藍善さん(2)
「藍善さん、ターゲットは左右どっちですか?」
「左右という見方をするな。位置が変われば左右も変わる。後ろを追いかけている方だ」
「はい、はい」
「二度言うな」
「はーい」
「伸ばすな!」
藍善さんと俺は、月を形成しに来ている。
形成っていっても、もう月はできているんだけどな。
原始地球にテイアという惑星がぶつかった後、その破片が集まって月ができたという説が有力だ。
でも本当のところはちょっと違う。
2つの天体の衝突から、3つの天体ができたんだ。
原始地球にも衝突した天体にも、すでに核ができていた。衝突した時にぶつかり合った核は、衝撃で一瞬にしてドロドロに溶けて混ざり合った後、再び集まってより大きな核になったというわけだ。
ただし、100%が融合できたわけじゃなくて、混ざり合いながら飛び散ったものもあった。そして、それらはそれらで集まって、また別の核となったんだ。
イメージしてみてくれないか。
2個の卵をぶつかり合わせて熱湯に落とす。そして箸でクルクルと一方通行に優しくかき回すと、かき玉ができる・・じゃなくて、黄身同士で集まるだろう?
だけど、黄身がすっかり一つになるわけじゃない。飛び散った部分の黄身は、大きな黄身に融合しようとしても、白身が邪魔をしてくっつくことができない。
かき玉汁は、あくまでもイメージだが、実際にできあがったのは、地球と2つの月、核のある月と、核のない月だった。
「月って2つあったんだ」「へぇ〜」「いまでもあればいいのに」「2つ並んでるとこ見てみたいな」「おもしろ!」
いやはや呑気なことだ。
月が2つあったら、人類は・・いや、生き物はいただろうか。
月の引力と地球の遠心力によって潮の満ち引きがある。
重力が天体に作用して、天体の形を変形させる力を潮汐力というわけだが、要は月にもその力があるということだ。その月が2つあるんだぞ。
そして、やっかいなのが地軸だ。
地球の地軸は、公転軌道面に垂直な直線に対して約23度傾いている。うむむ、これじゃわかりにくいか。
これまたイメージで説明するぞ。
丸い団子にプッスリ串をさして、テーブルの上でコマのように回す。
やがてスピードが落ちてくると、串は斜めになってくる。だんだん、だんだん・・・そこだ!その角度!
斜めになった団子は、串を中心に回転したまま、テーブルの上にある光る玉の周りを回っている。
団子は地球、串が地軸、光る玉は太陽だ。
テーブルの上の団子コマは、やがてパッタリ倒れてしまうが、宇宙では止める力が働かないから、回り続ける。
まあ、実際には、地球の回転スピードが遅くなって地軸が傾いたわけじゃないけどな。地軸の傾きと回転の様子をイメージしてもらいたかっただけだ。
くれぐれも勘違いしないように。
その斜めになった角度を維持しているのが、これまた月による潮汐力だ。月のおかげで、地軸の揺れが最小限に抑えられている。そして、それこそが、生き物の運命を左右するキモなる。
地軸の揺れが今より大きかったら、気候は安定せず、極寒や灼熱、そうなると水も蒸発したり凍結したりということもあるだろう。
もちろん、惑星という大きな時流の中にあるから、安定しないといっても毎年変動するようなものじゃなく、何万年単位でのことではあるが、そんな中では生命が誕生するのは難しいだろう。よしんば誕生したとしても、どこまで進化できるだろうか。
そんな重要任務を担う月が2つあったら、それこそ「過ぎたるは猶及ばざるが如し」ってことだな。
そして、一番の問題は、このままでは核のある月が、地球に衝突するということだ。
確かに潮汐力や地軸の問題はあるが、そんなものは些細なことで、地球への衝突だけは絶対に避けなければならない。
そこで長老達が考えたのは、核のない月を核のある月に融合させて、未来に存在している月を形成するというものだった。
核のない月は、核がないからこそ他方に比べて重さが軽く、加速させるだけで衝突が可能だ。加速させるだけだから、スピードの調整も容易い。
しかし、ただ単にぶつけることはできない。俺たちが来たはるか未来では、月は1つしかなくて、潮汐ロックがかかっている。
潮汐ロックというのは「2つの天体の自転周期と公転周期が同じになっている」ことで、ロックがかかった天体は、常に相手に同じ面を向けるようになる。
まさに、月と地球だ。
月は常に地球に同じ面を向けているが、これは、月の自転周期と、月が地球の周りを回る公転周期が同じだからだ。
これもわかりにくいな。またイメトレするか。
君は登り棒を両手で掴んで、登り棒を「見ながら」周りを1周する。カニ歩きが歩きやすいかもな。
とにかく、登り棒に「顔を向けたまま」1周するんだ。
1周終わったら、視点を変えて、自分が回った跡を上から見てみよう。君自身が一回転したのがわかるだろう?
登り棒は地球。
君は月だ。
君は登り棒に顔を向けたまま一周した。これが公転だ。
同時に、君自身も回転していた。これが自転だ。
実際には、登り棒も自転している。
そりゃそうだ。地球だからな。
というわけで、今回の任務は「核のある月が地球に衝突する前に、核のない月を融合するように衝突させ、かつ、潮汐ロックがかかる位置に配置する」というものだ。
「与、何してる。早くしろ」
「はーい、いま行きますよ」
「だから伸ばすな!」
「はい」
はぁ〜、面倒臭っ!




