なんで俺?(1)
「うわわわーっ!?」
「早く走れ!もう少しで左に曲がれるところがある!急げ!!」
「もう少しってどこだよ!?ずっと真っ直ぐじゃねぇか!!」
「あと10kmくらい先だ!!」
「全然少しじゃねぇーーーーーーーーー!!!」
走りながら考えていた。
なんでこうなった?俺のモットーは・・・
「ただいま〜」
ドアを閉めて鍵をかける。
よし。安心・安全が第一だからな。
「あ〜腹減った〜」
今日の5限は体育だった。おかげで弁当食ったのに腹が減って死にそうだ。高3にもなって体育とかダル過ぎんだけど。マジで。
溜息をつきながら振り向くと親父がいた。
めちゃくちゃ真面目な顔をしている。鼻の穴が広がってるから、緊張しているんだろう。親父の癖だ。
考えてみれば、いつも8時過ぎに帰ってくる親父が、まだ6時だっていうのに家にいるんだから、驚いても不思議はないんだけど、この時は驚くより先に、深刻そうな親父の顔が気になった。
「早いじゃん。なに?どしたん?」
そう問いかけても何も言わず、ただ黙って俺の顔をじっと見ている。まさか誰かに悪い事でもあったのか?
「・・・なんかあったの?」
「いや、お前に大事な話がある」
良かった。悪い事があったわけじゃなかった。
一瞬安堵はしたものの、この真面目な顔は自分に向けられたものだとわかって、改めて不安になった。
あれ?俺なんか悪いことしたっけか?
「え?なに?」
問いかけても、ただじっと見ているだけだ。
「なんだよ気持ち悪いな。靴脱ぐからどいてよ。」
汚れたローファーを脱ぎ捨てると、親父の横を通り過ぎて2階の自分の部屋に行こうとした。
「待て。話があるって言っただろう」
「え?何?怒ってんの?」
「そうじゃない」
ますます鼻の穴が広がった。
「じゃあ鞄置いてくるから待っててよ」
わかった、とだけ言って親父はリビングに向かった。
教科書で重たい鞄を肩に背負い直してから、階段を昇り始める。
はて?何だろう?
と首を捻った。
とりあえず、家族に悪い事が起こったわけじゃなかったから良かったけど、あの様子だと良い事とは思えない。
先生に叱られるような事もしてないよな。
自分で言うのもなんだけど、素行は悪くない。面倒臭い事と、痛い事と、危険な事が大嫌いなごく普通の高校生だ。優等生じゃないけど、「安心・安全第一で、安定した人生を送る」というのがモットーだ。
じゃあ成績の事か?
1学期の中間は、そこまで悪くなかったと思うんだよな。そりゃあ、英語と数学は平均をかなり下回っちゃったから、母さんにちょっとお小言をくらったけど。
・・・いや、ちょっとでもなかったな。
でも俺の学校は大学附属だから、よっぽど成績が悪く無い限り、そのまま大学に行ける。母さんからは、学費の安い国立に行ってくれってちょいちょい言われるけど、そんなに頭良く無いし。
そういえば、ここんとこ様子がおかしいんだよな。昨日の俺の誕生日は家族でピザ食ったけど、あん時も妙にソワソワしてたな。好物の照り焼きチキンも俺にくれたし。何か関係あんのかな?
あれこれ考えを巡らせながら、鞄をいつものラックに置いて制服を脱ぐと、肌着&トランクス&靴下という、おっさん仕様の三種の神器でリビングへと階段を降りていった。
俺には、家に帰ったら部屋着に着替えるという習慣がない。小学生の頃、頭の先どころか、髪の先から足の先まで泥だらけで家に帰ってきて、部屋着に着替えて遊んでたら、家中が泥だらけになったことがある。泥をボロボロ廊下やら床やらに落としながら歩き回った挙句、壁にも泥がついちゃって、母さんが発狂した。
それからは、帰宅すると風呂場へ直行する羽目になって現在に至る。
さすがにもう泥だらけになんかならないけど、習慣になってしまった。風呂に入ってから部屋着に着替える。つまり、部屋着がまんまパジャマになるというわけだ。
別に不満はないけど、制服を脱ぐのが自分の部屋だから、三種の神器で部屋から風呂場に行くことになる。夏はいいけど、冬は寒いことこの上ない。
トントンと階段を降りて風呂場の前で靴下を脱ぐと、ポイッと洗濯機に投げ入れた。
風呂入る前に親父の所へ行ったほうが良さそうだ。
たぶん、今日は。
リビングでは、親父は腕を組んでソファに座っていた。
「母さんと朝芽は?」
「朝芽は昨日の振替で、塾へ行ってる」
「そっか。昨日塾だったのを振り替えてくれてたんだな。で?母さんは?」
「・・・母さんは今、時間が止まっている」
「は?何言ってんの?」
ちょっと何言ってるのかわかんない。冗談か?
「ちょっと座れ」
「いや・・・」
「いいから座れ」
親父はソファの向かい側を顎で指し示した。
うちのリビングはあんまり広くないから、片側にしかソファはない。代わりにビーズクッションが置いてある。
何だよ。これに座るのか?てか、座っていいのか?
もう、めんどくせぇな。
イラついてきたところで、あ!と思い至った。
まさか離婚!?俺の親権が親父になったって事?
だとしたら辻褄が合う。俺が18歳になるまで待ってたってことか。夫婦仲は良さそうに見えたのに、仮面夫婦って事だったのか。俺の安定した人生はどうなるんだ。
いやいや、まだ聞いてみないとわからないぞ。
ビーズクッションにどっかり座ると、普段は安らげるはずの心地良い不安定さが、逆に不安を増幅させた。
「何だよ。俺、怒られんの?」
平気なフリをしつつ、探るように親父を見ると、親父はジッとこっちを見ている。
「・・・離婚、するのか?」
「は?」
親父の目が丸くなった。これが所謂、「鳩が豆鉄砲を食ったよう」ってやつだな。
「俺が18歳になるまで待ってたんだろ?」
「何言ってるんだ。離婚なんかしないぞ。だいたいお前が18歳になったって、朝芽はまだ14歳じゃないか。」
そうだった!妹の朝芽は中3だけど、まだ誕生日が来てないから14才なんだった。すっかり頭から抜け落ちてた。
「なんだ〜。離婚するのかと思ったよ〜」
良かった。安定した人生は守られた。
「じゃあ、何だよ」
親父は大きな溜息をつくと、
「実は・・・実はな、お前は金星人なんだ」
と言った。