キャロラインの遺物(2)
「何なんだよ、本当に・・何なんだよぉ」
高3にもなって、顔によくわからない動物のフンをつけて半べそをかくことになるとは、夢にも思わなかった。
「ほら、あの水場で洗ってこい」
がーーん!
あの水場を使う!?
「いやだ!あのカバ面がいるじゃん。襲われたらどうすんだよ!」
くそっ!親父のヤローひでぇこと言いやがる。
顔の右上にベッタリとフンをつけたまま、頭を思いっきり振りまくった。
「うわっ!やめろっ!跳ねるからやめろって!」
親父は手で避けながら後退りしていく。
伯父さんは、いつの間にか遥か上空からこちらを見下ろしていた。宝珠なんだから、少しくらい汚れたって、ちょっと流せばツルツルピカピカじゃねぇか。
「くっそー!!何で俺ばっかりこんな目に遭うんだよ!」
そう言って悔しがる俺に
「いやいや、そんなに何回も遭ってないだろう」
と言いながら、親父は俺の左手をガッシと掴んで、水場に引きずっていく。
「やめろっ!やめろぉー!!」
「あいつは草食で大人しいんだよ!」
俺達がそんな攻防を繰り返している間も、カバ面は我関せずという様子で水草を食んでいた。
大動物は強いから、少しぐらい周りで騒いだって気にしないものだ。
結局、親父に力負けして、水の中にボチャリと尻餅をついた。
「くっそぉ!」
大声を出したものの、水に浸かったせいか落ち着きを取り戻した。
「なんだよ・・すげぇ綺麗じゃん」
透き通った水に水草が揺蕩っている。
様々な青と様々な緑。よく見ると、水場の周りには桃色の花が咲いている。
両手で水を掬うと、陽射しが当たってキラキラと輝き、まるで光を掬い取ったような気がした。
「すげぇ。こんだけ綺麗なら、飲めんじゃね?」
つべこべ言ってないでさっさと洗え、と親父にせっつかれて手と顔を洗い始めたものの、ふとバイ菌が気になった。
「なあ、石けん出してよ」
「ダメに決まってるだろう。この世界にそんな物あるわけないじゃないか」
「しょうがねぇじゃん。ちゃんと落ちてない気がするんだよ」
不貞腐れ気味にそう言うと、親父は
「ちょっと待ってろ」
と言って草むらにズンズン入っていき、1本の草を抜いて持ってきた。
「ほら、これを揉んで使え」
「へ?これで汚れを擦れってこと?」
「この植物にはサポニンが多く含まれてるんだよ。天然の界面活性剤だ」
「界面活性剤って、洗剤の?」
「そうだ。例えば、水と油は混ざらないだろう?界面活性剤には、水に馴染む成分と油に馴染む成分の両方があるから、水と油を混ぜ合わせたり、汚れに吸着させたりして洗い流すことができるんだよ」
「へぇ〜。こんな植物よく知ってたな」
「これだよ、これ」
親父はいつの間にかアニマンチアスコープを装着していた。
「これさえあれば、名前や特徴なんかがわかる。それを逆手に取って、石けんの代わりになる植物を探せばいいんだ」
親父は得意そうに「ふふん」と笑った。
何だよそれ。もっと早く教えてくれよ、などとブツブツ言いながら草を揉んでいると、だんだん泡が立ってきた。
「うおっ!すげぇ!!」
大して泡なんか出ないだろうと思ってたのに、石けん並みだ。
「それでよく洗っておけ」
ヒューッと宝珠が降りてきて、親父の横に浮かんでいる。
チッ!逃げてやがったくせに。
「伯父さんも洗って差し上ましょうか〜」
嫌味ったらしく言って、ぶくぶく泡を立てた。
「さて、先を急ぐぞ」
親父が先頭に立って、大木に向かって歩き出した。
「ホーィ ホーィ」
と言う声がして上を見ると、サルの親子がいた。
「可愛えぇ〜」
「あのサルが人の祖先になるやもしれんぞ」
「え!マジで?」
「有りえん話ではなかろう?」
そう言われて、改めてここが5,000万年以上前なんだということを思い出した。確かに、人類はサルから進化してるし、有りえなくもないよな。
「あれは確かにサルの祖先だけど、アダピス類だな。この頃のサルの祖先には、アダピス類とオモミス類があってね。アダピス類は原猿類の祖先で、オモミス類は真猿類の祖先だって言われてる」
「へぇ〜」
類類言われてもな。
でも、原猿類と真猿類はわかる。
原猿類は原始的なサルで、夜行性が多い。
真猿類はサルらしいサル・・何をもってサルらしいっていうのかわからんけど・・で、昼行性が多い。
あ!あと確か、原猿類は目がデカいのが多いんだ!
そうそう。夏休みの自由研究でアイアイのこと調べて、模造紙にデカい目をマジックで描いたっけ。
あとは・・あれ?覚えてねぇや。
チェッ。あん時は完璧なつもりだったのに。
やっぱ図鑑まるパクリで描いただけじゃ、覚えないもんなんだな。
「何でアダモとかオモミ・・ス?とかに分ける必要があんだ?原猿類と真猿類でいいじゃん」
「アダピスとオモミスな」
親父はそう言って笑った。
「長い年月で、進化の枝が分かれたり途絶えたりしていて、現代の原猿類と真猿類の特徴で、単純に分けることができないからなんじゃないかな。特徴といっても、進化したり退化したりした結果が現代だからね」
「退化という言葉は好かん」
伯父さんが静かに言った。
「進化は後戻りできん。人間が勝手に退化と言っているが、不要なものを切り捨てる方向に進化しただけだ」
「それ、昔から言ってますね」
親父はそう言ってフフッと笑ったけど、なるほど、そういう考えもあるんだな、と思った。
サルの親子にバイバイして水場を離れると、徐々に木が減ってくる。
「なあ、地上絵ってどの辺なんだよ」
「さあてな。でも遠くはないはずだぞ」
動物が歩いているんだろう、ところどころで草がなくなって、地面が見えている。
大木はもうすぐそこだ。




