◇第二話 野兎
「うん、灯りに関しては問題無さそうだ」
野兎は〈伏魔殿〉の中を歩き進んでいく。
突き落とされた穴の下あたりは暗かったが、少し進めば問題無くなった。
〈伏魔殿〉の内部には特殊な苔が群生しており、その苔が発光しているため内部は明るい。
無骨な岩壁や凹凸の激しい地面がまるわかりだ。
「まずは、この“第一階層”の出口を探すかな」
〈伏魔殿〉には“階層”がある。
地上を“零”としたとき、そこから一つ下……つまり、現在野兎がいる地下一階を“第一階層”。
そこからまたもう一つ下ると“第二階層”、というような区部付けがされる。
主に、この数字が少なく地上に近い階層ほど安全で、地下に潜れば潜るほど危険度が増していく。
つまり、先に進めば進むほど危険ということなのだが、野兎は恐れることなく〈伏魔殿〉の内部を進んでいく。
その顔には、恐怖の色は全く浮かんでいない。
何故、野兎にこれほどまでの勇気があるのか……。
それは単純な話――彼女にとって〈伏魔殿〉に落とされるなどという事は、慣れたものだからだ。
かつて孤児であり、雑技団に拾われて育てられた野兎。
しかし、この雑技団の内情は酷いものだった。
金に汚い団長夫婦が経営しており、国の各地から孤児を集めて金稼ぎの道具に育てていた……と言って過言ではない。
しかも、この団長夫婦が性悪で、酒に酔っては気まぐれで子供達に折檻をしていた。
野兎も被害者だった。
やがて、野兎が成長してくると、折檻の矛先は幼い弟分・妹分達に向かいがちになった。
当然、野兎は彼等を庇った。
それに腹を立てた団長夫婦によって、野兎は〈伏魔殿〉に放り込まれていたのだ。
雑技団は国中を巡業していたので、各地の〈伏魔殿〉に落とされた。
そうでもしないと団長達の気も収まらないので、野兎は大人しく従っていたし、他の団員の大人達も『野兎が生きて帰ってくるか』で賭けを行っていたので、止めるような者も居なかった。
そして、野兎は〈伏魔殿〉に落とされては、必死で〈伏魔殿〉の性質を見抜き、学び、生き残ってきた。
貧乏な家で育ち、生き抜くための知恵を学び、それが高じてキャンプや山籠もりが趣味になった前世。
最悪の雑技団に拾われ、〈魔物〉犇めく〈伏魔殿〉に度重なり落とされ続けた今世。
故に今の野兎は、経験豊富な熟練の探索者と呼んで過言ではない。
恐怖など無い。
これはもう、慣れだ。
嫌な慣れではあるけれど。
野兎は錆だらけの剣を構え、精神統一を計るように演舞の型を舞い、一呼吸吐く。
演舞の知識も、〈伏魔殿〉探索では大いに役に立ったし、逆に探索の経験が演舞でも役に立ったと言える。
演舞では武器を扱う。
演舞用の小道具なんて用意してくれるはずないので、どれも実物の武器を流用していた。
武器の扱い方を学べば、自分や幼い弟分・妹分達を守る為にも使えるし、〈伏魔殿〉での戦闘も怖くない。
そうして実戦で学んだ技術を、また演舞にも活かせる。
正に一石二鳥だった。
やがて、野兎も雑技団の看板役者になったので虐げられることも無くなり、雑技団内での労働環境も多少改善されつつあった。
子供達が折檻を受けることも減っていた。
(……そんな感じで、せっかく良い方に状況が向かっていたのにな)
その雑技団が消滅し、野兎は残された子供達を養う為、すぐに稼げる仕事が必要になった。
……と、これまでの経緯をおさらいしていたところで気付く。
「……第二階層だ」
いつの間にか、野兎は第一階層から第二階層へと降りていたようだ。
肌感覚で空気が変わったのを理解する。
〈伏魔殿〉は別名〈地下迷宮〉とも呼ばれている事から、どこか人間を惑わせる構造をしているものが多い。
あまり深くまで進むと、迷って帰ってこられなくなる可能性もある。
朝には迎えが来る……はずだ。
興味を惹かれるのは仕方が無いが、用心深く進まなければいけない。
「……ん?」
そこで、野兎は足を止める。
気配を察知したのだ。
「グルルルル……」
「グゥゥ……」
気付くと、野兎は獣の群れに囲まれていた。
「第二階層も、〈魔物〉の生息地か」
野兎は剣を構える。
〈魔物〉――野生の獣とは一線を画する生物達。
それらは主に〈伏魔殿〉の中にのみ生息し、地上に現れることは少ない。
しかし、危険度は地上の動物達よりも格段に上である。
現在、野兎を囲んでいるのは黒い犬の群れだ。
過去、他の〈伏魔殿〉に潜った際にも見たことがある。
「〈犀犬〉」
彼等は、〈犀犬〉と呼ばれる〈魔物〉。
土竜のように穴を掘り、地中を塒にする習性を持つ犬の〈魔物〉だ。
普段は地面の中に潜んでいるが、野兎がやって来た事に気付き地上に現れたのだろう。
逆に言えば、ここは彼等の縄張りだったようだ。
「ウゥー……」
「グルルルル……」
周囲を取り囲う〈犀犬〉の群れに対し、野兎は目線を走らせていく。
「ガアッ!」
瞬間――目前に立っていた一際体躯の大きな〈犀犬〉が、野兎に襲い掛かって来た。
「――ふ」
野兎は手にした剣を振るい、擦れ違いざまに斬ろうとする。
「!」
が、〈犀犬〉はその気配を察知したのか、無理やり空中で体を回転させる。
剣先が体毛を擦ったが、直撃を躱した〈犀犬〉は野兎の後方に着地――すると同時に、地面へと潜った。
「………」
野兎は足の裏に意識を向ける。
地中に潜った〈犀犬〉が、土竜のように動き回っている気配が振動でわかる。
地下からの不意打ちで、確実に仕留めようという魂胆なのだろう。
「……そっちがその気なら」
野兎は、あえて体の向きを固定し、後ろを振り向かないようにする。
こうすれば、背後が隙だらけになっている……ように見せかけられる。
瞬間、その隙を突こうと、野兎の背中側の地面から〈犀犬〉が飛び出した。
「――釣れた」
まるで予測していたように振り返った野兎に、〈犀犬〉は動揺する暇も無かった。
野兎の手にした剣が、〈犀犬〉の胴体に打ち込まれた。
「ギュアッ」
呻き声を上げる〈犀犬〉。
幸か不幸か剣の腹が当たったため、胴体を真っ二つとはならなかった。
それでも、腹部に強烈な一撃を食らった〈犀犬〉は蹲って浅い呼吸を繰り返す。
野兎は更に、自身を取り囲う他の〈犀犬〉達に鋭い眼光を飛ばす。
「グ、グゥゥ……」
「くぅぅん……」
おそらく、この図体のでかい〈犀犬〉が群れの長だったのだろう。
長を圧倒され、野兎には敵わないと理解したのか、他の〈犀犬〉達はか細い鳴き声を発して逃げていく。
「ふぅ……」
野兎は剣を下ろすと、すぐ近くに残された親玉の〈犀犬〉を見る。
「くぅん、くぅん」
親玉の〈犀犬〉は、すっかり降参したようで、ひっくり返ってお腹を見せている。
「悪かったよ。でも、別に君達の縄張りを奪おうっていう気は無いから」
そう言って、野兎は〈犀犬〉の腹を撫でる。
敗北を認めると途端に従順になる……いくら〈犀犬〉と言っても、こういう性質は犬と変わらない。
「わん」
そこで、〈犀犬〉は体を起こすと、地面に穴を掘って地中へと消えた。
逃げたのだろうか――と思っていたら、すぐにまた地上へと戻ってくる。
「わん!」
「これは……」
戻ってきた〈犀犬〉は、頭の上に宝箱を乗せていた。
「宝物……かな?」
〈伏魔殿〉において、〈魔物〉が密集して縄張りを主張している場所には、必ずと言っていいほど何かがある。
何か……とは、宝物。
そう、多くの〈魔物〉には、何故か宝物を守るという習性があるのだ。
どうやら、この〈犀犬〉達も宝物を守っていたようで、降参の印に持ってきたのだろう。
「宝物か……持ち帰ったら、多少はあのワガママ妃のご機嫌直しにもなるかな」
雑技団時代は、〈伏魔殿〉から持ち帰った宝物は団長夫婦に差し出していた。
彼等は宝物の価値なんて知らなかったので、すぐに二束三文で売って金に換えてしまっていたが。
何はともあれ、野兎は〈犀犬〉が差し出した宝箱を開けてみる。
「ん? ……これは、鏡?」
開けた宝箱の中に、“奇妙な鏡”が入っていた。
長方形で、手の平に収まるか収まらないか位の大きさ。
四方が、神秘的な模様の金属の縁で囲われている。
「手鏡と呼べなくもないけど、何か不思議な力が宿っていたりするのかな」
野兎は、その鏡に手を伸ばし――触れる。
その瞬間だった。
鏡から、途轍もない光が発生した。
「きゃんっ!」
ビックリした〈犀犬〉が縮こまる一方、野兎は剣を構えて距離を取る。
「な……」
野兎の目前で、不可思議な現象が起きていく。
宝箱の中から浮かび上がった鏡が、その場で二つに分裂……更に四つに、八つに、十六に、三十二に……と、どんどん増えていくのだ。
分裂した数百枚の鏡が、空間を覆い尽くす。
そして次の瞬間、その鏡の群れが、凄まじい速度で第二階層の入り口の方へと飛んでいった。
その光景は、あたかも空を横断する鳥の群れのようだった。
「な、何だったんだ……」
目映い鏡の群れが消え去り、その場には静寂が戻る。
野兎は目を擦りながら視線を戻す。
すると、おそらく最初のものだろう鏡が一枚だけ、宝箱の上にふわふわと浮かんでいた。
「ええと……」
どうすれば良いのかわからず、野兎は首を傾げる。
すると、その鏡がふよふよと、野兎の方に移動してきた。
害意や敵意のようなものは感じない、まるで、持ち主の元に帰ってきたかのような、そんな動きだった。
「この鏡……もしかして、生きている?」
よく見ると、鏡の縁の模様も目に見える。
野兎は手を伸ばし、鏡の表面に触ってみる。
「君は……何なんだ?」
そう問い掛けると、鏡の表面に文字が浮かんだ。
〈神鏡〉、と、書かれていた。
「〈神鏡〉……」
文字はすぐに消え、鏡には野兎の顔が反射して映し出される。
相変わらず、鏡自体はふよふよと浮かんでいるが。
(……どこか、“スマホ”みたいだな)
前世の世界に存在した機器を思い浮かべる。
「うーん……どうしようか?」
「くぅん」
おそらく危険は無いと思うのだが、どういう機能を備えているのかわからない。
野兎は、足下の〈犀犬〉と顔を向かい合わせ、首を傾げるしかなかった。
「……そういえば、さっき飛んでいった鏡の群れは、どこに行ったのだろう……」
■ □ ■ □ ■ □
――この時点では、野兎は知らなかった事だが。
その日、宮廷の〈伏魔殿〉より飛び出した大量の手鏡が、この龍塒国の空の上で花火のようにちりぢりになり、国中へと散らばった。
宮廷内から貴族の屋敷、商人、市民、貧民に至るまで、不思議な手鏡があらゆる者達の手に渡った。
――そしてこの宝物〈神鏡〉の解放が、龍塒国中に野兎の名を知れ渡らせる、大事件を巻き起こす切っ掛けとなるのだった。
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