◇第四話 野兎、苦言を呈する
――さて、そんな感じで。
ある程度散策もしたので、野兎は第一階層へと戻ることにした。
白骨死体の横に腰を下ろし、ここで朝が来るまで待つ事にする。
当初は朝まで〈伏魔殿〉内を進んでみるつもりだったが、あまり深く進むと危険度が増すし、戻ってこられなくなる可能性もある。
何より、今の自分には〈神鏡〉という話相手がいるので、退屈せずに済みそうだ。
“さっきは本当にかっこよかった”
“美しかったです”
「ふふふ、ありがとう」
鏡面に流れる褒め言葉に笑顔を返す。
男役として舞台に上がる際、観客に向けるような笑顔だ。
すると、〈神鏡〉も“きゃあああああ!”と歓声を流して反応してくれた。
“でも、どうして今〈伏魔殿〉にいるんですか?”
ふと、そんな質問。
「ああ、実は私は遂最近後宮で働き始めた宮女なのだけど……」
野兎は、自分が後宮の宮女で、ここには梅衣という妃嬪の機嫌を損ねて落とされててしまった旨を説明する。
彼女は後宮内で横暴な態度を取っており、多くの宮女が酷い目に遭っているようだ……と。
「私が早急に手厚い待遇で宮女に採用されたのも、梅衣様の宮に仕える宮女が逃げ出したり、もしくは働ける状態ではなくなってしまい、その穴埋めをするためだったのだろう」
そう、率直に考えを口にした。
すると、〈神鏡〉の鏡面に一気に言葉が流れる。
“それは酷いですね”
“梅衣様か、名前は聞いたことがあるな……”
“春祭の行列で見た事があった。美しい方だと思ったが……後宮の内部でそんなことが起こっていたなんて”
“そんな人には、間違っても皇太后になって欲しくないな”
そんな意見の数々が流れていく。
しかし――。
“それって本当なんですか?”
“梅衣様に関しては、巷には良い噂しか流れてきませんが……”
中には、そんな言葉もあった。
おそらく、民の間や宮廷内の役人達には良い話しか流れないよう根回ししているのだろう。
(……というか、さっきからこの〈神鏡〉君、なんだかまるで市民みたいな目線の言葉ばかり返していないか?)
そう、野兎が思った。
その時だった。
“本当なんです!”
他の文字に比べ、一際大きな文字が流れた。
思わず、野兎もビックリする。
“私も今、梅衣様の宮に仕えている宮女なのですが、この話は本当なんです!”
“他の妃嬪の方々への嫌がらせを命じられたりしました……偶然を装ってお着物やお体を傷つけるよう言われたり……宮の庭で育てているお花に塩を撒いて枯れさせるよう言われたり……”
“逆らったり、言うことを聞かない宮女は酷いいじめを受けて、体や心に不調を表し後宮から消えていく者も多く……”
(……ん? どういうことだ?)
疑問を抱く野兎を余所に、その文字は次々に梅衣の悪事を吐露していく。
突然始まった暴露に、他の文字もまるで聴衆のように盛り上がっていく。
やはり、何かおかしい。
この文字は、〈神鏡〉が自分に反応して会話してくれているのではなかったのか?
まるで、遠くに居る誰か……しかも複数の者達と会話しているかのような……。
すると、そこで。
“話は聞かせてもらった。これは事実なのか”
なんだか、かなり達筆な文字が流れた。
ただの文字なのに、威厳のようなものさえ感じられる。
“梅衣に関しては、以前から少し嫌な噂を聞いていた。事実かどうか確認しようと提案もしたが、何人もの部下達に否定された。あの者等もまた、梅衣の息の掛かった者達だったのだろうか”
なんだか、とても偉そうな……いや、実際に偉い立場にいそうな人の言葉のように感じる。
〈神鏡〉が、そういう体で、遊びで文字を流しているのだろうか?
“困ったものだ。いくら相手が宮女といえど、限度というものがある”
「………」
その物言いが、野兎は少しカチンと来た。
「あの、ちょっといいかい」
この言葉を発しているのが、この〈神鏡〉なのか、誰なのかはわからないが、言ってやりたくなった。
「今の言葉、宮女であれば多少虐げられても仕方がないという風にも聞こえたけど」
“後宮で位を持つ妃嬪である以上、宮女に対して高圧的な態度になるのは仕方がない部分はある。でなければ、秩序というものが損なわれる”
「なるほど、おっしゃる通りだ。だけど、宮女といえども生きている人間だよ」
野兎は強い眼差しで〈神鏡〉を睨み、言う。
「もしも、このまま朝が来て、この〈伏魔殿〉から出ることになり、再び私が梅衣様の宮に戻ることになっても、私はたとえ不利益を被ろうとも、理不尽な理由で虐げてくるなら逆らうし、絶対に梅衣様に傅くことはしないと決めている」
“………”
「それが当然と下の者を軽んじてばかりいては、やがて牙を剥いて歯向かう者も現れる……それだけのことだよ。こちらも、意思のある人間なのだから」
“………”
〈神鏡〉に流れる文字が、ピタッと止まる。
しかし、少しの沈黙を挟んだ後……。
“痛み入るとは、このことだな”
文字の流れが再開した。
“いくら自身の宮に仕える宮女が粗相をしたと言えども、命を脅かすようなマネをするのは指導の域を越えている。なにより、〈宮廷伏魔殿〉を不要に刺激する事は、宮廷に危険を及ぼす可能性がある暴挙だ”
威厳を感じさせる文字列が、そう言葉を作っていく。
“寝間にいきなり光る手鏡が現れたかと思ったら……これは梅衣の暴挙を改善せよという神のお告げなのかもしれないな。すぐに大臣達を集め確認する”
そして、最後に――。
“忠告、ありがとう”
「ええと……」
なんだったのだろう?
と思いつつも、野兎の中に一つの仮説が生まれていた。
もしかしたら、この〈神鏡〉は不特定多数の人物達と会話を可能にする宝物なのではないだろうか?
それこそ、スマホのように。
具体的にどのような方法で、どんな条件で相手が選ばれているのかまでは、考えが至っていないが……。
しかし、だとすれば今の人物。
なんだか、とても威厳というか、偉い人っぽかった。
宮廷に関して精通している風にも感じたし、大臣と言っていたし……。
「もしかして、皇帝陛下?」
いや、まさか。
そもそも、この〈神鏡〉自体が得体の知れない存在なのだ。
妙な妄想は止めておこう。
「だとしたら、なんだか偉そうな事言ってしまったな……梅衣様に逆らう事なんかよりも、格段に不敬だ」
そう呟いて、野兎は乾いた笑声を漏らした。
■ □ ■ □ ■ □
――そうこうしている内に、朝が来たようだ。
第一階層の大穴の下で待機していると、上から縄が下ろされた。
どうやら、ちゃんと助ける気はあったようだ。
安堵し、その縄を掴み、上へと登っていく。
「よっ、と」
しばらくして、地上へと戻った野兎。
縄を下ろしていたのは、〈伏魔殿〉の警備に当たっている衛兵だった(昨夜、この穴に落とされる前に一緒に居た衛兵だ)。
まさか、本当に生きて帰ってくるとは思っていなかったのか、野兎の姿を見てびっくりしている。
「ん?」
見ると、数名の宮女達の姿があった。
皆、野兎と一緒に梅衣の宮に配属された新人宮女達だ。
心配して迎えに来てくれたのだろうか?
そんな彼女達も、ケロリとしている野兎を見て驚き絶句している。
「野兎!」
そこで、宮女達の中から一人の女の子が飛び出した。
そばかすの散った顔の、野兎が庇った彼女だ。
「ごめんなさい! あたしのせいで……無事で良かった!」
「気にしなくて良いよ」
野兎は、涙を流す彼女の頭を優しく撫でる。
「ほ、本当だったんだ……」
「じゃあ、やっぱり昨夜出回った話は……」
そこで、他の宮女達が交わしている言葉が気になり、野兎は顔を上げる。
「私が居ない間に、何かあったのかい?」
野兎が問い掛けると、新人宮女達はおずおずと口を開いた。
「実は、朝から宮廷が大騒ぎになってて……野兎、多分、あなたのせいなのかもしれないの」
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