」

 我慢できる、と言いかけると、スイさんは首を振った。

「私、本当にアイドルの仕事が好きなのか、分からないんです」

「分からない……?」

「それで、我慢できなくなって、マッチングアプリを始めたんです。恋愛禁止を破っちゃおうか、破れるくらいに嫌なのかどうか、自分を試してみたくって」

 スイさんは真剣な様子で、僕を見つめていた。彼女の眼は大きく、空はいつの間にか晴れ、抹茶パフェはぬるくなっていた。

「……ごめんなさい、槇川さんからすれば、迷惑ですよね。恋愛禁止のアイドルと恋愛してほしい、なんて」

 僕は言った。

「友達から、始めようか」


*


 1週間が経った。

 その間に、僕はアイドル好きなヘビーメタルギタリストの伊藤に、スイさんのことを聞いてみた。

 伊藤もまた、デビューしたてのアイドルグループの一員まで知ってはいなかったが、調べるコツを知っていた。

「スイって子は『パレット・ドリームズ』のインディゴブルー担当らしいな」

 そこまでは本人との会話で知っていたが、伊藤はもっと詳しく調べてくれていた。

「パレット・ドリームズでは一番か二番めに人気らしいよ。ピンクとかホワイトのほうが扱いは良いのに人気なのは、華があるんだろうな」

「人気なんだ。やっぱり頑張っているんだろうな」

「恋愛禁止のほうだけど、パレット・ドリームズは恋愛絶対禁止で、もし彼氏が(彼女でも)できたら即刻クビ、欠員と交代させられるらしい」

「スイさんはわざと恋愛して交代したがっていた。そんなにつらい職場なのか」

「一般的に、アイドルの仕事は大変だよ。その中ではパレット・ドリームズはマシな方だと思うけど」

「つらいわけじゃないなら、向いてないのかな」

「向いてなくて1位2位にはなれないよ」

 伊藤はスマホの画面を見せてくれた。

「スイって子がセンターを取ったときの写真だよ。人気投票でセンターを取れたのは、スイだけだ。ピンクの子とかは最初からセンターだったからな」

「センターってすごいのか」

「一つの目標ではある」

「向いてないわけではないけど、辞めたくなってしまったのか」

「贅沢な話だな」

 伊藤は笑った。

「ていうか、お前も贅沢だな。マッチングアプリをしたらたまたまアイドルが出てくるなんて、幸運過ぎるぞ」

「不幸に終わらなきゃ良いけどね」


*


 そして1週間後の今日、僕はスイさんと再会した。

 スイさんはベージュのブラウスに黒のジーンズ。無難な服装をしているが、やっぱり目立っている気がする。

 新しくできたショッピングビルに入ってみる。エレベータ横のマップを見ていると、二人ともに眼が吸い寄せられたテナントがあった。

「楽器屋さん、ビルに入ってたんですね」

「やっぱり気になるよね」

 7階まで上って島村楽器のテナントに入る。

 ベース売り場もちゃんとあったので、いくつかウインドーショッピングをする。

「槇川さんはバンドではベーシストでしたよね」

 覚えてくれていた。

「うん、でも今はベースは間に合っているから……、スイさんはマイクでも見る?」

「マイクも気にはなりますが、ちょっとこっち見ても良いですか?」

 スイさんはそういうと、シンセサイザーのコーナーに向かっていった。

「さっきシルエットを見て気になっていたんですよね。やっぱり、コルグのミニローグ、シンセベースバージョンがある。ミニローグはフィルターのかかりが優しいので、ベースには向いていないイメージがあったりするじゃないですか? するんですよ。そこがどう変わっているか気になっていたんです。……ああ、こうなっていたんですね。しかもオシロスコープがついているのが良いです。やっぱり波形はシンセの命なので、そこを直に確認できるのは大きい。シンセを好きな人が作っているんだなあと思います。私も一介のシンセ好きとして……」

 スイさんは一気に250字くらい喋ってから、ハッとしたように俯いた。

「私、好きなんですよ。シンセサイザー」

「アイドル活動ではシンセは使わないの?」

「バックミュージシャンの方が使いますけど、私が使うことはないですね。それも物足りないところだったりするんですけど」

 スイさんは指先を鍵盤に当てた。シンセ・ベース独特のエグみのある音色が、二人の間に響いた。

「私が本当にしたいのは、作曲なんです。シンセサイザーを使って、音の世界を作ってみたい」


*


「どうぞ、散らかってますけど」

 スイさんのアパートは、ショッピングビルから出て、電車で10分ほどのところにあった。

「お邪魔します」

 確かに散らかっていたが、その散らかり方には覚えがあった。

 バンドマンの友人や、DTMをしている友人と同様だ。機材が多く、配線もタコ足になっている。

 機材と配線の中心に、机と椅子があり、ラップトップタイプのパソコンが置いてあった。

「これがプライベートスタジオの中心部だね」

「スタジオというほどではないですけど」

 スイさんはパソコンの電源を入れた。画面が立ち上がるのを待ちながら、ぽつりぽつりと話す。

「最初は、エレキギターを弾いていたんです。お兄ちゃんのお下がりで、安物のストラトタイプ。それとエフェクター、BOSSのオーバードライブとディレイがありました。気がつくと、ギターそのものより、ディレイのつまみをいじっている時間が長くなって。私は音を作るのが好きなんだな、と、気づいたのはそのころです」

「それからシンセサイザーのほうに?」

「はい。音色自体の仕組みをもっと知りたくなって、KORGのVOLCA KEYSを買いました。私のお小遣いで買えるほとんど唯一の選択肢ですけど、ずいぶん勉強になりました。今も持ってます」

「で、もっとお小遣いが欲しくなったわけだ」

「そうです。そんなときにアイドルのお誘いがあって、お金になるかなと思って引き受けました。実際にはあまりお金にはならなかったんですけど」

 スイさんは慣れた手つきでパソコンを操作し、Studio Oneを立ち上げた。

「アイドルの仕事が始まってからも、作曲はずっと続けていました。作曲というか、音作りですね。一人で、つまみを操作して、音を作って、聞いて、また調整して……、そんなことを繰り返していると、なんだか、頭の中の音が見えるような気がするんですね。音の世界が、目の前に広がっているような。だいたい、青いんですよ、その世界は」

 スイさんはStudio One上のプロジェクトを開いて、既存の楽曲のデータを呼び出した。

「あなたにも見せたいんです。あのブルーを」

 僕は厳かにヘッドフォンを受け取ると、耳に当てた。スイさんはプロジェクトを再生した。

 低音が鐘のようにボンと、高音が鈴のようにコロコロと響く。スイさんの音楽は、僕には夏の日の情景を思い起こさせた。

「どうですか?」

「ブルーかどうかは分からないけど、夏の情景が見えたよ」

「うん……、まだ修行が足りないな」

 スイさんは笑った。

「私がやりたいのは、こっちなんです。でも、向いているのはアイドルのほうかも」

「センターだもんね」

 そう、スイさんはアイドルグループでセンターになったことがあるほどだ。といってもよく分からないが、たぶんアイドルとしての才能はあるのだろう。一方で作曲のほうは、確かに何らかの才能は感じるが、まだまだ未知数だ。

「私はどうしたら良いのでしょうか」

 スイさんは大きな眼をこちらに向けた。

「そうだね……。まず、自棄になることはないと思う」

「……恋愛禁止を無理やりに破る必要はない、ということですか?」

「うん。スイさんにはたくさんのファンがいるわけなんだから、その人たちが悲しむような辞め方は、しないほうが良いと思う。もしこの先アンビエント作家になったとしても、その先には聞いてくれる人がいる。リスナーを大切にするのは、アイドルでも作曲家でも同じだと思う」

「そうですね」

「向いている仕事とやりたい仕事が、一致する人は幸せだけど。実は一致しない人だって、世の中にはたくさんいると思う。2つをすり合わせて、少しずつ変わっていくのが、結局は近道なんじゃないかな」

「少しずつ変わっていく……、か」

「というのが僕の答えだけど、どうでしょうか?」

 スイさんは今までファンを虜にしてきただろう笑みを浮かべた。

「ありがとうございます。すごく、参考になりました。

 そして、ごめんなさい。さっきは色々言いましたが、槇川さんとはお付き合いできません」

「う、うん。恋愛禁止だからね」

「作曲やりながら、アイドルも続けていきます。本当にありがとうございました」

 なんかフラれたみたいになったが、僕は満足した。良いことをすることができたのだ。


*


 久しぶりに携帯が震えて、スイさんから『見てね』の絵文字が送られてきた。

 僕はすでに伊藤に教えてもらって知っていた。

 それはパレット・ドリームズの新しいステージの映像だった。

 スイさんが即興で弾くシンセサイザーに合わせて、他のメンバーが踊るという内容だ。『作曲インスタレーション舞踏』というよくわからない名前がつけられたそれは、彼女の努力と『すり合わせ』の結果だった。

 インスタレーションのコーナーが終わり、メンバーから『難しいよ!』とか『あれ、何?』とか声をかけられている。彼女が良い仲間を持っているらしいことが、嬉しかった。

 動画を見終わった僕は、スイさんに絵文字を送った後、ベースを手に取った。

 彼女に負けてはいられない。ヘッドフォンアンプの音量を最大にして、ずんずんと響かせる。

 演奏が最大に盛り上がったとき、僕の眼は、青い世界を幻視していた。


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