◇第九話 野兎、神を降ろす
“え、なに?”
“なんですか、これ……”
“頭の無い……巨人?”
“ひぃ……”
“怖い……”
「なんだ、こいつは!」
〈神鏡〉に流れる皆の声が、思わず緊迫感に包まれる。
蘭も、現れた“それ”を前に驚愕の声を上げた。
第四階層の奥よりやって来たのは、見上げる程の巨人の〈魔物〉だった。
背丈は、蘭や野兎の二倍以上。
肩幅が広く、まるで壁が迫って来るような威圧感を感じる。
両腕には、片手に盾、片手に斧を装備している。
そして最大の特徴は、“頭が無い”。
代わりに、その胴体に顔があった。
胸の部分に目が、臍の位置に口がある。
巨大な目でぎょろりと野兎達を睥睨し、唇の隙間から荒ぶる呼吸を漏らしている。
まさしく異形である。
“な、なんだか、今までの〈魔物〉と雰囲気が……”
“見てるだけで鳥肌が立つ……”
“逃げた方が良いんじゃ……”
“野兎様! 肉球の人! 逃げて下さい!”
「肉球の人じゃねぇ!」
思わず〈神鏡〉に吠える蘭の一方、野兎は黙って相対する巨人を見上げていた。
「おい……野兎、こいつは何なんだ?」
「私も初めて見る」
野兎にとっても、初めて遭遇する〈魔物〉だった。
なので、詳細はわからない。
……が。
「この見た目から、なんとなく正体はわかる」
「何?」
思わず聞き返す蘭に、野兎は淡々と言う。
「この〈魔物〉の名は……〈刑天〉」
「……〈刑天〉? 神話の中の化け物じゃねぇか」
〈刑天〉とは、この国に伝わる神話の中に現れる存在だ。
かつての昔、神様に挑んで首を切り落とされ、しかし体に顔を作って生きながらえた……怪物である。
「なんで、そんな奴が〈伏魔殿〉にいるんだ……」
蘭の疑問も最もだろう。
しかし、これは不思議なことではない――と、野兎は考えている。
そもそも、〈大蛇〉も〈犀犬〉も〈化蛇〉も〈鬼車〉も、本来はこの国の御伽噺で語られる空想の妖怪だ。
それらが〈伏魔殿〉に〈魔物〉として出現しているのだ。
何度も〈伏魔殿〉に落とされている内に、野兎も「何故か?」と考えたことがある。
神話、お伽噺、怪談……それらの伝承は、〈伏魔殿〉の〈魔物〉が元になって作られたから? などと考えるとそれっぽいだろう。
確かにそうかもしれないが、野兎の持論は逆説だ。
即ち、〈伏魔殿〉の〈魔物〉は、“人々の空想から生まれているのではないか”。
〈伏魔殿〉には、人の想像を現実にする力が働いているのではないか、と。
……まぁ、あくまでも数々の〈伏魔殿〉に潜り続けてきた野兎だからこそ思い付いた仮説の一つなのだが。
何より今はともかく、目の前の危機を脱するのが先決だ。
「ヒォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」
瞬間、〈刑天〉の口が開き、奇怪な声を上げた。
腕を振り上げ、足を踏み鳴らし、奇妙な動きを始める。
“〈刑天〉の舞いだ……”
奇行を始めた〈刑天〉を見て、〈神鏡〉にそんな声が流れた。
神話の中でも、〈刑天〉は舞を踊る怪物として描かれている。
「――来る」
巨体をうねらせ、地響きを轟かせながら踊っていた〈刑天〉が、次の刹那、手にした斧を振り下ろしてきた。
「蘭!」
「くっ!」
〈刑天〉の動きを呼んだ野兎は、蘭と共に回避行動を取る。
暴風のような斧の一閃を回避し、すかさず剣を構え、飛び掛かる。
狙いは――左足、足首。
だが、〈刑天〉は軽やかな動きで足を持ち上げ野兎の一閃を躱すと、手に持っていた盾を振り下ろしてくる。
「ふっ」
野兎は地を蹴って撤退――盾での押し潰しを回避した。
「大丈夫か!」
勢い良く退避してきた野兎の体を、蘭が受け止める。
「巨体の上、剛力。しかも、器用だ」
斧と盾を巧みに操り、攻撃も防御も隙が無い。
今まで遭遇してきたような、群れを作って数で押し寄せてくる〈魔物〉達とは明らかに質が違う。
苦戦を強いられるのは確実だろう。
“野兎様……”
“無理だ、勝てない”
“一旦逃げましょう!”
“いや、追い掛けてきたらどうするんだ! もしも、〈伏魔殿〉の外に出てきたら……”
“なんとかしてくれ……”
“神様、神様……”
〈神鏡〉に溢れる人々の声も、未だかつて無いほど慌てふためいている。
「野兎、いくら陛下の命令だからって無茶をする必要はねぇ」
「………」
武器を構え、〈刑天〉がジリジリと迫ってくる。
蘭も目前の状況から、撤退が最善と判断しているようだ。
〈神鏡〉や蘭の言葉通り、退避すべきか?
(……いや)
そこで、野兎が思い出していたのは、先程の自説だった。
〈伏魔殿〉の〈魔物〉は、“人々の空想から生まれているのではないか”。
即ち、この〈刑天〉が、神話の中の存在とおよそ同一なのだとしたら……。
「………」
野兎の脳裏に、ある可能性が浮かんだ。
「蘭、時間稼ぎをして欲しい」
「なに?」
野兎の言葉に、蘭は瞠目する。
「一分……いや、30秒でいいから。無論、無茶だと思うなら従わなくていい」
「……ここじゃ、お前が先輩だ」
野兎に撤退の意思が無いとわかった蘭は、しかし反発する事無く前へと出る。
「勝ち筋があるんだろ? なら、役目は果たす」
「ありがとう」
ニッと微笑み合い――次の瞬間、蘭は〈刑天〉へと飛び掛かった。
「オオオオオオオオオオオオオオ!」
走る蘭に、真上から斧が襲い掛かる。
「《猪ノ門》!」
瞬間、蘭の体が加速した。
走る速度が、急激に上がったのだ。
斧は地面に突き立てられ、加速した蘭の体は〈刑天〉の右足に体当たりする。
「グゥ……」
グラリ、と、思わず〈刑天〉の体がよろめいた。
「……クソッ、これで倒れねぇのかよ」
〈刑天〉の足に頭突きを食らわせた蘭。
その両足は、先刻より少し太くなり、そして頭部からは猪のような耳が生えている。
《形象十二神獣》の一つ、《猪》の力で突進力を上げたのだ。
“猪!”
“猪だ!”
“頑張れ、蘭!”
〈神鏡〉の画面が沸き立つ中、〈刑天〉がすかさず足を振り上げ、地上の蘭を踏み潰そうとする。
しかし、足を振り下ろした瞬間には、そこに蘭の姿は無い。
蘭は、〈刑天〉の肩くらいの高さにまで跳躍していた。
「《兎ノ門》!」
今度は一転、足の太さは変わらないが、足首が覗く程少し長くなった。
そして頭部に生えた耳は、長く白い兎のもの。
両目も赤い。
《兎》の力で、跳躍力を強化し、回避したのだ。
“うさぎー!”
“行ける! 行けるぞ、蘭!”
“なんとかなれー!”
「クソッ! 30秒が永遠みたいに長く感じる!」
沸騰する人々と相反し、蘭は焦燥感に駆られていた。
この数秒のやり取りで、〈刑天〉の恐ろしさを嫌という程実感したのだ。
もし一発でも直撃を受けたら、重傷だろう。
それで終わる可能性もある。
わかる故、蘭も全身全霊を掛けて〈刑天〉と相対する。
「………」
野兎は、そんな蘭を気に掛けつつ、意識を集中していた。
“野兎様は何を?”
“これは……祈ってる?”
“祈祷?”
剣を眼前に掲げ、瞑目し、ぶつぶつと何かを唱えている野兎の姿は、人によっては祈祷を捧げているように見えるだろう。
しかし、野兎にとってこれは、演舞の前に行う集中の儀式。
脳内で物語を繰り返し、主役になりきるための儀式だ。
(……〈刑天〉は、神話の中で〈黄帝〉という神様に倒された)
そして今、野兎が想像を固めているのは、物語ではなく神話。
〈黄帝〉と〈刑天〉の神話は、雑技団時代に子供たちと一緒に読んだ記憶がある。
なら、やることは一つ。
演じる。
たとえ神様でも、物語の中の英雄ならば――。
「………」
やがて、野兎は目を開けた。
「……野兎!」
〈刑天〉の攻撃をギリギリで回避し、地面に膝を突いた汗だくの蘭が、歩み来る野兎を見る。
「お待たせ、蘭。かわいいウサ耳だね」
「……随分余裕だな、おい」
兎の半獣になっている蘭を見て、野兎は微笑む。
しかし次の瞬間――剣を構えた野兎の、その雰囲気が一瞬で変化したことに、蘭も、そして〈刑天〉も息を呑んだ。
「……〈刑天〉、首を切り落として尚、異形となり立ち上がるとは見事だ」
「ゴ、オ……」
まるで、野兎の体の表面に、光が走っているような錯覚。
バチバチと、電流のような閃光が瞬いているような。
その姿を見て、〈刑天〉も臆している。
そう……野兎は今、〈刑天〉を倒したという神――〈黄帝〉になり切っているのだ。
“野兎様……え……何か……”
“神々しい……”
“錯覚? 雰囲気が変わったというか、別人みたいな……”
〈神鏡〉の皆も、動揺しているのかほぼ静まり返っている。
そんな中、野兎が動く。
(……〈黄帝〉は雷神……龍の神だったのではと伝承に残されている)
だから、野兎も自身が雷になったつもりで加速する。
舞台に上がり、演舞を踊る――屈強な武侠になりきるように、一騎当千の英雄になりきるように、絵物語の中の主人公になりきるように。
――神になりきる。
「………ア」
――気付いたときには、〈刑天〉の胴体が真っ二つになっていた。
胴を断たれた為、体にあった〈刑天〉の顔も両断される。
落下する上半身の両目は呆然としており、崩れ落ちる下半身の口はポカンと開いたままだった。
そして数十メートル離れた先で、野兎は剣を振り抜いた姿勢で着地していた。
「……は?」
眼前、刹那の間に終わった戦いを前に、蘭は目を見開いている事しかできない。
「ふぅ」
一方、横たわった〈刑天〉を振り返り、野兎は立ち上がった。
その体からは、先程まで感じられていたような神懸かった気配は消えている。
“勝……ったのか?”
“野兎様が、倒したぞ”
“け、〈刑天〉を……あのバケモノを”
徐々に、ざわざわと〈神鏡〉の表面が騒ぎ立ち――。
“う、おおおおおおおおおおおおお! すげええええええええ!”
“英雄だ!”
“あんな怪物が街に現れていたらと思ったら……”
“本当に、本当に倒したのか!?”
“野兎様! ありがとうございます!”
「野兎!」
あまりにも一挙に流れてくる声の濁流に、〈神鏡〉もふわふわと浮かびながら戸惑っているような挙動をしている。
そんな光景をおかしそうに眺めていた野兎の元に、蘭が駆け寄ってくる。
「蘭、時間稼ぎありがとう」
「あ、いや、勝ったんだよな? 〈刑天〉に」
「うん。私達の協力の勝利だ」
「いや、俺なんざ何も……つぅか、今のは一体……」
困惑する蘭に、野兎は「えーと」と解説をする。
「私は雑技団で演舞劇の主役を務める事が多くて、で、これは私なりの儀式なんだけど、演舞を踊る前に頭の中で演目の登場人物になり切るように精神を集中させてるんだ」
「……おう」
「で、それを応用できないかなと思って。今回、神話の中で〈刑天〉を倒したと言われている〈黄帝〉になりきるよう頑張ってみた」
「……おう」
「〈黄帝〉……即ち雷神を演じるつもりでやってみたから、雷のような速度で動けたのかもしれないね」
「いや、そうはならんだろ」
凄く冷静な顔で蘭は言った。
至極真っ当である。
“いや、その理屈はおかしい”
“いや、その理屈はおかしい”
“いや、その理屈はおかしい”
〈神鏡〉の画面もそんな感じだ。
「雷神になりきったって……常識的に考えてそんな事できるはずねぇだろ」
「いやいや、体を半獣にできる人が何を言ってるんだ」
野兎は「あははは」と笑いながら言う。
そう言われてしまうと、蘭もグゥの音も出ない。
「まぁ、そりゃそうだけど……」
“正論(笑)”
“蘭君も言い返せないよね(笑)”
“というか、野兎様……本当に人間?”
“ただの人間じゃないとは思っていたけど、まさかそもそも人間なのか疑惑が……”
“よくよく考えれば、彼女、長年国中の〈伏魔殿〉に潜って〈魔物〉と戦って生き延びてきて、しかも〈伏魔殿〉の中に群生する植物を食べたりしてたんですよね……異質な力が身に宿っていても不思議じゃないのでは……”
“お、確かにな(思考放棄)”
“まぁ、野兎様だしな(思考放棄)”
(……実は植物だけじゃなく〈魔物〉も食べたりしてました……って言ったら、どうなるかな?)
〈神鏡〉に流れる声が倍増し、野兎に関する考察を始めている。
「……ん?」
そこで、野兎は地面に倒れた〈刑天〉の体が、黒い靄となって消滅していくのに気付く。
「どうした?」
「これは……もしかしたら、珍しいものが手に入るかもしれない」
〈魔物〉は宝物を守る習性がある。
そして一部の〈魔物〉の中には、倒すとその死体が成り代わるかのように、希少な宝物が現れる事があるのだ。
〈刑天〉の姿が消え去った後、そこに転がっていたのは……。
「こいつは……」
「“戦斧”だね」
長い柄に、先端には斧と槍が合体したような形の刃がついている。
手に持ってみると、しっくりと馴染む感覚。
穂先の刃にはしっかりとした存在感があり、強靱な破壊力を内包している事がわかる。
「《刑天の戦斧》……とでもいうべきか。陛下への良い手土産になる、かな?」
「野兎、今日はもう戻るべきだと思う」
そこで、蘭が言う。
「流石に予想外の強敵が現れた。俺もお前も消耗が激しい。これ以上進むのは……」
「それに関しては、心配の必要は無いよ」
野兎は微笑んで言う。
「おそらく、この第四階層が〈宮廷伏魔殿〉の最下層だ」
「なに? どうして、そんなことがわかるんだ?」
「あの〈刑天〉が、この〈伏魔殿〉の長だからだよ」
周囲から、〈刑天〉以外の〈魔物〉の気配を感じない。
この第四階層は〈刑天〉だけの住処なのだろう。
一つの階層を一体だけで占拠しており、倒された後宝物となるのは、その〈伏魔殿〉を納めている最強の〈魔物〉の特徴だ。
「私の経験則からだけどね。だから、これで〈宮廷伏魔殿〉は攻略完了だよ」
「……マジかよ」
野兎の発言を聞き、蘭は顔をひくつかせる。
「あの、武官でさえ入るのに覚悟を抱く〈宮廷伏魔殿〉を……たった一晩で攻略しちまったのか、お前」
「私と君と、でね」
未だ信じられない表情の蘭に、野兎は代わらぬ笑顔を向ける。
すると、〈神鏡〉が空中でくるくると旋回しているのに気付く。
どうしたんだろう? と確認すれば、画面に大小様々な労いの言葉が踊っていた。
“お疲れ様でした!”
“探索お疲れ様でした! 今日も楽しかったです!”
“凄くドキドキしました! 野兎様、お美しかったです!”
“野兎様最強! 野兎様最強!”
温かい文字の数々に、野兎は微笑む。
(……なんだか、前世の記憶の中に薄らある“配信者”にでもなった気分だ)
前世の世界では、スマホやカメラを使って様々な動画を撮影し配信する、そういう人達がいたのだ。
“蘭さんも、野兎様を助けてくれてありがとう!”
“蘭君もかっこよかったです!”
「………」
野兎に協力した蘭も褒め称えられている。
スッと顔を逸らしていたが、彼も悪い気分では無い様子だ。
“兎や猪の姿もかわいかったです! また変身してください!”
“肉球見せて!”
“他にはどんな動物になれるんですか?”
“肉球! 肉球!”
“兎バージョンの肉球もお見せ下さい! お願いします! 何でもしますから!”
「……やっぱり馬鹿にしてるよなぁ!?」
蘭に謎の需要を求めている人達の声で溢れている〈神鏡〉に、蘭は拳を振り上げる。
ふわふわと浮遊して逃げる〈神鏡〉を見ながら、野兎はおかしそうに笑っていた。
■ □ ■ □ ■ □
「………」
――宮廷の最奥にある、とある一室。
静寂に包まれた広々とした空間の中で、一人の男性が目前の机上に立てかけられた手鏡を見ていた。
その不思議な手鏡の中に、一組みの男女が〈宮廷伏魔殿〉から帰還を果たすため、階層を上へと向かっている様子が映されている。
「いかがでしたか? 陛下」
厳かな椅子に腰掛け、手鏡を眺める男性から少し離れた場所に、男が一人立っている。
乱れた前髪に髭を生やした男――青鱗隊隊長の梟だ。
「申し分ない」
白髪に髭を蓄えた面貌。
力強い眼差しを携えた双眸。
威厳に満ち満ちた気配を漂わせる男性は、視線を動かす事無く言う。
「野兎……か」
彼――この龍塒国を治める皇帝は、手鏡の中の野兎の姿を見詰めフッと笑う。
「この者になら任せても良いかもしれないな。この国の、“未来”を」
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