真実の愛だから結ばれなければならない? 果たしてそうかな
第一王子アロイスは意気揚々と父の執務室へやってきた。
前々から自分の婚約者として選ばれた公爵令嬢ではなく学園にて出会う事となった男爵令嬢イーリと結婚したいと訴え続けていたのだが、今まではすげなく却下され続けていた。
しかし本日、婚約の件について話し合いがあると言われ、いよいよ自分の望みが叶うのだと思いこうしてやってきたのだ。
改めて却下されるとは夢にも思っていない。
何故って今の今までこんな風に話し合うなんてせず一方的に却下され続けていたのだから。
それが改めて話し合うとなれば、ようやく自分の望みが叶うのだと――まぁアロイスは王子として教育を受けていたのは確かだけれど、同時にそれなりに甘やかされていたので。
別に今婚約者である公爵令嬢とではなくたって自分は王になれるし、仮に足りない部分があったとしてもそれらは家臣が支えてくれる。
どこまでも甘く、そう考えていたのだ。
てっきりこの場で婚約破棄――ではなく解消するのだろうかと思っていたがいざ国王の執務室へ足を運んだアロイスを迎えたのは、父と母だけだった。
おや? と思ったのは確かだ。
てっきり公爵令嬢やその親もいるのではないかと思っていたので。
正直気持ち的には婚約破棄を突きつけたいと思う部分もあった。
学園で出会ったイーリと自分がちょっと話をしているだけで割り込んできてはやれ淑女としての嗜みがどうだとか、異性との距離についてああだとか。
アロイスとイーリは確かにお互い惹かれ合っているけれど、しかし学園という人の目がある場所であからさまに触れ合ったりしていたわけではない。
あくまでも会話をしていただけだ。
一応、公爵令嬢が婚約者だという自覚はあるのでその関係があるうちはイーリに明らかな手出しはしていなかった。健全なお付き合いと言えばそう。
それでも、公爵令嬢の言い分としては婚約者がいる異性と二人きりになろうとは……という事なのだが、学園には多くの人がいるのだから完全に二人きりにというのはまずもって難しい。
放課後の誰もいない教室に二人きり、とかそういうのが無理だというのもわかっているのだ。かといって、自分の部屋に招くのも問題があるとわかっていた。イーリは男爵令嬢で城に気軽に足を運ぶことが許された存在ではない。それも、理解している。
学園が休みかつ自分の公務のない日にイーリと街中デートにしゃれ込んだ事もあったけれど、それだっていくつかの店を見て回るだとか、観劇だとか、そういうとても健全かつ絶対に密室で二人きりにならないようなもので。
最初は学生時代だけのつもりだったけれど、それだけではもう我慢できないとなり、彼女と結婚したいとさえ思うようになっていた。
とはいえそんなアロイスの訴えを父である国王は「何言ってるんだ?」とばかりに却下し続けていたのだ。
けれどもあまりにもしつこく訴え続けた事で、彼女とは真実の愛なのですと真摯に語った事で。
とうとう、というべきか、ようやく、というべきか。
ちゃんとした話し合いをしましょうか、となったようなのである。
今までは父にだけ訴えていたけれど、この機会に母の賛同を得ることができれば。
そうなれば、イーリとの結婚も夢じゃない……!
そう、アロイスは愚かにも思い込んでいたのである。とんだ甘ちゃんであった。
「真実の愛だなんて本気で言っているのですか?」
今までのようにいかに自分がイーリを愛しているか、そして二人の仲を認めてもらうべくアロイスが語りに語った後、冷え冷えとした目を向けてアロイスの母――王妃シャロンは一蹴した。
今までの語りを聞いてくれていなかったのだろうか。それとも最初から聞く耳を持つつもりさえなかったのだろうか。そんな思いがよぎり、話し合いではなかったのか、と裏切られたような気持ちになってアロイスは何かを言い募ろうとして口を開く――が、
「貴方のそれはただの浮気。不貞です」
それより先にぴしゃりと言われ、言葉を発するタイミングを完全に逃してしまった。
「そもそもの話、真実の愛だというのなら別に結ばれずともそのまま貫けばいいでしょう。陛下のように」
「え……?」
何をどう言えば母を説得し、納得させられるだろうか。
そう考えているうちに、シャロンは事もなげにアロイスにとってとんでもない爆弾を投下したのである。
「ち、父上に、母上以外の女性が……?」
年齢的にはまだ思春期と言ってギリ許されるだろうアロイスは、ここで父に目を向けた。
その目にはうっすらと嫌悪が漂っている。
母がいるのに他の女と……? という目だった。
自分の事を完全に棚にあげている。
「これはわたくしと陛下がまだ貴方くらいの年齢だった時の話よ」
そう言って、シャロンは語り始めた。
父に言いたい文句はとりあえず母の話を聞いてからにしよう。そう思ったアロイスはともあれ口を噤む。
――当時、まだ王太子であったカイルロッドとその婚約者であったシャロンが、公務の一環として市井におりたときの事。
孤児院の視察を始めとし、自分たちが将来治める街の様子を直にその目で確認していた時の事だ。
カイルロッドは教会で働く一人のシスターを見て、雷にでも打たれたかのような衝撃を受けたらしい。
恐らくはそれが彼にとっての初恋だったのかもしれない。
視察としてそこで働く者たちからいくつかの話を聞いたりもするので、カイルロッドはそこで彼女に声をかけた。
彼女はそこで教会に足りないものや、孤児院で不足しているものなど、事務的な応対をしていた。
この時点では二人の間に何かが芽生えたりもしていない。
けれどカイルロッドはそれから彼女のために何かしたいと強く思うようになり、そっと陰から支援することにしたのだ。自らの財産で。
いくら惚れた女にいいカッコしたいからといっても、国の金を使うのは悪だ。
それ故に、自身の資産を使ってコツコツと彼女の支援をするようになったのである。
シスターリリーは最初それが王子からのものだと気付けなかった。
ただ、純粋にどこかの貴族が寄付をしたのだと思っていた。
それ故に、それらは当然のように教会や孤児院の修繕や備蓄を購入するために使われていた。
ちなみにシスターリリーは一時的に教会に身を寄せていただけで、その後は実家へと戻っている。
彼女は男爵家の娘で、色々あって実家から離れる形になり家族が迎えに来るまでしばらくの間教会にいただけ。そこら辺は当時の世情と家庭の事情とが合わさっているので詳しい事はアロイスには語られなかった。
だが、恋した娘が貴族と知ったカイルロッドではあるがしかしそのまま勢いで彼女を妻に! とはならなかった。そもそも男爵家の娘が王族に嫁ぐなど無謀もいいところだ。夫の寵愛があるとはいえそれだけ。人の気持ちなどいつ変わるかもわからないものを頼りにするにはあまりにも無茶が過ぎる。
カイルロッドはそのあたり、とても現実的だった。
恋に浮かれていたのはシスターリリーとして接していたわずかな時間だけだった。
その後は密かに彼女のためになりそうな援助をしてはいたけれど、自分がそれを実行していたと本人に気付かれない形だったのである。
金銭を使い高価な贈り物をするだけが好意を伝える手段ではない。
そしてカイルロッドは王族から目をかけられた事で他の貴族たちのやっかみを買う可能性も考えて、密かにこっそりと支援していたがそれを一切自分の口から明かすような事はしなかったし、周囲にも気づかれないよう自然に公務の中に混ぜ込んでやらかしていた。公私混同と言われればそれまでだが、しかし露骨な贔屓をせず国全体のためになるようにと差配していたのである。
そしてリリーに好きな相手ができるでもなく、また嫁ぎ先も良いところがないと知ったカイルロッドは。
男爵家と家格が釣り合ってなおかつ国のためになりそうでリリーを幸せにしてくれそうな相手との縁談を結び付けた。
カイルロッド自身が結ばれる事で幸せにできるのであればきっとそうしていた。けれども、後ろ盾もろくになければ王家に嫁ぐにはいろいろなものが足りなすぎる彼女がカイルロッドと結ばれてもほんの一瞬幸せな気分になれたとして、表立って出てこない、水面下で彼女を妬む連中に精神的な面からじわじわ削られるような事になればそんな幸せなど一時的なものでしかない。最終的に不幸にさせるのがわかっているなら、せめて。
せめて、彼女が幸せに笑って過ごせるような道を示すべきだ。
そう決めて、カイルロッドはリリーを幸せにしてくれそうな相手を選び、それとなく二人をくっつけたのだ。
リリーは勿論自分の夫となった相手と自分を結び付けたのがカイルロッドだとは気づいていない。
気付いているのはシャロンくらいなものである。
「――えぇ、ですからね、真実の愛だというのなら、別にくっつかなくても良いのではと思うの。
愛している相手が幸せなら、自分と必ずしも結ばれる必要なんてないのですから」
そう言って話を締めくくったシャロンに、アロイスは何も言えなかった。
言いたいことはある。あるのだけれど。
言葉が上手く出てこなかったのだ。
「実際男爵令嬢が今から王家の仲間入りをするために必要な様々な事を学ぶにしても、すぐに終わるはずもない。王妃の立場に、なんてしようものなら表向きはさておき裏ではそんな彼女を陥れようとあの手この手で画策するような連中の餌食にだってなりかねない。
自分が守る? えぇ、それができればいいですけれど、四六時中、眠っている時ですら片時も離れずにいて目を一度も離さず守り抜くというのは気持ちの上ではそうするくらいの心意気としてあるのかもしれないけれど、現実では到底無理な話。
どうしたって目を離す事になるだろうし、一緒にいられない時間というのは存在するもの。
王妃ではなく愛妾の立場であればどうにかなるけれど、それを拒むようなら貴方が王族としての立場を捨てるしかない。
でも、そのつもりもないのでしょう?
であれば、最初のうちは幸せな気分に浸れてもやはりいつかはつらく苦しい時間が待ち構えていますよ。
愛の力で何もかもが解決するなんてお伽噺の中だけですもの」
微笑みを浮かべたままシャロンに言われ、アロイスはどうにか反論をしようと試みるも、しかしアロイスはカイルロッドのようにイーリの幸せを願い自らは身を引きかわりに彼女を幸せに導いてくれるだろう相手と……とは到底できそうになかった。
どうしたって自分が彼女と結ばれたいのである。
けれども婚約者のいる身でそれは、シャロンの言うように確かに浮気であり不貞でしかなかった。
今更ながらに気付かされたというよりも、目をそらし続けていた現実をようやく直視した、といったところか。
「貴方が見返りも何も求めずただ彼女の幸せのために尽力するのであれば、その結果自分と結ばれることがなくともそれでもそれを貫き通すのであれば。
わたくしも真実の愛だと認めたでしょう。
ですが貴方は己の婚約者を蔑ろにお気に入りの娘を贔屓しているだけ。
本当に真実の愛だというのなら、素直に身を引きなさい。
彼女には他にもお付き合いをしている殿方がいるのだから」
「えっ!?」
「あらどうして驚くの。もしかして知らなかった?
あらあら、知った上でそれを認めて自らも愛する者のために……というわけではなかったのね。
ちょっと調べればすぐわかる事もわからないなんて……もしかしなくても貴方の教育は失敗だったのかもしれないわ。ねぇ陛下?」
「う、うむ……」
「貴方のように陰ながら好きな相手が幸せになれるようそれとなく手を出すくらいならまだしも、己の欲望のために突っ走るなど……国王になってから権力の使い方を間違えそうでこれではとてもじゃないけれど次期国王なんて任せられそうにないわ」
シャロンは微笑んでいる。
微笑んでいるけれど、しかしその目は笑っていない。
どこまでも底冷えするような冷たさを湛えていた。
アロイスは母に言われた言葉をすぐさま理解しきれず、イーリに他に付き合っている男がいるという事を信じたくなかった。だが、思い返してみればもしかして……? と思える疑わしい部分は確かにあったのだ。
恋をして、その疑わしい部分から目をそらしていたけれど。
指摘して彼女に嫌われたら。
そんな恐怖があった。
それに、自分の勘違いであれという感情もあったのだ。
だから余計に勘違いで彼女に言いがかりをつけるような事になれば、嫌われてしまうと思って――
しかし母の言葉が真実であるのなら、アロイスはイーリにとってとても都合の良い存在だったのかもしれない。
「今後の貴方の行動に期待していますよ、アロイス」
「は、はい……母上」
公式の場ではないので母と呼んだ事に叱られる事はなかったけれど。
しかしその返事をした際の態度にシャロンは何を思ったのか眉をかすかに顰めていた。
冷や水通り越して氷水を背中に突っ込まれたみたいになったアロイスは、その後直視したくない現実と嫌でも向き合う事となった。
母の言葉通り、調べてみれば確かにイーリには他にも付き合っている相手がいた。
しかも複数。
高位貴族に取り入って、他の令嬢たちから嫌がらせをされているのだとさめざめ泣いていたけれど。
婚約者のいる男に言い寄っているのだ。そりゃ令嬢から嫌われるのも当然である。
けれどもアロイスやその他の令息たちはそんなイーリにコロッとやられてまんまと信じていた。
アロイスの婚約者である令嬢や、その他の令嬢たちから時々どうしようもない馬鹿を見る目を向けられていた気がしていたが、気がしていたのではなく実際にそうだったのだろう、と気が付いて。
アロイスは自室で思わず「あーーーーっ!!」と叫ぶくらいに恥ずかしくなったのだ。
真実の愛というのならこれくらいしてみせろ、と母が述べた父の話は、その場で適当に作った話ではなく調べてみれば本当の事だった。
父が想いを寄せていたリリーという令嬢が幸せになるために、父は自らが王になって権力をより使えるようになってからも色々とやらかしていたが、決して彼女だけがあからさまに贔屓されていると思われないよう国全体のためになるように取り計らっていたのである。
国全体がよくなれば、巡りめぐってリリーの幸せにもつながる。
リリーがカイルロッドの献身――と言っていいかはわからないが、ともあれ彼の想いに気付くことなどなかったとしても。
父はそれを良しとしているのだ。
では自分が父と同じようにできるか、と問われれば無理だと思った。
だって、自分はどうしたって好きな相手と一緒にいたくて婚約者を蔑ろにしていたし、そうしてイーリを贔屓しまくった。そのせいで、もしかしたら彼女にいらぬ勘違いをさせてしまったのかもしれない。
確かに最初、アロイスはイーリを妻にして将来的に王妃となってほしかった。
けれど、どうしたって無理だったのだ。
男爵令嬢のままでは、どうしても。
どうしても王妃となりたいのであれば、それこそ他のもっと身分の高い家の養女となって家柄から何から整えるべきであった。
けれどもその肝心の部分をアロイスもイーリも何も思わず、今のままでどうにかなるとすら思っていたのだ。とても甘い見通しである。
今のままのイーリが王妃になるなど、現実を突きつけられた今のアロイスから見たって無理だとわかる。
どうして少し前の自分はこんな簡単な事すらわからなかったのか。恋は盲目とは実に的確な……とベッドの上で足をバタバタさせて思わず悶絶した。
幸い、まだ婚約者に婚約破棄を突きつけたりしたわけではないのでやり直そうと思えばできなくもない。
けれども、きっと婚約者のアロイスに対する感情も評価も地の底まで落ちているに違いない。
だからといってまた嫌な事から目をそらすわけにもいかない。目をそらし続けた結果がコレなのだから。
その後のアロイスはイーリが付き合っている男性と二人きりでいる場面にそれとなく鉢合わせ、他に想っている相手がいたんだね……幸せになってくれ、と自ら身を引くようにしてイーリと強制的に別れた。
アロイスとイーリが二人きりの時に別れ話を切り出すよりも、他の相手といる時の方がすんなりいくと思ったしその後イーリがアロイスに何を言っても実際他の男と二人きりでいちゃいちゃしていたのは事実なので、アロイスが離れたとしても一方的に王子に距離をとられたなどとはイーリだって言えない。
玉の輿を狙ったイーリは結局その後他の令息たちからも距離を置かれてしまったようだが……
複数の男性に言い寄った結果なので誰も同情はしなかった。
むしろ令嬢たちから邪魔ですわねあの人、と思われて酷い目に遭わされる可能性もあったくらいだ。
改心したアロイスが婚約者経由で他の令嬢たちに悪いのは自分だから、と言ってイーリには手を出さないように頼んだ結果だったのだが……
肉体的に無事でいても、社会的に死んだも同然である。
アロイスの願いは結果的に彼女にトドメを刺す形となってしまったが、それが彼の望みであったのか、狙いであったのかは知る由もない。
そんなアロイスは、学園を卒業後婚約者であった令嬢と結婚し、そうして生涯尻に敷かれ続けたという。
次回短編予告
転生している事に気付いた令嬢は、他に同じく転生しているであろう少女の存在に気付く。
まるでどこぞの創作物のヒロインのような少女ではあるけれど、しかし自分が知った情報から念のためにとある忠告をしようとしたのだが……
次回 忠告はいたしましたのよ?
投稿は明日。