俺達は男の子を取り逃がした。
やがてカスカベルがもう1班、そしてワイバーンの残りのメンバーもドアの前に集結した。
俺は静かにゆっくりとドアハンドルを動かすとそれにロックは掛かっていなかった。
俺はカスカベルの2人の班長とハンドシグナルで突入体形を確認した。
ドアを空けると直ぐにカスカベルの2つの班が突入して左右に展開、俺達ワイバーンがそのすぐ後ろに続き中央を進む。
2人の班長が頷いて戻ってそれぞれの班員に意思を伝え、俺はワイバーンメンバーにハンドシグナルで突入体形を説明して突入の時を待った。
カスカベルの班長がドアハンドルに手を掛けてタイミングを見計らっていた。
班長は俺と目を合わせ、俺が頷くと班長はドアハンドルを押し下げ、思い切りドアを開くとカスカベル班員たちが部屋の中になだれ込み、そのすぐ後ろをワイバーンが続いた。
やや奥行きがある広い部屋の奥にグランドピアノが置いてあり一人の初老の男がピアノを弾いていて、そのすぐ後ろの椅子に中年らしき女性が背筋を伸ばして座り、そしてピアノのすぐ横に白人金髪青い目で薄くそばかすが浮いている10歳くらいの美しい男の子がセンスが良い上等な子供服を着て目を瞑り、声を張り上げるでもないが辺りに染み渡るような声で歌を歌っていた。
飛び込んだ俺達は男の子たちに武器を向けたまま動けなかったし降伏する指示を出す事も出来なかった。
カスカベルもワイバーンもじっと男の子に武器を向けたままじっと男の子たちを見つめているだけだった。
撃てない、撃ちたくない、この者達を傷つかせたくない。
そう言う思いに囚われて俺達はじっと見つめていた。
一面咲き乱れた綺麗な花達を踏みにじるような事が憚られるような、静謐な神社や寺や教会の中を騒いで荒らすような事が憚られるような…。
知らず知らずのうちに俺達は男の子の術中にはまっているのか…。
「かぁあああ!」
はなちゃんが手を上げ、活を入れた。
「彩斗!皆!この歌じゃの!
あの子供が歌う歌が結界となっていたじゃの!
皆、しっかりせい!」
目を瞑っていた男の子が目を開き、歌を止めると恐怖の色を浮かべた瞳を俺達に向けた。
俺達は何かの甘美な呪縛から逃れたようだ。
皆、頭を左右に振り、気を取り戻すと武器を構え直した。
「動くな!降伏しろ!
お前達の身柄を確保する!」
俺は辛うじて乾いた声を張り上げた。
「きしゃぁあああ!」
はなちゃんが声を上げてがっくりと首を垂らし、椅子を蹴立てて立ち上がりこちらを向いた中年の女性がアナザーの形相になって襲い掛かって来た。
俺達は中年の女性に頭と心臓を避けて銃撃をした。
中年の女性は足や下腹部から出血し、銃弾に削り取られた肉片をばらまきながらも怯まずに進んで来た。
しかしその女性の回復力は今まで見た事も無いほどに早く、UMPサブマシンガンからの40口径弾やオリジン12ショットガンから放たれた12ゲージスラグ弾が開けた穴が見る見る塞がっていた。
俺達が尚も銃撃をしている、その間にピアノを弾いていた初老の男性は手で口を押えて恐怖に涙を流して立ち尽くす男の子を脇に抱え、部屋奥にある重そうな鉄の蓋を掴み、蓋を脇にずらすとその穴の中に男の子を放り込んだ。
そして再び蓋を元に戻すと俺達に向き直り、凶悪なアナザーの姿になりその両手が非常な速さで伸びて行き部屋の端から奥に突進したカスカベル隊員の何人かをなぎ倒した。
タイミングを合わせた俺達の一斉射撃で脚に数十発の弾を同時に浴びた中年女性のアナザーは流石に歩く事が不可能になりその場に腰を下ろしたが、奥の初老のアナザーの様に両手を伸ばして鞭のように振りながら俺達に襲い掛かった。
正面最前列にいたジンコと凛が鞭に当たって倒れた。
「ああ!ジンコ!凛!」
喜朗おじが唸り声をあげるとハルクに変化してどすどすと前に出て鞭の攻撃を引き受ける間に俺達は倒れた凛とジンコを後ろに引っ張って来た。
凛は胸に深い切り傷を負ったが、徐々に塞がりつつある。
ジンコは持っていたUMPサブマシンガンが盾になったらしく体の損傷は無かったが、UMPサブマシンガンがすっぱりと奇麗な切り口で両断されていた。
「真鈴!まだ私は大丈夫!
まだ戦えるわ!」
ジンコは頭を抱いていた真鈴に言い、SIGとダガーナイフを抜きながら立ち上がり、凛は再びUMPサブマシンガンを中年の女性アナザーに連射している。
その間ハルクとなった喜朗おじは鞭に体を切り裂かれて唸り声を上げながらもなんとかその鞭を掴もうと苦戦していた。
「くそ!生け捕りは難しいぞ!
われが飛び出してあの鞭を何とか斬り落とすぞ!」
「四郎、俺も行くぜ!」
サーベルを抜いた四郎と江雪左文字を抜いた明石が喜朗おじの両脇から飛び出して同時に鞭に切りかかった。
部屋の端を通り奥に進んだカスカベル達も蓋のそばに陣取った初老の女性アナザーの頭と心臓に射撃を集中させ、俺達は喜朗おじを切り刻んでいる中年女性アナザーに立ち向かった。
俺達ヒューマンメンバーがアナザーの腹に集中射撃をする間に四郎と明石が繰り出してくる鞭と切り結んだが、鞭の動きが早く、刃が当たる場所を高質化しているのか明石の江雪左文字や四郎のサーベルは時々鞭と衝突して火花を散らしている。
右腕を肘から斬り落とされたハルク喜朗おじが腕を拾い、傷口に当て、それが接合した瞬間、左腕をまっすぐに伸ばして怒号を挙げながら中年女性アナザーに突進した。
明石と四郎と切り結んでいる中年女性アナザーの顔を鷲掴みにして思い切り床にたたきつけた。
振り回していた鞭の勢いが弱まりやがて床に横たわって腕の形を取り戻しながら身体の方に戻って行った。
「こいつはまだ生きている!
手錠を掛けろ!」
喜朗おじが叫び。真鈴とクラが飛び出してうつ伏せにして手錠をかけた。
奥では脳の半分が吹き飛ばされて伸びた腕の勢いが落ちた初老の男性アナザーがよろよろと先ほどの蓋に覆いかぶさり倒れた。
明石が手錠をかけた中年女性アナザーの胸ぐらを掴んだ。
「もう観念しろ!
お前らは何者だ!
何が狙いなんだ!」
口から夥しい血を流した中年女のアナザーは何かを言おうとした。
「に…逃げて…ずっと…ずっとそうしてきたように…あなたが…私達が…逃げずに…済む世界を…作っ…て…平和…で…穏や…かな…。」
顔の下半分が血にまみれて凄惨な顔の女性アナザーは穏やかに微笑み…そしてがくりと顔を降ろすと徐々に灰になって行った。
「くそ、間に合わなかったか…。」
明石はそう呟き、部屋の奥を見た。
初老の男性アナザーもやはり灰になって蓋を覆い隠していた。
最期の力を振り絞って蓋を開けさせないように這いずって行ったのか…生き残ったカスカベル隊員が必死に手で灰を掘ってどけようとしていた。
「くそ…取り逃がしたかも知れんな…。」
四郎が切り裂かれてはだけた戦闘服の胸を掴んで呟いた。
その下に大きな切り傷が開いていたが徐々に塞がりつつあった。
「はなちゃん!
はなちゃん!」
真鈴が白目を剝いたはなちゃんをリュックから出して揺さぶっていた。
やがてはなちゃんの目が元に戻った。
「はなちゃん!気が付いた?
大丈夫?」
「ああ、大丈夫じゃの真鈴…あの男の子は?」
真鈴が悔しそうに唇を噛んだ。
「残念だけど逃がしたかも…取り巻きも2人とも死んでしまった…」
真鈴がそう言うとはなちゃんと共に2つの灰の山と、奥の方の灰の山を慌ただしくかき分けて蓋を掘り出しているカスカベル隊員たちを見た。
はなちゃんがゆっくりと被りを振った。
「あの中から逃げたか…恐らくすぐには捕まえられんと思うじゃの…さっき目が合った時にあの男の子の生涯が見えたじゃの…やはりあの歌が一種の結界になっていたじゃの…結界が消えた途端にあの男の子の生涯が流れ込んで来たじゃの…もしかしたらわらわより年上かも知れんじゃの…しかしな…。」
「はなちゃん、しかし…何?」
「…あの男の子は孤独を恐れ、争いを恐れ、強さよりも親愛を求めていたじゃの…そして、アナザーになってから、怯え続け、追われ続け、親愛の情を求め続けたじゃの…あの男の子も…あそこで灰になったアナザーも…その思いを狂おしいほどに親愛の情を求めた思いを…誰かに利用されたじゃの…。」
「…。」
「哀れとしか言えない…存在じゃの。
何とかして…平和な…岩井テレサが言うような平和で明るい地平の果てを目指していたのじゃの。
その方法が正しいかはともかく…。」
その時俺の頭にイメージが鮮明に流れ込んで来た。
男の子が放り込まれた先は下水道だった。
暗がりのトンネルを汚水で足を汚しながら、服を汚しながら、何度か転びながら、追手を恐れながら、そして、濃い闇から何かが飛び出てくるのを恐れながら、保護してくれる者を亡くした事を知り、孤独に抱きしめられながら男の子は涙を流しながら、嗚咽を漏らしながら下水道をあてども無く走って行った。
先ほど聞いた美しい歌と共に、男の子は泣きながら下水道を走り、逃げて行った。
その孤独極まるイメージに俺は胸が締め付けられ、涙がこぼれた。
第11部 地平の彼方編 終了
次回
第12部 黎明編




