第2話 依子とお出かけ
京都は翌日も晴天だった。
冬里が予約を入れてくれていたホテルは、『はるぶすと』のオーナーや従業員が京都に来たときに泊まる、言わば御用達の宿だ。
ドアマンもフロントも気持ちの良い対応で、部屋も清潔で居心地良く保たれていた。
聞くところによると、最初にシュウが選んだらしい。
特に何にこだわる事もなかったらしいが。
シュウの第六感が選んだホテルと言う事だろう。
「さすがだね」
チェックアウトの後、今日はこれから奈良へ向かう。
「シギが来るの? だったら奈良へ来てもらってよお」
と、依子が強く希望してきたらしい。
彼女とは以前、フェアリーワールドでのコスプレ行事の後、エンタープライズホテルで一夜を共にしたことがある。
とは言え、千年人同士なので色っぽい一夜ではない。
夏樹がやたらと褒めちぎるものだから、依子がどうしても泊まりたくなったジュニアスイートに、ご招待されてしまったのだ。
ウェルカムドリンクのシャンパンと、同じくスイーツのチョコレート。
世話好きの依子がオーダーストップ間際に頼んでくれたつまみに、ウィスキーとワイン。
そして、酒が入らなくても饒舌な依子の話術についつい引き込まれ、思いのほか楽しい夜を過ごすことが出来た。
翌朝は、これまた夏樹が目を輝かせて語っていた、「エンタープライズの朝食!」を心ゆくまで堪能して来たのだった。
そんな依子とのお出かけは、きっと楽しいものになるだろう。
京都から奈良までは、近鉄特急で約30分。
改札の外からシギを見つけた依子が、優雅に手を上げて微笑んだ。
「さーて、じゃあ今日はお天気も良いことだし、チャッチャと歩いてもらうわよお」
地下の改札から地上へ出たところで依子が宣言する。彼女は最初から容赦がない。シュウとは大違いだ。
「なに? なにかおかしなこと言ったかしら、私」
思わず出てしまった笑いに、依子がすかさずツッコミを入れる。
「いや、相変わらずだと思ってね。シュウが申し訳なさそうに、歩いて頂きますって言ったのとはずいぶん違うなあ」
「あら、そんなの当たり前」
「当たり前ですか」
「そうよ」
言いながら依子は、東向商店街に入っていった。
少し歩いたところで左に折れると、興福寺・北円堂の横道に出る。
「へえ、こんな裏道があるんだ」
「すいてて良いでしょ? シギは今回、大仏さまは行かないって言ってたから」
「そうだね」
ずいぶん昔だが、奈良の大仏は訪れたことがある。なので今回は少し違うところへ行こうと思ったのだ。
「それで?」
「うーん、まずは興福寺をまわりましょうか」
「かしこまりました」
北円堂を左に見て、突き当たりを右に折れると、今度は南円堂がある。
そのまた左先に、目にも艶やかな真新しい中金堂が見える。こちらは平成の終わりに再建されたばかりだ。
そして興福寺の象徴とも言える五重塔。
隣に東金堂がある。
2人はゆったりと広い敷地を歩いて行く。
この敷地の中にも鹿があちこちにいて、鹿せんべいを持っていそうな観光客を虎視眈々と狙っている。
「せっかくだから、国宝館でも入ってみる?」
「入れるのは国宝館だけ?」
「え? いいえ、東金堂も中金堂も入れるわよ」
「だったら」
と言うわけで、せっかくなので三つとも制覇することにした。真新しい中金堂をまわってお次は東金堂に行って。
最後の国宝館を出て来たところで、シギが声をかける。
「なかなかに見応えがあったね」
「そうねえ。今夜、夢に出て来そうだわ」
「相変わらず感想が独特だね、依子は」
「あらそうかしら?」
不思議そうに言う依子が次に案内してくれたのは、その先の国道を右に折れたところだった。
「次はこっちよ」
見るとそこに、赤い鳥居が鎮座している。
「春日大社、一の鳥居」
「ああ、ここから春日大社なの?」
「そう、で、ここからいっぱい歩いて頂くわ」
「はいはい」
参道はゆったりと幅を取ってあるので、人がかなりいるのだがそんなに窮屈には感じない。ただ、面白かったのは、途中にある横断歩道を鹿が悠々と渡っていくところだ。奈良市内では、車よりも鹿が優先らしい。
神社の参道はどこもそうだが、樹齢の長い木々が立ち並び、ゆったりと時が流れている。
ここいらあたりにも鹿がいて、途中にある茶屋などで売られている鹿せんべいを持った観光客は、大もてだ。
そんな光景を眺めつつ歩いていたふたりだが、途中からなにやらザワザワとした雰囲気が伝わってくる。
「? 木々が騒がしいわね」
「うんー、少し違うような」
そんな話をしながら本殿に参拝しようと門をくぐると。
「まあ、ゆるりとして参れ」
本殿奥の方から、その声とともにすうっと誰かが現れた。
「いきなりのご登場ねえ《たけみかづち》?」
依子が言ったとおり、それは春日大社の祭神である。
《たけみかづちのみこと》だ。
雷、剣、地震、相撲の神とも呼ばれているため、大柄で厳つくて、とても精悍な風貌だ。
「相変わらず恐れもせぬな、そなたは」
「あら? 当たり前でしょ? 日々地震を鎮めて下さってるんですもの、なんてお優しいのお、もう感謝感謝よお」
「ふん」
依子の言い草に、苦笑ともあきれともつかない息をついて、《たけみかづち》は改めてシギに向かう。
「まあ、そなたを連れてきたご婦人は放っておくとして、ゆっくりしていくがいい」
「ありがとうございます」
シギがそう言うが早いが、2人は本殿奥の大広間のようなところにいた。
ゆったりとした気が流れているそこで2人は、時節に合わせてだろう、ちまきと、それに合わせたあたたかい茶を振る舞ってもらう。
「まあ大歓迎ね。私の時とは大違い」
「そなたはなんやかんや言うて、しょっちゅう来ておるからだ」
するとちまきを美味しそうに食べていたシギが、
「ああ、本当に美味しかった。ごちそうさま」
と茶を飲み干し、持っていた美しい湯飲みを置いた。
そこで居住まいをただした彼が、ある提案を持ちかける。
「ところで、ここには祝詞が大得意の神さまがいましたよね」
「ああ、おるが」
「お呼びですかいな」
そこに落ち着いた様子の御仁が現れた。
《あめのこやねのみこと》だ。
「ああ、いらっしゃった。で、お茶とお菓子のお礼と言ってはなんですが、僕、キーボードが得意なんで、セッションしませんか?」
「セッション?」
「えーと、祝詞とキーボードなんておかしな取り合わせだけど」
苦笑しつつ言うシギに、《たけみかづち》が膝を打つ。
「なんと、面白い事を考える者よな」
「ははあ……、興味はありますな」
《あめのこやね》もどうやら乗り気のようだ。
するとその言葉が合図のように、シギの前に流れるように鍵盤が現れた。
「えー? シギだけずるいわ。だったら」
と依子が言って目配せすると、その手にフルートが持たれていた。
「あれ? 依子はフルート得意だったっけ?」
「そうよお。他にはバイオリンとか。けどフルート出してくると、冬里がご機嫌斜めになるの。横笛じゃない、僕のとかぶってるって」
「ハハハ、冬里らしい」
「まったくよね。で? 《たけみかづち》は見てるだけ?」
依子が話を振ると、《たけみかづち》はうるさそうにしていたが、
「しょうがないヤツじゃ」
と、ドン! と地を踏む。
すると現れた大ナマズが、チェロに姿を変えた。
「これでいいだろう」
「まあ、素敵~」
シギの即興で始まった、おおらかでゆるりとした演奏は皆を夢心地にさせていく。チェロの重厚な響きと、フルートの澄んだ音色と。
それに乗るように《あめのこやね》が、美しい祝詞を詠う。
やがて、一つ目の演目が静かに終わり。
「ううーん、良かった~ステキー。ねえ、今度はもうちょっとリズムと乗りのいいのにしましょうよ」
依子が楽しそうに言う。
「ほんに、厚かましいの」
と言いつつも、《たけみかづち》がいったん立ち上がってチェロのナマズを消すと、すでにドラムセットの前に座っていた。
「きゃあ、さすがは雷神」
「うるさいな」
といいつつも、リズムを取り始める。
シギがそれにあわせて、ジャズのような軽妙なリズムでキーボードを奏で始めると、依子もノリノリでフルートを吹く。
《あめのこやね》は、こちらも先ほどとは違った、軽めで、けれどこれまた美しい祝詞を詠い始めた。
あるところまで来ると、《あめのこやね》が何かを呼び寄せるような仕草をした。
すると。
「まあ!」
思わず声を上げてしまう依子。
あたりに一瞬にして藤棚が広がったのだ。
そう、まるで萬葉植物園がここへワープして来たかのように。
「さっきのザワザワは、この子たちだったのねえ」
依子はそれに見とれて演奏をやめてしまったのだが、彼女の代わりに藤たちが、ハープのように美しく流れる音を奏で始める。
藤は、シギの回りを嬉しそうに舞っている。シギもとても楽しそうだ。
そしてそして。
いつの間にやら大広間は、集まった神さま方が押し合いへし合い、大笑いしながらギュウギュウと変な踊りを踊っている。
「なんや今日は神楽かいな~」
「やんややんやあ」
「あなうれしや~」
「踊りなされ~」
神さまは、楽しいことが大好きだ。
こうして夢のようなひとときが過ぎていった。
「シギも、むらさきだったのね」
本殿を後にして一の鳥居へ帰っていく途中で、依子が感心したように言った。
「そうなのかな、自分では気づかなかったけど」
「でも、そう言えば冬里に似通ったところもあるかもねえ」
「ああ、そっちは自覚があるよ」
むらさきの君。
冬里は神さまに言わせると、えも言えず美しい「むらさき」だそうだ。
シギもきっと、色調は違えど「むらさき」なのだろう。
思わぬ出来事から、シギの本質が垣間見えた今日のお出かけ。
「ねえ、またお出かけしましょうね」
「え? ああ、いいよ」
嬉しくなった依子は、
「せっかく奈良まで来たんだから!」
と、予定になかった東大寺大仏殿へ、シギを引っ張って行くのだった。